***1st***
おとうさんは昔、こんな話をしてくれました。
「あるところに、大好きな小鳥と二人で暮らしている男がいました。二人が住んでいたのはとてもきれいな森の中だったので、食べ物はたくさんあり、男は働く必要がありませんでした。だから、小鳥と歌ったり、笑ったりしながら静かに楽しく暮らしいました」
おとうさんは、ここで「鳥の名前はマリアというのだよ」と教えてくれました。わたしと、同じ名前です。
「マリアは何色の鳥なの?」
「金色のきれいでかわいい、特別な小鳥だったんだよ」
おとうさんはそういって、微笑みました。
「ところがある日、悪い人たちが森にやってきました。そして、男を捕まえてしまったのです。悪い人たちは男を街に連れてゆき、そこで働かせました。男は逃げようとしましたが、マリアを人質にとられてしまったので、仕方なく働きつづけました。マリアは籠に入れられて、男からひき離されたままでした」
そこでおとうさんは黙ってしまい……わたしは、おとうさんの目をのぞきこんでたずねました。
「それで、どうなるの、その人は? マリアはどうなるの?」
「……もう時間だ、マリア。また来週会おう。……続きはそのときに話してあげるよ」
その物語の意味を、そのときわたしは理解していませんでした。わたしがほんとうに籠の中の小鳥だったなんて、そのころのわたしは知りませんでした。
おとうさんは、わたしの部屋から出て行きました。扉の外には、いつも怖い顔をした男の人がふたり待っていて、おとうさんと一緒に歩き出すのです。
わたしはおとうさんに手を振りました。
「おとうさん、また来てね。マリアはいい子で待ってるわ」
******interjektion******
「あのたとえ話は、なんのつもりだ?」
「……なにも。ただのお話です」
「次の続きにはこう話してやるんだな。そして小鳥の羽をむしろうとする悪い人がいる……とな」
***2nd***
おとうさんは『そいれんと』というところで働いているのだそうです。とても忙しいから、わたしとは一週間に一度しか会えません。とてもさみしかったけれど、おとうさんはいつも疲れた顔をしているからそんなことは言えませんでした。
おとうさんが来ないとき、わたしはいつもひとりで本を読んだり、勉強したり、遊んだり、普通に過ごしていたと思います。
ただ、わたしはいつもひとりでした。食べるのも眠るのもひとり。食事はこわい顔の男の人が持ってくるのですが、食べるのはひとりでした。
あるいは、わたしの教材は普通の子供たちのものとは違ったようです。わたしは自分がいつから、ギアや工学のことを学びはじめていたのか憶えていません。ただずっと昔から知っていることでした。
わたしは、ただの人質としてそこいたのではないのでしょう。たぶんいずれはおとうさんと一緒にギア作りに携わらせようと思っていたのかもしれません。そしてその頃には、わたしはソラリスへの忠誠心を植えつけられ、おとうさんは到底、逃げだそうなんて思わなくなる……そういう段取りになっていたのかもしれません。
でもわたしは幸運なことに、そういう運命にはなかったのです。
その日もわたしはひとりで、デスクにむかって勉強をしていました。
すると、いつもおやつが持ってこられる時間に、おやつを持っていない男が現れたのです。
わたしは男がおやつを持っていないことにまずはがっかりし、それから、そういえばこの人は変だ、と思いました。いつもの男たちとはなにかが違ったのです。同じようなこわい顔をしていましたが、なにかが違ったのです。
男はわたしを見ると、すぐにこう言いました。
「マリア・バルタザールか?」
わたしは男の言っている意味がわからず、首をかしげました。
「いや……いい。さあ行こう! ニコラのことなら心配するな。すぐに他の同志が助ける手筈になっている。おいで。さあ、君の家に帰るんだ!」
男はわたしに手をさしのべました。
でもわたしはよくわからず、こう尋ねました。
「あなた、だれ? おとうさんを知っているの?」
「……説明している暇はないんだ」
「どうして、ここでは時間なんてたくさんあるのに。おとうさんに会える時間まで、マリアはとても退屈なの」
「来るんだ、マリア。……きみのおかあさんのように、黙って死なせるわけには……!」
男はそこまで言いかけて、急に崩れました。どたどたと足音が聞こえ、わたしの部屋に何人もの男が入ってきます。彼らははじめの男を連れていきました。
さいごの一人がわたしをふりかえり、珍しく笑顔を見せて言いました。
「いい子だね、マリア。知らない人にはついていっちゃいけないよ。いい子だったからマリア、おやつをたくさん持って来てあげよう」
その日はいつもよりたくさんおかしをもらえたので、とても楽しい日だったと幼いわたしの記憶に残りました。
******interjektion******
「なぜ私に聞かない?」
「尋問にかけてほしいのか? 必要ない。おまえがなにを知っているかということなら我々は把握しているし、おまえがなにを漏らしたかも知っているよ。それにしても、懲りないな、ニコラ。次は、おまえのマリアだぞ」
「……わたしからすべてを奪うのか」
「ああ、だがおまえにはその頭脳が残ってる。大地を、血を、愛をすべてを喪っても、おまえにはその頭脳がある。我々はほしいのはそれだけなんだよ。だからマリアだけは残しておいてあげよう、今のところはね」
***3rd***
それでも、あの日のことは私の中で不思議なこととして気にかかっていました。それで、次のおとうさんと会える日、わたしはおとうさんに聞いてみました。
「おかあさんて、なに? このあいだ、おとうさんの名前を知っている人がおかあさん、って言ったの。おとうさんっていうのとすごく似てるね」
「……マリア」
おとうさんはわたしの肩を急につかみました。それにとても力が入っていたので痛くて、痛くて、わたしは泣き出しました。
「痛い、痛いわおとうさん」
「マリア……ごめんよ、マリア……!」
おとうさんがわたしに謝ったわけを、今のわたしはわかります。でもあのときのわたしにはわからなかった。子供だったから、わたしはおとうさんをとても苦しめた。わたしがそのことを理解するのはそのすぐ後で、そしてわたしはその時こそ、おとうさんにむかって、もう会えないおとうさんにむかって何度もごめんなさいを言いました。
おとうさんごめんなさい、マリアはなにも知らなかった。おとうさんマリアは、なにもわからなかったのよ。
******interjektion******
「ニコラ、馬鹿なことは考えるなよ」
「……」
「ニコラ?」
***4th***
それからしばらくして、わたしにとって世界が変わる日がやってきました。わたしは今でもその日のことをよく考えます。そうやって世界が変わっていなかったら、わたしはどうなっていたのだろうかと。おかあさんのように死んだのかしら? それとも、おとうさんのように狂ったのかしら? ともかくわたしの世界は変わり、わたしは死ななかったし狂いもしませんでした。……
二番目に、わたしのところに潜入した反ソラリスのメンバーは、ひとりの女性でした。それだから、一度目の潜入が失敗に終わって警備が厳しくなったにもかかわらず、わたしを救出することに成功したのかもしれません。
彼女は、一度目の男の失敗を犯すことはありませんでした。つまり、有無を言わさずわたしを連れ出したのです。
「マリア、黙っていてね」
彼女がわたしに告げたのは、それだけでした。他にはなにも、弁解の言葉すら、おとうさんを気遣う言葉すら彼女は言いませんでした。
そしてわたしといえば、まったく黙って彼女に運び出されました。そのころのわたしは、黙っていろといわれればずっと口を噤んでいるようにしつけられていたのです。わたしは彼らのお人形でしたから、だから言われたことはなんでもできました。
たどりついた先には、おとうさんがいました。けれど、おとうさんと会う日でもないのに会えたことに、わたしは戸惑っていました。それに、おとうさんもとても怖い顔をしているから、わたしには近寄ることもできませんでした。
おとうさんは、マリアの部屋にくるときだけ、「おとうさん」なのです。マリアの部屋にこないおとうさんは、「おとうさん」ではありませんでした。
だから、そのときのおとうさんは、わたしのおとうさんではありませんでした。
わたしは、大きなギアに溶接されたパーツに乗せられました。そのせまさにわたしはほっとしたのを憶えています。
次の瞬間、ギアは(それはわたしがいま操るあのゼプツェンですが)大空へと放り出されていました。なにが起こっているのか、わたしにわかるはずもありませんでした。ゼプツェンはプログラムされた動きで、シェバトへと飛んでいったのですが、わたしにはなにもわからなかったのです。
******interjektion******
「なぜ逃げなかった? おまえも逃げられたはずだ」
「なぜ、あなたが私にそれを聞くのか? あなたも同じ技術者だ。わかるはずだ、私がここに残った理由を、……これが悪魔の産物だとしても、たとえ地獄に落ちるとしても、私はこれを完成させたいんだ!」
「ならばなぜ、資料を娘に託したんだ?」
「……良心さ……私には権力志向はないんだよ、完成すればそれでいい。ははは、それで世界をどうこうしようなんて思わない。父は、確かにこのハイパーギアのアンチテクノロジーを見つけ出すだろう」
***5th***
シェバトとソラリスとで、違ったことは、わたしにすればおとうさんと会う時間がないこと、それだけでした。閉じこめられているわけではなかったにせよ、わたしには部屋の外に出て行くという思いつきすらありませんでした。シェバトでも、わたしはギアのことを学び、運ばれてくるごはんとおやつを食べてすごしていました。
シェバトは、子供の少ない国です。だからこそ、わたしをどう扱うか、だれもが戸惑ったのかもしれません。
わたしはお人形のようで、普通の子供たちとはあまりにも違ったのです。
それを見かねたのは、わたしのおじいさまではなく、ゼファー女王でした。女王陛下にはどれほどの感謝を述べても足りないくらいです。いまはただ、陛下が手をさしのべてくださったおかげですこしずつ、ギアのことじゃない、世界のことを知ることができた、と言うにとどめておきましょう。
だんだんと知っていくにつれ、わたしは憎しみと悲しみでいっぱいになりました。
おとうさんが人質を取られて働かされていたこと、おかあさんが殺されたこと、多くの犠牲を払ってシェバトがわたしを救い出したこと、そしておとうさんがわたしに託したハイパーギアの秘密。
おじいさまがわたしになにもしてくれなかったのは、けっしてわたしを遠ざけていたのではなく、わたしがゼプツェンとともにシェバトにもたらした機密を解析するためでした。おじいさまはそのために必死で、わたしのことまで手が回らなかったのです。わたしは、それがどんなに大事だったかをやがて理解するようになります。
そしてその頃、私はおじいさまに言いました。
「マリアをあのギアに乗せてください」
「それは危険すぎる、」
「わたしを助けるためにたくさんの人が命を捨ててくれました。……わたしはおとうさんを助けたい……! ゼプツェンのことを一番よく知っているのはわたしだもの。わたしが乗るのが一番はずよ!」
説得には時間がかかりました。けれど、やがては陛下もおじいさまも、認めてくださって、そしてこうして今、わたしはゼプツェンに乗っているのです。
いつか、おとうさんをわたしの手であの国から救い出すために。それまでわたしの中にある悲しみも憎しみも、癒されることはないのです。
******interjektion******
「なぜ研究を続けない?」
「夢を、見て。……娘がやめてと言う夢を。マリアに会わせてくれ……!」
「今更だな。まあ、いい。もうおまえの役割は充分だ。
そんなにマリアに会いたいなら、会いに行かせてやろう」
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護民官大活躍……。この頃は白カレルがブームだったんだよね。護民官暗殺計画とかを書いていたのもこの頃です。「罪深き〜」でマリアはゼファーに心を開いていないんですが、あの時点ではまだ、父親から引き離された、というショックのほうが大きいのでした。この話ももう、いろいろと嘘っぱちですね!
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