僕らの下克上戦争
 約束をしていた時間きっかりにヒュウガの部屋に行くと、とても楽しそうなヒュウガが、彼を迎えた。カールはあまりにも舞い上がっている友人に怯え、思わず戸口で立ち止まった。
 ヒュウガがこういうふうに笑って、碌なことはないのだ。
「上がってください、カール」
「あ、ああ。……なんだ、なにがあったんだ? やけに――嬉しそうじゃないか」
 カールが部屋に上がると、ヒュウガはうふ、と笑った。
「やりたくありませんか?」
「なにを」
 聞き返したのは失敗だったと、次の瞬間にカールは思った。聞き返さず、約束がなにかも聞かず、退場するべきだったのだ。危険の徴候はこんなにまざまざと目に映っていたというのに、どうして、なんで、逃げ出さなかったんだ! と、彼は早々と後悔していた。
「ジャーン」
 楽しそうに言って、ヒュウガは寝室に繋がるドアを開いた。
 ベッドの上で静かに眠っているはジェサイアだった。先輩の、あの、ジェサイアだ。
 山ほどお世話になってて、面倒見もよくて、そして嬉しそうにいじめてくれる、あの、ジェサイアだ。
「逃げられません」
 ジェサイアは確かに、既に縛りつけられているから逃げられないだろう。だがそういう意味ではなかったようだ。つまり逃げられないのはカールだった。
(はめやがったなーーー!)
 カールは逆上し、勢い勇んでヒュウガの言動につっこんだ。
「もう俺も共犯か!」
「そうです。先輩のことは、三人の名前で呼び出しまたしから」
 三人……といわれて、またカールは寝室を見回す。今まで気がつかなかったが、暗がりに溶けこむように佇んでいるのはもちろん、シグルドだった。
「おまえもかー!」
「まさか私一人でこんなこと企めるほど豪胆じゃ〜」
 憎らしくも、照れるヒュウガは愛らしい。だがその脳裏に考えていることは、想像するのも汚らわしかった。
 シグルドが臍をむき出しにしたいつもの格好で腰を回すように踊りの真似をした。
「踊るアホウに見るアホウ、」
「同じあほならおどらにゃソンソン」
 ヒュウガが楽しそうに続けたので、カールは言うしかなかった。
「お……俺までアホにするな、勝手に!!!」
 喚いたところで、カールは既に完全に罠にはまっていた。
 そもそも、人品卑しからぬ人間ならいつも世話になっている先輩に、こんなことをしようなんて考えつくはずもない。つまりこの二人の品性は言語道断なレベルなわけだ。……カールは自分の品性が狙われていることは薄々どころか切々と感じていたのだが、こんなストレートにやってくるとは思っておらず、あとはアホウになるしかなかった。
「夢みたい」
 昏々と眠るジェサイアを見ながらヒュウガが言った。
(こんなことを夢見ていたのか。……)
 色々なギアを開発したり、おかしな薬を作ってみたり、どこから多彩な着想が生まれるのか不思議な少年だ。だが、その源泉は覗きこんだら吸いこまれる、パンドラの箱ようなものらしい。
 パンドラの箱には、最後に希望が入っているというが…それを見るためにこの世の恐怖図鑑を見るくらいなら、希望もクソもないほうがましだ。
「わたし、先輩の下になったことはあっても、上になったことってなかったんですよね。話したら、シグルドもそうだって。カールもそうかな、と思ってお誘いしたんです」
 そんなことが話題になるシグルドとヒュウガの会話というのは3人のときやカールと交わすときと、ずいぶん質が違うようだ。カールは未だもって、男同士のすったもんだを人に話そうと思ったことはない……し、カールは実を言うと、ジェサイアの下になったこともなかった。だから、この会に入れてもらう権利も入る義理もないはずなのだが、いまさらそれを言い出したとしても、秘密の儀式の目撃者であるカールがただで帰してもらえるはずもないのだった。
「さ、はじめましょうか、私たちのカーニバルを……」
「華麗なるマスカレードを……」
 カールは気違いじみた発言をする友人二人を前に、常識をどうしても棄てられなくて思った。
 ――ドライブ打ってるか秘密結社の入会儀式かどっちかだな。
 あとは、三人一緒にケタケタと笑いながら服を脱ぎ捨てていくばかり、生け贄は本来ならば美しい乙女といきたいところだが、それがたくましい野郎なのはシグルドに言わせると「おもしろいから良し」なのだそうだ。
「先輩は、むしろ崇められる神の偶像そのものですかね。ほら言うでしょう。百人の男と一人の女からは、一人の子供しか産まれないけど、百人の女と一人の男からは百人の子供が産まれるって」
「意味がわからん……」
「意味なんて求めてたんですか、カール」
「一応」
「ないですよそんなもの」
 もっともだ。





 それから夜更けまでむっちりと、正体のないジェサイアを弄んだ。途中、意識を取り戻したらしいときがあってカールは怯えたのだが、どうやらヒュウガの絶妙な(死んでも味わいたくない)薬配分で、意識は半分ないけれど、でも体は反応するという効能の期間に入ったらしく、三人はまたいっそう遊んでしまった。
「で、聞いておきたいんだが」
「なんですか」
 休憩中のヒュウガに、いままさにジェサイアにとりかかっているカールはたずねた。
「憶えているのか、先輩は」
「難しい問題ですね」
「なにが」
「何回か、この薬を試したんですが、人によって違うんですよ。シグルドは憶えていたけど、あなたは憶えていなかったし」
 自分のことを言われて、カールはおののいた。
「俺が、憶えてない?」
「そうですよ。ねえ、シグルド」
 シグルドは、うんうんとうなずいた。
「な、な、なんだ。い、いつの話だ!」
「言ってもどうせ憶えてないし」
「そういう問題じゃないッ!」
「子供が出来たらきっちり認知してやるよ」
「子供なんか、出来るかー!!」
「でも中でいっぱいだしたし」
「そういう問題じゃないんだって……!」
「それより先輩が憶えているか、いないかなんですけどね」
「おい、待て、待てッ!」
「先輩で試したことはないんですよねー。だから、どう出るか」
「そ、そんな不確かな薬なのか……っ!」
 想像するだに、恐ろしい。つまり、ジェサイアが今起こったことを憶えているかいないかで、憶えていた場合の逆襲が、恐ろしいのだ。みんながジェサイアに頭が上がらないのは、彼が先輩だという理由だけではないわけで、もちろん出来る男だということもあるし、世話にもなっているのだし、それ以上にガキ大将であるから、なのだった。
 おそらく足腰が立たなくなるまで掘られて、淫乱なヒュウガなら喜ぶのかもしれないが、カールとしては御免だった。そんなことになった日には、死ぬまで立ち直れそうにない。
「抗体の関係だと思うんですよね。ナノレベルの個体差によるみたいなんで、そこまでまだ調べきれてないんです。どっちかというとアバルは憶えていない傾向にあるんで、先輩も大丈夫だと思います」
「思いますって…! 憶えていたら、どうするんだ!」
「そこがまた、いいんじゃないですか。スリルいっぱいでしょ」
 エヘ、と愛らしく微笑むヒュウガを、まずはここで足腰立たなくさせてやろうかと思ったカールだったが、やっぱりヒュウガは喜ぶだけだと思ったので……いつものように、泣き寝入りするしかなかった。
 どうせならとことんやってやる、と思ってカールは、ジェサイアにダイブした(そういうわけで、記憶のない間、自分になにが起こったかカールは知らないままだった。世の中、知らないほうがいいことも多い)。





 明け方まで楽しんだ3人は、無情にも正体のないままのジェサイアをてきとうな街路に放り出した(ヒュウガはジェサイアのパンツを下ろして「ウェルカム!」と書いた看板を立てて行こうとしたのだが、さすがにシグルドと一致団結して止めた。人としての、限度というものがある)。
 そのあとしぱらく、3人で朝まだきのエテメナンキをそぞろ歩いた。
 当然だけれど体にあるのは倦怠感で、あまりいい気分ではなかった。ヒュウガなど、もっと楽しくなるはずだったのに、という顔をしている(たぶん、ジェサイアに意識があったら楽しくなったのだと思うが)。
 そういうわけで、ヒュウガは満足していないようだった。
 パンドラの箱にはまだまだ悪意と邪念が詰まっているらしい。そもそも残された希望というのはどんなものなのか、あまりよい展望も持てない。所詮、ヒュウガの希望なわけだから。カールは深くため息をついて、足元を見つめながら歩いた。
「次は、スタイン先輩でやってみましょうか」
 ヒュウガはぽつり、とつぶやいた。
 カールはギョッとしたが、シグルドがためらいがちに口を開いたのであまり悟られずに済んだ。
「ううーん、昔、スタイン先輩は性病にかかってるって噂を聞いたが……」
「あ、その噂のモト知ってますよ。先輩です」
「なあんだ、やっぱり……。意外性のないネタ元でつまらん」
 カールもその噂は聞いたことがあった。カールが耳にしたのは少し含意が違い、「スタインはやるとうつる病気に罹っている」というものだった。エテメナンキ特有の都市伝説風で、幼いころ、使用人のラムズにイタズラされたときに感染したとかいうものだった。「第一級市民が使用人のラムズに××」というのがそういった噂の典型としてある。××のなかみは様々で、改造されたとか洗脳されたとかというのが主だ。実際は、そんな技術力や野心が第一階層で働いているラムズにあるはずがないのだけれども。
「で、本当なのか?」
「さあー?」
 そう首を傾げるヒュウガを見て、その噂の流布に彼が一枚かんでるな、とカールは直感で思った。
 ほんとうに、おそろしい男だ。
 敵にしなくてよかったとカールはつくづく思った。





 ジェサイアはその夜のことに気がついたのか気がついていないのか、後日、カールが腰が抜けるまでやられることはなかった。もちろん、ジェサイアの下になることも、なかった。
 気がついたら道に転がっていたこともどう納得したのかわからないが、なにかの話題でその日のことに触れて来たりもしなかった。……以上のことは、ヒュウガとシグルドにどうだったかはわからない。あくまでも、カールの身の上においての話だ。普段からジェサイアの下になっている二人には、なにか別のエピソードがあったのかもしれない。
 それとも、ヒュウガの薬は素晴らしかったのでなにひとつジェサイアの記憶には残っていないのかもしれない。カールが憶えていなかったように、ならば気づく隙すらないはずだ(もっとも、カール自身が薬の餌食になったという話は二人の嘘だという気がしてならないのだが)。
 しばらくは、忙しいと理由をつけて二人の誘いには乗らずに過ごした。
 あえて仕事を掻き集め、死にそうな忙しさを自分で仕組んで奔走した。
 ヒュウガに「明日わたしの部屋に来ませんか」といわれても、シグルドに「週末遊びに来いよ」といわれても、断りつづけた。
 あの日、最後に出た話題が現実になったら恐ろしくて目も当てられないからだ。
(そこまで俺の品性を落とされて、たまるか!)
 ジェサイアなら、普段からのやり取りもあるし、気心の知れた相手だ。正気ならお相手願おうとは思わないが、ああいう状況ならいいかも、と思うところがある。下品な冗談としてはまずまずだ。かなりヒュウガに洗脳されているとは思うのだが、それが実際のカールの感覚だ。
 けれど、アイザック・スタインとなると話は別だ。
 そこまで行くと冗談とはもういえない。ヒュウガもシグルドも、この間の発言から考えればスタインの下になったりしたことはないわけで、ジェサイアのときに言っていた言い訳は通用しない。スタインはいけ好かない先輩だというだけで、カールはなんの感情もないし、欲望も抱かない。
 だというのに、ポロリとスタインの名前を出せたヒュウガはやれる自信があるということになる。
 面白いから、とか下品な感性のために、下半身を反応させることは、カールにはできなかった。
 そこまで染まったら、本当におしまいだ。
 そう思いながらその日も、カールはへとへとにくたびれて帰宅した。毎日がせわしなく、今日もベッドに飛びこめば一秒で夢の世界に旅立てそうだった。
 はあ、と大きくため息をつきながら個室のドアを開くと、「お帰りなさい」と声が聞こえた。
「……」
 思わず無言で、カールは玄関口に立つ愛らしいばけものを見つめた。
「お帰りなさい、カール。遊びに来ちゃいました」
 にっこりと笑う侵入者はもちろんヒュウガだった。
「ヒ、ヒ、ヒ、ヒュウ、ヒュウガ……!」
 嫌な予感がして、カールはヒュウガを押しのけて寝室へと駆けこんだ。案の定、ベッドの上には意識をなくしたスタインが縛られて転がされていた。
「逃げられません」
 ヒュウガが言った。
 ベッドの脇に立つシグルドがむき出しにしたへそをくねらせて言った。
「踊るアホウに見るアホウ、」
「同じアホならおどらにゃ、ソンソン……」
 そう思わず続けながら、カールは鞄を手から取り落とした。どたん、という音でベッドの上のぐったりしたスタインが、条件反射でびくりと体を動かした。……





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