目を覚まして、ロニ・ファティマは伸びをした。寝ていたのはカレルレンのベッドだった。狭い艦の個室ゆえに、大人の男が二人寝てまったく快適というわけにはいかないのだが、それでもなんとか眠れる程度ではあったし、むしろロニとしては愛があれば千畳の広さだと思いたい。実際のところは、寝るためにひっつかないとならない状況を楽しんでいるだけだったけれど、カレルレンもそんなことにはとうに慣れていた。
ロニの横では、カレルレンが相変わらず隙のない顔で眠っている。
昨晩は、ロニはすぐ寝てしまったが彼は遅くまで起きていたのかもしれない。分厚い本を枕にして眠っている。
――かわいい寝顔だよ。
ため息をつきながら、厳しい顔で眠るカレルレンを見つめた。
どんなところで眠っていても、カレルレンの寝顔は戦場で眠る顔と同じだった。はじめて共に戦線に出て夜を過ごしたときと同じ寝顔を、ニサンでもするので驚いたのは、もう随分まえだ。
カレルレンを起こさないようにゆっくりとベッドを出て、ロニは床に散らばった服を着る。
その服の隙間からかたんと音を立てて、物が落ちた。
音に慌ててそれを拾い上げる。赤いランプの点いた無線機だった。
ロニは無線機を見つめて、しばし、固まった。
――……点いてる。
赤いランプが点いている、ということは、とりもなおさず電源が入っていて通信が可能な状態になっているという意味だった。
――まさかな。ずっとスイッチが入ってたなんてことはないだろ、たぶん。いま落ちた衝撃で点いたんだな。
そう考えることにして、スイッチを切るとロニはそっと部屋を出た。カレルレンの部屋の壁のスイッチを見たが、スピーカーの音量はゼロにしてある。ということは、艦内放送が入っていたとしても、彼の部屋には流れないということだった。
嫌な予感を抱えて、ロニはそろりそろりと自分の部屋に戻った。
自室に入ると、目の下にくまを作ったレネが椅子に座りこんでいた。
「兄貴」
弟らしからぬ陰湿な目付きでにらまれて、ロニははははと笑った。
「やっぱり……」
「やっぱりじゃないだろう! 各部屋のスピーカーは切れるけどな、廊下とか共有スペースのは切れないんだぞ!!!」
艦長のみならず僧兵隊長の醜態が全艦放送されてしまったという訳だ。流れてしまったことはもう仕方ないとはいえ、それがカレルレンにわかったときが怖くてロニは蒼ざめた。
「ど、どうしよう……」
「どうすんだよ」
「うーん、もったいない」
「……あのな、兄貴。撲るぜ」
レネはやおら立ち上がると、拳を握って遠慮なく兄を撲り飛ばした。いい弟を持ったよなと思いながら、ロニはおとなしく壁に叩きつけられた。
「……それはともかく、なんで止めないんだよ」
撲られた頬をさすりながら、ロニは聞いた。するとレネは、隈を引きつらせて言った。
「俺は踏みこんでも構わないから止めようとしたさ!」
なにがあったかあまり聞きたくなかった。とりあえず昨日なにをしたかを、ロニは逐一思い出して、そのたびごとにため息をついた。昨日は戦闘もあって疲れていたから、ながながと抱き合いはしなかったのが、不幸中の幸いだ。
「ま、なにがあったかはともかく――どうしよう?」
「自分でなんとかしてくれよ」
「僕は別に僕が寝屋でどう人を抱こうが聞かれても見られても構わないんだけど――」
「いや、構ってくれ。頼むから、兄貴」
「カレルがなあ……」
ばれないということがあるだろうかとロニは考えた。まさか面とむかってカレルレンに昨晩の出来事を口にするものはいないだろう。だれだって命が惜しい。職業暗殺者だったカレルレンの過去を思うと、この船の乗員全員が始末されることがあってもおかしくないなと思えた。
しかし、全員が知っている以上、いつかばれる。だれかが口を滑らして、カレルレンは気づくに違いない。
「カレルは意外と気にしないかもしれない」
ロニがぽそりと楽観論を口にすると、レネは反論した。
「あのカレルレンが」
「立場上から連想される潔癖さはあいつのふりだぜ」
「潔癖じゃなくても、あれは嫌だろう」
「この艦の中じゃあ僕との関係だって隠しているわけでもないし」
「俺だったら、そうだとしても、部下にそんな場面を聞かれていたら飛び降りるね」
「正直なところ、おまえよりカレルは遥かに図太い」
レネはカレルレンに較べるまでもなく、育ちがいい。イグニス北部の草原にある広い領土を持った名士の家で育てられたレネは、ブレイダブリクの富裕階級で育ったロニよりもそのあたりの感覚はうるさい。がっしりとした肉体を持っているが、細やかな気配りのできる性格だ。
対してカレルレンは、あんな容姿でいて、繊細さを最も欠いている。ないとまで言い切るのは失礼だが、ソフィアが同席していれば話は別だとしても、物事に頓着しないところがある。さすがにニサンの人間には黙っていたが、ファティマの中ではロニと懇意であることを隠すことも恥じることもなかった。思い悩むことはよくあるようだが、それは神経が細やかだからというわけではない。
それでもさすがに全艦放送は厳しいだろうか。
「僧兵はどんな反応だったんだ?」
「あのテンポウというやつは」
レネは眉間に皺を寄せてカレルレンの側近の一人の名を上げた。
「一筋縄じゃいかない」
「テンポウはおまえと一緒になって、カレルの部屋に飛びこんでもいいと思うんだけど」
「……俺の邪魔をしたのはあいつだ」
「意外だな」
「他の僧兵は毛布をかぶって聞かないふりをしてた」
「何人か自分の上官をネタにでもしてたのかな」
「兄貴、それは冗談で言ってる?」
「さすがにね」
レネは毎度のことだが呆れたようにため息をついた。
「カレルレンもそうだけど自分のクルーへの不始末もしっかりしてくれよ。俺はなにもしないからな」
「うちの奴らに関してはいまさらだと思うけどなあ」
「兄貴」
「わかった、わかった。なんとかする」
「約束は破るなよ」
レネは念を押してから部屋を出た。ロニはどうしようかと頭をひねりながら、まだ手のひらの中に収めている無線を放る。クルーに対しては、艦橋で冗談交じりに話をすれば片が着くだろう。レネは文句を言うかもしれないが、それが最善だ。カレルレン自身は一番まるめこむのは簡単だと思っている。それに、冷静に考えると、やはりあの男は頓着しない気がする。それより問題は僧兵隊だろうか。
――テンポウが止めなかったとは意外だ。
生真面目なあの僧兵はたまにからかいたくなるほどうぶなところがある。カレルレンがロニと懇意になっているところもどこか納得できていないような気がしたのだが、止めないとは。
「思ったよりも複雑だな」
そう呟くと、ロニは部屋を出て艦橋に足をむけた。途中、医務室に寄ってレネに撲られたところを冷やすための氷をもらう。医務室のクルーは、ロニが入って来ると苦笑しながら氷と茶色い小瓶を渡してくれた。
「カレルレン殿に撲られたんですか」
「いや、これはレネだ」
「なるほど」
「それでこの瓶は、なに」
「あっちの人と仲直りするなら使うかなと思ったんですが」
「だから、中身は?」
「うちの商品ですよ。処女も娼婦のごとく豹変すると噂の特効薬」
「……まあいつか使うかもね」
温かい心遣いだかなんだか知らないないが、とりあえず気持ちだけは受け取っておいた。
そんなことをしていたせいか、ロニが艦橋に入るとすでにレネもカレルレンも揃っている。さすがにクルーたちはぎこちない様子で、それをカレルレンは不思議そうに見ていた。ロニが艦橋に入ると近寄ってきて、「なにかあったのか」と言う。
「ちょっとね」
「またおまえの悪だくみか?」
「不慮の事故だよ」
笑いながら小声でそう囁き交わしていると、レネから野次が飛ぶ。
「兄貴! いちゃいちゃしてないでさっさとしろよ」
「わかったって」
ため息をついたロニは、艦橋に立った。
「本日は予定通りダジルを経由し補給を行う。ダジル到着予定は正午。到着後は当番を除いて下艦を許可する! 集合は明日六時、明朝は八時に出向予定。言いたいこともあるだろうが、各自ダジルで憂さ晴らししてくれ。以上」
艦橋のクルーは馬鹿笑いするようなことはなかったが、にやにやするのを抑えられないのが数名いる。カレルレンはおかしいと感づいた様子もない。
カレルレンに言ってあげたほうがいいのか、どうなのか。
――大体どうしてテンポウはレネを止めたんだ。
カレルレンが喜ぶとは思えない。なにを置いてもカレルレンの立場を重んずるテンポウにしては珍しい。まさかカレルレンの情事をテンポウが聞きたがったんではということまで疑いたくなる。テンポウのカレルレンに対する心酔はその手のものではないと思っていたのだが。
テンポウやケンレンはどうするつもりなんだか――とロニが首をひねっていると、艦橋にそのふたりが入って来る。彼らを認めると、カレルレンはロニに囁いた。
「僧兵はダジル郊外で訓練を行う。集合時間はクルーと同じで構わないな?」
「ああ、君に任せるよ」
「承知した」
「あ、カレル、ちょっと」
「なんだ?」
「いや、そのね。昨日の晩なんだけど」
ロニがそう言うと、カレルレンは変な顔をした。
「なんだ?」
珍しく歯切れの悪いロニを、カレルレンはいぶかしそうに見る。
撲られるのを覚悟しないとならないので、さすがにさらりと言うわけにはいかないのだが、そうしているうちに強引にテンポウがあいだに入って来た。
「カレルレン隊長、僧兵隊まで足を運んでくださいッ」
そう言いながらテンポウはロニを睨んでいる。その剣幕に、ロニもカレルレンもテンポウを見た。巨体の僧兵は多少頬を高潮させながらカレルレンの腕をむんずと掴んで歩き出した。
「あ、ちょっと」
ロニが呼び止めても聞かず、カレルレンのいぶかしげな声も聞かず、テンポウはずんずんと足を進めて、艦橋を出て行く。
残ったケンレンは、冷たい様子でロニを見た。
「ロニ殿、昨晩のことは僧兵隊長にはおっしゃらないでください」
「……カレルは知っておくべきことだと思うけど」
「私たちは僧兵隊長の私的な時間を侵害するつもりはありません」
「それはちょっと……違うんじゃないの」
ロニはすっかりあきれかえってケンレンに言ったが、ケンレンは応ずるつもりはないようで、冷徹に念を押した。
「決して、おっしゃいませんよう」
ケンレンが艦橋から出て行ったあと、レネはぽつねんと立っているロニの傍に立った。
「つまり……どういうこと?」
「つまり、彼ら、カレルが一番だっていうことだよ」
「どうしてそうなるんだよ?」
「つまり……僕がカレルの嫌がるようなことをしてたんだったら、もしかしたら殺されてたのかもしれないねって、そういうことだよ」
兄弟は顔を見交わすとため息をついた。ロニはもう一度、クルーにむかって口を開いた。
「そういうわけだから、僕の無事を祈るならカレルには決して昨晩のことを言わないように。機関部、機関始動開始。速力を20ノットまであげてくれ。以上」
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告白するのも恐ろしいほど昔から書いてました。五年……以上前……のような……気が……するかな……?(060920)
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