繋がれた恋
 繋ぎめがわからなくなる。
 触れたところの温度は、とうの昔に流動し終えて同じ熱さだ。
 皮膚に遮られて表には出てこなくても、躯の裡、内臓にはこれよりも厳しい熱さがあるのだろう。触れた場所はお互いにじんわりと熱を生み、熱く熱く、肌の上でなくて裡を伝う。目に見えぬ熱の糸に包まれて縛られて、体中が思うように動かなくなる。
 相手の胸を腕でめぐらせながら、その腕が自分のものとはもう思われないのだ。はらりとかかってくる金色の髪が、まるで自分のもののように錯覚する。
 これだけ、いやというほど肉体の存在を感じているというのにそれでも自分がそこに在るという感覚は希薄だった。さながら熱の固まりになったように思う。そして熱量と熱量だけになり、流動し合い、混交して終いにはひとつに交ざり合ってしまう。そんな気がする。
 互いの愛撫は意味を成さなくなる。それはただ熱と熱の交ざり合いで、いつのまにか快感もなにもなく、ただ熱さを覚えるだけなのだ。
 熱に淀んだ眼でロニの碧い瞳を見るとまだひとつになっていないことだけはわかる、なにしろそこに、相手がいるのだから。それでももうどことどこが繋がっているのか、わからないのだ。そこには痛みも快楽もない、そこになにかがあるということすらもわからない。
 だからこそ終わりを懼れるような交じり合いで、痛みを感じるのは体が冷えていくときだった。
「……カレル」
「なんだ?」
「まだ後悔してる?」
 ロニが尋ねて来るのに、カレルは微笑した。
 後悔している、といえば言えなくもない。少なくとも、体を重ねなければこの冷えていく痛みを感じることはなかった。
 だが、それは多分、あの熱の前には意味もないことなのだろう。あの熱さ、それは言葉ではなく精神でもなく、かといって欲情でもなく肉体でもなかった。それらを包括しながらそれではありえない熱の流動。精神のように孤独ではなく肉体のように満たされてもいない、ただ移り移る、熱の感覚。
「どうかな、どちらなんだろう?」
 ロニ・ファティマにどうしようもなく惹かれながら、肉体的な関わりをカレルは最後まで拒んだ。男と体を交わしたことも、経験がないわけではなかった。男との関わりも女との関わりも、あまり好きになれなかった点ではなにも変わらない。
 それだけにあっさりと陳腐なものにしたくなかったのだ。ロニ・ファティマという男と供にいる、ということを、彼の存在そのものを。
 何度か求められて、そう求めるのとは違う気がする、と断った。ロニ・ファティマは不可解な表情で手を引き、なにも言わなかった。
 だれよりも肉体を頑健に、強健に鍛え上げながら、カレルはその肉体を低いものとしてみなしていた。魂の属する高次に至ることのできない重い肉体は、いつのまにか彼の中で卑俗なものとして見做されていた。
 肉欲はもちろん、その価値観に追随して低められた。肉体が冷えることは、そうして死に対してより近づくことは、いつしかカレルの求めるところとなった。
 それは、彼の属するニサン正教にあっては正しいことで、そうして無性の宗教の中で肉体に対するこだわりは、失せに失せていったのだった。
 ロニ・ファティマと出会ったのはそういった頃だった。
 彼といれば心が安らいだ。戦争と政争で荒んだ心には、染みとおる清水のような彼の存在が、ひどく心地よかった。他のだれでもなくロニでなければならなかったわけはわからなかった。それでも彼には安らぎを感じたし、彼がその安らぎを与えるのはカレル以外にはいなかった。
 よき理解者だ、と思っていた。感情の起伏はそれ以上のことを感じ取らせたけれど、カレルもロニもしばらくは、同胞という存在に甘えていた。人を理解できる、ということがこんなに自分にとってよいことだとは知らなかったのだ。だからひどく、心地よい関係だった。
 ――けれどそれでも、理解できないところ、知らないところ、知りえない場所がだれしもの心にあるということに気付きだしたのはいつからだったか。
 そしてそれをもどかしい、と感じたのはロニのほうが先だった。カレルには肉体に対する嫌悪があり、そのせいで踏み切らなかったのだろう。けれどロニには、その屈託はなかった。
 砂漠の民である彼にとって、存在は肉体と結びつき、肉体は大地と結びつく神聖なものだった。砂漠の烈しい風の中で精神などはそれだけでは掠れ飛んでしまうものなので。
 いつしか彼は、切なく苦しい顔でこう語るようになった。
「魂を愛するのに、どうして肉体が不必要だ、などと言うんだい。
 肉体さえ愛せなくて、どうして魂を愛せるというんだい?」
 その言葉は、正しかった。とても、正しかった。
 それでも、怖れがカレルの中にあった。もちろんロニも、その怖れをねじ伏せるような真似はしなかった。若い激情とは別の求めだったからだ。
 ロニはそっと、カレルの手に触れた。カレルは身を引きかけ、けれどロニのほうこそひどく怖れて触れてきたので、そのままにした。
「こうして指先に触れるだけで、君のことがわかる。君の想いが伝わる、痛いほど僕の中に流れこんでくる。そして僕自身もまた、痛みと苦しみと喜びと望みと、そのすべてが一緒くたになって君の中に流れこんでゆく。
 僕は……僕はカレル、君にもっと触れたい。これは欲望じゃない、そうじゃない……触れ合いたがっているのはたぶん君の魂と僕の魂で、だからこういう風に、どうしようもないほど君を求めるんだ。こんなに、寒風に身を晒されたように体も心も縮み上がるんだ……」
 カレルはそうつぶやくロニを、抱き寄せた。ロニの体は、冷たくてこわばっていた。傷ついて今にも死んでしまいかねない小鳥を、掌に包んだようだった。
 それは恋を患う青年の姿とは言いかねた。そんな単純なものには見えなかった。
 だがカレルは首を振った。
「私の魂は、そこまで深遠なものじゃない。ましてや汚れきっている、零れだしたら止まらない」
「子供じゃあるまいし、僕が君に清らかさなんて求めているとでも?」
「だろうな、わたしもおまえも同じくらいに汚いんだから」
「そうとも、君の手は血で汚れているかもしれない。僕の手は狡知で薄汚いさ。殺した人間の数を挙げてどっちか汚いか較べてみるかい?」
「それは、直接殺した数だけか?」
「そうだと僕が不利だな」
 繰言で場を繋げば、ロニの体は温かみを取り戻す。辛そうに笑う口許に、カレルは唇を寄せた。
 だれかをなにかを求めることは、人間にとって仕方のないことだ。生きることを求め、尊厳のある生き方を求め、地位を求め、愛人を求め、愛人の魂を求める。それは欲得なのではない。欲得か否かの線引きはとても難しかったが、いま胸にわだかまるものは欲得ではない。
 今はこうして熱と熱になり、言葉もなく思いを交わす。体と感覚が乖離していたかつての恋人たちとの交わりとは、なにもかもが違うのは確かだ。ならばこれが至上の愛だろうか、ならばこれは天命の恋だろうか?
 眠りに沈んだのちの後朝の時間は短く、熱のかけらすら思い出さず、二人は部屋を出る。
「……シェバトに今日発つよ。大王からじきじきの呼び出しでね」
「急だな」
 急ぎ足にカレルは兵士たちの待つ宿舎へ、ロニはみずからの旗艦へと足を進めながら、言葉を交わした。
「本当は隠密だ」
「いつからそのつもりだった?」
「昨日の晩から」
 カレルはあまり言わなかった。シェバトのいつもの抑圧だ。急遽ファティマ商会の戦力を戦列からはずして、ニサン側を狼狽させる手筈なのだろう。命に従うロニもロニだ。だが、言っても仕方ないことだ。
 岐かれ道で、ロニは立ち止まった。
 そのまま行こうとするカレルの手を掴み、その手を唇に寄せた。
「どうして僕は、君を選ばないのだろう、この手を離してしまうんだろう」
 カレルはその言葉に微笑で応えた。
「なにを言うのだ、ロニ。それが吾らの道。けれどたとえ道を違え過とうとも、私の魂はおまえを知っている。おまえの魂もまたしかり。それ以上に、なにがある?」
 ロニもまた、笑った。
 二人は名残惜しげに手を離すと、背をむけ、それぞれの場所にむかって歩き出した。いつもカレルは思うのだ。これは今生の別れやも知れないと。そうだとしても、悔いはない。





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昔の話と矛盾してます。目をつぶってください。特に「ぬくもり」とか。痛い。矛盾というかかぶってるし。痛い痛い。でもこんな雰囲気が大好きだロニカレ。他じゃ絶対書けないよ!! 時代においていかれても、だれも読みに来なくてもあたしはロニカレです…。

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