墓守
 それはまるで巨人の腹の中にでも入るような感覚だった。空気の流れの悪い地下階段を延々と降り続け、脚がくたびれ果て、目が暗闇に慣れるころ、異様な扉が姿を現す。うすぼんやりとした機械のあかりが扉を照らしていた。この前に立つと、敬虔な気持ちよりもまず畏怖が胸に沸き起こる。エドバルトはファティマ王朝の正当な後継者であり、アヴェ王国の国王であり、この先に踏みこむ権利を有している。だというのに、禁域を犯すような空気にいつも呑まれた。
 一思いに扉を開くことが出来ず、エドバルトは鋼鉄の扉の前にしばらく佇んでいた。と、階上から彼を追って来たのか、長い長い階段を下って来る足音が聞こえた。彼の義弟が後を追って来たのかもしれない。この墳墓を訪ねると言ったエドバルトに、義弟はやや物思わしげな顔をしていたからだ。それを前に、あえて一人でいい、と言ったのは、先祖たちの前に立って思案したかったからだ。
 ここで考えてなにかが変わるとは思えない。だが、彼は五百年の間ファティマ朝を支えて来た人びとに対して懺悔をしなくてはならないだろう。王国は存亡の危機にあり、エドバルトは我が身の危険すら感じるまで追い詰められていた。刺客も毒盃も、もはや日常だった。
 ファティマ王朝は長い歴史を持ち、当然だが、建国以来幾多の艱難を切り抜けて来た。並みの王国であればすでに地上から消えていたかもしれない。その先人たちの知恵を借りたいと願うことは誤ってはいるまい。
 やがて、階段を下って来た男の姿が見えた。軽装の若い男のようだから、ニサンの大司教の地位にある義弟であるはずがない。角灯を手にして彼もエドバルトを確かめたようだった。
「エドバルト陛下」
「……君は」
「フランシス司教よりお話を伺いました。いかな聖地と言えど、お一人ではあぶのうございます。お許しいただけるのなら、私がお供をさせていただきますが。この墳墓のことであれば、他の者よりも多少は詳しいつもりです」
 その言葉で、エドバルトは彼がどういう者か合点した。アヴェ・ファティマ家とニサン・ファティマ家の墳墓であるこの鋼鉄の空間には墓守がいるのだ。もちろん教母がこの場所の管理を掌っているが、ニサン・ファティマ家の家中の者が、つねづねここを管理するための墓守の任につくこととなっている。
 その墓守の男をエドバルトは知らなかった。長身の青年だが、一族の中で、その年頃の青年に心当たりがない。「ファティマの碧玉」を保有していなければ墓守にはなれないのだから、ニサン・ファティマ家の傍流のいずれかなのだろうが。
 供はわずらわしいかもしれないと考えたが、灯りに照らされた墓守の顔を見て気を変えた。宝玉の色と同じ、彼の「ファティマの碧玉」は嫡流もかくやというほど深い美しい色合いをしていたからだ。網膜パターンを認識する墳墓のシステムにおいて、必ずしも碧い虹彩は必要ではないのだが、彼がこんなに若いながらも墓守に選ばれたのは、その目の色が美しかったからに違いない。
「……そうか、では供を頼む」
「はい」
 墓守はそう言うとわずかに微笑んで、エドバルトの傍をすり抜け、墳墓への道を開いた。
 内部は広大な空間が遙か頭上まで広がっている。この巨大な建造物の壁面を埋め尽くしている機械類は、かつて開祖たちが利用したものなのか、それともそれよりもはるか以前から存在しているものなのか、なにもかもが不明だ。歴代の王もこれにはあまり興味を示さない人間が多く、わかっていることは少ない。
 好奇心がないわけではなかったが、回廊に奥まで並ぶ先祖たちの棺の前ではつい抑えてしまう。人というのはそういうものだろう。初代国王ファティマ一世の考えることであるから、ここに棺が並んでいることが、ただそうなっただけとは思えない。むしろ生きている人間たちにとって不可侵の空間にするため、ここを敢えて墓所にしたのではないだろうか、とさえエドバルトは思った。
 そうかんぐりたくなるほど、ファティマ一世の存在は奇妙だ。この墳墓の奥にある「秘宝」のこともそうだ。若き日に、いまはニサンの教母となっている妹とともにその秘宝を見に行ったことがある。赤い巨躯の鋼鉄機人はこの建造物の奥津城で眠りについているが、それに触れたいとは思わなかった。国の危機にはこれを再び目覚めさせよと言葉が残されているが、これを目覚めさせる危機がどんなものなのか、考えたくもなかった。
 だが、いまこそその日なのかもしれない。
 侫臣たちは王宮を専横せんとして、エドバルトの力は弱まる一方だった。どこから手に入れたのか得体の知れない軍事力を背景に、王位を脅かしかねない。しかし、外患ならともかく内憂をこのような機神で焼き払うのは王道の許すところではない。それに続くキスレブとの戦いにしても、巨大な兵器で打ち倒せば済むと思えるほど些事でもなかった。
 あれを担ぎ出すのならば、永劫に戦い続ける覚悟を決めなければならないだろう。その神器を駆ってすべてを倒すまで戦い続けなければ、担ぎ出す意味がない。災いの根元を断つまで焼き尽くす決意が出来ないのならば、現状での危うい均衡を保つ外交努力こそ肝要だとエドバルトは思っていた。
 父や母の棺の前に立ってエドバルトはニサンの十字を切り、いまや土台が砂と化したアヴェ王国を憂えた。墓守は静かにエドバルトの背後に控えていたので気にはならない。
 顔を上げたエドバルトは、真っ暗な回廊の奥に続いている棺の列を見凝めた。それは奥へ行けば奥に行くほど古い時代のものとなる。ふと彼は、その一番古い棺を見てみたくなった。いままで確かめたことはないが、アヴェ・ファティマ家の王の連なるいやさきにはファティマ一世の棺が置かれているはずで、ニサン・ファティマ家の教母の連なるいやさきには……聖女ソフィアではなく二代教母イゾルデの棺があるはずだった。ファティマ一世の姪に当たるという。
 エドバルトは墓守を振り返り、奥のことを尋ねた。
「一番奥には、当然、ファティマ一世の棺があるのだろうな?」
 墓守は碧い目を細めて、頷いた。
「はい」
「君は見たことがあるのか」
「はい、あります。足を運ばれますか」
「ああ、見てみよう」
 そうして二人は、長い棺の列を横目に見ながら奥へ奥へと歩いていった。墳墓手前を照らしていた機械灯もそのあたりにはなく、頼りになるのは墓守の持つ角灯の原始的な光だけだ。炎がちらちらとゆれながら、二人の足元を照らす。
 しばらく進むと棺は石ではなくて鋼鉄で出来たものに変わった。といっても、それはいくつかだけだった。鋼鉄の棺が見えたと思ったら、大きな棺の前に立っていた。
「ファティマ一世は疫病でまだ若くして亡くなったといわれています」
 墓守はそう言った。
「これがファティマ一世の亡骸を納めた棺なのか」
「はい。……もっとも、開けた者は五百年の間に一人としていないでしょうがね」
 冗談交じりで墓守は言った。その口調の軽々しさに、いましも彼が「この棺を開けてみましょうか」と言い出すのではないかとエドバルトはひやひやした。だが、さすがにそんなことは彼も言わなかった。
 ファティマ一世の棺から右を見ると、まだいくつかの棺が続いていた。開祖よりも以前に亡くなった者の棺なのだろうが、その頃はファティマ一世もこのあたりは掌握していないはずだから奇妙に思える。エドバルトが沈黙しているのに墓守は気がついたらしく、説明を始めた。
「このいくつかの棺は、ファティマ一世の子どもたちのものではないかと言われています」
「子ども? アヴェの建国誌には確か……二代アリフィ一世だけが子どもだったと書かれていたはずだ」
「さすがは陛下、自らの先祖のことは確かに憶えていらっしゃるのですね。ですが、それはファティマ一世が即位したあとのことを指して言っているのでしょう。ファティマ一世が即位したときには、確かにアリフィ一世以外の子どもはいなかった。……ですが、アリフィ一世には他にも兄弟がいたのです」
 エドバルトは、ファティマ一世の棺の左を見た。それは、アリフィ一世のものであるはずだった。
「戦乱に巻きこまれて命を落としたのかもしれませんが、そうだとすれば、どうしてここに葬られたのでしょう。即位前だとしたらなおのこと、この地はファティマのものではありません。ですがなにか故あって、たとえばニサンの中枢にいる者が協力してここに棺を納めることならば出来たはずです」
「故あって?」
「そう、その子らの死を隠匿しなければいけないなにか理由があった……そう思えませんか」
 墓守は碧い目でじっとエドバルトを見て来たが、彼にはよくわからなかった。
「君は……なにを言いたいんだ」
「これは失礼しました、エドバルト陛下。ご不興を憶えたのでしたらこれで口をつぐみましょう。ただ、長いことこの地底の墓守をしていると益体もないことを考えてしまうのですよ。お許しください」
 その言葉は青年の若さらしくないものだったが、エドバルトはかすかに肯んじただけで、道を引き返し始めた。墓守ももう先ほどのような軽口を叩かない。時をさかのぼる道を歩いて、やがて、現在へと戻った。
 墓守は角灯の火を吹き消すと、口を開いた。
「私はここで失礼します」
「ああ」
 エドバルトは踵を返しかけて足を止めた。エドバルトのもの問いたげな視線に墓守は眉を上げる。
「なんでしょう」
「君は考えているのか、子どもたちの死を隠さなければならない理由というのを?」
「ああ、ファティマ一世ですか」
 墓守の頬が、薄暗がりの中でゆがんだように見えた。まさか笑ったのではあるまい。
「私が思うに、その子どもたちはファティマ一世の手によって殺されたのではないでしょうか? いえ、殺されたのが彼の子どもだけとは限らないと思いますが。どうしてというなら、私は自分の目を鏡に映すたびに感じるのです。この場所への入り口と、あの秘宝への入り口を護るシステムは、私にも陛下にもある共通の網膜パターンを読ませるものです。それを受け継ぐものは、当然ですが少なければ少ないほどいい。ファティマ家がいずれも一夫一妻制を取り、公には妾も許されていないのはそのせいではないのでしょうか。これは伝えていかなければならないとともに、広めてはいけない遺伝子なのです。そのために……彼はたとえ自分の血を継ぐものだろうと、生かしておけなかったのではないかと」
 エドバルトは思わず鳥肌の立った腕を自分で押さえた。墓守は知るはずもないが、行方知れずとなった彼の非嫡出の息子のことを思い出したからだ。それは「ファティマの秘宝」が広まろうとすることへの先祖たちの返答だとでもいうのか。
 墓守は、今度こそはっきりとしたしぐさで笑った。
「もっとも、五百年も昔の出来事を、ただの墓守が思い巡らしたところでなんの役にも立たないですが。それにあの棺がそういうものだったとわかったところで、だれもが遙か昔に命を落としてしまっているのです。その頃を知る者などどこにもいないのです。先ほども申しましたが、益体のないことです。笑ってお許しください、エドバルト陛下」
 エドバルトはこの墓守になにか言ってやらねばと思ったが、なかなか言葉が見つからない。だが胸につかえていたものが取れたように、気がつけば口を開いていた。
「五百年前にあったという災いの日に、人間はほとんど死んでしまったと言われている。……だとしたら、その子らの死をどうしてファティマ一世のせいに出来るのか?」
「そうですね、ごもっともです」
 しかしエドバルトの言葉が墓守に届いたとは思えなかった。
「真実を知っているのはあの大きな棺に眠るファティマ一世だけでしょう。いずれ開いて尋ねてみてもいいかもしれません。それで、あなたはこの国を築いてなにをしたかったのかと!」
 そう言って墓守は悪戯っけのある顔でもう一度笑った。
「案外、あの棺は空っぽかもしれません」





[ back ]
ありとあらゆる意味でいやーなかんじ(笑) たぶんこれを置く場所は拡大解釈してEP5にしたほうがいいのかもしれないんだけど、ロニの話しかしてないからEP4でいいよね…… 当初はエドバルトがひっそりとシグルドを連れてくる話のつもりだったんですが、こんな穢れきった話をいたいけな13歳くらいのシグに聞かせるなんて耐えられない! と思ってやめました。
こんな人間でもかっこいいと思っている私は末期だ……ていうか歪んでいるのか……(080217)
(C)2008 シドウユヤ http://xxc.main.jp/xeno/