一番最初に、ビリーがバルトを評価したのはあのときだ……「そういうときは俺の艦に来い!」といわれたあのとき。あ、こいつひょっとしてすごくいいやつなんだ、と思った。
ビリーは正直言って、自分の逆境には慣れまくっていた。おまけに、それでも自分はここにこうして、五体満足で生きているし幸福な方だと思っている。字も読めるし銃も使えるしおまけにギアの操縦も出来る。神父は手に職でどんな僻地に行っても食いはぐれることはない。
だから、自分の不幸話はビリーには持ちネタのひとつで、説教の一貫として利用するときもあればブラックジョークのネタにすることも多々あり、バルトらユグドラシルの人々に身の上話をしたのは後者の理由からだった。
笑ってもらうつもりで話したにもかかわらず、あんなふうに真剣に答えてくれるだなんて思ってもいなくてうっかり思い出してしまったのだ。「僕ってかわいそうなんだ」。バルトのカワイソウはあとから聞いて酷いなと思ったけれど、だからといってビリーがカワイソウでなくなるわけでもない。バルトだって、ビリーの不幸話で幸福になるわけじゃない。
不幸というのは絶対的なもので、相対的になにかで変わりったりはしない。
自分は不幸じゃないと思うことがそれ自身を見返す唯一の方法だとばかり思っていたのだけれど、それは違ったらしい。
衝撃だった。
バルトがいいやつなのが衝撃だったわけじゃない。この価値観が間違ってるんだというのが、ショックだったのだ。いままで自分を叱咤激励してきたこの価値観そのものが実は、自分を誤魔化していたに過ぎないって気がついてしまったことが。
どうやら不幸なのは悪いことじゃない。不幸なくせに不幸じゃない、と思っているよりは。
たくましく生きることは人生に打ちひしがれるよりもよっぽどいい。でも、かわいそうな自分を否定するのが正しいわけでもなかった。
その衝撃のせいで、バルトへの好感はちょっと地味だ。よく思い返さないと、そのときバルトに感じた好意を見つけるのはむずかしい。
でもはじめはそこだったのだと思う。
ストーンを殺した後、プリムが自分の名を呼んでくれないということからも立ち直ったビリーは(今までに比べれば立ち直るのには時間はかからなかった。なんにせよプリムは喋ったわけだから)、バルトの姿を探しててユグドラシルの中を歩いていた。
この艦の艦長のくせに、バルトの居所を探し当てるのはけっこう難しい。まずは艦橋を覗き、シグルドに尋ねてみる。すると彼は肩を竦め、
「フェイくんたちと朝食を食べているのは見たから起きてはいると思うが」
と言った。あてにならないにもほどがある。午後からバルトは艦橋が持ち場になると言うから、そのときには確実に会えそうだったが、そこでこみいった話をする気にはなれなかった。
――いや大体僕はなにを話すつもりなんだろう。
どこからどう説明していいのか、不幸なのを気づかせてくれたことのお礼というのもおかしい。たぶん、そんなことを言ったら「嫌味か」と言われるだろう。ビリーは残念ながら殊勝な性格ではないので、そこで応戦以外できるとは思えなかった。
次にマルーの部屋を訪ねてみたが、バケモノに追い返された。なにはともあれバルトはいそうにない。
結局、ギアドックのパーツがごたごたと積んであるごみためのような所の奥に、バルトはいた。
機械の油にまみれ、それでも嬉々としてなにかをいじくっている。強化パーツかもしれない。
「おーい、バルト」
「ん、ビリー? なにか用か」
「あ……君に話があるんだ。いい?」
「こっち来てもらってもいいか、ちょっとこのハンダ外せなくてさ」
「うん。……」
言われて、ビリーはがらくたをかきわけて奥にむかった。他の人はおらず、外からも、ちょっと簡単にはこちらを伺えなくなっていた。
もしかすると、バルトの隠れ家のような所なのかもしれない。
どこもかしこも人であふれているこの艦でこんな場所があるなんて意外だった。なんだかそのことにドキドキする。がらくたの山を乗り越えるので動悸がしたとは思えないから、……たぶん。
奥は割と広くて、あちらこちらに出来かけのパーツや、逆に解体されたパーツなどが並んでいる。あれとかちょっとほしいかも……ここのって艦に乗ってたら勝手に使っていいのかな、と孤児院長らしい貧乏計算をしながら、バルトの傍に行った。
バルトはなんだかわからないものを作っていた。こんなもの、ギアのパーツとしては見たことがない。ハンダで固定されているコードが縦横無尽に鋼鉄の上を走っていた。
「これ、なに?」
「見てわかんないか?」
「さっぱり」
「おまえ、想像力貧困だよなー、前から思ってたけど」
「……で、なんなの?」
「ブリガンディアの頭の飾りのモーターだ」
「モーターなんてつけてどうするの?」
「どうって、動かすに決まってるだろ!」
ビリーはなにを言っていいかわからなくて、じっとそのモーターとかいうものを見凝めた。なるほど、こんなところでこそこそ作成しているわけだ。バルトのギアクルーは呆れ返っているだろう。確か、あの飾り自体もバルトの一存でつけることになったとか聞いている。
「もうちょっと、ものの役に立ちそうなものは作れないの?」
「うっせぇ。……で、なんだよ話って」
「えっとね〜」
「ぶってないでとっとと話せよ」
投げつけられた言葉にビリーはかちんと来た。
――ぶってるってどういうことだ、僕がなんだって?
ビリーは、胸に昂ぶる感謝の念を押さえ切れずこんな薄暗いところまでバルトを捜してやってきたというのに、あまりにもバルトの態度はすげない。
バルトはビリーの不幸をわかってくれているとばかり思ってたのに……これはない。
ビリーが意外にもしゅんとしたので、バルトはあぜんと見ていた。なにかいちゃもんをつけに来たと彼は思っていたらしい。
正直に言って傷ついた。
ビリーは神妙な顔で、言った。
「……僕の率直な気持ちを君に言おうと思って来たんだ」
「な、なんだよ」
「バルト」ビリーはバルトににじり寄った。バルトの方ははじめきょとんとしてビリーを見返していた。「あのさ、僕ってけっこう不幸じゃないか。でも僕はずっと、そうじゃないと思ってたんだ。孤児院の子供たちを見てたら本当にみんな一人ぼっちでね、僕にはプリムがいたし……」
「う、うん…」
「だから状況的な僕の不幸ってのを忘れて過ごしてたんだ。ずっと。みんな僕に、強く生き続けろって言った。後ろを見るな、前を見て歩けって。そうじゃなくて、頼ったり……悲しんだりしていいって言ったのはバルトだけだったんだよ」
「……俺、そんなこといったっけ」
「ほら。『俺の艦に来い』ってやつ。あれで僕は思い出しちゃったんだよね、自分が不孝だってさ」
「それで、恨み言かよ?」
……そう言われて、ビリーはどうしたらいいかわからなくなった。今までお互いの理解を深めようとしなかったのが原因だろう。バルトは、ビリーがケンカの口実を作っているとしか思っていないらしい。
「バルト」
ビリーは気持ちをわかってもらおうと、必死で友人を見た。
「僕は……気づいた方がいいって思うんだ。だから……君は僕と同じように不幸で、だから……」
夢中でビリーはいつのまにかバルトにしがみついていた。その勢いが凄かったのか、バルトは引きつった顔でがらくたの間に追いつめられていたが、ビリーの眼中にそんなものはない。
「な、なんなんだよ、結局!」
「僕、君が好きだ」
「ハァ?」
目に前にバルトの顔があったので、ビリーはとりあえず、強引にキスをした。
――思ったとおり、バルトの唇って柔らかい。
そう思いながら、ビリーは自分でも唐突なこの行為に混乱していた。とはいえ「思った通り」というその感想は、ビリーが心の奥でこういうことを確かに考えていた証拠だった。
――僕、どこまで考えてたんだろう。
次の瞬間、すごいところまで彼の発想は飛んでいった。妄想だけでなく今ビリーの体の下にはバルトがいて、なんでも出来そうな気がする。
――ちょっとやばいかもしれない。
さすがに彼は自分でもそう思った。
「ビッ、ビリィ!」
バルトは完全にこわばって、目を回している。
よく見るとバルトは可愛いところだらけだ。顔も、目の深いきれいな碧も、やっぱり野暮なのは真っ黒な眼帯で、それを外した素顔を見てみたいなあ、とビリーは思った。
そう言えば今まで一度も見たことがない。バルトは風呂はあまり入りたがらないし、見せてと話の流れでだれかが言ったとしても、ひどい傷が残っているから嫌だと言うばかりだ。
こんなきれいな顔の傷ならそれもまた見てみたいかも、とビリーはわっしと眼帯を掴んだ。
「ぎゃ、なにするんだよ!」
「この下、見るだけ!」
「やめろよ、よせって!」
かなり本気でバルトは抵抗したが、取るまいとするより取るほうが簡単なのは当然だった。勝利を収めたビリーは、まじまじとバルトの顔を見た。
「……なんだ、そんなにひどい傷じゃない」
「どこがだよ、やめろって……見て、気持ちいいもんじゃないだろ」
「見えないの、全然?」
「いや、ちょっとは見えるけど……返せよ」
ビリーが頭上に掲げてしまった眼帯に、バルトは手を伸ばす。ビリーはにこりと笑って、「返さない」と言った。
「おいビリー、それにいい加減重いんだよ」
「でもいい気分だよ、君の上にのっかってるのって」
「俺行かなきゃいけない時間だしさ…」
そう言われて、ビリーは仕方なくバルトから退いた。しょぼんとしているバルトの金髪に眼帯を被せてやり、手を差出す。バルトはそれにすがって立ちあがった。
二人は仲良くがらくたの山を越えてドックの方に戻り、じゃあねとなごやかに手を振って別れた。ビリーはバルトを見送り、そして、「好き」といったことにさっぱりバルトが応えなかったことにようやく気づいた。
――はぐらかされたのかな?
見送っていた笑顔が急に引きつり、ビリーは据わった目でその背中を見た。その瞬間、殺気を感じたのかどうだかびくついてバルトが後ろを振り返った。その彼ににやりと笑い、ビリーは僕を誤魔化したことを後悔させてやると、心で固く誓った。
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