罪深き隠者たちの家-2
 シェバトとの連絡が取れると、ユイはシタンごと早々に回収してもらえることになった。ユイの所属していた部隊が行方不明になったことはシェバトでも大きな騒ぎになっていたらしい。帰還したユイは、そのまま女王ゼファーの前へゆくように指示された。シタンを控えの間に置いて、謁見室へと足を踏み入れる。謁見室には、女王その人と、シェバトの「三賢者」のひとり、ガスパールがいた。ガスパールはユイの祖父に当たるが、いつもシェバトにいるわけではない。公式にはガスパールは五百年前からここにはいないことになっているのだ。それは他の三賢者も同じだが、決してシェバトとの縁が切れたわけではなかった。浮遊するアウラ・エーベイルを支配するゼファーの細腕には限りがあったし、彼らはまた、女王を心から敬愛もしていた。
「ユイ、無事でしたか」
「ご心配おかけしました」
 ユイは膝をつき、女王に頭をたれた。彼女はそうしながら、自分の身体が震えていることに気がついた。指先がこわばり、膝が笑い、顔を伏せたまま動けない。自分の身体になにが起きているのかわからなかった。女王の叱責を怖れているわけではない。血が沸騰したとでもいうように、心臓が激しく脈打った。
「一時は全滅したとの報せを聞いて、わたしもガスパール殿もどれほど心配したでしょう。……あなたの無事な姿が見られて、安心しました。怪我はないのですね?」
「お、大きなものは」
 わずかそれだけの返事なのに、声も裏返った。目頭が熱くなり、ユイは伏せたままで唇を噛みしめた。
 女王もガスパールも、ユイの様子には敢えて触れなかった。ただ女王は、静かにこう告げた。
「……亡くなった者たちに祈りを。陽の落つる場所に」
 ゼファーが呟くニサンの聖句を聞いて、また身体が震えた。
 そうなのだ、それは死んだ仲間たちになにもすることが出来なかった自分の無力さへの悔しさ、それなのに生き続けている自分への恐怖だった。平静な心で女王の前に立てなかったことに、ユイは唇を噛んだ。数百年を生きてなお幼い少女の姿でいるゼファーは、幾度そのような思いをしたことだろう。たった一度その辛苦を味わっただけのユイが嘆くことは、女王になんと思われるのだろう。ユイはそう考えてなんとかして気持ちを切り替え、顔を上げた。ゼファーは思わしげな顔でユイを見たものの、彼女の苦痛に触れようとはしなかった。
「地上での報告は改めて聞くことにしましょう。……それよりも、あなたが連れ帰った客人のことを話してください」
「シタンですか」
「シタン・ウヅキという名前だと聞いていますが」
「はい。アキツの生き残りで、ソラリス船に拘束されていたようです」
 ユイが言うと、それに応じたのはゼファーではなくガスパールだった。
「うむ、ウヅキはアキツでは古い家柄だ。私はシタン殿とは面識がないが、父上のことは存じている。確かだろう。しかしアキツの殲滅のときに命を落としたものとばかり思っていたが! 剣は使えるのか?」
「はい。刀を、使うようですが」
「アキツの剣術だな。戦力としては申し分ない」
 シタンはユイよりもはるかに腕は上だ。確かにそうだろうが、彼が隊商を皆殺しにしたあの夜のことがふと思い出され、少しばかり寒い思いをした。本当に彼をこのシェバトへ連れて来てよかったのだろうか、とユイはようやくそこで考えた。彼の境遇を思えば置いていくことなど考えられなかったが、あの冷たく凍りついた殺人者の顔がユイの胸を重たくさせた。
 けれどいまさら、詮のない話だ。シェバトは常に戦力不足に悩まされているから、祖父に預けることが出来るのならば問題はないだろう。殺人機械のような彼をソラリスとの戦いに投げ入れることには良心が痛むが、赤の他人でしかないユイが口を挟むのはおせっかいに違いない。
「ユイ、客人を兵舎の一室へ案内してさしあげてください」
 ゼファーに言われ、ユイは頷いた。
 彼女はガスパールとともに女王の謁見室を出て、控えの間へと出た。衛兵たちが無言で佇む中、何人かの人間が女王との謁見を待っていた。シタンはそんな中で、ぼんやりと景色を見つめている。
 控えの間からは、美しい天空の青さの中に浮かぶシェバトらしい景色を見ることが出来た。地上にはありえない、限りない青と雲とばかりに埋め尽くされている。このシェバトに来た人間はいつも同じように呆然とその景色を見つめる。シタンも例外ではなかった。
「シタン」
「……ああ、ユイ」
 シタンはゆっくりと振り返り、ユイと、傍らに立つガスパールを見た。
「待たせたわね。これから、あなたを部屋に案内します。こちらは、シェバトの地上部隊の指揮をとられているガスパール殿。あなたがこのシェバトでソラリスと戦いたいと望むのであれば、この方の指揮下に入ることになるわ」
「ガスパール殿……?」
「私の祖父に当たるわ」
「ああ、そうなんですか。シタン・ウヅキと申します。お世話になります」
 シタンが会釈をすると、ガスパールは頷いた。
「アキツでは救援が間に合わなかったことを詫びたい。父上は……?」
「あの町で亡くなりました」
「そうか。……まずはゆっくりと休むといい。ユイ、後は任せたぞ」
「はい」
 ガスパールはユイにそう告げると再び謁見室へと戻っていく。残された二人は、言葉もなく視線を交わした。
「案内をするわ」
 部屋を出ながら、シタンは軽く背後を振り返った。
「……そういえば、ちいさな女の子がひとりでそこにいましたが、彼女は?」
「女の子? ああ、マリアのことね」
 確かに控えの間にはひとりの少女がいた。女王との謁見を待つにしては、幼い少女がひとりでぼんやりと座っているのだから目立っただろう。ユイはためらいながら、あの子は謁見を待っているんじゃないわと言った。
「むしろ陛下が謁見しているあいだはあそこにいなくてはならないのよ。普段は陛下のお傍にいるわ」
「陛下のお身内なのですか?」
 怪訝そうにシタンが尋ねる。
「違うわ。彼女も、ソラリスに監禁されていたことがあるのよ。両親を失って、いまは心を塞いでしまっている。陛下はそれを気に懸けていらっしゃって、傍に」
「あんな幼い子が?」
「そう。あの子の父親は単純労働力として狩られたわけではないの。高名なギア技師だったのよ。ニコラ・バルタザール。いまもソラリスに捕らわれているはずよ」
「……バルタザール
 シタンの言葉の妙な響きに、ユイは思わず顔をあげた。
「気の毒に」
 しかしユイが見たのは、悲しげに目を伏せるシタンの横顔だけだった。



 ユイは兵舎へと歩きながら、シタンにシェバトの概要を話して聞かせた。シェバトの成り立ち、いかにしてソラリスと戦うことになったか、いまも残る戦災の廃墟……女王ゼファーを含めたシェバトの重鎮たちが不死者であることは語らなかった。はじめからそんなことを伝えても仕方ないし、それはシェバトの人間が自らの存在を語るときにはいつも隠すことだった。いずれはわかるにしても、段階が必要だった。
「この国は罪深き町、贖いのための都なのよ」
 風に吹かれながらユイが言うと、シタンは顔を翳らせた。
「抗いの町ではなく?」
「私たちは抗う者のために手を貸す。けれど、私たちが抗う者そのものになってはならない。それが、シェバトが五百年のあいだ、守り続けて来た掟だわ。かつてあった地上での戦いにおいて、シェバトは裏切ったのだから。そもそもシェバトはもはや地上に属していないのだから、その資格はないの。……もっとも、ソラリスの力は大きすぎて地上では抵抗運動らしい抵抗運動がないのが実際ね。私たちが矢面に立たねば芽が伸びることさえない……」
「ではソラリスはなんなのでしょう」
「政治的な意味や軍事的な意味で定義するのなら、この惑星の支配者であり、横暴な為政者よ。けれど、ソラリスはそういうことだけで把握してはならないもののような気がする……だからこそ……」
 ゼファーはあの呪われた命を放棄することも出来ないのだとユイは胸の内で呟いた。
 天帝カインなるものがソラリスには存在し、彼はシェバトの不死女王ゼファーよりもはるかに長い時間を生き続けて来たのだと言われている。シタンがそれを知っているのかどうかユイにはわからないので、口ごもるしか出来なかった。
「どうしました?」
 シタンの問いかけに、ユイは首を振った。
「いいえ。なにか聞きたいことはある?」
メルキオールという人は」
 シタンが不意にトーラ・メルキオールの名を出してユイは驚いた。シェバトでもガスパールやバルタザールと並んで名を知られている人物だが、ガスパールと同様に五百年前の大戦以降は隠棲しているので、シェバトに住む人間もほとんどが姿を見ていないはずだ。
「メルキオール師のこと? だれから聞いたの」
「いえ、僕のアジトでシェバトにはそういう方がいると聞いて――」
「そう、メルキオール師は普段は地上にいらっしゃるからだれか知っているのかもしれないわね。けれどシェバトへは滅多にいらっしゃらないわ」
「では、会えない?」
「そうとは限らないけれど……なにか?」
「いいえ。……シェバトに来ればお会いできるのかと思っていたものですから」
 シタンはそう言ってわずかに苦笑した。





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