碧の欠乏
 ユグドラシルからニサンに連絡が入ったのは、半日ほど前だった。
 ――スレイブジェネレータが暴走、バルトロメイ殿下以下、負傷者多数名、本艦ニサンに近く、緊急に寄港す。
 マルーはドックで艦を待っていた。碧い瞳で虚空を見つめ続けても、バルトの容体がわかるわけではないのに目を見開いて彼女は待っていた。
 置いていかれたことがこんなに嫌だったことはない。
 いつも大事なときに、傍にいられない気がする……バルトが助けを求めているときに、いつもはなればなれのような気がする。
 ――どうしてボクは、艦に乗って行けないんだろう。……
 いつになったら子供扱いを止めてくれるのとか、若なんかもっと小さいときから乗ってたじゃないかとか、想いはまとまらずに胸にのしかかってくる。
 地上では長老たちが、また話し合っているようだった。
 通信からは肝心のバルトがどれだけの傷をおったのかわからなかった。ニサンの不安を煽っているのは、連絡を寄越したのがシグルド・ハーコートではないということだった。本来ならばユグドラシルの副長である彼がニサンに通信するはずなのに、まったく違うクルーからの連絡だったのだ。長老達も話しこむはずだ。
 みんなの話は聞きたくない。大人は悪いことばかり考えるから好きじゃなかった。心配してるからだなんて言うけど、ときおりマルーは悪意をも感じてしまう。
 ――それって、ボクが子供だから?
 やがて、ドックに人々が集まってきた。アグネスがマルーに近寄り、こう耳打ちした。
「今しばしでニサンの方にはいると、連絡がございましたわ。今度はシグルド卿がお出になられました」
「……若は?」
「命に関わるお怪我ではないと」
「怪我は、したんだ」
「はい。詳しくはおっしゃいませんでしたが、それにシグルド卿もお怪我を……」
 眉根を寄せてドックの入り口を見つめる少女を、アグネスはしっかりと抱きしめる。
 排砂口が作動する音が聞こえた。――ユグドラシルはゆっくりと入港してきた。衆人環視の中、ハッチが開いて一番に出てきたのはシグルドだった。右目を覆うように白い包帯を巻いている。
「重傷者から先に運びます」
 それからは、戦場のようなけたたましさがドックを満たした。アグネスの手に力が入っているのがわかる。
 これだけ、危ないことを彼らはしている。
 なんのためかなんて偽善者みたいなことは尋きたくなかった。ただ、後ろで危険から遠ざかっているのがいやなだけだ。
 マルーはアグネスの手を引くようにしてシグルドに近寄った。
「――マルー様」
「シグ、大丈夫?」
「……はい。わざわざありがとうございます。それに申し訳ございません。私がいながら、若をお守りすることができませんでした」
「若の怪我はどのくらいなの」
 シグルドは言いよどんだ。しかしマルーに凝ッと見つめられて観念したように彼は告げた。
「今は薬で眠っておられます。……右目を負傷されまして、おそらく失明ということに。……」
「では」マルーよりも息を呑んで、アグネスが尋ねる。「『ファティマの碧玉』、バルトロメイ殿下だけでは作動できないと……!」
「そうです。あれには双眸が必要なはずですから。……緊急の折に、マルー様のお手を借りなければならぬかもしれません。マルー様、そのことをお心に留め置いていただけますか」
「うん、大丈夫」
「ありがとうございます」
 担架に乗せられたバルトの姿が見えたのはそのときだった。痛々しい白い包帯だらけの少年は、ぐったりと眠りに就いている。
「若!」
 そばに駆け寄ろうとしたマルーを、シグルドは引きとめた。
「マルー様、さっきも申し上げましたが若は薬で眠っておられます。目が覚めましたらお呼びしますから、お部屋にお戻りください」
「うん。……」
 バルトはニサン・ファティマ家の屋敷に運びこまれた。昔バルトが泊まったときに使っていた部屋がまた提供されたようだった。
 結局、マルーが従兄に会えたのはそれから一週間もあとだった。バルトはまだ、病床から出ることを許されていなかった。シグルドに背中を押されて部屋の前にむかう。
 戸を叩くと、「入れよ」という声が聞こえた。
 彼女は不安げにふりかえってシグルドを探したが、もう彼は下がってしまった後だった。
 扉を開けて、部屋に入る。夕日が床に影を刻んでいた。
「若……?」
「ああ、マルーだったのか」
「具合はどう?」
「へーきだよ。走ったりするとまだ痛ぇから、寝てろって言われてるけどさ」
 薄暗い部屋で、身を起こしたバルトはにかりとマルーに笑みをむけた。彼女がおずおずと進んで彼を見ると、もう包帯は外されている。
「心配かけたな」
「ううん」
「もうナシにするよ、こんなの。シグだって俺が飛びこまなきゃあんなことにならなかったんだし。爺にもすげぇ怒られた。なんでも自分がやればいいってものじゃないって……さ。そうかもな」
 近寄って椅子に腰かける。そこではじめて、バルトが左目に眼帯をかけていることに気づいた。黒くて顔の半分を覆ってしまうようなものだ。
 ――そういえば、シグも同じのをしてた。……
「……海賊みたいだね」
「へへ。……罰があったのかもしれねぇな。こんなことするなら片輪になっちまえって、おまえなんか碧玉を受け継ぐのには相応しくねぇって、オヤジが思ったのかもしれない。……でも、止めるわけにはいかねぇんだ」
「うん」
 マルーはうなずいてそのままうつむいた。バルトに笑いかけることが出来ず、顔が歪んでしまうのがわかったから。
 ――どうしてボクはいつも無事なんだろう。どうしていつも、なにかを失うのは若なんだろう。
 シグルドが思っているように、マルーも彼の苦難のかわりになりたいと、その重荷を背負ってあげたいと願い続けているのに、どうしていつもなにかを失うのはバルトなのだろう?
「――若、ボクに言い訳なんかしなくていいよ。ボクは、なにがあったって若についてくんだから」
 本当は笑って言いたかった。でも目にうつる変わり果てた姿が苦しかった。
「……泣くなよ」
「泣いてなんかないよ」
 マルーは顔を上げた。ひとつだけ残されたバルトの碧の虹彩が目に入る。鮮やかで強烈な碧だ。バルトがバルトであるからこその輝き。
「ついて来てくれるんだろ。マルー」
「うん。……行くよ」
 ――今はこのひとつが残されたことを神様に感謝しよう。
 マルーはそう思った。
 窓から夕日がさしこんでいる。窓枠の影が、ニサン正教のしるしを床に落していた。





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