翼ある闇
 高い熱が続き、ジークリンデの意識は歪み、視界は焦点を結ばない。腕の中にあるぬくもりだけが、時々彼女を現実の世界に連れ戻していた。彼岸の岸辺をさまよっているが、そのむこうへは歩き出せない。その先は凍りついたように冷たいのだ。黄泉へと至る橋は凍てついて、足を乗せるとひどく痛む。だから橋を渡ることが出来ないでいた。
「ジークリンデ様、どうかお気を確かに。ジークリンデ様!」
 経文のような言葉が、ジークリンデの周囲を取り巻いている。女たちの高い声がさざめき、嘆き、震える。うなされながらも、その声にジークリンデは手を伸ばした。そうだ、橋を渡るわけにはいかない。ジークリンデは残るべくして残ったのだ。ニサンに。あるいは、下界に。重たい肉を持つ不自由なこの世界に。
 戦いに命を投げ出し、殉じる者は美しい。そうして天上へ飛び去った人たちの足取りは軽く、その生き様は天使の羽を思わせる。生きているときにどんなに重たい体に苦しんでいたとしても、殉じた瞬間にそれは変わってしまう。美しいし、ジークリンデが末席にいるニサン正教という宗教にとってもそれは善いことなのだろう。軽やかなものこそ人びとの心を集めるのだから。それゆえに自ら望んで殉じようとするものもいる。重い殻を脱ぎ捨てようとするものが。
 だがジークリンデはいまや思い知っていた。その重たい殻にしか出来ないことがあるということを。そんなことはいままで思いもしなかったのだが、気が遠くなるような産褥の痛みと苦しみを越えて、腕の中に我が子を抱いていること以上に輝かしい栄誉はない。死を覚悟して敵戦艦に突入することは勇気がいることだろうが――しかしその死は、子どもを子宮から産み落とすよりは苦痛が少なかっただろう(爆発のためにソフィアの肉体は一瞬で燃え尽きてしまったはずだ)。
 涙が尽きることがなかった。失われたソフィアの命だけでなく、彼女をとうとう自由にすることが出来なかった無力さがジークリンデを打ちのめしていた。ソフィアは、ジークリンデが腹を痛めて産んだわけではなかったが、娘のようなものだった。自分の娘を産んでわかったのは、ソフィアが「娘のような」存在ではなくて確かに娘だったということだ。腹を痛めて産んだ子どもと同じくらい、ジークリンデはソフィアを愛していた。ソフィアは死んでも自由になれなかった。ソフィアは死んだことによって聖女から女神になり、永遠に「ソフィア」であることに囚われ続ける。その牢獄は開くことがない。その悔しさに涙が伝い、それと同時に、腕の中の娘へのいとおしさにまた涙がこぼれた。ジークリンデ自身も十分な愛情を受けずに育ってきた子どもだったからか、修道院で学んだ知識ばかりに頭を占拠されて、血の繋がった子どもへの愛というものがこうもとめどないものだと知らなかった。この野蛮な時代に、それでも生れ落ちた彼女の命の尊さに涙が出る。さらにジークリンデは、その娘を見ることなく命を落とした夫のことを思い出して、また新しい涙を浮かべた。ソフィアとニサンの教義のことしか頭になかったジークリンデに、彼女自身のことを知らせたのは彼だった。それでジークリンデの中の優先順位が覆ったわけではない。仲のよい夫婦だったが、それぞれに、一番大切に思う対象が違った。しかしだからこそ愛し合い、理解しあうことの出来た人だった。彼の死は彼の生き様を思えばあまりにも順当な死であって、死そのものを否定しようとは思わなかった。彼は、自分が望んだとおりに生きて、そして死んだのだ。だが腕の中にいる娘のことを伝えられないのが悔しい。イゾルデへの愛と、彼女のぬくもりから知る幸福とを彼に伝えられないのが、なによりも哀しかった。
「ジークリンデ様、お気を確かに! ああ、聖ソフィア様、どうかこの方をお守りください。どうか、どうか!」
 修道女たちの嘆きが部屋にこだまする。彼女たちは無力で、縋るものといえば死んでしまったソフィアの他にないのだ。ソフィアは死に、僧兵隊長カレルレンも出奔していた。若い教母を中心に、僧兵隊のカレルレン、修道女のジークリンデが彼女を支えることで成り立っていたニサンという機構は、完全に瓦解していた。ジークリンデ一人が立ち上がったところで出来ることは限られている。しかし彼女らにとっては、ジークリンデを失えば路頭に迷うしかないのだ。この荒々しい時代に、彼女らには酷な運命だろう。ジークリンデはああ、といまさらながらに嘆いた。彼女ら三人は、ニサンをまったく違うものにするほどの勢いで改革を続けて来た。しかしそれは正しくなかったのではないだろうか。こうして、産後の肥立ちに苦しむジークリンデの他に縋るものがないなど、一体どう彼女らを変えたというのだろうか。
 それとも、外の世界はそれほどまでに恐ろしいのだろうか。戦争はソフィアの死によって決裂し――そう、あろうことか和平ではなく戦争でさえ決裂してしまった。ソフィアの力はそれほどの異能だったということなのだ、勝利も敗北もすべてを破砕してしまった!――絶望したラカンによってこの世ならぬ悪魔がすべてを蹂躙した。その悪魔たちさえ消え去った大地は朱色に染まっている。だがそんなものが恐ろしいというのか。ジークリンデには露ほども恐ろしくなかった。ニサンは被害が少なかった地域だが、滅びてしまった国が大半だと聞いてもなお、ジークリンデはそんなものを恐ろしいとは思わない。恐ろしいのはもっと違うことだ。
 ジークリンデが目を塞いでいたのはそれだった。産褥の苦痛に叩きのめされたのは確かだったが、意識もあやふやなままに漂い続けているのは決してそのせいだけではなかった。恐ろしいのは死でもなければ、不名誉でもなく、悪魔でもない。生きている人間ほど恐ろしいものはこの世に存在しない。生きている人間ほど恐ろしいものは。
「二人きりにしてくれないか」
「ジークリンデ様はまだおからだがすぐれません」
「僕の声くらいは聞こえるはずだ」
「出産後の女性の部屋に立ち入るとは無作法とは思われないのですか」
「僕はその子どもの伯父だ。その子の父親がいない以上、父親代わりといってもいいくらいのものだろう」
「お休みになっております」
「どうしてもしなければいけない話があるんだ」
 修道女たちの嘆きの声、さざめきが遠のく。静まり返った部屋には、一人の人の気配があった。目を開けないでも、熱にうなされていても、ジークリンデにはそれがだれかわかった。腕の中の赤子を無意識に抱き寄せ、ジークリンデは震える。
「ジークリンデ、いつまで寝ているつもりなんだ」
 起き出したいとは願っていた。弱々しい修道女たちと、ニサンに生き残った人びとに手をさしのべなければいけない。だがその声が恐ろしくて、目覚めることが出来なかった。
「君はふざけているのか? 君が立たずにだれが立つ、というんだ。君ももう自分がしなければいけないことをわかっているんだろう。それを拒んで起きないというのか。僕は君が傀儡でも構わない。文字通り、僕が縄を上から垂らして顔を引っ張りあげているのでもいいとも!」
 男の剣幕に赤ん坊が泣き出した。廊下にいるはずの修道女たちが部屋に入って来て、男に帰るようにと言う。しかし彼は首を振った。縋りつく手を振り払い、大股でジークリンデの枕元に歩み寄る。彼女の腕にあった赤ん坊を取り上げると、修道女たちが悲鳴をあげる。彼はそれを無造作に隣の修道女に押しつけると、強引にジークリンデの腕を引いた。
「いつまでそうしているつもりだ。もはや一日も待つことは出来ない。起きて、そうして祭壇の上にあがれ! 群衆の前で自分こそ新しい教母だと名乗るんだ!」
 何日も臥せっていた足は萎えて、男に寝台から引きはがされても立つことができない。毛足の長いじゅうたんの上に倒れこんだジークリンデは、涙でにじむ瞳をあげて、ロニ・ファティマを見た。彼の姿は記憶のままだ。太陽に似た金色の髪、深い碧の目、そして砂漠の民の肌色。けれど額には、いままで見たことのない黄金のサークレットがはまっていた。彼はいまや王なのだ。
「私は教母にはなれません」
「ニサンの教義など僕の知ったことじゃない。だがだれかが教母にならなくては困る」
「ニサンの教母はソフィアです。かつても、いまも、そしてこれからもずっと」
「彼女は死んだ」
「そして永遠に生きているのです」
「彼女の存在は千年後まで続くだろう。だが、それは伝える人間がいてこそだ。君がいま立たねば、ニサンは生き残れない」
 確かにそうだろう。このままでは、ニサンはやがて崩壊し、数十年後、すべての修道士たちが死に絶えた頃には砂漠に消えてしまっているに違いない。そしてソフィアの存在も消え去る。激しい痛みが胸を貫いたのは、この地を去ったカレルレンのことを思い出したからだった。ソフィアが忘れ去られる、彼女の語った神とともに。
 それまでは、ニサンの民を護るために苦心してもよかった。ジークリンデはそのために命を捧げるつもりでいた。
 だが腕に抱いた娘にはニサンとは関わることなく生きて欲しかった。ソフィアは教母になってしまったがために自由を奪われた。もうひとりの娘の悲劇を、また繰り返したくはない。
 ジークリンデが教母になるということは、その後継者としていずれイゾルデが教母になるということを意味する。ロニが実際に意図しているのはそのことなのだろう。ファティマの血の正統な一筋がアヴェで黄金のサークレットを頂くように、もう一筋がニサンで繋がってゆく。それは決して、ロニの弟への愛情ゆえの行動ではなかった。そのようなことで動く男ではない。
 彼は本気で、千年後までソフィアの存在を残すつもりなのだ。二筋の血筋があれば、千年後までどうにか持つと思うのだろう。彼の王国はその千年後、ソフィアの名の元に立ち上がるのだろう。彼らが戦って、勝つことのできなかった世界のすべてと戦うために。そのための二筋で、そのための王国であり、そのための教母なのだ。
「ジークリンデ、明日だ。明日の朝の礼拝に、出て来たまえ。明日までしか僕は待たない」
 簡潔に告げると、ロニは部屋を出て行った。ジークリンデはまた湧き出してくる涙の塩味を感じながらイゾルデを抱きしめる。それにしても彼女は肉と血を備えた人間だった。体は重たかったし、腕に抱くイゾルデはまだ嬰児だったが、やはり重たかった。そのことがあまりにも哀しく、涙は尽きることなく流れ続けた。



 修道女たちも寝静まった真夜中になって、ジークリンデは夜着ひとつで廊下に出た。腕にはイゾルデを抱いたまま、熱に浮かされたように冷たい廊下を潜り抜けて、聖堂上部にある小部屋へと至った。教母が使うその部屋は、星明りがかすかに見えるだけで真っ暗だった。しかし、物はほとんどないのだし、どこになにがあるのかはとうに記憶していた。ジークリンデは子どもを抱きしめたまま、ニサンの聖体の形にくりぬかれた窓の前に膝をつき、祈った。
 千年の後のために生きることは易しくない。彼女はだれの息吹も残っていない冷たい部屋にうずくまり、熱く塩辛い涙を流し続けた。
「私が教母になる? ソフィア、あなたのかわりに? そんなこと、出来ていたらとっくにしていた! それをいまになってしろというの。なんと自分に納得させてそれをしろというの」
 ソフィアは内在の神を見つめよと語った。しかしジークリンデの胸の内にはソフィアがいるだけだった。彼女が神でないことは、ジークリンデが知っていた。ソフィアは肉と血を持った一人の乙女だった。斬れば血を流し、泣けば涙を流し、月の触りもある、ごく普通の肉体を持った少女だった。それがいつ女神になってしまったのだろう。どこで間違えたのだろう。
 新しい王国が何百年も後に世界すべてに対して蜂起することは、ロニ・ファティマにとって、過ちを正す方法なのだろう。そうして千年後に託すことで、彼はようやくすべてに勝った。無論戦いは千年後に起こるのだが、それでもロニ・ファティマは彼が勝者になることを知っている。
 ではいまさらソフィアの代わりに教母になったところで、ジークリンデになにかを正すことが出来るというのだろうか。
 ジークリンデは祈りながらこうべを振る。なにも出来はしない。ジークリンデが願うのは、ソフィアの過ちをなかったことにするだけだが、時は戻るということがない。女神でもなく、聖母でもなく、教母でもないソフィアを護りたかった。その頃にまで戻りたい。
 なにもできないと言うのに千年後までソフィアを縛れというのか。どこで間違えたのかジークリンデにはまだわからなかった。
 ソフィアは死んではならなかったのだ。
 ニサンのためでなく、ソフィアは彼女のために、死んではならなかったのだ。死んでしまったために、彼女の蒸発した屍は都合よく利用され、新しい物語になる。新しい世界の、新しい物語に。右の瞳は太陽に、左の瞳は月になり、口からは河が流れ出し、乳房が大地となって、開いた子宮は大海となる。右手は麦穂となり、左手は果樹となる。そうしてソフィアの屍は、この世界を包みこみ、同化し、だれにも忘れられることのない存在となる――
 ソフィアがただ一人の少女だと頑なに信じるジークリンデにとって、それは狂気以外のなにものでもなかった。だがそこまで少女を突き落とした端緒に立っているのは、まぎれもなくジークリンデだった。ジークリンデとカレルレンが、それをしたのだ。
 そのとき、ジークリンデは闇が羽ばたくのを聞いた。それはなんの音でもなかったが、暗い闇に覆われた窓の外で、確かに闇が羽ばたいた。ジークリンデは身体を強ばらせ、間違いようのないその闇の気配を探る。だが、闇があの闇であれば無駄な話だ。それは真の闇のように、音もなく気配もなく傍へと滑りこむために、だれもその訪れを気がつかないのだ。しかしジークリンデは、その闇と長いこと親しんでいた。だから、知っていた。
 ジークリンデが顔をあげると、闇は闇さながらの姿で目の前に立っていた。それとわかるのは、ニサンの聖体を象った窓がべったりと闇に覆いつくされていたからだった。やがて目がひらかれて、彼の顔がどこにあるのかわかった。眼球だけが白く、ジークリンデを見下ろしている。だがそれ以外のすべてが闇に呑まれていた。目が慣れてくると闇の輪郭がわかるようになったが、痩身長躯の肉体は――やはり記憶と変わりがなかった。
 闇は口を開いた。
「ニサンには教母が必要だ」
「カレルレン、いまどこにいるのですか」
 カレルレンの言葉に応じず、ジークリンデは問いかけた。闇は笑い、それに答えた。
「いま、ここに。だが無駄な話だ。君と私は違う人間なのだから、同時に同じ場所に存在することは出来ない。存在とは所詮相対的なものに過ぎない。だから私の居所を説明したところで無意味だ。永遠普遍に真理であり続けるのは私が『いま−ここ』にいるということだけで、しかし君にとって私のいる『いま−ここ』は君にとって永遠普遍な『いま−ここ』と重なることがなく、君が私のいる場所を思っても無駄なのだ」
 心を圧倒する闇の前に、ジークリンデは震えた。それはカレルレンの意図をジークリンデが理解することなど及ばないということなのか。
「教母が必要だ――」
 闇はまるで巫覡のように、そう語った。
「自らが教母になることを拒んでいるのか? 確かに、君にはその資格がない。私は君に教母になるべきだとは言わない。だが、教母は必要だ」
「あなたが女神ソフィアを遺せというのですか。愚かな!」
「ジークリンデ、君は思い違いをしている」
 カレルレンの声音に刷かれた奇妙な感情にジークリンデは心臓が脈打つのを感じた。どこか喜んでいるような、それでいて悲しげな、なんとも呼べない感情だった。
「私はソフィアを遺すのじゃない。ソフィアのやれなかったことを果たすのだ。そのためにはニサンと教母が必要なのだ」
 ソフィアの果たせなかったことというのに、ジークリンデも心当たりがあった。それはカレルレンとソフィアにとって共通の願いだったはずだ。ジークリンデはそれを理解できたためしがない。二人にしか、わかりあえないことだった。彼ら二人は、彼らを見捨てた世界に復讐をしようとしていた。その方法が、ニサン正教の力を使って、人々を助けることだ。人間はソフィアとカレルレンを見捨てたが、神だけが二人を見捨てなかったから。
「私の望みはソフィアを解き放つことです」
「それはもう無理なことだ。有り得ないことだ! だからニサンには教母が必要なのだ。あの男がその子をいけにえに欲しがっているのならばそうするといいだろう。君がならないのなら、その子が教母だ」
「まだ目も見えてない、音も聞こえてないのに」
「それは我々の欺瞞だ。私は生まれて三日目に、母が塔から落ちて死んだのを憶えている」
 カレルレンはそう言いながら、やんわりとした手つきで嬰児を抱きあげた。病で弱ったジークリンデには、それを押しとどめる力はなかった。
「だから君は私のことを憶えているのだろう――それでいい、ソフィアも私のこの姿を知っていた」
 カレルレンがそのままイゾルデを抱いて立ち去るのではないかとジークリンデはおびえたが、そんなことはなかった。カレルレンは赤ん坊をジークリンデの手に戻した。そして彼は部屋の片隅の闇に紛れ、気配を断った。扉を開ける音も聞こえなかったが、すでに部屋の中にはいなかった。
 ジークリンデは、自分が夢を見たのかとでも思った。カレルレンが神出鬼没の振る舞いに長けていると知っていても、思わず疑ってしまう。腕の中のイゾルデの目を覗きこんで、ジークリンデは立ち尽くした。
 夢でないというのなら、そして、カレルレンが言ったとおりであれば、この子はあの闇のことを記憶しているだろう。いつか大きくなって、知るだろうか。その闇がいったいなんであったか。なぜ彼女が教母になったか。
 ジークリンデはその足で聖堂へと降りていった。不寝番の僧兵の前に立つと、枢機卿たちを召喚するように申しつける。僧兵は困惑して、ジークリンデに尋ね返した。
「こんな真夜中に、ですか」
「ええ。一刻も事を争います。ですが、静かに。ファティマ王には決して悟られぬように」
「はい」
 ファティマ王もいなくなった僧兵隊長も、千年の後を思っている。そのために教母を遺すのだと。だとすればジークリンデも千年の後を思って起たねばならなかった。千年の後に、虜囚となったソフィアの牢獄が開けはなたれることを、目指さねばならなかった。
 枢機卿たちが聖堂に集まる頃には、夜も白み始めていた。ジークリンデは白い産着に包まれたイゾルデを抱いて、祭壇の天辺でそれを待ち続けていた。
「ジークリンデ殿、枢機卿七名は集まりました」
 十二人いたニサンの枢機卿も、いまは七名ばかりだ。かつては信用もできない敵ばかりだったが、いまとなってはジークリンデは彼らと一身同体だった。ニサンを生き延びさせるためには、もはや小さなことにこだわることは無意味だ。なによりもソフィアを思う心が、彼らの垣根を打ち壊した。ソフィアは、死によってそれをなした。
「新しい教母を選ぶ必要があります」
 ジークリンデが言うと、枢機卿たちは待ちかねていたように彼女を見上げた。だれもが、ジークリンデが教母になることを願っているのだろう。だがそれは出来ない。それをしてももう遅い。かといって、いまのニサンを任せられる人間がどこかにいるとは思わなかった。
「ジークリンデ殿」
「いいえ、私ではありません。私がなるのだとしたら、こんな時間に皆さんをお呼びすることはありません」
「では、だれが」
「イゾルデです」
 ジークリンデが抱いている嬰児を見凝めながら言うと、さすがに人びとは唖然とした。
「まさか」
「私がこの子の後見人として教母の補佐を行います」
「なにをおっしゃるのですか」
 だれにも理解することは出来ないだろう。幼児の後見人であれば、ジークリンデが教母も同然だった。だがジークリンデは教母になれない。教母を支えるものにはなりうるが、教母には、なれないのだ。
「イゾルデ・ファティマが次のニサンの教母です。……この他の選択肢はありません」
 ジークリンデはそう宣言すると、静かに段を降っていった。





[ back ]
がんばってみようと更新……
この間の本ではすっかり忘れていましたが、レネとジークの娘ってイゾルデって名前が決まってたんだよね……すっかり忘れていた。勝手に名前作っちゃったよ。そのわりにはこれと前回の「墓守」では普通にイゾルデって書いているぞ……こうしよう。ほら、エリィとソフィアみたいに、本名と洗礼名のようなノリで。本でつけた名前「アレーティア」はアイオーンの一人の名前で、「真実」を意味します。
ソフィアの死後に生まれてるイゾルデが第二代教母って大いに無理があるよな……とか思ってたんですが、この第二代とかいうのはわたしの思いこみでノンオフィシャルだったりする……? まあいいや。今回はカレルレンを書きたくて書いたから! ロニじゃないから! といっておく(080301)
(C)2008 シドウユヤ http://xxc.main.jp/xeno/