恒河砂の中の、たった一粒の君
 乾いた砂の音が、耳を掠める。
 コックピットから見える景色はどれも砂、砂、砂。カレルレンのギアは、目的の方向をむいたまま、小一時間も微動だにしていなかった。
 太陽はやがて傾き、砂漠が赤く染まる。東の空は透けたあお。
 風光明媚で知られるニサンも、ギアで半日も南下すれば、不毛の砂漠に行き当たる。
 砂漠は、カレルレンの知らない世界だ。大砂原をわたる砂塵は、生身にとってもギアにとっても優しいものではない。けれど、そこに生きている人間もいる。イグニス大陸の半分を占めるこの砂漠を、疾駆する力が人間にはあるのだ。
 砂漠の夕暮れは短い。太陽が確実にその姿を大地にもぐりこませていくのを目で追いながら、カレルレンは舌打ちした。
 ――遅い……!
 物資調達にむかったロニたちを迎えに来たのだが、まだレーダーに艦影は見えない。彼はたった一機でここまで来ていた――ニサン近くとはいえ、安全とは言い難い。自分の軽率さを少し悔やみながら、カレルレンはそれでも、粘り続けた。
 東の空に星がまたたいた。そのころ、地平に砂煙がまきおこるのが見える。
 ……ロニの艦だ。
 夜までに艦が通らなければ、それはなにかがあった、ということになるのだから、視認できたことにカレルレンは安堵の息をつき、ギアのコントローラーを握った。
 むこうもこちらに気付いたらしい。まもなく連絡が入った。
『久しぶりだね、カレル』
「ああ、ロニ。どうだ?」
『万事うまく行ったよ。ところで、僕らはこの近くの岩場で停泊する。ニサンには明朝入るつもりだ。君はどうする?』
「合流する」
『了解。ギアシャフトの準備をさせておくよ』
 指示された座標にむけて、カレルレンはギアを発進させた。
 停泊した艦に追いつき、ドックにギアを止める。コックピット出るとギアの足許にロニがいた。
「やぁ、カレル」
 下からにこやかに彼は呼びかけた。
「遅くなったんだな、ロニ。今日の昼ぐらいにはあそこを通過するものだと思っていたぞ」
「ああ、偶然、知りあいの隊商にぶつかってね」
「そうか、それより」カレルレンは降りながら、「艦長自らがなんでギアドックに」
「それを言うなら」ロニは金の髪をかきあげながら、呵呵と笑い声を上げる。「ニサン僧兵隊長がどうして、こんなところまで?」
「外回りのパトロールを、すこし遠くまで足を伸ばしただけのつもりだったんだが」
「なるほどね」
 ロニは、ようやく並んだカレルレンに、笑みながら言った。
「僕はね、おまえのギアの数値がおかしいから、どう傷めたのかと思って見に来たんだ」
「……砂のせいだ」
「整備させるよ。しかしまぁ、よくもこんな装備で丸一日も、砂漠に出ていられたなァ。
 せっかく降りて来て悪いけど、コックピットに入れてくれないか? どう見ても、中から操作しないといけないところがあるよ」
「ああ、わかった」
 二人はコックピットに入りこんだ。カレルレンは、ロニに言われるままコンソールにいくつかの数値を弾き出す。たしかに正常値とは違っているようだった。
「大丈夫、これならすぐに直る」
「すまないな。荷物を背負わせたみたいになった」
 ロニは肩を竦める。
「この艦は、そんなヤワじゃない。ギアの一機や二機、僧兵隊長の一人や二人、運べるさ。
 ……カレル」
 あらたまって名を呼ばれ、彼は顔を上げた。ロニのまっすぐな視線とぶつかる。一点の曇りもない青い瞳は、直視するにはまぶしすぎる。
「迎えに来てくれたんだろ」
 ――どうして。
 どうしてこの男は、カレルレンがためらうようなことをすべて、さらりと口に出すのだろう。
 カレルレンは目を反らし、別にそういうわけではない、とうそぶいた。
「おまえが『ちょっと遠出』をするような人間じゃないことは、わかってるつもりさ」
「……、やめろ」
「カレル、こっちを見ろ。おまえ――この船にもしもがあって、僕が来なかったらどうしたんだ、あんなところで? ギアをこんなボロボロにしてまで」
 カレルレンは、抗弁しようとした。けれど、ロニの唇に言葉は押しとどめられた。
 不意打ちにカレルレンはのけぞった。だが、ロニは平気な表情で、笑ってみせる。
「変な顔をするんじゃない」
「だれのせいだ」
「じゃあ、見なければいいんだろ」
 そう言ってロニは、瞳を閉じてもう一度、カレルレンにくちづけた。
 それから、二人はコックピットを出た。ギアの外壁を撫でたロニはためいきをつく。
「洗浄だけは丹念にやらないとな」
「手間をかける」
「いいさ。この砂の中から、僕を見つけるために来てくれたんだろ」
 微笑むロニに、カレルレンはうなずけず、ただ目で見返した。人間は無数にいる。砂塵のように砂漠に埋もれながら、それでも生きている。カレルレンも、ロニも、歴史と運命の中ではその一粒の砂でしかない。
 その中で生きるには、一粒の砂に意味を持たせるには、どうすればいいのだろう。
 生きるために。
 彼にはわからなかった。
 ただ……埋もれた砂と砂、それが集まってやがて流れを作り、それがなにかになるに違いない、という予感だけを、カレルレンは感じていた。
 たぶん、今はそれでいいのだ。





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