密やかに
 トーラ・メルキオールの研究所は、人里から離れた森の中にあって、俗界のわずらわしいものに邪魔をされないかわり、大いに不便ではある。資材を調達する依頼を受けたロニも、ここに来るには荒地用のバギーに屋根をつけた車で、ひとりでむかわざるをえなかった。トーラの研究所の位置は秘匿されており、他の人間には頼めない。
 そうして苦労してたどり着いたところ、ねぎらいとともにカレルレンが来ているとトーラから聞かされた。ニサンの僧兵隊長として多忙なカレルレンが研究所に来ることはさしてあることではなく、こんなところで鉢合わせするなど珍しい。
 せっかくの研究の邪魔をしてはいけないと思いつつも、居合わせたのに一言もない、というのも不義理だろう。
 カレルレンは離れの実験室にいる、とトーラは言った。
「いまは他にだれもおらんはずじゃからな」
 つけくわえたトーラの言葉の裏に、なんとなくやらしいものを感じた気がして、ロニは思わず視線を天井にむけた。トーラのことだからそこまで変な意味ではないだろうが(でも「そこまで」だ)やらしいものを感じてしまうのは、ロニのほうに下心があるということだろうか。
 まあ、あるのは認める。でもいつでもどこでもというわけでもないし、わきまえてはいるつもりだ。カレルレンがここに滞在できる時間はさほどなく、研究を始めると一心不乱になっているのを知っているので、ニサンで会うときのように甘えるつもりはあまりなかった(それもあくまでも「あまり」だ)。
「じゃあ、ちょっと顔を見て来ます」
 そう言ってロニはトーラの前を辞して、カレルレンのいる離れにむかった。ノックをしても応えはなく、聞こえない場所にいるのかも、と思いながら扉を開ける。鍵はかかっていない。灯りはついていたが、見回してもカレルレンの姿はなかった。
「カレル?」
 実験台とは別のデスクに、カレルレンが使っていると思しきノート類が散乱していた。こんなやりっぱなしの状態を放置してどこへ行ったのだろうか、と傍に寄りながら思い、次の瞬間、危うく人間の手を踏みそうになって立ち止まる。
 カレルレンが床に横たわっていた。ぴったりと眼を閉じ、いつもと同じようにやや難しい顔をしているから、安らかに寝ているんだろう。黒いぴったりとした服に身を包み、長い闇色の髪を床に広げて、とてもニサンの僧兵隊長とは思えない寝姿だ。
(まさか椅子から落ちたんじゃないよな。それにしたって、なにもこんなところじゃなくても)
 母屋にはカレルレンの寝台もあるはずだし、そのほうがずっと楽だろう。
 ロニがかがんで顔を覗きこむと、気配を覚えたのかカレルレンの顔を歪む。ゆっくりと眼を開けたカレルレンは、ロニを見てため息をついた。
「どうしたんだ、こんなところに……」
「メルキオールせんせいの頼まれものを届けに来たんだよ。そうしたら、君がいるって言うから、顔を見に来た」
「そうか」
 それだけ言うと、カレルレンはまた眼を閉じる。熟睡していたわけではなさそうだ。
 ロニは椅子に腰を下ろし、手持ち無沙汰の様子でカレルレンの机の上をいじってみる。研究に関するデータが並んでいた。数字もさることながら、先史の言葉も使われているようで、さすがになにが書かれているのかよくわからない。
「むこうでちゃんと寝ればいいじゃないか」
「時間があまりないからな。人間は横になるだけでも体力の回復は図れるんだ」
 相変わらず眼は瞑ったまま、カレルレンは小声でそう言った。
「だからって投げやりすぎる。襲われても知らないよ」
 からかうように言うと、カレルレンは観念したように苦笑し、眼を開けた。
「いつまで、いるんだ」
「構ってくれるのかい?」
「さっきナノマシンの培養を始めたところだ。結果が出るのは4時間後」
「それで、こんなところで仮眠を取るのか」
「もう三日寝てない。いま寝たら、考えが混乱する」
「無茶するなよ」
「そうも言っていられない」
 ナノマシンは失われたかつての文明の技術で、ソラリスにないもののひとつだった。カレルレンやトーラがこの研究に必死になるのは、そのせいもある。これがソラリスを倒す手がかりになるかもしれないのだ。ニサンの総指揮官たるカレルレンがこんな研究にかかっているのは、なにも僧兵隊の余暇にしているわけではなかった。
 だからこと結果に焦り、寸暇を惜しんでいる。
 ロニは椅子を離れ、カレルレンの身体の傍に、膝をついた。そのままかがんで唇を合わせる。床に投げ出されたカレルレンの手を握ると、ひどく冷えていた。
「風邪を引くんじゃないのか?」
「体温が下がらないと休息にならない」
「機械じゃあるまいし、生理機能だけで休憩した気になるなよ」
「原理的に言えば、回復しているはずなんだ」
「思いこみじゃないか」
 そう言いながら、ロニはもう一度キスをする。
「おい、なんのつもりだ」
 カレルレンは少しばかりしつこいロニの行為に、眉をひそめる。
「疲れを取るには、恋人からの口づけのほうが効くと思うけど」
「……あつかましいって言うんだ、そういうのは」
「そうかな。僕は元気になれるよ」
「私はその分吸い取られてるんじゃないか」
 そう言いつつ、床に落ちていたカレルレンの手がロニの首に回り、近くへと引き寄せる。そのまままた、ゆっくりと唇を重ねた。
「ほら、元気が出ただろう?」
「こういうのも勘違いじゃないか。欲望でそれとなく興奮するのを、元気が出るなんて誤認するんだ」
「それは、その気になったっていうこと?」
「どうかな」
 カレルレンははぐらかすように笑う。だが重ねた身体は確かに少しずつ温度が上がっていた。とはいえさすがに、トーラがいうまま、ふたりきりなんていう状況にのせられるわけには行かない。
「ニサンにはいつ帰るんだい?」
「あと一週間はこっちにいる」
「じゃあまた、そのあたりに行く用事を作るかな」
「たぶん、戻ってしばらくは忙しいぞ」
「だから、元気づけにね」
 ロニはからかうように告げて、身体を起こす。カレルレンは相変わらず仰臥したまま床の上だ。
「毛布くらい持って来るよ」
「ああ、ありがとう」
 ロニが戻ると、トーラは思いのほか早いと思ったのだろう。目をぱちくりとさせ、「もうよいのか」と言った。やっぱりそこに妙な含みを感じてしまうのはロニが悪いのだろうか。確かにないわけじゃないが、こんなところで見境をなくすほど子どもじゃないつもりだ。
「カレルレンは休憩してますよ。毛布を持っていってやりたいんですが、ありますか」
「それなら奥に」
 もともと好々爺として本心が見えない相手だが、いったいどこまでうがって考えていいのやら。案内するトーラに続きながら、ロニはひそかにため息をついた。





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