ガン・ホリック
「聞いてるのか」
 ビリーは、怒気のこもったシグルドのその声に――棚の写真から視線を戻した。子供時代のバルトとマルー、もう少し大きくなったバルト(まだ両目があるときだ)、シグルドとマルーとアグネス……みんなの写真が並んでいる。シグルドのよき思い出、なのだろう。
「いちおう」
「一応じゃない、ビリー」
 生まれて初めて受けるシグルドの説教は、もうニ時間を突破していた。ソラリス時代、シグルドがビリーを怒った記憶などない。いつもビリーのわがままにつきあってくれる、優しくて頼り甲斐のあるお兄ちゃんだった。
 それから十年以上が経ってる。ビリーも、確かにまだ子供と呼ばれる歳ごろではあったが言いたい放題、やりたい放題のわがままが出来る歳ではない。シグルドはなおさら、子供だからといって甘い顔をしていればいいというわけではない、ということをわきまえたいい大人だった。
 とはいえ、二時間も言われ続けてすっかり飽きてしまった。
 シグルドの説教が始まるといかに大変か、はバルトから聞いて知ってはいたが、多分あまり本気にしていなかったのだろう。こんなに大変だなんて。
 ――ま、僕が二時間なんだからバルトは、四時間はお説教されたんだろうな。
 気の毒に。
「大切なことだぞ。君はジェシー先輩や、ラケルさんからたくさんの大切なものを与えてもらって大きくなったんだ。もちろん、二人にだって欠点はある。完璧な人間ではない。だが、二人ともとても高潔な人だった。若が悪いとはいえ、続けてしまったビリーにも非はあるんだ。わからないわけではないだろう? ただ流されているのだとしたら、もっと、よく自分のことを、真剣に、考える必要があるぞ」
「うん。」
 ――なにしろ、全面的に悪いのはバルトってことになってるもんな。
「本当に考えているのか?」
「うん。でも……バルトのこと、嫌いじゃないんだ」
「あんなことをされても、か?」
 ――むしろあんなことさせてくれるからなんだけどね、シグ兄ちゃん。それに、
 バルトは、自分がビリーを襲ったことになっているこの顛末で、決して本当はビリーから誘ったのだとか、なにも一方的な性愛だったわけじゃなくとか(つまりバルトも男の役ばかりだったわけではないとか……むしろもっぱらビリーが上だったとか…)そういうことを口にしていなかった。ビリーを庇ってくれているのだ。
 それが実は、ビリーにはとてつもなく嬉しかった。
 いくら日毎、大人にはばらせないことを続けていても、バルトとシグルドの間にはどうしても割りこめないとつい先日まで感じていた。この関係だって、こういうふうにばれてしまえば、バルトは簡単に口を割るだろうと思っていた。ビリーよりシグルドの方が大切なら、それは当然だ。
 なのに、バルトは言わなかった。
 はじめて本当の、二人だけの秘密だった。
 ついついにんまりと笑いそうになるし、歩いていてもステップを踏みかねない。一度、親父の前だからと油断してにたりと笑ったら、ジェサイアは青い顔でこう言った。
 ――おまえ、そんなに若さんから自由になれたのが嬉しかったのか。すまねえな、俺がついてやれなくって……
 そうとう酔っぱらっていたとはいえ、だからこそ本音だったからかもしれない。そんなモラルに満ち溢れたことをこの親父が言うとは思っていなかった。
 ――僕は嬉しいんだよなあ、バルトが僕を大事にしてくれるから。
 でもそれは、だれに言うことも出来ない。こんなにもビリーは幸せだったが、言うわけにはいかないのだった。
「ビリー、君とバルトはとうぶん別行動をしなさい。なるべく会わせないようにしよう。若にもよくよく言い聞かせるし、二度とこのようなことが起こらないようにする。君も、少し離れてことをしっかりと考え直すべきだ」
「……えっ?」
「いいか、若とは金輪際会うんじゃない!! まったく、今度という今度は、俺も若には愛想が尽きた!!」
「え、あの」
「人間の性別もつかないくらい馬鹿だったとは、本当に、全く!!」
 ――なんだか僕が怒られてる気分だ……
 確かにビリーは、人間の性別というもの、区別できていなかった。
 ――でもしょうがないじゃないか、僕は、バルトが好きなんだ!!



 ということで、シグルドの発案による隔離作戦はかなり徹底して行なわれた。ビリーはとうぜん孤児院に、バルトの方はシェバトに送られ、ビリーの方にはジェシーが、バルトの方にはメイソンが監視役となって、そしてシグルドの操舵するユグドラシルは、フェイたちを乗せて世界中を回っていた。
 発見され、引き離されて以来、バルトには一目も会っていないままだった。
 孤児院とシェバトでは、ちょっと遠すぎる。ビリーは、まさかこんなことになるなんて、と思っていた。
 シグルドを、二人の情交に立ち入らせるようなことをしたのはビリーだった。それというのも、バルトはビリーを、ただの友達としか思っていないのがみえみえで、なのにバルトを好きになっている自分が嫌で――こんな関係おわらしてやろう、と思ったのだ。
 バルトに不利な状況で、その企みはうまくいった。
 でもその効果はありすぎた。シグルドは激怒し、バルトはしかし口を閉ざしたまま。
 こんなときになって、バルトの誠意が見えるなんて皮肉だ。ビリーが散々いじめてきたにもかかわらず、バルトはそうやってビリーを守っている。なんてありがたくて、そして、それに応えられない自分の悔しさ。
 日がな一日、子供たちの世話をし農作業に明け暮れ、夕方ごろには父親と射撃の訓練をして平穏にビリーの日々は過ぎていた。
 あまりにも平穏。バルトの噂はちらとも入ってこない。
 ――いったい、いつまでこんなとこにいなきゃいけないんだろう。
 そう思って肩を落とすと、すかさずジェシーが「あんなことは忘れろ」と言ってくる。
 ――忘れるもんかよ。
 ビリーは歯ぎしりして海辺まで走るのだが、このせまい島ではどうもすべての行動が父親に見抜かれてしまう。それも曲解されて。
 こうやって逃げ出したのも、「忘れたいんだからほっといてくれ!!」とうつるらしい。
 浜辺に座り、暮れなずむ空に流れてゆく銀色のシェバトの城影を見つけて少年はため息をつく。
「バルト、会いたいよ……」
 あまりの人恋しさに耐えかねる夜もある。そんな夜、ビリーは自室でこっそりとバルトとの蜜月を思い出す。あの日、最後に会っていたとき、バルトに使った銃を取り出して、くちづけるけれど、バルトの匂いは残っていない。鉄と火薬と油の匂いがするだけだ。
「バルト……」
 つぶやいてそれをバルト自身に見立てて、舌を這わせる。特に銃口を念入りに。
 あの日バルトにしたように、弾丸を抜いた、濡れた銃身を自分の体にさしこむ。床に膝立ちして机にすがり、そっと進ませていく。ひんやりとした思い塊が中を圧迫する。唾液で滑らしたそこに出入りさせると、そのときのバルトの感じていた様子を思い出して、熱くなる。
 ――ちくしょうバルト、会いたい……!! なんだよシグ兄ちゃんなんか、僕はバルトの直腸なら誰より一番知ってるんだぞ!!
 赤く充血した自分のものをしごいてただただバルトを思う。いつのまにか彼の菊のつぼみからは銃がごとりと音を立てて落ちたが、気にならなかった。
「あぁっ、バルト!!!」
 思わず喚いて解き放たれる。熱で視界が曇った。床にたおれ伏して、荒い息を静めようと努めた。
 ――バルトに会いたい、バルトを感じたい。こんな幽閉生活もうまっぴらだ!!
 そのときだ。ドアが開いた。
「ウルセェな、ビリー。ガキどもが起きるだろ。なにしてんだよ!」
 闖入したジェシーが見たのは、乱れ果てた息子の姿だった。
「見るなよチクショウ……想像つくだろクソオヤジ…」
 ビリーはその後、夜っぴてバルトとのことをはじめから白状する羽目になった。ともかく言いたいのは、バルトに会いたいという一心、それだけだった。
「……つまり、あの時どっちかってぇとやってたのはお前の方で、でも若さんはお前をかばってると」
「ウン」
「いつもそんなかんじだったと」
「ウン」
「お前はまた会ってそういうことをしたいと」
「ウン」
「……おまえら、相思相愛か?」
「僕……バルトはずっとシグ兄ちゃんを好きなんだとばっかり思ってた」
「どうでもいいが、男以外の名前は出ねぇのか?」
「バルトが僕のことどう思ってるのか、一度でいいから確かめたいんだ。あんなひどいことして別れちゃったきりだし」
 ジェシーは理解があった。息子にこんなに甘い人だとは知らなくて、ビリーはいままで彼を利用してこなかったのはおおいに損だったと思った。
 朝には、隈を作りながらもなんとかしてバルトに会いに行くその算段を考えよう、ということになった。しかし、シェバトに行くにはユグドラシル級の飛空挺でなければ無理だ。そしてそんな艦は、あれ以外に二人とも知らなかった。
「あれしかねぇんだよな」
「うん」
「まぁ、息子のために俺も人肌脱いでやるよ」
 暁光の中、親子は笑いあった。口に出さずとも、大概なにを考えているかはわかったのだ。
「ビリー久しぶり。元気だった?」
 ユグドラシルに戻ったビリーを、仲間たちは暖かくむかいいれた。公表はしていないものの、なにがあってバルトとビリーが別々にところにつれていかれたのか(年少者はともかく)みんな理解していた。ビリーが帰ってくる、と聞いてみな明るく笑う練習でもしたのかもしれない。
「うん。僕は平気だよ。みんなも、怪我とかなかった?」
 バルト不在の艦内も、それなりにまとまりがある。このままでは、バルトの居場所がユグドラシルにはなくなる、なんてことにもなりかねない、とビリーは鋭く気づいた。
 みんな、意図してそうしているわけではないだろう。おそらく、シグルドの有無を言わせぬ雰囲気が、みんなをのみこんでいるに違いない。
 ――バルトの居場所は僕が守るぞ……。
 それしか、ここまでビリーを守ってくれたバルトに出来ることはなかった。
 この艦はバルトのもののはずだ。シグルドは怒ってる、だがそれは冤罪なのだ。
 でも真正面から、本当はビリーが悪いといっても効果はないだろう。「そんなふうに若を庇うなんていい子だビリーううう」ということになるだけだ。バルトの立場なお悪くなる。
「ビリー、お帰り」
「シグ兄ちゃん」
 ビリーは屈託なく、あらわれたシグルドに笑った。
「ただいま」
 シグルドを出しぬかなければいけない。ビリーはそのために笑った。
「少し話がしたいんだが」
「うん、いいよ。ガンルームに行こうよ」
 二人は連れ立って、ガンルームにむかった。
 この頃、ジェシーは既にガンルームにいた。シグルドがいつも飲んでいる果汁に、たっぷりとアルコールを注ぎ込むという工作をしていたのだ。シグルドを酔わせて、ユグドラシルをハイ・ジャックをするつもりで。
「シグ兄ちゃん、心配かけてごめんね」
「ビリー……」
「別に、なにも考えてなかったわけじゃないよ。バルトは淋しかったんだと思う。それが僕にはとても迷惑な淋しがり方だといっても。だから僕、バルトは憎めなかったんだ、今だって変わらない」
「君は優しすぎる。あんなことをされて」
「そんな、重大に言わないでよ。あれぐらい」
「ビリー、若を許してくれるのか」
「うん。……だから、シグ兄ちゃんもバルトを許してあげてよ」
 うなずいて、シグルドは用意されたグラスを飲み干した。ばたんきゅーとなって、覚醒するには何時間か。ビリーとジェシーは、シグルドを縛り上げてカウンターの後ろに転がすと、ブリッジへ走った。



 シェバトに接岸する頃、ビリーの胸は期待に高鳴っていた。禁じられた恋だからこそ、ビリーにはより大切なものになっていた。
 まずはバルトに謝らないといけない。そしてたぶん、懇願しなくちゃならないだろう。僕を捨てないで、と。
 バルトが好きだという気持ちは、だれにも負けるつもりはない。けれど恋は一人の想いでは成り立たないのだ。バルトが、彼をこんな目に合わせたビリーと会いたくない、ということはありうる。ビリーをかばったのは、せめてもの最後の優しさなのかもしれない。
 それでも、ビリーはバルトに会いたかった。
 バルトはギアドックにいると聞かされたビリーは、シェバトを降ってギアドックにむかった。
 シグルドは頭痛とともに覚醒したらしいのだが、今はジェシーが押さえていてくれる。だれに気兼ねすることなく、息せき切って、少年はギアドックに飛びこんだ。
「バルトォ!」
 声の限りに叫ぶと、ドックで作業していた数名がぎょっとしてビリーの方を見た。呆気に取られたいくつもの顔を、即座に見たがバルトはいない。
「バルトォ!!」
 二回目に叫んで、ようやくエル・アンドヴァリがドックの端に立っているのを見つけた。バルトがいるとしたらあそこだ。もしかすると、あんな遠くではビリーの声が聞こえないかもしれない。ギアに乗りこんで、スピーカーをオフにしていればなおさらだ。
 ビリーはギアにむかって走り出す。
 すると、ギア・バーラーの足元に立ち尽くしているバルトが見えた。
 ――機嫌の悪い顔をしてる。
 怒っているのかもしれなかった。どんな事を言われてもくじけないぞと心に決めて、バルト、と呼んだ。
「……おまえよ」
「バルト、」
「どうでもいいけど叫ぶなよ!? はずかしーだろ!」
「あ、ごめん」
「しかも二度も!! なに考えてんだよ」
「ごめん……だってバルトに会いたかったんだよ」
 バルトはビリーの素直な言葉に、歪めた顔をそこはかとなく、朱に染めた。
「お、おう……俺だってよ。シグは許してくれたのか? で、迎えに来たわけ?」
 ビリーと、自分がかちんと来ているのに気づいた。おかしい。どうしてだろう、なにを言われても、悪いのは自分なのだから謝り続けようと思っていたのに、なぜ腹が立つのだろう。
 ――それも、バルトがシグって言った途端に。
「あれ、違うのか?」
「あんなことした君を、シグ兄ちゃんが許すわけないだろ。僕は許してもらえたけどね。もともとの信頼度が違うんだから当たり前だよ」
「なにしに来たんだよ……」
「いや、バルトどうしてるかな? って思って。シグ兄ちゃんに嫌われて、もっと落ちこんでるのかと思ったらそうでもないんだね。本当、懲りないね」
「だから、なにしに来たんだよ!」
 バルトが苛々をつのらせてるのを見て、ビリーは楽しくてたまらなかった。
「ユグドラシルに戻りたい?」
「……そりゃあ。でもシグ、……当分ゆるしてくれないだろ。それまでは、仕方ねぇよ。シェバトにいてバーラーで鍛えてる」
「僕がとりなしてあげる」
「マジ?」
 小犬のように顔を輝かせるバルトが、可愛くてたまらなかった。だから、いじめてしまう。これは決してバルトとビリーの仲が悪いからではない。お互いが一番じゃないから、でもない。
 ――これが僕の愛なんだ。
「うん。僕のいうこと、聞いてくれたらね」
「……そう来るんじゃないかなって思ってたんだ」
「それは準備済みってこと?」
「う……」
 ビリーはすかさず、バルトに抱き着き、背伸びして唇を重ねた。久しぶりのバルトの体だ。それだけで、十分なくらい。
「バルト、アンドヴァリに乗せてよ」
「こ、ここで!?」
「僕の言うこと、聞いて」
「ハイハイ、わかりましたよビリー様……ちぇ、俺はいつでもおまえの奴隷だよ」
 バルトは至極嬉しいことを言ってくれる。二人はアンドヴァリのコックピットで、服も脱がずにただキスをした。ビリーが望んだのだが、バルトはもちろん逆らわなかった。今まではこんなに長く、キスをしたことなどないのに。
「バルトがいなくてすごく寂しかった」
「俺も」
「本当?」
「本当」
「じゃあ、何回僕のことを思って抜いた?」
「えっ、うーとあーと……3回かな…」
「僕は毎晩やってたよ。毎晩毎晩バルトがいくところを思い出してた。あのとき、バルトに入れた銃を取り出して、ずっとバルトのこと思ってた」
「あのプレイはもうやだ……」
 コックピットだったし、本式にどうこうすることは出来なかったが、それでもお互いを慰めあった。バルトの汗の匂いをかいで、ビリーはしあわせだった。
「シグに頼むぜ」
 バルトがそう言うのは相変わらず気に食わなかったが。まぁそれもひとつのスパイスだということにして、ビリーはバルトのものを口に含む。
 ――そこにいるのはわかっているぞ!!
 これから入念にバルトをいびろうと舌に力を入れたときだ。ギアの外から、拡声機を使ったらしい声が聞こえた。二人の少年は同時にぎこちなく固まる。
 ――ビリー、若!! 出てきなさい。
 親父もあまり役に立たない。シグルドがここに怒鳴り込んだということは、ジェシーは排除されてしまったというわけだ。
「おいおいシグ、メチャ怒ってるじゃん……」
「うん。そりゃあ、シグ兄ちゃんを前後不覚にさせて勝手にシェバトまでユグドラシル飛ばしてきたなんて……うん、怒ると思うんだ」
「はぁ?? なに?」
「僕さ、どうしてもバルトに会いたかったんだ」
「で……シグを騙して、俺に会いにきたっていうわけ?」
「多分、今度はどっちも怒られると思うんだ」
 ――でーてきなさい!!
 こっそりとウィンドウから下をのぞくと、すさまじい剣幕で怒鳴るシグルドが見えた。
「どうする?」
 ビリーはバルトに尋いた。
「出るしかねえだろ……」
「このままいく? それても出してから行く?」
 バルトはもの憂げに自分の下半身を見下ろした。どっちにしたって怒られるのは同じだ。
「出してから」
 ビリーは返答もせずに、バルトにとりかかった。それが終わったら、二人で八時間のお説教だろう。
 そんなもの、いまこの幸福感に比べたら、どうってことはない。叱られていたとしても、二人の絆に、やっぱりビリーはしあわせだと思うだろう。
「あぁッ、ビリー、はぁ、い…いきそう!!」
 ただ、久しぶりすぎたのかバルトの声が大きかったのは問題だった。どうも外まで聞こえたらしく……出ていったときにはシグルドの顔が青かった。剣呑な瞳で二人を見据えるシグルドに、さしものビリーも恐怖を覚え……
 シグルドが二人に罵声を浴びせかけようと口を開いた瞬間、シグルドに殺されるかもしれないと、ビリーは怯えて、にたり、と笑った。





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