カレルという男を捕まえておけるのはほんのわずかな瞬間ばかりだ。例えばキスとか、お互いしかいないとき、カレルを捕まえておける。けれど、それはわずかな瞬間だ。彼を繋ぎ止めておくことは到底できないし、だから、本当に捕らえてしまおうと試みたことは、ロニはなかった。
それはたぶん、感情より大切なものが、自分たちにはあるからなのだろう。
別に大義のために自分の気持ちを捨てるつもりではない、ただ、較べたときに、ソラリスと戦うことの方が彼といるより大切な気がするのだ。――お互いにとって。
だから潮時かもしれない、と彼は思った。いつもの意見の相違が口論から大喧嘩になり、カレルとの音信不通がはじまって、もう一週間だった。戦線も大した動きがないために話さなくてはいけないということもなく、ロニは自艦にいたし、ラカンに聞いたところ、カレルもトーラ師のもとに数日泊まりこんでいるらしい。
だれかがいなくても、日常はそつなく過ぎていく。
艦はつねに動いていなければ錆びついてしまう。しかし戦闘もなく、ただ流されるように砂漠を移動しながら、ロニの時間は穏やかだった。日常の続きなのに、不思議と休暇めいた日々に思えた。それはロニだけではないらしく、艦のメンテナンスを続けるクルーたちや、弟の顔も妙に朗らかだった。
カレルの時間も、普通に過ぎていっているに違いない。たくさんの活字に囲まれて、トーラや他の門人と哲学的な問答を交わしたりしながら、静かに。
……静かに。
時間は、静かに過ぎる。音もなく形もなく、過ぎたと知らせぬうちに流れ去っていく。カレルといたときが、やけに昔のことのようだった。
その日、ラカンが乗艦したい、と知らせてきた。ニサンからギアで出てきたらしいが、とくに急ぎの用ではない、と言う。ニサンからのいくらかの伝言を携えて、彼はやってきた。
しばらくぶり、というほどでもないにかかわらず、皆はラカンから、ニサンの話を聞きたがった。そしてロニが予想していたとおり、ニサンの時間も穏やからしい。……
しばらくしてから、ラカンはロニのそばに来た。
「まだ喧嘩してるんだって?」
何気ない口調だったし、裏にとくに想いは感じられなかった。触れたくない話題だったが、無言でいるわけにもいかない。
「喧嘩はしてないさ。和解してないだけだよ」
「……それじゃあ、同じだ」
「わざわざ言われなくてもわかってる」珍しく神経質そうな顔を覗かせて、ロニは応えた。「今度ばっかりは君の手をわずらわせないよ。お互いに譲れないところで意見がくいちがってるんだ」
ラカンはしかし、にやり、と笑った。
「いつもみたく俺に泣きついてこないのは、だからなんだ」
「いつ僕が泣きついたんだよ?」
「喧嘩したときはいつも、俺に相談してくるだろ?」
「だから、今度はいいって言ってるじゃないか」
「今回ばっかりは少し変だ。おまえもカレルもなんにも言って来ないんだぜ」
「僕ら同士では了解してるってことだよ。心配してくれるのは有り難いけど、相談する必要もないわけ」
「ふぅん……」
「……あいつの話をするなら、機関室に行こう。今はだれもいないはずだから」
けっきょく、そう言ってしまったのはやはりだれかに相談したかったからなのだろう。提案すると、ラカンはうなずいた。
「最近、うまく行ってるように見えてた」
「僕とカレル?」
機関室に入りながら、二人は言葉を交わした。今はエンジンを完全に停止させているため、騒音を立てるジェネレータも静かなものだった。この数日のあいだを暗示しているようだ。
「ああ」
「そう、言う程の仲じゃない、と思うけど?」端からだとそう見える、というのはおかしい。「気持ちではそんなにコミュニケーションが取れてるわけじゃない。僕よりも、つきあいの長い君の方が彼をよく理解しているよ」
「そう、かなぁ」
「いつまで経ってもここ、というところまで踏みこませてくれないね、あいつは。僕よりも大切なことがごまんとあるからだろう。僕も彼に対して全面解放をしてるわけじゃないし…」
「うん?」
「わからなくなるときばっかりだ。カレルがなにをしようとしているのか」
言ってから、ロニは口許をおさえて黙りこんだ。
「どうしたんだよ?」
ラカンが聞くと、彼は前髪を掻きあげ、気まずそうに笑う。
「いや……驚いたんだ」
「なに?」
「こんなはまってるとは思わなかったんだ」
わからないはずはないのだ。わからないというのは、単に質のわるい独占欲に過ぎない、ということに彼は気がついた。なのに距離を置いておきたいと思うなんて、卑屈で醜かった。
――僕らしくないな。カレルのことばっかりは、調子を失う。……
「カレルは――他人のことなんかに執着したりしない奴だから、僕も執着はすまいと思っていたんだけど、ごめん、今まで言ったことはぜんぶ忘れてくれ。」
「あぁ。……
でも、カレルは執着してないわけじゃない。ただ、これと決めたら一つのことにあいつは打ちこむから、他のものがどうでもよくなってしまうんだ」
「なお悪い。僕はどうでもいい方に分類されているわけか」
とっさにそう返したロニは、唇を一度かむ。ラカンが見守る傍で、彼はまた続けた。
「やばいな、はまりすぎだ」
嫌なのは、自分ばかり追いかけることになってしまったら、ということだった。カレルが求めてもないのに、自分を押しつけることになるのは嫌だった。だから、つかずはなれずの距離を保とうと努めてきたのだ。
好きか、と尋ねられたら好きだと言う、でも、それを言い出しはしない。
そういう、いつでも逃げられる関係。
ただ脅えているだけのくせに、彼に好いてもらえなかったら怖いだけのくせに。
「ロニはもっと自信家だと思ってた」
「人間関係なんて自信をもって臨むものじゃない」
「相手が好きなら、なおさら?」
「――そうなんだろうね」
「実はさ」ラカンはロニの言葉をさらって、言った。「この間、カレルの様子も見てきたんだ。あいつ、わざと俺がわかんないような難しいことをべらべらとまくしたてるんだぜ」
「は……カレルらしい。あいつ、いつまでトーラ師のところに?」
「もうニサンに戻ると言ってたよ」
「そうか。……
ラカン、やっぱりいいよ。今回のことは、僕らでなんとかする」
ロニがそう言うと、ラカンはうなずくだけで出ていった。
それでも数日、静かに時は流れた。ごく普通に、それでもいつもと違って滑らかに。
焦る気がしないのは、なにも時間の流れのせいだけではない。
僧兵隊長がニサンに戻った、という報が流れ、その日、艦の総整備も完了して彼らも船首をニサンにむけた。
そのニサンより打電があったのは昼過ぎだ。
艦橋に立っていたロニは、通信を開くように指示した。スクリーンにカレルの姿が映し出される。いつものように険のある表情で、元気そうだが、少し痩せたような気がした。
――たぶん、久しぶりに見たせいだ。
『ソラリスの……』
生真面目な顔で言い出したカレルに、ロニは笑んでこう告げた。
「カレル、僕が君をどれぐらい好きだかあててご覧よ」
艦のクルーたちから、笑い声がもれた。カレルは目をすがめて厳しく言い放った。
『なにを言ってるんだ? それどころじゃない。ソラリスの』
「君があてられるまで話は聞かない」
『おい、ふざけるな』
その表情から、たぶんよくない知らせだ、ということは察せられた。戦況に変化があったのだろう。けれど、ここでただその話を聞いてしまってはうやむやなまま、お互いがぎこちなくなるだけだ。
――今回のことでよくわかったんだ。
「残念だな。君が今ここにいたら、抱きしめていやっていうほどわからせてやるのに」
『ば……』
馬鹿者、と続くだろうセリフをさらい、ロニはすかさず尋ね返した。
「きみは?」
『…………早く、帰ってこい。ソラリスの連中が動き出した』
それが、カレルの精一杯だろうということはよくわかった。反らされた目には怒気がこもっている。ニサンに着いたら、まず一喝浴びるに違いない。
――それでもいいや、抱きしめてやるから。
「ニサンには今夜中に着くと思うよ」
『ああ、頼む』
通信を切るときに、ロニは言った。
「今回のことでよくわかったんだ、カレル」
『なに?』
「僕には君がいないと」
ついに言葉をつまらせて、カレルは目を見開いた。予想通りのその表情にロニは満ち足りて、笑いかけ通信画面を閉じる。
艦は、速度を上げてニサンを目指した。休暇は終わったのだ。
待っているのはカレルだけではない。ソラリスとの厳しい戦いが待っていた。だから、静かだったこの数日を、二人のために与えられた時間だったのだとロニは思うことにした。
本当によく、わかったのだ。
――彼がいないと。
[
back ]
タイトルは同名の絵本から。君がどんなに好きか、二匹のうさぎが主張しあうお話です。ラヴ最高。幸せ… ラカンがラカンじゃない、とか色々あるとは思いますが、人材の乏しい500年前です、気にしないでください。バルタザール爺さんとかのほうが、ラカンの役回りはよかったですか?(死) ロニってメカキチっぽいので三賢者の中ではバル爺と一番仲が良かろうと思います。トーラの呼び方は、師と書いてせんせいと読む、というのがいいです。せんせいはひらがな指定。……レネならびにクルーはともかく、ニサンの方は大騒ぎだろう。僧兵隊長がホモ。まずい!
(C)1999 シドウユヤ http://xxc.main.jp