NO LIFE, NO PRIDE
chapter 3 FRAME KOMMT AUS DER ALTEN WELT(焔は旧き世より至れり)
 黒煙がブレイダブリクの空を汚していた。一条の太い、油の匂いのする煙は、王宮の中庭で燃される火から生じていた。長々と焚かれ続けているその火のせいで、ここしばらく王城周辺の気温は上がっている。
 もとから日中は、焦げそうな暑さに見舞われる街だ。しかしそれに慣れているものでさえ、水気を奪うその暑さには閉口していた。
 ただ一人、宮殿の庇の下よりその火を眺める王だけが、汗を流しながら不快さを顔に出さなかった。ただ冷徹に、彼は火を見凝め続けていた。
 シェバトより来訪したゼファーも、その煙を見ていた。煙は街のどこからも見えるが、こうしてその炎を囲む回廊を歩いていると目と咽は煙で痛み、とてもではないが平静にしていられない。供をする者たちは、吐息をつきつき彼女にしたがっている。
 だが悪態をつくものはいなかった。
 シェバトの兵力は気づけばほとんどがこの地上にできた新しい王国のものになっていた。兵器はシェバトにあったが、それを動かす人間がいないのだ。だから、シェバトはこの国に対してぞんざいな態度をとるわけにはいかない。もはやかつての威容は、あの空中都市にはなかった。ソラリスと技術を競い覇を競った勢いはなく、ただ引き伸ばされた生を過ごす影の都でしかなかった。
 回廊の先にはロニ・ファティマがいた。ゼファーが回廊に入ってきたときから、彼女を見ている。まるで、変わらぬ彼女の姿を責めるように。
 額からも、嫌な汗が流れてくる。ときどき目に入って視界を乱したり、口に入っては塩味を感じさせる。まるで涙のようだ、と彼女は思った。
 赤い炎がごうごうと勢いよく、燃やされている。ゼファーの目の前で、汗だくになった男たちが次々と書物をその中に投げ入れていった。
 ――かすかに残ったこの世界の知恵と知識。燃えるのは今までの世界だった。
 世界が燃える。一瞬、彼女の町が空襲を受けたときの恐怖を思い出して彼女は目をつぶった。
 ゼファーはロニの前に立った。男の顔は、もはや精悍さより王者の威風が勝っていた。
「お久しぶりです」
「……やあ、よく来たね。こっちへ」
 つきびとたちを控えにと指図し、ロニはゼファーを奥の方へ導いた。少し奥に入るだけで涼やかな空気が汗を冷やす。とはいえ、じっとしていたらまた汗は吹き出るのだろう。
「下の町にはずいぶん人がおりましたけれど、城にはあまり人がいないのですね」
「ああ、まだここも建造中で広くないし、だいたいそんなに人を雇えるほど国庫も裕福じゃなくてね」
 そうではないはずだ。給与をもらうことよりも、ロニに忠義を尽くしその役に立つため、この王国の基を築くためなら労をいとわない人間は山のように居るはずなのだ。
 巨大な軍隊ですら、今は領土のあちこちに派遣されて復興作業に当たっている。あるいはニサンで守りに。
 このブレイダブリクは、今もっとも守りが薄いはずだった。
 この城から人々を遠ざける、その理由はあの黒い煙のはずだ。下町でもなにを燃やしているのか噂になっているようだった。戦争でこのあたりの家はほとんど燃えていたから書物もほとんど残っていないが、それでも家々や教会から次々と本が押収されたらしいことは人々に伝わっていた。
 この戦乱があけたばかりに、まだ混乱の中で人々の王は燃やしつづけている。……知識と記憶を。
 ロニはブレイダブリクの町を見下ろせる、日陰のバルコニーにゼファーをつれていった。風がとおり、ようやく息がつけた。作りつけの石椅子に二人並んで座る。
「……で、突然の来訪はどういうわけなんだい?」
 ロニに尋ねられて、ゼファーは顔を上げる。それから悲しげに目を伏せた。
「焚書をしていると聞きました……」
「ああ、それは見てのとおりだよ」
「なぜ、せっかく戦火を逃れた書物なのに!」
「理由はある……もちろん。それは君には説明したかったから、来てくれて嬉しいよ。もうすぐ通信設備も破壊するか、使えなくしてしまうつもりだから……
 でもよく来られたものだね、反対されただろう?」
「ええ……でも、他にここに来る勇気がある人間はだれ一人おりませんでした」
「焚書の理由は一つだ」ロニは静かに言った。「すべての事蹟を消さなくてはならない。われわれはすべてを忘れて一からはじめねばならない。
 ――この戦いで、僕らはソラリスを打ち倒すことはできなかった。その力はまた復活するだろう。またすぐに体制を立て直し、われわれを支配するだろう。それは防げない。どうやっても!
 だが、すべてを忘れれば、ソラリスに隷属していても、精神まで隷属することにはならない。いつか気づいたとき、その支配のおかしさにすぐに疑問が持てると言うことだ。僕はそのためにすべてを未来に託して……そのためにこの国を作った。だから記録は残せない。すべて焼く」
「書物に罪はありません!」
「書物に罪、ね。
 ゼファー、僕は、罪は全ての言葉の中に宿っていると思っている。書物は記された罪に他ならないんだよ。僕は全ての罪を消し去るつもりだ。犯された罪の記録は新しい罪の種子となる。だからなにもかもを消すんだ。
 シェバトにしてほしいことはひとつ」
「なんでしょう?」
「地上への絶対不干渉を。君はこれから先何百年と生きていくんだろう。もちろん君らがソラリス打倒のために励むのは必要だ……だが、地上の力が備わるまで、地上に関わってほしくない。いま言った理由とおなじで」
「私たちが罪だと?」
「罪そのものだ。
 ――通信関係のこちらの設備は廃棄する。もうじき、僕のバーラーもしまってしまおうと思ってる。あれは危険だ。並のギアとは違う。僕はあれを覚醒させていないから、だから真の恐ろしさは知らない。だが、だからこそそれが禍禍しいものということはよくわかる。とりこまれてしまえば地獄も極楽になってしまうけど、あいにく僕にはまだわかる」
 ロニの目にすでに迷いはなく、ゼファーはその静かで自信に満ちた様子に眉をひそめた。
 彼女の胸のうちにはずっと不安があったのだ。
「……カレルレンとは、連絡を?」
「懐かしい名前だな、残念だがなにもないよ」
「本当に……? だってすべてを忘れるだなんて、こんなこと……ソラリスとでも手を結ばなければ不可能です」
「ソラリスは障壁システムを作動させたんだろう。それを利用しているだけだ。
 カレルか、懐かしいね。……
 あいつがどうやってソラリスにとりいったのかとか、そんなのはわからないけど……どうせナノテクノロジーの技術諸々だろうけど、まあ僕にわかるのはあいつが『ソフィア』を死に追いこんだすべてに復讐しようとしてるってことくらいかな。できるものなら死神にさえ復讐するだろうよ。そのためにあいつがなにをしそうか? それぐらいは考えればわかる。……本当に望むものは、復讐なんかじゃあないと思うけどね。
 あの頃、僕は戦うことしかしてなくて、考えることを放棄してた……それでシェバトの守りが悪くなったのは後悔してる。君はこんな形で犠牲になるべきじゃなかった。その点で僕はあいつを許せない。まったくお門違いの復讐だ。もう言っても栓のないことだけど…
 でもね、僕らはずっと大義名分のために戦ってきた。だからそれを踏みにじったシェバトなるものに復讐したい気持ちはよくわかる。僕は、確かにシェバトを利用して来たし、自分の野心もあった。だけどちゃんと、人間の権利のための戦いをしてきた。絶対に譲れない線を引いて、そこで戦った。
 だからこれは……それを踏みにじったシェバトへの、とてもささやかな復讐ともいえる。
 地上は、僕のものだ」
 ゼファーは青ざめ、泣き出さんばかりだった。昔の彼女なら泣いていただろう。だが、外見はナノテクノロジーにより老いない彼女も、心は成長している。もう泣き出すような歳ではない。
「見捨てていかれるのですね」
「僕がなにを?」
「すべてです! この世界をあなたは全部見捨てていくんです。この国の未来なんて、どうやってあなたは守るおつもりなのですか? ソラリスに適う国力なんて、一体いつになれば持てるのですか? この地上で、しかもすべての知識を燃やして、どうやって!
 シェバトでは、この忌まわしい体を罰とさえ思っていない者すらいるのです。ガゼル法院と同じ存在になれたと喜んでさえいる者すらいるのです。
 あなたはこんな私たちを見捨てていくというのですか?」
「この国を見守るのは『ソフィア』だ」
「彼女はここにおりません、あの人は、……死にました。それも彼女は……『ソフィア』を辞めたがっていた、その最中にああやって追いつめられて殺されていったんです」
「そうかい? 彼女は結局、『ソフィア』としての使命をまっとうしたんだ。
 だれが特攻をやってもあの効果が得られるわけじゃない。君や僕ではだめだった。彼女だったから、彼女の名は燦然と輝いている!
 崇高なニサンの聖処女ソフィア……彼女の守りは堅いだろう。そして権力がそれを支えていく。僕の国は永くもつだろう」
「預言者のようなことをおっしゃいますね」
「さあ、僕はただの人間だ」
「……ご決意の程はわかりました。シェバトはすべて承知いたします。ただ焚書はお辞めください、せめて私どもにいただけませんか」
「ああ、それはいいだろう。……僕がすべてを焼き殺してしまう前に、拾いに来たまえ」
 ロニは立ち上がると、はるか遠景を眺めた。
「ご覧よ。ここから見えるすべてが僕のもの……この大地は僕のものだ」
 ゼファーは身をひねって背後の景色を見つめた。眼下に広がるのは雑然としたブレイダブリクの町並みと、広い広い砂漠。その過酷さをゼファーは知っている。まるでわれわれの未来のようだと彼女は思った。
「ゼファー、僕が王様になろうと思ったのは、いつだったと思う?」
「え?」
 ロニは笑った。その顔は昔、ニサンでよく見た清々しい微笑だった。まるで時が戻ったかのような。
「五歳のときだよ。まだソラリスのこともシェバトのことも知らない頃! だけどまさか、本当になれるとはね」彼は高らかに笑った。「僕の家はこの高台にあって、毎日飽きもせずこの風景を眺めてた。そして思ったんだよ、これが全部ほしいって。親父に言ったら、じゃあブレイダブリクの王様になれと言われたんだ。
 ソラリスもシェバトも権力を望み……そしてこの僕も望み、すべてをくぐりぬけて勝ち取ったのは僕だったんだよ。
 爽快だね」
 シェバトの女王であるゼファーにはロニの気持ちがよくわかった。すべてを失ってなおロニ・ファティマという人間が変わりないのは、ひきかえにこの王国を手に入れたからだと。
 ゼファーは流れる汗が涙をかき消してくれるのを喜んだ。……砂漠の乾いた風が、それを冷やしていく。
 少女はただ、心の中で聖句を唱えた。
 ――さかえあれかし主のまこと、われらが地上の王国に。
 ――天つ御国のいたりまで、ちとせを潔めて過ごさしめん。





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NO LIFE, NO PRIDEというタイトルはBUCK-TICKのアルバム『ONE LIFE, ONE DEATH』の曲「CHECK UP」の一節からとりました。
メインは二章です。M・ジェン・キーファはミァンのことなわけですが、彼女が死ぬシーンを書きたかった。私は死体を描写するのが大好きなんだけど、さいきん死体の出てくる話書いてなくって、久しぶりで楽しかった。それからレネですけど、私は昔「ロニが国を建てたということになってるけど、ロニは実は先に死んでて、英雄として初代国王という名を冠してあって(神武天皇みたいなもんネ!)、本当の本当に国を建てたのはレネだったら面白いな」と思っていたのですが、ヴェル★トールくんのゼノコンプリートワークスをちらりと見たらレネの方が先に死んでいるという話だったので、それならただで彼に死んでほしくないと思ってグラーフに憑依してもらいました。
第一章に関しては、まぁカレルに話しかけた女ってのがミァンだとか、そんな程度かな。ミァンは同時多発的に発生する……わけだから。こうやって別のミァンがカレルを導くというのは、某ロニカレ元祖様のパクリです(ネタばれしすぎ)。ロニの夢は解説するようなことではないでしょう。直接的に暗示をするような夢というのは小説では決してとりいれちゃいけないことだと思ってて、だからこの夢はそうじゃなく、夢らしい夢で気に入ってます。
第三章は……ともかくロニと王国を書きたかった。そして焚書というテーゼ。「あの時代の記録を根こそぎにしたのはロニ・ファティマその人ではないか」という疑問はゲーム中で聞けるものです。でも一年前までは、まさか自分が焚書というものを描き出すとは思っていなかった。焚書は絶対悪だと思っていたのですけれど。この変化にはなにより、原克(私のお師匠です。本当のお師匠)の『書物の図像学』(三元社,1993)における論考「炎上する図書館」が大きい。それはエーコのあの『薔薇の名前』最後のカタストロフを起点にする論考です。塔とともに失われる書物、知識。それを幻視する言葉があってはじめて、ロニ・ファティマという男が書物と知識を殺していくその情景を書けたと思います。「まるでそれらの古いページが何百年も前から燃え上がることを願っていて、記憶の彼方へ隠れていたエクプュローシスの渇きをいきなり癒されたことを喜んでいるかのようだった」……この『薔薇の名前』の邦訳は最低最悪で有名なのですが、まぁ。エクプュローシス、世界燃焼。世界は火から生まれ火に帰っていくというひとつのダイナミズム。言葉という世界がその中に消えていく。
ロニ・ファティマは正義感をもった野心家だと思ってます。だからこそ彼は王国を築いたのだと。私は野心家が好きなんだよね、しかも正義感に満ちた自信家。本当にこんな人だったかどうかって言うのはわかんないわけですが、そして多分に私のロニ・ファティマはカッコよくなりすぎのきらいがあるので違うんですが、まぁいいじゃないのよ。だからこそ500年前みたいなマイナーなもの書いてるのさ。メジャーなものにはここまで手を加えられません。ハハハ。

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