君の闇に触れさせて - 3
 王統府会議の議題は思ったとおり、ソフィアを戦場へ連れて行くかどうかに焦点が当てられた。当のソフィアが不在のまま進められることにだれも異議を唱えなかった。意外なことに、それはカレルレンも含めてのことだ。
 ――まあ、どんなに議論を尽くしたとしても、ソフィア自身が行かなければアニマの器は目覚めさせられないけど。
 同調者が行かなければアニマの器は目覚めず、その力を得ることは出来ない。
 だから、そのアニマの器がソフィアと同調するものであるのならば、彼女が行く以外に道はないのだ。
 それでも、この議論をすることはシェバトにもニサンにも必要なのだ。そしてロニにとっては、そういう会議に顔を見せていることが重要だった。弟と並んで熱い議論を交わしている人々を見つめているのが必要なのだ。
 会議に列席しているゼファー王女もまた、険しい顔をして人々の論議を見守っている。
 もしもソフィアがこの席に並んでいたら、はっきりと彼女自身が行くと口にしてしまうだろう。ためらうことなく、アニマの器を自分のものにするために行くと言うだろう。
 だが、シェバトはそれでは困る。ソフィアが率先して行くのではなく、シェバトからの依頼という形にしたくて仕方がないのだ。だからこそ、ニサンの名代はカレルレンが指名されていた。
 カレルレンにしても、簡単にソフィアを戦地へ連れ出すわけにはいかない。通常の前線ならともかく、北にあるあんな島などソフィアが赴くにはあまりにも不自然だ。ソラリスはソフィアの行動に気がつくだろう。そしてそこにアニマの器があることを知るだろう。つまりそこは苛烈な戦場になる。
 勝負はどれだけ早くそこまでたどり着くか、だ……
「しかし、長いな」
 隣でレネがぼそりとつぶやいた。
「もう少し低く言えよ」
「ごめんごめん。それで、兄貴はいつ口を挟むんだよ?」
「もう少し待て」
 僧兵隊長は躍起になってシェバトに牙をむいている。アニマの器を取りに行くソフィアの警護をシェバトがすると言い出した議員がいるせいだ。
「ソフィア教母の御身が危険というならば、ニサンの脆弱な戦力に任せるよりも我々に預けるべきではないのか?」
「そもそも教母が出ることが危険だと言っているのだ。問題をすりかえないでもらおう?」
 こうして見ていると、つくづくカレルレンという男は有能だ。武力だけでなく弁も立つ。あれでいてカリスマもなかなかだ。シェバトにしたら、いまいましいほどだろう。ソフィアを警護する僧兵隊長など、ただ闘えればそれで構わないのだが、あいにくながらカレルレンはそれだけの男ではない。駆け引きも心得た立派な政治家だった。
 こういう、論議を混乱させるために設けられた会議にはもってこいだ。ソフィアでは相手を納得させてしまうから適していない。会議が空回りすればするほど、ソフィアがアニマの器の同調者であることの意味が見えて来る。……
 シェバトにとってはいまいましいだろうが、ファティマ側にとってはこれ以上なく役に立つ。
「しかしソフィア教母が行かねばならないことは御仁も承知されているだろう? まさか手にも掴めないものをソフィアのもとまでわざわざ運ぶ気か? どうやって?」
「シェバトの戦力が出ることは、そこになにかがあると言うようなものだ! 我々だけのほうが、まだよほど誤魔化し甲斐があると言うものだ。ソフィア様にシェバト戦力がつき従えば、軍事作戦をしていると喧伝するようなものではないか!」
「カレルレン殿がニサン独力では教母をお守り出来かねるようなことをおっしゃるので申し出たまでだ」
「それならシェバト戦力は陽動戦に出てもらったほうが余程、役に立つ」
「ソラリス軍はそんなものに引っかかるほど単純でしたかな?」
「ないよりはましでしょう。それに別動ならば我々も、王室騎士団に寝首を掻かれることを思い煩う必要がないので有難いが?」
 カレルレンの挑発的な言葉に、政治家たちは挑発されなかった。さっと顔に朱をのぼらせたのは、今はニサンに駐留するあの王室騎士団第七旅団長だ。荒々しく立ち上がり、口を開く。
「失敬なことを……! ニサンといいソフィアといい、我々の戦力なくして守護し切れると言うつもりか!?」
「今の第七旅団はニサン警護のために派遣されて来た部隊だったか、記憶になくてな」
「どういう意味だ」
「さあ、第七旅団長殿の地上での責務はいつから間諜行為になったのだったか、考えているのだが」
「貴様、それ以上侮辱するなら考えがあるぞ……!」
 文民や騎士団長の諌める声も、聞こえていないようだった。面白いように挑発され、今にも剣を抜きそうな勢いだ。彼が暴力を振るえば、それはシェバトに出兵させない理由になる。
 ロニは、ゼファー王女の視線を感じていた。彼女はどうにかしたらどうだ、なぜまた黙っているのだという顔をしている。確かにそろそろ、口を挟む頃合だろうか。このまま、カレルレンの意図どおりに進むという筋立ては、あいにくロニも望んでいない。そもそも、アニマの同調者がソフィアであるということは、ロニが言い出したことだ――この舞台の結末まで、ロニは自分が調整するつもりでいた。
「二人とも、もう少し落ち着かれてはどうですか。ここは戦場ではなく議事堂ですから」
 今まで黙っていたロニが、立ち上がったことに二人とも注意をむけた。だが、ロニとカレルレンが懇意だと知っている第七旅団長は、鋭い目でロニ・ファティマを射抜いて来る。
 その視線を受け流し、ロニは言葉を続けた。
「ニサンに兵力を置く我々としても、なかなか無視の出来ない議論に聞こえましたが」
「ファティマ商会は、もう僧兵の立場だろう。口を挟むな」
 カレルレンの言葉もまた、鋭い。ロニの容子からして、カレルレンの肩を持つために立ち上がったわけでないことは承知なのだろう。もとより、そんな馴れ合いをしようと思って彼と友情を結んでいるわけではない。いつでも敵に回ることが頭の片隅にある。ゼファーが思いこんでいるような信頼関係はないのだ。カレルレンを陥れることは、いくらでも出来る。……隙がない男ではないからだ。
「我々をカレルレン殿のような僧兵と一緒にされては困る。同じでないことは、ソフィア殿からも認められていると思ったが、僧兵隊長であるあなたがそれを認識してないとはね」
「同じであるとは言っていない。そもそもニサンの教えに属さぬあなた方だ。今の論議に口を挟まないでもらおうと言っただけだが」
「たいがい、王室騎士団が寝首を掻くだの言うが、僧兵隊長はそんなことが言える立場だったかな」
 カレルレンは少しばかり目を瞠る。ロニはにやりと笑って、続けた。
「ニサンに至るまでの僧兵隊長殿の経歴というやつを、我々に教えてはもらえないか? 確かそう……以前はあの悪名高いクセル・ラオディキアのもとにいたとか聞いたが? それに、あの王が死んだのは実は病死ではなく暗殺だったとか聞いたけれどね。さて、寝首を掻いたのはどこのだれだろう」
 カレルレンの顔は、見る間に青ざめた。それはソフィアがソフィアとして立つまでの、暗い闇の世界の物語だ。とはいえ、調べようと思えば調べはつく。イグニス大陸における情報網で、ロニ・ファティマに勝る人間はいないだろう。
 シェバトがそこまでカレルレンのことを認識していたとは思い難い。だが、カレルレンが否定できないでいるのを見て、彼らはロニの言葉を信じる他ないのだった。クセルはシェバトにとっても目障りな男だったから、動揺こそすれ問題はなかったけれども、寝首を掻いたという表現は生々しかった。
 カレルレンがこれまで、陽のあたるところを歩けるような身でなかったことは、だれしも知ってしまった。
 だれも余計な口を挟まない。この事実を知っているのは、この場においてはロニ・ファティマとカレルレンその人だけだろうから、当然だった。
「釈明はなしか、カレルレン僧兵隊長」
 他方、ロニ・ファティマの経歴は疵などどこにもない。その容姿のように、誇り高くありこそすれ、口を噤むようなことはして来なかった。
「なら議論を変えても問題はないな? 王室騎士団がどうというのが我々の問題ではなかった筈だからね。それに、ソフィア様を連れ出さねばアニマの器が手に入らないことは自明だろう……?」





 会議がようやく終わると、ロニは弟を連れて、足早に割り当てられた部屋へと戻った。やがて、複雑な顔をした王女が訪ねて来る。つき従って来た侍女たちを全て控えさせ、空の見える部屋で顔をつき合わせた。
「……なにもあんなことをおっしゃらなくても」
 いつもと同様に非難がましい言葉から会話は始まった。さすがに、ロニも気が立っていて、その言葉で仰々しくため息をつかざるを得なかった。わがままなことだ。カレルレンと距離を置けと言っておいて、いざ攻撃を目の当たりにすればロニを非難するのだ。もっとも、ゼファーが思っているのは、カレルレンの背後にあるソフィアのことなのだろうが。
 クセル大帝は、ニサンとも折り合いが悪く、ソフィアが教母に立てたのはクセルが死んだからこそだった。クセルの死の下手人がカレルレンかもしれないと匂わせることは、即ちそれがソフィアの謀略かもしれないことを示してしまう。
 ソフィアをなにより崇める少女にとっては、認めたくないことなのだろう。
 けれどクセルを直に殺したのはおそらくカレルレンだし、それはソフィアの意思に違いないだろう。遅れていたら、殺されていたのはソフィアになっていた筈だ。
「ソフィアを引きずり出すためには、ああいう遣り方にしなければうまく行かなかっただけです」
「本当に……? ですが、あれでは僧兵隊長の立場が」
「僕が言ったことは事実だ。弱みは早いうちに出しておいたほうがいい。引くに引けなくなったところで足を引っ張られるよりはずっとましだ。あの男がそういう奴だと、報せておいたほうがシェバトにも警戒されない。
 そしてなにより、それを暴露したことで私がカレルレンと懇意だという見解は覆せたわけでしょう」
 そう説明すると、王女は納得しかねる顔で頷いた。
「結局、ソフィア様を戦地へと狩り出すことになるのですね」
「それは仕方のないこと。……わたくしどもでなんとしてでも守り通すしかありません」
「やはり、シェバトの戦力もあったほうが、」
「もちろんそうでしょうが、シェバトの役割は陽動と決まった筈です。更にその上ソフィアに付けるのでは、シェバトの守備力が疎かになる」
「ええ、……ですが、ソフィア様を危険な場所に連れ出すのが、どうしても……なぜ他の者ではだめなのか、なにか他の術はないのか、検討は不足ではないのですか?」
「アニマの器は動かすことは出来ません。それは物ではないのですから。同調し得る者が、傍まで行って直接、触れるしかないのです」
 ゼファーは難しい顔のまま、口を開いた。
「あなたがどこまで考えいらっしゃるのか、わかりません。あなたが戦略家であるのは知っています。けれど、今回のことはどこまでがあなたの手の内なのか、わからないのです。アニマの器のこと、お伝えしたのは私の決断でした。けれど、本当にそれでよかったのか、迷っています」
 ロニは、ちらりと弟の顔を見た。弟は真摯な顔で王女の言葉に耳を傾けている風情だった。憎まれ役はロニがやれと言わんばかりの態度だ。レネもちらりとロニを見る。
 ため息をつき、ロニは言った。
「ソフィアを戦地へ連れ出すくらいなら、アニマの器などないほうが良かった、……そういうことですか?」
「そうまでとは言ってませんが、あの方に万が一のことがあったら!」
「あなたの言いたいことはシェバトの評議員たちとなんら変わりはないように聞こえますよ、殿下」
「どういうことですか。私はソフィア様の安全を思っていっているのです。シェバトの廷臣たちはいつもシェバトのことばかり、シェバトのことならまだしも、自分の保身のことばかり! ソフィア様のことなど思ってもいないではないですか。私たちの希望は今やあの方だけだというのに。なのにそのソフィア様を危険に晒すなど……」
「いいや、変わりはないですよ。あなたも、シェバトの方々も、言っているのは同じ、きれいなことばかりだ。我々の道はそういうものではない。我々の道は、もっと見るに耐えないものですよ」
「きれい、どういう意味ですか? あの人たちの薄汚さは、ご存知ではないのですか。あの方たちが正しいとでも言うのですか。クセル・ラオディキアを弑したことが汚いと言うのですか?」
「そうじゃあない。君はなにもわかっていない。ソフィアの教えはこの高みで風に吹かれている君らのためにある教えじゃあない。
 地上に降りろ、ゼファー! ソフィアの教えは大地の教えだ。こんな高いところでは理解出来ない。あれは地を這うスナミミズの魂を救う教えだ。僕らのような、泥にまみれて喘ぐ人間のための教えだ!
 我々は生きるために薄汚く汚れざるを得ない。それは君らの言う汚さとは違うけれど、ソフィアはその泥の底から、も掻いて立ち上がろうとする人間のために語りかけているんだ。こんな天の上で風に吹かれていて、なにがわかると言うんだ。この風は地上には吹いてない。地上に吹く風はもっと嶮しい。君のようなお姫様に耐えられる風じゃあない。だがソフィアもその風を受けて生まれた。
 ソフィアの理解者だと気取りたいならそれをわかるべきだ。いつまでもここで、君こそ前線の悲惨さを知らずにいつまでのうのうと座っているつもりだ? それで政治だけうまくなったとしても、成れの果ては君が蔑んでいるような評議員どもと同じだ。
 ニサンへ行け、あそこは地上でも楽な場所だから。あるいはいっそ、ソフィアとともにアニマの器の元へ行くがいい。それを危険だからと言って躊躇うならば、僕らは君の信仰をその程度としか見ないだろう。ソフィア自身はもっと危険なのだから」
「……私は……!」
 痛烈な言葉を聞いて、少女が反論することも出来ないほど傷ついたのは見ただけでわかった。彼女は幼いながら聡明だし、それゆえにその自尊心も高いのだ。だが、彼女のしていることはロニから見ればままごとじみている。
 ゼファーは耐え切れないように立ち上がった。
「……失礼いたします」
「よく考えてください」
 少女は頷き、まろぶように部屋を出て行った。入れ違いにニサンの僧兵がやって来て、ソフィアと連絡が取れたので来てほしいというカレルレンの言葉を伝えて来た。





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