砂漠の熱い風が吹きつける。焼けつくようなその過酷さよりも、巻きこまれた砂つぶてが肌を叩くほうが耐え難い。風は風だ。けれど砂は、この砂漠でいつまでも慣れないもののひとつだった。
イライラとして歯を食いしばると、じゃり、と嫌な音がする。奇妙な「味」ともつかない感覚を口の中に見つけるたびに、こんなところは人の住むべき場所ではない、と切に思うのだった。
もちろん、カレルはその不機嫌を面に出すほど愚かではなかった。僧兵たちは、いずれも砂漠などに慣れてはいない。だれもが感じている砂漠という不毛の荒野への不快を、いまさら見せても、余計にうんざりとさせるだけだ。
――交渉がうまくいかなかっただけでも、みなの士気が下がっているというのに。…
僧兵隊は、ソフィアの待つ居留地へと戻っているところだった。その居留地より車で半日ほどのオアシスには、ソラリス施設からの略奪を生業とする野盗の一味が砦を作っており、彼らと手を結ぶためにカレルは派遣されていた。だが案の上、はじめての交渉は実を結ばなかった。
それは確かに見越されており、そのために砂漠のただなかにある居留地までソフィアを連れ出してあったのだが。
岩陰が見えてくると、居留地まではすぐだった。遠くからはただの砂山に見えるその岩だが、よく目を凝らせば、その麓に隠れるように石造りの建物が見える。かつて栄えていたらしい都市遺跡を、ロニ・ファティマの父が取り繕って、しばらくなら商隊が過ごせるようになっていた。
水や緑がいささかあるものの、ソフィアの居所としては最悪だ。
到着して施設を見たとき、カレルはいつものとおりに顔をしかめたが、ソフィアは感嘆の声を上げた。
――すごいわ。これだけまだ泉が生きていて、なのにどうしてここに住んでいた人々はこの町を捨てざるをえなかったのかしら。
――人口の問題だろうね。
そう応えたのは、ロニ・ファティマだ。余計なことを言うな、というカレルの視線を受けてもなお、にやりと笑った彼はここが砂に埋もれた経緯を、おそらく、とつけくわえた上で話した。
――二百年前の地図を見ると、このあたりにはリム族の町があったらしいんだ。見るだにかなりの規模で、そう、今のブレイダブリクの半分はあったと思われてる。少なくとも十万都市で、かなりのバザールが定期的に開かれたらしい。ただ、リム族が町を築いて百年もこの町は保たなかった。もともと、水源はさして大きくなかったらしい。治水工事と都市の半分がまきこまれた地盤の落下が原因で、泉は枯れてしまった。十万の人間を潤すには足りなかったんだろう。町は放置されて、ほんの一区画だけが砂から頭を出していたんだ。
――じゃあ。
ソフィアは目を輝かせて砂漠を見渡した。
――このあたり一帯にはその都の遺跡が埋もれているの?
――おそらくね。
その都市跡がはっきりと見えてきたとき、なにかを感じて、カレルは一隊の車を止めさせた。砂煙がおさまるまでゆっくりと待つ。
なにかがおかしかった。
しばらく、僧兵隊は佇んで居留地をながめた。動きはなにもない。都市跡はただの放置された遺跡のように、微動だにしない。
――なにかあった。
交渉相手を警戒させないために、ここへ来た人数は決して多くはない。それでも、これだけ見つめてだれもいない、というのは異常なことだ。
カレルは念のための武器を携えると、車を降りた。
「私が先行してくる。ここで待機していろ」
そう言うと、彼は遺跡を目指して歩き出した。
敵襲があったとしても、遺跡の中に大人数が隠れるわけにはいかないから、小規模のはずだ。僧兵隊で行くよりも、彼一人のほうが動きが取れる、と判断したのだ。
風と砂に襲われながら、カレルは都市遺跡に辿り着いた。
石造りの家々は、埃っぽく、静かに沈黙していた。やはり異変はあったのだ。一個中隊の兵力がここにはあったのだから。
生き物の気配のしない通りを抜け、奥まった場所にあるソフィアの居場所を目指す。
建物の中に、人の気配はないようだった。ソフィアはどうしただろう? どこへいったのだろう?
カレルは扉を開いた。軋る音が耳を竦ませる。そして思いもしない方角で、影が動いた。不用心だったおのれにしまったと思ったが、体はとっさのことに動かない。
目を見開いて、カレルは立ち尽くす。
男は剣を持っていて、切られると思った。しかし、至近距離でその男が息を呑むのがわかった。次の瞬間、固く高い音がする。石造りの壁に剣が食いこんだ音だった。
勢いあまって、男の体も壁に叩きつけられる。その男は、ロニ・ファティマだった。
「カレル……か!」彼は顔を歪めて、カレルの名を呟いた。「そっちは無事なのか……?」
「そっちとは…」
「僧兵隊だよ」
「ああ、問題ない。交渉は失敗したが。なにがあったんだ、ロニ?」
そのとき、カレルはようやく建物の中を見渡した。……そこには赤い血と死骸が。
「なにが……あった」
呆然と呟く彼に、ロニは吐息をつく。カレルを見て安堵したのか、その顔はみるみる緊張を解いていく。
ロニは背中で壁を擦って、床に座りこんだ。
「僕の銃の弾が切れててラッキーだったな、カレル」
その様子を見て、ここでいかに悲劇が起こったか、カレルには察しがついた。無残なのは、血を流し脳漿をまきちらして息絶える味方の死骸ではなく、いつも自信に満ちているはずのロニの顔が、安堵のために別人のようだからなのだ。
それでも、カレルにはせねばならないことがあった。彼の立場として、それ以上に、止められない衝動として。
「ソフィア様は? いったい、なにがあった!」
「ソフィアは……わからん。レネに離脱させた。この状況を見るだに、うまく離脱できたと思う。ソフィアの身代わりにした娘は、死んだから」
囮作戦でロニが囮の方に残ったのはあきらかだった。ロニはおぼつかない動作で服をまさぐると、カレルに無線機を手渡した。
「確認してくれ。やつらがいるのかいないのかもわからなくて。ずっと、見つかるかもしれなくて連絡が取れなかった」
「ああ。……」
それを受けとってカレルは、一歩建物の外にむけて踏出すと、機械のスイッチを入れた。ひどい雑音が流れてくるのは、もしそれが敵に渡ってもすぐにチャンネルを合わせられないように、狂わせておくからだ。
だが、約束の周波数は記憶にある。ダイヤルをひねって調整すると、カレルは呼びかけた。
「私だ、カレルレンだ。レネ、聞こえるか?」
返答は、意外にもすぐだった。そろそろ交信があるはずだと、逃げた一団は待ちわびていたのかもしれない。
『カレルレン!? レネ・ファティマだ。ソフィアはご無事だぜ』
「そうか……」
その声にはいささかの曇りもなく、ソフィアは掠り傷も負ってはいないだろう、とカレルは思う。彼女は、命を狙われる立場でありながら、いつも悪運が強かった。
これだけの死者を出しながら、彼女には傷ひとつないのだろう。
『そっちは?』
「まだ状況は把握できてない。ロニは一応無事だ。いま落ち合った」
『わかった。合流は?』
「……現在地は」
『そこから八時、距離は……80000シャールってところかな。窪地に地下洞窟の入口があった』
カレルはロニを振り返ると、レネが言ったことを復唱した。
「八時に80000シャールの洞窟だそうだ。わかるか?」
「いいや……だが、まあ見当はつけられると思うよ」
その返答を聞くと、カレルは無線機にむかって了解、と言った。
「こちらをまとめて……二刻だな。それまでにはそちらと合流する。
――ソフィア様に替われるか」
『ああ。ソフィア!』
待ち構えていたように、レネの声が遠ざかった。かわりに、静かな声が聞こえてくる。聖母の声だ。……普段はただの少女が、またこの危機に化けたのだろう。人であって人でないもの、女であって女でないもの……「ソフィア」に。
『カレルね』
「ご無事でなによりです」
『僧兵隊の方はなにもなかったの?』
「はい」
『ともかく……早く合流するようにしましょう。そちらをお願いね』
「ソフィア様こそ、お気をつけて」
『ええ、ありがとう』
無線機を切ると、カレルはロニの傍にしゃがんだ。こうなれば、こちらの被害を出来るだけ早くまとめ、その上でソフィアに合流しなくてはならない。
「平気か、ロニ?」
「どうかな。……東に80000シャールの洞窟、か。どうせ都市遺跡か、落盤の洞穴だろう。あまり長居はしないほうがいいな。大人数で動くと、崩落するかもしれない」
「私は僧兵隊に連絡してくる」
「……ああ」
立ち上がりかけたカレルは、大切なことを思い出して踏みとどまった。
「襲撃は、だれが?」
「わからん。……ソラリスの奴らとは思えない。強力な火器は、持ってなかった……」
「おまえ……怪我は」
ロニのあまりの覇気のなさに、カレルはついに尋ねた。すると、ロニはやっと気づいたのか、というように笑って、こともなげに答えた。
「一発くらった」
「どこだ!」
「腹」
「見せてみろ」
「それより早く、他の奴らをまとめろ。僧兵隊も、ただ外につったっているんじゃあもしかするとってことがある」
「……わかった」
確かに正しいその言質に、迷いもなく従ったのは、ロニの傷がそう深いとも思えなかったからだ。腹、とはいうものの、出血は見たところ酷くないし、顔色もそこまでひどくない。
けれど、僧兵隊のところまでカレルが戻り、状況を伝え、指揮を執りながらまた遺跡まで戻った頃には、ロニは、半分意識を失っていた。それでも、知らずにカレルは傷の手当てをするようにと僧兵に命じただけで、彼自身はくまなく遺跡を探していた。手がかりと、生存者を求めて。
ロニ・ファティマ艦長がかなりの重体です、と聞いたのは、生存者をまとめ、治療のために並べ……襲撃はどこの手の者か話をしていたそんな折だった。
「……様子は?」
「貫通銃創です。出血が」
言われて、ロニを見ると、外套の下はひどい有り様だった。
血はためらうことなくロニの躯から流れていた。……たとえここが砂漠の真ん中でなくても、例えばニサンでも、これでは助からないだろう。
これでは。
かなり整った設備のある場所、例えばシェバトや、あるいはメルキオールのもとでならば、なんとかなるかもしれない。けれど、どうやってそこまで行くのだ? 半日も経たずに彼の命は失われるのに。
「ロニ」
かろうじて息のある彼に、カレルは呼びかけた。
「大丈夫だよ……」
「だが、動かせる傷じゃない」
それどころではないことは、見ている者にも、そしてその傷を負っている者にもわかっていた。
カレルは少しロニから離れると、僧兵に無線機を渡してレネと連絡を取るようにと命じた。曰く、このまま合流することは傷病者を見捨てることになること、ゆえにカレルたちは遺跡を動かない。しかし、ソフィアたちがそこまで戻ってくることはかなりの危険を伴う。
遺跡からバギーを飛ばせば、ニサンまでは5、6時間で着ける。艦による救援を要請すれば、ましてソフィアの危機だ、出航まで一時間からニ時間、ここまではニ時間でつける。つまり、十時間後には救援が辿り着くのだ。……
それに頼るしかなかった。
ロニの傍に戻ると、彼は「いつ出発するんだ?」と尋ねて来た。
カレルが事情を説明すると、ロニはそれでは危険すぎる、十時間は長すぎる、と言った。
「だが、ここにいる者たち全てを捨てて行くわけにはいかない」
「いや、そうしなくちゃ駄目だ。いちばん安穏な手段を取ることは、一番破滅に近い道を行くということだ。緩やかで、確実な破滅への道だ」
カレルは顔を変えず、ロニを見下ろした。はたからすれば、それはとても冷たい表情に見えることだろう。
ロニは頬笑むと、カレルの手を握った。
「カレル、僕を忘れるなよ。……」
それからゆっくりと手から力が抜けていく。もちろん、まだ体は脈動を保ってはいるが、ゆっくりとした鼓動は、生きていくのに十分ではない。
傷と出血から考えれば、これまで意識を保っていた方がおかしかった。気を失ったロニを見て、カレルは初めて顔を歪めた。
ロニを助けるあてが、ないわけではなかった。たったひとつだけ、チャンスがあった。
彼は、死なせるわけにはいかない人間だ。この戦争のためにも、ソフィアのためにも彼は必要不可欠な人間なのだ。既に彼は、精神的指導者であるソフィアの前に、実質的な人々の道標なのだ。
反乱軍は絶妙なバランスで今の状況を築きえている。その中でロニ・ファティマの死は、大きな欠落となる。……とても大きな。
――死なせられない、でも。
けれど彼は、その手にひとつの希望(あるいは絶望)を握りしめていた。
「それは」
傍にいた僧兵が目を眇めて尋ねる。
僧兵は、カレルがそれをいつから持っていたのか、気づかなかった。手に握れる程度のちいさな試験管の中に――それは本当は、もっと複雑な物なのだが――なにかが入っているようには見えなかった。
カレルはまた冷たく戻った顔で、その管を見凝め、言った。
「メルキオール師の元で研究している分子機械(ナノ・マシン)というものだ。これを投入すれば、傷は三時間もあれば完癒すると思うが、まだいくつかの点で実用には危険が伴うんだ。アレルギー抗体の問題をクリアしていないから、……彼が運悪く、これに反応する抗体を持っていた場合、まずいことになる」
「しかし、三時間ではその前に失血で」
「傷が治癒するんじゃない、完癒できるんだ。即座に走り回ったって構わないぐらいにな」
それは夢の機構、希望はマクロにあるのではなく、ミクロにある。
カレルはもちろん、取り出した瞬間にこれを使うことを決めていた。他に道はない。
……やがて陽は暮れ、一堂は遺跡の奥でこっそりと火を焚いていた。オアシスとは言っても、砂漠の激しい気象から逃れるわけにはいかない。温度は急激に下がりつつあった。
ロニ・ファティマが目を覚ましたのはその頃だ。
午後中、致死傷を負った者にナノ・マシンを投与し、その手当に駆けずり回っていたカレルは、ぐったりと疲れていた。しかし、その問題も一時間ほど前には落ち着き(つまり、生きる者は生き、死ぬ者は死んだ、ということだ。……)彼は配下の者に指示を与えて、休んでいた。
「……カレル、僕は?」
ロニがかすれた声を上げてようやく、カレルは気づいた。そして笑い、
「ここは地獄じゃない」
「まさか……どうやって……
ここまだ、遺跡の中か?」
「ああ。研究途中の欠陥システムでも、棺桶に足をつっこんだやつを半分は叩き起こす役に立った」
「前に言ってたね、そういえば……ナノ・マシン? ふうん……便利なものだ、人の人生まで変えられるのか」
「叩き起こして済まなかったな」
「いいや、また君の顔が見られて嬉しいよ」
「おまえは運が良かったんだ。……抗体に反応すれば、ショック症状を起こしてあの体では保たなかったはずだ」
ナノ・マシンを投与したもののうち、数人はショック状態を起こしてなす術もなく死んでいった。見る間に傷を癒されていくものがいる反面、その恐ろしさは生きている者をぞっとさせずにはいられなかった。
それは、いくつも惨劇を乗り越えてきたカレルも例外ではなかった。なぜというに、彼らは、戦で死んでいくわけではないからだ。……
ロニはまだ身を横たえたままで、口を開いた。
「……夢を見ていたんだ。僕は、長い長い午睡から目覚めたあとで、そこは花畑だった。今まであんな場所は残念なことに見たことがない。見渡すかぎり、黄色い花ばかりが拡がり続けている花の野原。見事だったよ。いつか世界中がああして花に満ちた楽園になればいいと願ってしまうような。……夢の中だから思うことが許される、実現不可能な祈りをね。
目の前を、蝶がよぎっていって、僕はそれを追いかけた。追いかけて追いかけて、けっきょく捕まえることは出来なかったな。
有難うカレル。命の恩人だ」
「そんなことはない。私は、
苦しんでいるおまえたちをよそ目にデータを集めに走っていたんだから人間も疑われるというものだ」
ロニは応えない。カレルは身を乗りだしてのぞきこんだ。右手をとってキスをすると、ロニの左手はカレルを抱き寄せた。
「捕まえた」
ふたりは深い吐息をついた。なにかが終わったわけではなかった。ソフィアらはまだ、遠くの洞穴で足止めされているし、ここだとていつ襲撃されるかしれないのに。
それでも、吐息をつかずにはいられないのだ。
「現実はいい」ロニが言った。「現実はいい。あの蝶はきっと夢の中だったから捕まえることが出来なかったんだ。現実で、僕は捕まえることが出来る。なにもかも、自分の手で、そして自分の力でね。……僕はだから、この世界が好きなんだ」
死にかけていた人間の台詞とは思えなかった。しかしだからこそ、彼は必要とされるのだ。
「何度でも死んでみろ。私が絶対に、生き返らせてやるから」
「ああ、頼むよ」
二人は、繋いだ右手と右手を、強く握り合った。
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あの……こういうのって、つまんないすよね。ウン、ええ、わかってます。こういう、「読み出しに根気を要求する」ものは悪徳だとはわかってるのですけど。こういうのが書きたい、実は。しかし、ナノレベルの物質がアレルギー抗体にひっかかるのかは謎。アセンブラーはもう少し大きいからひっかかるかなぁ? と思ったりするんですが。うーん、アレルギー物質は可視。でもアセンブラーは不可視。引っかからないな。キムに怒られちゃうよう。
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