エルアンドヴァリ
 バルトは、アンドヴァリのコックピットに座り、瞑目していた。こうしていると――妙に落ち着く。頭の奥まで清明に見えるような気がする。
 コックピットの中にいると、今まで一度も感じたことのない心地よさが得られるのだった。
 ブリガンディアに乗っていた頃、こういう感覚を持ったことはなかった。アンドヴァリがギア・バーラーだからなのか、彼の父祖であるファティマ一世が乗っていたからなのか、それは……よくわからない。
 ただときおり、もう一人このギアに乗っているような気がした。その気配はマルーのものだ。マルーは一度、バルトに先んじてこのギアに乗り、動かした。
 バルトのために。
 だからなのかもしれない、この底知れぬ安堵感は。少女の心が今もここに宿っているから、なのかもしれない。
 しかし今、それと正反対の焦りが、バルトの心をちりちりと燃やしていた。
 彼はまだ弱い。そして、ギア・バーラーの力はこんなものじゃない……
 バルトは、バーラーの力をまだ十分に引き出してない。
 シェバトを訪れた折、ギア・バーラーを見たゼファー女王は言った。
 ――あなたがこのギア・バーラーに乗っているのですか?
 ――ああ。
 ――そう。……
 ――なぁ、これは本当にロニ・ファティマが乗ってたギアなのか?
 ――ええ、間違いありません。彼は、これに乗っていました。でも……あなたはまだこれを乗りこなしていないようですね。彼は、もっと強かった。何者をも圧倒するほどに。
 何者をも圧倒する力、それがいったいどういう力を指すのか、バルトにはわからなかった。
 けれどその響きに、少年が思ったのは『グラーフ』のことだ。力を、とフェイをあざけり続けるあの黒衣の男。
 ――何者をも、圧倒する?
 顔をしかめたバルトに、ゼファーは気がついて続けた。
 ――私は、本当にただの力のことを言っているのではありません。戦う力という点では、彼に勝るものはいましたし、彼は力あるものの中の一人に過ぎませんでした。ですが……彼は他のものを圧倒しました。戦場でのロニは、王者以外の何者でもなかった。それは、彼の意志の力でしょう。彼はつねに前方を見据え、強かった。それは他の人たちにはない強さだったのです。
 ――つまり女王様は、俺にまだたりないものがあるって言いたいんだな?
 ――いいえ。それがまだたりないものなのか、あなたに欠けているものなのか……私にはわかりません。
 ――……。
 はっきりと言いきられて、バルトは押し黙った。
 ――あなたはまだ育ちきっていない。そして心が強くなければ、このギアを乗りこなすことはできない。強いとは、ただ肉体的に勝っていることを指すのではありません。心が強くなければ。ギア・バーラーは、心の強さすらも如実に示すものなのです。強くおなりなさい。それしかないのです。
 ゼファーの言葉を思い出して、バルトは唇をかみしめた。
 ロニ・ファティマ。かつてはただの先祖であった彼の存在が、この頃は重く、重く、のしかかってくる。……
 少年は勢いよく首を振り、それから、ためいきをつく。
 いつだって、有利なのはここにいないものだ。それが、過去の人間であればなおさら、本当の意味で比較の対象になどなるはずもない。そう思うものの、打ち克てない壁となって、ロニ・ファティマは今の彼を支配していた。
 ――まるで時の影から、俺を笑うように。
 どうやっても、克つことができるはずがない……!
 ――こっちよ。
 不意に、なにかが聞こえた気がして、バルトははた、と視線を巡らす。
 しかし次に聞こえたのは、外からの、少女の声だった。中からではない、声はマルーに似ていた気もするが、違うものだった。
「若、そこなの?」
「……マルー」
 拍子抜けしてバルトは応える。
「降りて来てよ」
「あ、ああ」
 乞われるまま、少年はコックピットを降りた。
 マルーの前に立ち、思う。
 ――俺は、さっきの声になにかを、求めてたんだ。なにか、わからないけど。
 もう一度、声が聞こえたような気がした。「あなたの求めるものは、」
「若?」
「え、なんか言ったか?」
「ボクにできることはない? って言ったんだよ。若がバーラーのことで悩んでるって言うから。ボクだって一度動かしたんだし、なにか協力できるかもしれないと思って」
「ああ、うん……ありがとう」
 ほしいものはたったひとつ、強さがほしい。この少女を守れる、心の強さが。
 目を閉じて、祈りにも似た気持ちで、彼は思った。





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