王の即位から十五年目の年、王都では疫病が猖獗を極めていた。病人は額で湯が沸くほどの高熱を出して、朦朧とした意識のまま死んでゆく。患者の殆どが治療の甲斐もなく死んでいった。感染力が高く、次から次へと人々は罹患していき、町は病人で溢れかえった。医者は早々に逃げ出すか、治療に当たったものもほとんど感染して死の床にあり、癒すものすらいないありさまだった。街路には死者がそのままに放置され、活気に満ちたブレイダブリクは瞬く間に死の都と化した。
王宮にすまう人々も例外ではなかった。王は早い時期に王子をブレイダブリクの外へと避難させていたが、自らはあくまでもブレイダブリクにとどまった。彼はこの砂漠の町の王だったからだ。そして疫病の勢いがいまだ衰えぬ最中、その王が病に倒れた。高熱を出してもはや明日をも知れぬ命だった。
王宮では病の流行よりもあの王が死ぬということが混乱をもたらした。焼き尽くされたこの国を立て直したのはほかならぬ王だったし、彼がいなければいま地上でだれひとり人間が生き残っていなかったかも知れぬのだ。無論彼も人の子であり、いつかは死ぬのが天の道理だ。だがそれでも、人々はそれを受け入れられないでいた。王が死ぬとしてもそれはもっと先の話だと考えていたのだ。確かに王はいまだ壮健で、病に負けることがなければあと二十年は統治できたに違いない。しかし、王は病から逃げることを選ばず、その病に伏した。英雄とはいえ病の前にはただひとりの人間だった。
高熱に浮かされて王は苦しみぬいていたが、王が発症して三日目の夜、一人の医師が王宮を訪ねて来た。まさかブレイダブリクに医師が残っているとは思っていなかったので、王宮の人々はいぶかしみながらも喜んだ。珍しい亜人の医師で、ブレイダブリクに元からいたのなら知っているはずだったし、ブレイダブリクの城門は締め切られているので外から医師が来るはずもなし、本来ならばもっと疑るべきだったがそれよりも王を救うことが王宮の人々の願いだったのだ。
医師は王の伏せっている部屋へ入ると、王の顔を覗きこんだ。かつて彼が知っていたときよりも精悍な相貌で、若い日の自信に満ちた王も魅力的だったが、いまもまた、こうして病にやつれていなければまた別の魅力で人々を魅せるのだろう。
王は魘されながらも目を開いて医師の姿を目にとめた。朦朧とした意識の中でもそれがだれかは気づいたようだった。王は手を挙げ、医師以外の人々を下がらせた。それから枯れた声で医師の名を呼んだ。
「メルキオール師、」
「久しいのう、ロニ殿」
「ええ、そうですね……」
メルキオールは一目で王の様子を見て取った。疫病の典型的な症状が出ている。意識を失ってもおかしくない高熱だったが、ロニはまだ意思を持っていた。その強靭な精神こそがこの国を築いたのだ。そうでなければ、この灼熱の砂漠に王国など打ち立てることができるはずがない。確かに彼には人望、魅力、財力、そして兵力があった。そのすべてがあれば、ひとつの王国を樹立するのに十分だろう。だがそれを成したのは彼の精神だ。砂漠をも乗り越える強い精神こそが、この国の礎なのだ。
「なにをしに来たのですか」
ロニが問うと、メルキオールは言いよどんだ。
「いいえ、わかっています、師。けれどなんでそんなことのためにここに来たのです! 私がそれを望むと思うのですか!」
「私はあなたの病を癒しに来たのだ、ロニ殿」
「いいや、それなら手にしているものはなんなのですか。それで病を癒させるなら、ブレイダブリクのほうぼうで死にかけている者たちにまず先に配るといい!」
メルキオールは難しい顔をしてロニを見下ろした。
「女王からたのまれたのよ」
「そして僕ははるか昔に彼女へ伝えたはずです。シェバトは地上には一切関わるなと」
ロニは熱でぼやけた瞳をメルキオールの手にある細いガラス管にむけた。
「そんなもので生き延びてなにがあるというのだ」
「女王はいつもおっしゃっている。あなたはこの地上を見捨てるのだと」
「人として生まれたからには死んでゆくのが当然でしょう。それを拒むあなた方こそおかしいのだ。僕は死ぬ。それが僕が地上に生きるものとしての権利なのだから。それはだれにも阻ませない。だからそれは持って帰られるとよい。この地上のなんぴとたりとも、そんなもので不老不死になることなど許さない!」
ガラス管の中にはナノマシンと呼ばれる分子大のシステムが入っている。メルキオールをはじめ、シェバトで生きる人間たちはそれによって滅びぬ肉体を手に入れていた。もっとも、それもはじめは彼らが望んで手に入れた身体ではなかったものの、今となっては、かつての忌まわしい惨事を忘れぬため、人間が強く生きていくためには必要なのだと思う風潮が高まっていた。
だからこそ、シェバトは今度の王の病を問題と見做した。まだ彼が死ぬのは早すぎる。幼子であるアヴェ王国はいまだ乳離れも出来ていないのに、ロニがいなくなれば簡単に水の泡になってしまうと考えた。だからこそ、王にナノマシンで滅びぬ身体を与えようと彼らは決めた。
メルキオールもまた、それには賛同していた。ロニは欠けてはならぬ存在で、まだ彼が歴史から姿を消すには早すぎた。
だからメルキオールは問答無用で王に処置を施そうと考えた。だが王はなおも、それを拒んだ。
「僕があなた方と同じ身体を手に入れて、なにをすると思うのですか。僕がまだなおも地上を救うと? 僕が永遠に英雄でいるとでも? 死ぬことのない身体で、そんなことをするとでも思うのですか? 僕が滅びぬ肉体を持ったなら、ラカンと同じことをするでしょう。地上の王国は滅びまた生まれるからそこに意義があるのだ! そうして人間が入れ替わり、常に若いからこそ存在が許されるのです! そうでないなら僕はすべてを滅ぼす。それを僕がしないと思いますか? そしてそれを、あなた方に止めることができるとでも?」
それは熱に魘された男のたわごとではなかった。病に倒れようともその精神は決して揺らぐことがなく、いかなる巌よりも強固だった。彼は滅ぼすといえば滅ぼすのだろう。それはあのディアボロスたちよりもたちが悪い。なぜならロニは、地上の兵士たちを彼自身の言葉で動かすことが出来るからだ。兵士たちを熱狂させ、その殺戮に駆りだすことが出来るからだ。その無類の神性が、ロニ・ファティマなのだ。
メルキオールは嘆息した。そこでようやく王も浮かない顔をした。
「師、女王にはこう言うといいでしょう。もはや手遅れだったと。僕はもう死んでいたのだと」
夜半、弔鐘の途切れぬブレイダブリクで、ひときわ高く鐘が鳴り響いた。山上の王宮で鳴らされた鐘は、痛みの最中にあるブレイダブリクの城壁の内に谺し、さらには城壁の外へと逃れていた人々の耳にも届いた。この国の礎を築き、この国の礎そのものであった王の死に人々は涙した。
こうしてアヴェ王国ファティマ王朝の始祖たるロニ・ファティマ、のちにいうファティマ一世の治世は幕を閉じたのだった。
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ロニが老衰で死ぬのだけは許せない、とか思っていて。王はまだ40代半ばです。(060405)
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