罪深き隠者たちの家-1
 鼓膜が破れるような大音量で世界が炸裂した。
 ユイは強張る身体を叱咤して、衝撃で押し寄せたシートのあいだから這い出す。一刻も早く外に逃れないと、スレイヴジェネレータに回った火が起こす爆発で吹き飛ばされてしまうからだった。
 機材が散乱した艇内を素早く見回した。爆発の寸前、この部屋にはユイを含めて三人の人間がいた。ひとりはすぐ隣で呻いているが、落下した機材に足を粉々にされている。助け出したとしても、二人で逃げ出すことは出来ない。もうひとりは完全に身体が埋没しているらしく、見当たらなかった。
「ユイくん……」
「しっかりしてください。いま、なんとかしますから……!」
「僕はもう無理だ。早く、行きなさい。君まで死ぬことになる!」
 死ぬ男がそう言ってくれたからといって、心の重荷がなくなるわけではなかった。だが、それを聞いてようやく逃げ出す気になることが出来た。
「ごめんなさい」
「いいんだ……! ガスパールせんせいに僕のことを伝えてくれ」
「ええ、必ず!」
 ユイは頷いて、動き出した。船室を抜けると、ハッチへ続く短い通路にはダクトを伝って煙が流れ出していた。きな臭いにおいが濃く、ぞっとする。いまにもジェネレータが爆発するように思えた。
 シェバトの中型艇は、地上での視察任務を終えて帰還しようとしていた。通常の任務どおり、あまり空を飛ぶと目撃した住人たちになにを言われるかわからないので、艇は地上を進んでいた。なにが起こったのか、詳しくユイは知らない。だが、戦闘警報が艇に鳴り響き、モニタにはこちらへむかって来るソラリス式の艇影が映っていた。こんな森の中で遭遇するなど、運が悪過ぎた。こちらからの砲弾がソラリス艇に当たったのが見えたが、同時にこちらにも着弾の衝撃があり、爆発が起こった。
 そしてユイはいま、艇から這い出して森の中に逃げ延びようとしていた。
 昼なお暗い森の中に飛び出すと、すぐ傍でとうに燃えあがっているソラリス艇が見えた。よく見定めるまもなくあわてて繁みの影にしゃがみこんだとき、高い爆発音が鳴り響いた。火に包まれた破片が四散してゆく。シェバト艇も爆発したのだ。ユイは思わず耳を押さえたが、それでも耳は聾してしまっていた。耳を押さえる手が震えていて、彼女は泣い気持ちになった。
 どう見ても他の生存者はいない。……それはユイにとってははじめてのシェバトの外での任務だった。彼女は唇を噛みしめて、なんとか落ち着こうと深い呼吸を繰り返す。取り乱してはいけない。シェバトは五百年前に始めた戦争をいまも続けているのだから、これは珍しいことではない。
 心を落ち着けると、ユイは腰に下げた棍を確かめた。
 ソラリスの生き残りがいないとも限らないし、この森の中に他のソラリス兵が潜んでいる可能性もある。まずは、森を抜けてどこかの町まで行かねばならない。いくつかの町にはシェバトの秘密機関が存在するから、そこから本国へ連絡を取って帰還することが出来る。
 ユイが身につけているものはその武器ひとつだった。食糧、水、地図、その他サバイバルに必要な物資のほとんどは手元にない。だが、生きて帰らねばならない。彼女は深呼吸しながら、まだ燃えている二機の艇をうかがった。
 燃え尽きていく艇以外に気配はなかった。ソラリス側の乗組員はみんな死んでしまったのだろうか。
 しかしユイは、気配を感じてぞくりと背筋を震わせ、振り返った。彼女の勢いで、背後に立っていた男も驚いたように硬直する。
 若い男で、小柄だがよく鍛えられた身体をしている。炎のせいで髪がいくらかこげて、顔は煤だらけだった。服も焼けているが、ぼろぼろなのはそのせいだけとも言えないとユイは気づく。眼鏡はひびいり、額から血が流れていた。
 生き残りだ。ユイの知っている男ではない。……つまり、ソラリスの人間だった。彼女は素早く立ち上がって間を取り、棍を手にする。それでも男はなにも構えなかった。腰には一振りの剣があるが、触ろうとしない。咳きこみ、立っているのもやっとという風情だった。
「……あなたは」
 男が掠れた声で、誰何する。
「シェバトの方ですか?」
 ユイは顔をしかめる。イグニス語だったからだ。シェバトもソラリスも似通った独自の言語を持っているが、地上の言語は言語基盤が天空の国々のものとは異なっている上に、複雑に分岐している。なぜあえてイグニスの言葉で男が話し出したのか、ユイにはわからない。
(……けれどそういえば)
 男は黒髪に黒い瞳、肌は象牙色だ。純血のソラリス人ではない。
「ああ、もしかして言葉がわからないのか……」
 男は落胆したように、そして懇願するようにユイを見る。戸惑いながら、ユイはイグニス語で応えた。
「いいえ、わかるわ。あなたはだれ? ソラリスの艇に乗っていたんでしょう?」
「捕らえられていたんです。爆発で、僕の閉じこめられていた部屋の壁に穴が開いて。あなたはシェバトの人なのでしょう。シェバトへ連れて行ってくれませんか」
 それだけ言うと、男はまた咳きこんだ。
「捕らわれていた? どうして?」
「僕の町は、ソラリスに滅ぼされましたから」
 一年前、イグニスの町がまるまるひとつ、ソラリスに滅ぼされた事件があった。徹底した破壊で、街にいた人間はすべてが虐殺し尽くされた。生き残りはほんの一握りだと聞いている。アキツという名の町で、シェバトも特派員を何名も置いていたのだが、全滅させられてひどい痛手をこうむった。そのことがユイの頭に浮かぶ。
 地上ではソラリスのこともシェバトのことも知られていないはずだが、先だってのアキツ事件のようなことがあると、生き残りは必死で手がかりを見つけようとして、稀に正解へ辿り着くことがある。地上には、シェバトも人員を派遣しているし、ソラリスから脱出した兵士たちのコミュニティもあるし、答えに辿り着けないわけではないのだ。
「僕はこの近辺で反ソラリス活動に加わっています。先だってアジトが急襲されて、捕らえられたんです」
 疑わしい部分は大いにあった。ソラリスがそのアジトを襲って皆殺しにしなかったのはなぜか? 彼だけが捕虜となったのはなぜか? そんな疑問がちらりと頭を掠めないわけではなかったが、いまは旅の伴侶がほしかった。ひとりでこの森を抜け、シェバトに帰還することを無理だとは思わない。だが、心細いことは確かだった。死んでしまった同胞の顔を思い出すとユイの胸は痛み、ひとりでは耐え切れそうになかった。
 ユイは構えをとくと、名乗った。
「私はユイ・ガスパール。シェバトの兵士よ。あなたは?」
ガスパール。……僕は、シタン・ウヅキと言います」
 怪我と疲労もあって、森を抜けるために歩き続けながらもふたりはほとんど会話をしなかった。二日目の夜、くたびれ果てたふたりは、大樹の洞を見つけてその陰で休みを取ることにした。そのとき、寝入る前にユイは顔を上げて訊ねた。
「あなたはアキツから来たんでしょう」
「シェバトもアキツのことは知ってたんですね」
「援軍を送る間もなかった」
「ええ、本当に一晩のことでしたから――」
 悲しみも痛みも麻痺したような感情の乏しい顔でシタンは呟いた。そうしてとつとつと、その夜のことを話し始めた。
「あの日、日暮れ頃に城門が閉じた途端にすべてが始まりました。僕の家は町の大通りにあったのですが、そのときに聞こえた奇妙なざわめきに、僕はなんだろうと思って家を出ました。大通りのむこうからなにかが始まり、近づいて来るのです。まだひとつも銃声は聞こえませんでした。ソラリス軍ははじめ、火器を使わずに虐殺を開始したのです。どれくらいの人数が駆り出されていたのか、いまも想像がつかない。ともかく暗い波のように、ソラリスの兵士たちは道行く人々を屠りながら、こちらへと近づいて来るのですが、それが僕たちにはわかりませんでした。僕のように、たくさんの人が、おかしなざわめきに家から顔を出していました。そして、殺されていったのです。悲鳴は聞こえるけれど銃声もなく、その悲鳴は終わることなくいくつもいくつも重なってゆくのです。あまりにも奇妙で、それは悲鳴にすら聞こえなかったのです。しかし幾分かことが進むと……そのときに既に数百人が殺されていたに違いないのですが……はじめて銃声が響き渡りました。そこでわたしたちもようやく気がついたのです。なにが起こっているのか。それがソラリスだということはもちろん知りませんでしたが、自分たちがなす術もなく殺されようとしているということに、気がついたのです。僕はこの刀を取りに家の奥に戻りましたが、そうしているあいだに虐殺の波は僕の家の前を通り過ぎていきました。一瞬だったのです。僕が気つき、慌てて家の中に駆けこんで部屋に戻り、そして通りに出たときには、さっきまで僕の前にいた人たちはすべて殺されていたのです。僕は虐殺を続けながら遠ざかってゆく黒い死神たちの背中を呆然と見ていました。それが死だということはわかりましたが、どうしてこんなことになったのかは少しもわかりませんでした。その頃には、町中から重火器の音が響き、それまで聞こえていた悲鳴は掻き消されて聞こえなくなりました。僕は刀を抜いてなんとしてでもまずはこの町から逃れなくてはならないと感じました。アキツには軍隊がなく、突然現れた彼らに敵うような組織はなかったのです。方々で家が燃え始めていました。僕の家族は父だけでしたが、大通りを進むうちに、父が腹を割かれて死んでいるのを見つけました。父だけではありませんでした。僕の知っているありとあらゆる人たちがそこで血を流し、もはや呻き声を上げることもなく、沈黙のうちに死のざわめきで町を満たしていました。何度かソラリス兵たちと斬りむすびながら、僕は外を目指しました。どこから逃れられるかもわからなかったのですが、茫洋とつったっているわけには行きませんでした。いくつかの怪我を負っていました。城門の傍まで行きましたが、逃げて来た人がそこで次々と殺されるのを見て僕は意識が遠くなりました。逃げ道などないのです。僕の刀も血まみれ脂まみれで、すぐ足元に横たわる町の人々を斬ったのは僕なのではないかとさえ思いました。僕はそこで失神してしまったようです。もう夜も更けていました。気がついたときには僕は死体の山の中に埋まっていました。広場に死体を集め、順に山に油をかけて始末しようとしていたのです。気を失っていた僕は、死んだと思われていたようでした。それとも、死んでいなくても燃やしてしまうつもりだったのかもしれません。死体に押しつぶされる苦しさで僕は動こうとしましたが、いま動くわけには行かないこともわかっていました。僕はソラリスの兵士たちの只中にいたからです。既にいくつかの死体の山が燃され、異様なにおいが広場を満たしていました。僕の町の人々が、その中には父がいるかもしれないのですが、そんなふうに存在すら始末されようとしているのを見ながら、僕は自分がいつ狂うのかと気が気ではありませんでした。刀はまだ手にしていました。ですが、あたりを敵兵に埋め尽くされているような状態で、これだけでどうしろというんでしょう。兵士たちはほとんどしゃべることはなく、町のどこからももはや銃の音は聞こえませんでした。悲鳴も僕には聞こえませんでした。なのに耳が割れそうな死のざわめきが、僕には聞こえていました。なにも語らないはずの死者たちの語りかける言葉が。生きている僕には、理解できない言葉が。……僕はこのまま燃やされるのを待つのかとぞっとしながらあたりをうかがっていました。同胞たちの身体が燃えていく匂いに取り巻かれて、生きたまま焼き殺されるしかないのかと。と、指揮官らしい男の姿が目に止まりました。僕は彼を殺そうと息を潜め、そのときを待ちました。待ち続けました。彼が僕のいる死体の山に近づいたとき、僕は渾身の力をこめて死体をはねのけ、その男に斬りかかりました。刀は男の腹を掠っただけでした。それから先のことはよく憶えていません。僕は再び血まみれになりながら、逃げていました。城壁は火で崩れている部分も多く、そんな場所から逃げ出すことが出来たのです。とはいえ、アキツは周りをぐるりと草原に囲まれていますから、逃げようにも身を潜める場所すらほとんどありません。東に小さな森があり、隠れる場所はそこしかありませんでしたから、僕もそこを目指そうとしたのですが、森は既にあかあかと燃えていました。火柱は天に届くほど高くあがり、その下ではたぶん、逃げこんだ人々が声もなく燃え尽きていっていたのでしょう。僕は西へと逃げて、運よく、火を目にして様子見に来た隊商に助けられ、命拾いをしました。どれほどの人があの夜を生き延びたのか僕は知りません。あのあと、生き延びたアキツの人間と出会ったことはありません。僕は本当に幸運だったのです」



 森を抜けるのに三日かかった。近傍の町に辿り着いたのはよかったが、そこはシェバトの駐在員がいない町だったので、シェバトと連絡の取れる街まで移動するのに、隊商に同行させてもらう必要があった。ユイひとりならば、様々な名目をつけて怪しまれずに同行させてもらう理由を思いつけるが、シタンが一緒では簡単ではなかった。金品も保証人もない、若い男女の二人連れ。夫婦のようには見えず、不審がられてばかりだった。
 結局、同行を許してくれたのは柄のよくない隊商で、ユイひとりならばついていかないような男たちの群れだった。
 二日ほど旅した真夜中、案の定、男たちは盗賊に変わった。ユイもシタンも所持品はほとんどないのだから、奴隷に売るつもりだったのだろう。男も女も犯してから、そんな野卑な言葉でユイもシタンも天幕の中で目を開けた。ユイはもとより、繊細な顔立ちのシタンも楽しめるはずだと押し殺した声で笑っていた。
 ほとんど身じろぎしないまま、ユイはシタンをうかがう。シタンの青白い手が彼の剣に伸ばされている。
 シタンがそれを使ったところはまだ見たことがなかった。どれだけ頼りになるのかしらと、はらはらしながらユイも棍をつかむ。隊商の男たちは、二十名程度。ひとり十人ずつ。体格差を考えると、楽な戦いではなかった。震える指先を必死になだめ、シタンと外の男たちの気配をうかがう。既に天幕ごと囲まれていた。天幕の中に押し入られ、抑えこまれてはもう手も足も出せなくなる。
 銀色の刃がわずかな灯りにきらめいたのが見えた。シタンが白刃を抜き、音もなく膝を立てる。その動きだけで、ユイはシタンが思っていた以上に恐ろしい剣の使い手だということに気づいた。そこまで動いて物音も気配もない。黒髪は闇に溶け、生き物とも思えなかった。
 シタンの豹変にほうけている時間はなかった。
 一瞬ののちに、シタンは天幕を切り裂き、男たちの前に飛び出した。まさかそちらから出て来るとは思わなかったのか、隊商の男たちはあっさりとシタンの刃にかかる。ユイがシタンのつくった引き裂きから飛び出すと、頭から血しぶきが降り注いだ。既にシタンは三人を屠り、なおも白刃をきらめかせて男たちに襲いかかる。ユイも棍を握ると男たちに撲りかかった。手加減している余裕はない。急所を狙い、渾身の力で殴打する。
 騒ぎがおさまるまでに、さほどの時間はかからなかった。血まみれのシタンは刃を拭って鞘にしまうと、平然とした足取りで水甕の場所まで歩いていく。桶ですくった水を頭からかぶると、凍えたように身を振るった。
 それから、立ち尽くしたままのユイを見る。
「……怪我はないですか」
「平気、」
 シタンの声に応えて、ユイは頷いた。声は震えていたが、彼女は気丈にも困惑を押し殺してシタンの傍へと歩いて行った。水を手ですくい、顔を洗う。
 二人の他に生きているものは、動物たちだけだった。ユイは憂鬱な気分で、男たちの屍を見る。最悪の男たちだったが、本当に皆殺しにするほどだったろうか、と思った。ユイがとどめを刺したのは三人ほどで、あとはすべてシタンが殺した。ユイが気絶させて意識を無くした者の首までシタンは斬り離し、さすがに彼女はやりすぎだと感じていた。とはいえ、シタンのその姿は残虐とは思えなかった。音も立てずに飛び回り、いつの間にか血飛沫を生んでいる。あまりにも無駄がなかった。人ではなく機械のように正確に殺した。
(町を滅ぼされてこんなふうになってしまったの?)
 シタンの心に踏みこむようなことはまだ言えなかった。家族を、自分の知るすべての人たちを、皆殺しにされる悲痛は想像をこえている。その顔の無感動さにユイは思わず彼女の国の女王を思い出した。彼女は気がむけば、五百年前の地獄のことを物語ることがあり、その顔はアキツのことを話したシタンの顔と同じだと、気がついたのだった。五百年生きてなお、薄らぐことのない死の記憶だった。閑散としたアウラ・エーベイルしか知らないユイには、その気持ちを推し量ることさえ出来ない。
 ユイとシタンは最低限の荷物をもらうと、一頭ずつ駱駝に乗って、まだ真夜中の時間にもかかわらず走り出した。血のにおいに引き寄せられた獣たちの声が、背後に響いていた。
 明け方、ふたりはダジルという街に着き、その開門を待った。市門のまわりには、すでに開門を待つ人々が大勢たむろしている。その人ごみにまぎれるように、門へと近づいた。服は隊商から頂戴したものに着替えていたからよかったものの、朝日を浴びると、シタンの首筋にこびりついた血がはっきりと見えた。ユイはそれを手を伸ばして拭く。
「……ああ、すみません」
「無頓着なのね。怪しまれるわ」
「ふふ、どっちが夜盗だか、ですかね」
「笑いごとじゃないでしょう」
 そう言うとシタンは困ったように笑った。その顔には、夜に見えた殺戮者の面影はなかった。むしろどこか無邪気で幼い。変な男だわ、ユイはそう思った。





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