風は陽の沈む場所へ
 シェバト王室騎士アムフォルト・インヴォークの葬儀は静寂の中に、執り行われようとしていた。シェバトの会堂の中央にしつらえられた白い棺には彼の名前が刻まれた金板がはめられて彼の名を栄光の中に輝かせていた。
 居並ぶ人たちは沈痛な面持ちでその棺を見つめている。常の葬儀ならば死者の顔の部分だけはひらかれて別離の挨拶ができるようになっているのだが、アムフォルトの棺はその内の空虚に耐え切れぬように固く口を閉ざしていた。
 敵機とともに海に堕ちたアムフォルトの遺体は見つからずじまいだった。彼が沈んだすぐあとに海中で起こった爆発は、おそらく彼か相手の機が爆発したもので……アムフォルトの体はもはや形をとどめていないだろう。
 葬儀の刻限の少し前になって、会堂にはまたも参列者が入ってきた。二人の青年だ。ファティマ商会のロニ・ファティマとニサン僧兵隊長のカレルレンだった。
 カレルレンは僧兵の制服に喪を表す白いニサン織のサッシュを締めていた。ニサン聖教で彼の立場として正式な喪服だ。
 隣に立つロニ・ファティマはいくらか人々の目を引いた。……豪奢な白の喪服はシェバト様式のもので、日に灼けた彼にはあまり似合っていなかった。実質はどうあれ彼の艦船はシェバト籍になっているので、その衣装はふさわしくないわけではない。だが、いつもは地上のやり方で押し切る彼がシェバト風の喪服を着ていることは人々に違和感を与えた。
 列に並んだ二人は、やはり人々と同様に沈黙して葬儀を待った。
 やがて鐘が鳴って、王族と王室騎士団長ら、そしてアムフォルトの遺族たちが入ってきた。
「我らの祖国、我らの大地のために命を捧げた騎士アムフォルト・インヴォークの魂に永遠の安らぎを。自由を得るため、我らの宿敵ソラリスとの戦いに殉じたすべての魂に安らぎを。ここにシェバト国王の名において騎士アムフォルト・インヴォークの葬儀を執り行う」
 国王が宣言すると、人々の悲しみが見守る中で儀式は始まる。読み上げられる経典の文言は死者に聞かせるためのものだが、いくら語りかけても、そこにいない死者まで届かないだろう。
 悲しみ以外のすべてが不在の葬儀だった。
 経文の終わりに人々はそろって頭をたらし、ニサン十字を切る。カレルレンが「陽の落つる場所に、」とつぶやいた。ニサンの教会墓地の門に掲げられている言葉だった。
 儀式が終わって人々が去っていったあと、会堂に居残ったロニたちに近づいたのはアムフォルトの妻だった。まだ若かった騎士よりは年上だと聞いていたが、それでも彼女は若く、その顔は疲労していた。むこうでは、父親がいなくなった意味を理解できない幼い少女が、アムフォルトの母に抱かれ、長い儀式に疲れて眠っていた。
「ロニ卿」
「どうしましたか」
「お越しくださってありがとうございました。わざわざこのために地上よりいらしたのでしょう?」
「……アムフォルトは我々にとってかけがえのない戦友でした。心からお悔やみを」
 そう言うと、彼女は悲しげに笑った。
「お渡ししたいものがあるんです。
 主人が以前、聖地ニサンに巡礼した折、教母さまより拝領した短剣です。実際は使えるものではありませんが、大きな戦の時にはこれを携えておりました」
「ここにある、ということは、……今回はこれを持っていかなかったのですね」
「いいえ。負傷した部下に持たせていたのです。神の加護があるようにと。その方とこの短剣はシェバトに戻ってまいりました」
「そうですか。……
 では、いただきましょう。我々にはまだ、この短剣の加護が必要でしょうから」
 ロニは短剣を未亡人から受け取り、強くにぎった。





 会堂を出て、ロニとカレルは夕陽の見える場所はどこかと尋ねて、そこへとむかった。既に時刻は夕方で、陽が沈みきる前にたどりつくため、二人は無言で足を急がせた。
 没しかけた太陽を見下ろすのには間に合った。……地上の日没とは違うその姿に息を呑む。沈みつつあるとはいえ太陽を見下ろすという傲慢な行為。それでも、太陽は赤く色づいて空気を染める。夕闇の冷たい風が吹きぬけて、太陽へとむかっていった。
 足を踏み外したら真っ暗な大地まで墜落していくシェバトの街の構築は不安定だ。風に魂だけをさらわれていくような錯覚を感じた。
「どう思う、これがあればアムフォルトは死ななかったと思うかい?」
「……その答えを、おまえは知っているはずだ」
 短剣をかざしつつロニが発した問いに、カレルはそう応えた。冷たいように聞こえるかもしれなかったが、どう言ったとしても死者の慰みになるはずがない。彼は短剣を、怪我を負った部下に渡してしまったのだし、そのせいかどうかはともかくもう死んでしまって、魂は太陽の落ちる場所にあるのだった。
 ニサン聖教では死者の魂は、夕方の風とともに陽の落ちる場所へ吹き流されると言われている。それで、墓地には「陽の落つる場所に」と書かれているのだった。陽の落ちる場所に聚まった魂はいつか、太陽とともに冥界を超えてこの地上へと帰ってくるのだ。
「そうだよな。僕たちは明日も戦うのだろう。そして、いくつもの魂が陽の落ちる場所へと流されてゆくんだろう。それは僕かもしれないし君かもしれない。そんなことはわかっている……」
 落日に、白いシェバトの王城は赤く染まって輝いている。薔薇色の街は、地上の人間からすると現実味のないおもちゃの街のようだった。
「なぜ……死にゆくものは美しいと、思うのだろうね……」
「ロニ、」
 カレルははじめてロニが泣く姿を見た。それはアムフォルトへの追悼だけなのではなかった。赤い落日の光が眼を射たのだ。
 アムフォルトはシェバトの騎士だったがその高潔な志は本当だった。シェバトのためではなく命のために戦うことのできる男であり、数少ない信頼できる男だった。
 いつも、戦う者が死ぬときには思うのだ。それとも死ぬために戦いに行くときになのかもしれない、思うのだ。落ちるときに赤く輝く太陽を美しいと思うのと同様に、宵闇の風にさらわれていく魂は美しいと。
 陽の沈むところに聚まった魂は、いつか生まれ変わってくるだろう。そして、生まれ変わってもアムフォルトの魂は戦うだろうか? 自由のために、大地のために、そしてまた太陽の落ちる場所へとむけて美しく輝くために。
 ロニは手に握った短剣を、太陽へと放り投げた。短剣は既に夜を迎えている地上の闇の中へと、夕陽を浴びてきらめきながら堕ちていく。
「これは君に返そう、アムフォルト。君にはまだこの守りが必要だ。君の次の戦いのために」
 言葉は風に乗って太陽の沈む場所まで流れていった。地上の最後の太陽の光は、ニサンの十字の形にまばゆい光をあげて消えていったように見えた。
 カレルはロニの肩を叩く。二人はそして、夕陽に背をむけてゆっくりと歩き出した。





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