「こっちだよ」雑沓の中をためらうことなく抜け、ロニは高台を指した。「山腹は、別荘(ヴィラ)が多い。うちは、あれだよ」
ロニの指さす先をカレルは目で追って、一つの建物を見た。木々に囲まれ、別荘(ヴィラ)の中でもひときわ大きい石造りの家が見える。
「あんなところにあるのか。ずいぶん離れているな」
「商会は市街に店を構えてはいるけどね、家はあそこさ。……ま、親父なんかはあんまりあそこまで戻ってこなかった。あの人にとっては自宅はヴィラだったんだよ。商売が人生、そして家庭は余暇だったんだ。だから贅をつくした道楽満載の家でね。見たら驚くよ」
「おまえはあの家で育ったのか」
「ああ、そうだよ。産声を上げてから艦に乗るまで。行こう」
ブレイダブリクは、ロニの故郷だという。イグニス大陸の交易の要衝だから、カレルも初めて訪れる町ではない。東西南北すべての方角から人々が流れてくる町だ。
ここはどの民族の町ともいいあらわせない。雑多な言葉や雑多な人種、そして老いも若きも、男も女も。……
ロニがブレイダブリクの出身だと聞いてやけに納得したのを憶えている。彼も「どこの」民族とは言いがたい風貌をしているから。砂漠の民の血を受け継いだ、精悍な肌、けれど北方の血を引いていることを示す薄い金の髪や碧い瞳。
カレルは雑沓をすりぬけて歩いていくロニを追う。ニサンとブレイダブリクでは人の流れがまったく違うので、歩き慣れている彼に着いていくのは至難の技だった。ロニのほうといえば、人につまづくカレルを気にもせず歩を進めてしまう。見慣れているはずの後ろ姿を目で探すが、色とりどりの町の光景に眩んでしまって間は開くばかりだ。
ロニじゃないか、という声が耳に入り、カレルは躯をひねってそちらを見た。
――帰って来てたのか。
――ああ。様子はどうだ?
――悪かないな。戦争の影響はあるけどな、うちは他の商会よりうまくいってる。
ロニが誰かと言葉を交わしていた。その姿の自然さに、カレルは戸惑う。
ここは彼の町だ。
カレルやニサンの人々の知らないロニの家だ。
カレルは近くの壁にもたれると、話しこんでいるロニを遠目に佇んだ。したしげな様子からして長くなるだろうと思ったのだ。その間にロニに近づくのはいいとしても、仲間でニサンの僧兵隊長で堅物で、などと紹介してもらいたくはない。見えない会話の傍に佇むのもいやだし、人ごみにもまれるのもごめんだった。
――この距離ならば、また見失うということもあるまい。
彼はあらためて、ロニの自宅の方を見遣った。一目でそのあたりは格別な別荘地帯だろうと予想できた。金持ちの住む、町を見下ろす高台というわけだ。
いつも忘れているのだが、カレルが毛嫌いしてきたようなその高台の住人なのだ、ロニは。富と権力を盾に冷たい目で雑然とした町を見下ろす一握りの人間。……その構造はソラリスとまったく同じ。
地上もけっして一枚岩ではない。法制化された、あるいは不文律の格差があちらこちらに見え隠れした。ソラリスにあらがう彼らの活動すら、その舞台となる。望む望まないにかかわらず、権力と妬みと失望とが『ソフィア』のまわりにはつきまとっていた。
人を信じると痛い目にあう。しかし、信じなければともに戦うこともできない。……矛盾を解決するのは、今のところ時に頼るしかなかった。
笑い声が耳を打つ。目を反らしていた間に、ロニは数人の人に囲まれていた。いずれも彼と同じ年頃の男や女たち。つまり、この町の彼の友人たちだ。
そうしていると、ロニはとてもではないが対ソラリスのゲリラ指揮を執っている男には見えなかった。いいとこのおぼっちゃん、という雰囲気ははありありと、けれど人々の視線を自然と集めている。その容姿はさることながら、人徳と才気で人を寄せつけているのだ。
今は僧兵隊の長としておさまっているカレルだったが、しかしそれまでの人生で、ああして人が周りに集まって来るという経験を味わったことはなかった。原因はおのれでも分かっていた。昔は近くに人がいること自体に嫌気がさしていたものだ。
それが変わっていったのは、彼のおかげだろう。
しばらくしてから、ロニは人ごみを掻きわけ、真っ直ぐにカレルの方へと近づいてきた。
「ごめん」
「いや、話は済んだのか」
「ああ。しかし目立つね、やっぱり」
「うん?」
ロニは微笑むと、カレルの濃闇の髪を一筋すくう。
「この髪さ。このあたりでも珍しいから。僧兵隊の服なんか着てこなくてよかったな。あんな格好だったら、悪目立ちする。……じゃあ行こうか」
ロニは言って、今度ははぐれないようにするためなのか、ごく自然にカレルの手を取った。「あと少しだから」ロニの友人達たちの視線がこちらにむいているのがわかる。けれど手をふりほどくことも出来ず、カレルはロニのあとについていった。
それから数分で、雑沓を抜け、高台へと続く人のまばらな坂道へと至った。並のオアシスとはくらべものにならない木立に包まれた、涼やかな通りだった。カレルの手を放すと、ロニは外套のポケットに手を差しこむ。
「彼らは、ブレイダブリクを中心にしてる商会の後継どもだよ。同じ歳頃だったからね、ずいぶん競い合った。上流階級の建前は僕らが五歳のときからつきまとう。お茶会とチェス・ゲーム、たしなみは実際は腹黒い金儲けそのものだよ。……僕らにはそれが必要とされていたのだけれどさ。そこの辻を左に曲がるんだ」
緑のさらに濃くなる小道に、二人は入った。道の入口には石の門柱が立ち、既にそこからがファティマ家の敷地らしかった。この木立の下にはあの乾いた街が広がっているはずなのに想像もつかない。
「ブレイダブリクの金持ちは、みんなこぞって高台に家を作ろうとする。どうしてだか、わかるだろう?」
確かに、わかる。そこは別世界だった。
ここもブレイダブリクという街のはずだが、その特徴であるはずの雑多さがまるきりなかった。
丈の高い木立が続いている。中には相当歳月を重ねた、古い木も見られた。驚いたことに、それらはオアシスに生えるような樹ではないかった。木の幹に触れながら歩いて、カレルは言った。
「いつだったか聞いたことがあるが……昔の地誌では、この先まで森に覆われていたらしいな」
「ああ、そういう話だよ。砂漠の南半分にはかなりの水量の地下水があったらしいんだ。ブレイダブリクに湧き出している水はその水流の残り。この木立も、多分その頃の名残だよ。……」
森林の気配は清々しかった。高い鳥のさえずりが耳に入ると、街で雑踏にもまれ、とがった神経が安らいでいく。
やがて、先ほど下から見上げた石造りの屋敷が視界に入ってきた。
「……僕が艦に乗るようになってすぐに母が死んだ。それきりずっと手入れは人任せでね。親父は艦を降りてからはここに住んでた。親父が死んでからははじめて来るよ。…………変わってないな」
「子供時代はここを駆け回ってたわけか」
「ああ。でも昔は、この家があんまり好きじゃなかったね」
二人は前庭を進みながらそんな会話を交わした。屋敷に近づくにつれ、鳥の声がやけに聞こえてくる。
「どうして好きじゃなかったんだ?」
「親父の趣味がちょっとね、変わってて」
肩を竦めつつ、ロニは玄関をたたいた。ややあって応答がある。「僕だよ、ただいま」ロニがそう言うと、すぐに扉が開いた。
「おかえりなさいませ。まさかここまで、歩いてこられたんですか?」
「うん、たまの緑もいいものだから。さ、カレル」
「……ああ」
ロニに促されるものの、カレルは玄関から見える屋敷の中にあっけに取られてしまった。いたるところに鳥籠が並び、上からつるされ、その中に色鮮やかな小鳥がいた。部屋はさえずりに包まれている。
「……すごい数だな」
「鳥の世話するために人を特別に雇ってるくらいなんだ。屋敷中これだよ。落ち着かないかもしれないけど。
とりあえず奥へ。少し休もう」
鳥たちの回廊を抜け、二人は奥へと進んだ。極彩色の鳥たちが、羽をばら撒いている床を蹴って、奥へ。
「それにしても、確かにあきれるな、この家は」
さすがに、所狭しと置かれたあれだけの鳥に囲まれていると、息が詰まる。二人は露台に出て木立の影に来ていた。鳥はいないが、足元にはいくつかの空籠が転がっている。
「だろ。行った先々で小鳥を買いこむのが親父の趣味だったんだ。けっこう貴重な鳥もいるみたいだよ。僕じゃあ、ただ羽根がきれいな鳥としか思えないんだけどね」
露台から屋敷の中を眺めると、小鳥たちの作るその華やかさは魅惑的だ。彼らはどんなに金銭をつぎこんだ置物よりも華美でなおかつ生き生きとしている。小鳥の羽根の様々な色は、人の作為のようないやらしさもない。
「こんなに鳥を飼うなら、温室でも作ってそこに放せばいいと思ったこともあったけどね……一羽ずつ籠に入れて飼うなんてちょっと悪趣味じゃないか。鳥籠自体も収集物ではあるんだけど」
カレルは足元の籠を見つめた。金枠の鳥籠だ。上から吊るす要には、濃い青の石がはまっていて、高そうには見えない代物だが上品さがあった。屋敷に下げられている籠は見たところどれも違う意匠のもので、これらを探すのにも手間がかかりそうだ。
「でも多分、それじゃだめだったんだろうな。君と出会ってそれがわかるようになったよ」
「……どういう意味だ?」
「僕なら」ロニはまっすぐにカレルを見つめて、「君を一羽の鳥にして、
永遠にこの籠の中に閉じ籠めてしまいたい。きっときれいな鳥だろう、紺青の翼とトルマリンの瞳、美しい声で歌ってくれるかい。……」
カレルはその言葉に思わずふきだした。
「くさいな」
「どうせ」
ロニに抱き寄せられながら、彼は想像した。小さな鳥の姿になって、羽根をはばたかせる。棲むのはどちらがいいのだろう。ひろい森の中と、ロニの手から餌を与えられる金色の鳥籠の中と?
「親父の言い分じゃ、籠にはふさわしい鳥がいるのだし、鳥にはふさわしい籠があるそうなんだ。それを見つけ出すのが楽しいんだって」
「ふうん、じゃあおまえは自分が、私にふさわしい鳥籠だって?」
「少なくとも、僕以上の適任者はいないんじゃないかい」
「探索不足かも」
「おい、それはあんまりだろ?」
「だとしたら、この籠があんまりにも気分がいいから探しに行かなくなってしまっただけだろう……」
カレルは両手でロニの頬を包み、金髪を掻きあげて瞳を見つめた。そして唇を重ねる。
「そんなことを言われたら」ロニは応えつつ、「羽根を切ってもうどこにも探しに行けなくしてしまいたくなる」
痺れるほどに甘く甘く、キスを続けた。鳥たちのさえずりに合わせるようにして。そうしていると、ますますここがブレイダブリクとは信じられない。
どこか知っている場処に似ているわけではなかった。ここは暖かくて、鳥に囲まれた別の世界だ。たぶん、永遠が許された世界ではなかろうか? 鳥籠に閉じられた、二人だけの、永遠の。
ただ背中を探るロニの指にたまらなくなる。ただ無性にお互いが愛しくて、歯止めを失ったように抱きあった。
ため息がこぼれる。カレルはもう一度、と言った。ロニは応えた。
「君を一羽の鳥にして、永遠に僕の中に閉じ籠めていたいよ……」
二人は無数の鳥籠の下で、その夢を見た。現実など、どこにもなかった。
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これも2000年の秋に出したロニカレ本に書き下ろしました。改題したのは、これの続きというか対になっている話を書かないことになっているので、タイトルを変えてみたのです。「アイコソスベテイキルヨロコビと声を涸らす唄うたい―destruktion mix―」というのを書くつもりだったんだけど、これは「鳥の歌」に混ぜこんじゃったので、書かないわけよ。ロニカレを永遠のものにしようと思って書いているのですが、というかその試みは「鳥の歌」に結実できていると思っているのですが、その中で、このエピソードは外せないひとつかな、と。こういうこと考えてると自分のイキっぷりにぶるぶるしますが、ま、いいってことよ……(040102)
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