一夜の夢
 ブレイダブリクの郊外、街からサンドバギーに揺られて二十分足らずの砂漠の真ん中に、巨大な天幕が張られていた。華やかな灯りが揺らめき、これが真昼なら蜃気楼かと疑うだろう。どこから来たのか大勢の人間たちが、その周りでさざめいている。衣装もきらびやかな男や女たち。金銀宝石のきらめきが、いくつも燃やされるたいまつの灯りに輝いている。さながら地上の星霜だ。しかも、人々の顔はたいがいが羽根や宝石で彩られた仮面で隠されている。天幕の奥になにがあるのかは杳として知れない。
 カレルレンはサンドバギーから降りる際、やはり仮面の運転手から青銅で出来た薄い仮面を手渡された。ともにつれてきたケンレンとテンポウにもそれぞれ別の仮面が渡される。運転手は得体の知れない笑みを浮かべ、どうぞお着けください、と言った。
「その仮面をつけたときから、あなたはあなたではなくなります。一夜の夢の街へようこそ!」
 カレルレンたちは仮面を着用しながら、不審げに天幕を見る。
「ロニ殿が僧兵隊の服を着てくるな、と言った意味はわかりますね」
 ケンレンが言うので、カレルレンは頷いた。
「こんな場所に我々がいることが知れたら、どんな騒ぎになるか知れたものじゃない」
 カレルレンは苦々しい口調でそう言って、肩を竦めた。
「おまえたちは帰ってもいいが――」
 振り返ると、ケンレンとテンポウは顔を見合わせて首を振った。
「いえ、お供します」
「ロニに挨拶が出来たらお暇することにしよう」
「はい」
 二人の部下に告げると、カレルレンは足を踏み出した。
 そもそもこんな猥雑な場所に来ることになったのはロニの招待からだった。先日、ニサンに訪れたロニは、カレルレンをここへ誘ったのだ。
「何年かに一度、催すことにしているんだ。世話になっている商売相手なんかを招いて、日ごろの憂さを忘れてもらおうと思ってね。せっかくだから君も招待したいと思って」
 たった一夜、砂漠の真ん中に現れる夢のような場所なんだ、と彼は言った。最高のもてなしを用意しておくからと言われたら、さすがに拒むわけにはいかなかった。
「それにしても」
 テンポウはいかつい体躯で居心地悪そうに人々の間を歩きながら、口を開く。
「さっきの運転手、普段ファティマにいる男か? 仮面つけていたにしても、少しも見覚えがねえ」
「さあな。……ファティマも組織は大きい。普段我々が接しているのは武闘派なのだろうし、会ったことのない面々がいてもおかしくはないが」
 仮面をしているせいかは知れないが、すれ違う人々の中に知った人間を見つけることは出来なかった。ロニ・ファティマが招待する人間たちは、商売相手も多いだろうが、カレルレンも招いているのだ、他の反ソラリス組織の人間たちが来ていてもおかしくない。だが、きらびやかな衣装と仮面、それにけむたく燻ぶる高木の香りで、くらむ。とてもではないが長居はできない、そう思ったカレルレンは、ともかく天幕の入り口を目指した。
 天幕の入り口には、黒い服の女が立っている。肌の黒い、砂漠の民だ。布地は何枚も重ねた華やかなもので、光をはねのけそこだけ漆黒の夜の色をしている。カレルレンが名乗ると、不可思議な笑みを浮かべた。
「ようこそ一夜の夢エスペジスモへいらっしゃいました。一夜限りの夢をどうぞお楽しみを!」
「……ロニに会いたい」
 カレルレンが言うと、女は笑みを深くする。
「主人はこの天幕のどちらかにおります。お呼びしておきましょう。それまではおくつろぎを」
 天幕の紗が上がると、濃厚なにおいが押し寄せてくる。中に入るのも気が進まなかったが、招待を受けたからには仕方あるまい。外よりも薄暗い内部は、さらにいくつもの小部屋に仕切られているようだった。音楽がかすかに流れているから、どこかで楽奏をしているのだろう。
 こちらへ、と別の女に案内され、奥まった部屋に通された。はたと振り返ると、ケンレンとテンポウがついてきていない。どうしたことかと険しい顔で案内した女を見ると、猫の仮面をつけたその女は口元をほころばせる。
「ここではひとりひとりに最も合うおもてなしをいたします。お連れさまとあなたでは合うおもてなしが違うだけのこと」
「ロニに挨拶をしたら帰るつもりだ――」
「そうおっしゃらずに。どうぞ、一夜の夢をお楽しみになって」
 カレルレンが戸惑ったままでいると、猫のように女は音もなく部屋を出て行く。獣の皮がしきつめられた部屋で、仕方ないと息をつき、カレルレンは腰を下ろした。もうここまできたのだ。ロニのもてなしにつきあってやるのもいいだろう。少なくとも今は僧兵隊長という立場ではここにいないのだから。生真面目な性格をしたケンレンとテンポウがどんなことになるかは気にかかったが、別に悪いことはないだろう。ロニの趣味だからいくらか猥雑になるだろうが、それも構わない。
 上等の酒が運ばれて来て、その琥珀色の美しさを愛でつつ、味わった。カレルレンは酒に強い。多少の酒では酔うことがなかった。僧兵隊は多少の例外はあったが飲酒を禁じているので、酔うほどの酒を飲むなど久しぶりだ。味と同様に酔いも絶妙のすばらしい酒で、カレルレンは次々と回ってくる楽士の歌に上機嫌で聞きほれた。見たこともない甘い果実、女の歌声。ありとあらゆる麗しいものがこぼれおちてくる。
 しばらくすると余興は出払ってしまい、酔った瞳で、カレルレンはひとりの長身の男が部屋に入ってくるのを見つめた。豹の皮を張った仮面をかぶり、やはり豹の皮で出来た外套を羽織っている。だれか、などと問うのも無用だった。顔を隠していても、仮面の奥に見える目の碧さで名乗っているようなものだ。
「一夜の夢を愉しんでいらっしゃいますか、お客様」
 豹のようにすり寄って、ロニはカレルレンの隣に滑りこんだ。甘い口づけを交わし、カレルレンは笑う。
「さあ、まだ終わっていないからな」
「お客様に最も合った一夜の夢を提供するのがエスペジスモですから。朝までたっぷりと夢をご覧ください」
 毛皮の上に横たわり、吐息を交し合う。
「一夜の夢にしては、相手がいつもとかわりがない」
「大胆なことを言うね。僕じゃお気に召さないかい? 妬けるけど、お客様のお望みとあらば、男でも女でもいかようにお好みのお相手をお探しいたしますが」
「試してみないことにはなんとも言えないな」
「……仰せのままに」
 ロニはそう言って、より一層深く口づける。仮面を取り外すと、精悍な膚色に浮かび上がる碧玉が、まっすぐにカレルレンを見つめていた。太陽に灼けた黄金の髪が乱れながら頬にかかっている。カレルレンはロニを見て、美しい生き物だ、と思った。ロニは笑いながらカレルレンの首筋にかみつく。
 極上の酩酊の中で、極上の愉悦に浸りきる。
 確かにこれは一夜の夢だ。



 明け方近くになり、カレルレンは部屋を出た。天幕の前側は既に部屋が取り払われており、人々が落ち着いた様子で歓談している。その中に、仏頂面のケンレンと、満足げなテンポウとを見つけて近寄った。どんなもてなしがあったかは聞かないほうがよいのだろう。
 ふたりを連れて天幕を出ると、既にいつも通りの格好をしたロニが立っていた。僧兵隊の面々を見ると笑って近寄ってきて、「一夜の夢は見れたかい?」と聞いてくる。
「まあな」
 背後でケンレンがいづらそうな態度を取り、カレルレンが思わずふりむくと、いつもは蒼白といっていい肌をいささか紅潮させている。カレルレンですら彼女の内心はさほど読めないというのに、ロニはそれでも最高のもてなしをした、ということだろうか。
 さすが商人、油断ならない。
 カレルレンはにやりと笑い、口を開いた。
「確かに最高のもてなしだな」
「だろう」
 ロニもにっこりと笑う。自意識過剰なところがこの男らしい。
 次の日の日中にあたりを通ると、既に天幕は跡形もなく、まさしくあれは一夜の夢だったようだ。その夜のことは、ケンレンやテンポウはもとより、ロニとも二度とは話さなかった。なにも後ろ暗く感じるているわけではない。ただ、その一夜かぎりの夢を、口にしてしまうとまぼろしのような幸福感が消えてしまうのではないかと思われたから、それだけだった。





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ラブラブロニカレが書きたくなってー……! こういうことしてくれるのはロニだからだよね、と。「エスペジスモ」はスペイン語で「蜃気楼」……たぶん、読み方は間違ってるんじゃないかなー(060605)

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