荒れ果ててしまった孤児院の中に立って、柱にもたれ、そして部屋の中をぐるりと見まわす。懐かしい思い出もあるけれど、それよりひどく荒れているのが目に映る。陽が落ちて翳っても、それは隠しようがなかった。ここを離れて、戦いに行っていたのはそう長い期間ではないはずなのだけれど、すっかり、人の住めるところではなくなっていた。
ビリーが地上に降りて来て、そしてずっと暮らしていたのがこの家だった。
ここが建ったばかりのことはよく憶えている。
地上に来て、すぐの頃はアクヴィの片隅にある、別の島に住んでいた。そこはソラリスの脱走者が集まったコミュニティで、軍人崩れが多かったせいか、とても整然としたアジトだった。いま考えるから地上らしくなくて違和感を感じるわけだが(ましてやバルトのアジトなどを見ているだけに)当時はソラリスから来たばかりだったし、彼らのことをソラリスから逃げてきたけれどその暮らしが忘れられない人たち、とは考えなかった。
けれどジェサイアはそう考えていた。もともと純血ソラリス人とも思えない粗野な男だ。ソラリスに馴染めなかったように、コミュニティにも馴染めなかった。それで、ここに家を建てたのだ。
コミュニティにいた人たちはソラリスから逃げて来た、と言ってもジェサイアのように戦おうと思って下ったわけではなく、ただ大地への冒涜に対して耐えられずに逃げ出して……やっぱり強大すぎるソラリスに太刀打ち出来ないと諦めてばかりいる人たちだった。覇気がなくて息のつまるところ。ジェサイアとラケルはそう言っていた。あんなところ、ソラリスとなにも変わらないのだそうだ。
アクヴィはラムズの生活圏だったが、イグニス大陸に比べると、流通の便が悪いせいで極端に人口率が低い。商船の船長から勧められたこの島は、今は人が住んでいなくて買い手を探しているということだった。その島を訪れてジェサイアは一目で気に入り、あんがい安値で島を手に入れた――人が住んでいないのは、どうやらいわくがあったかららしいのだが、そんなものを気にするブランシュ一家では、もちろん、なかった。
家を建てるまではテントで暮らした。ジェサイアもラケルも、例のコミュニティにはいたがらなかったのだ。
だれもいない島で、だれも知らない島で、そうやって三人の暮らしがはじまった。木材を運びこみ、人を雇い入れて家ができるまで三ヶ月がかかった。
家が出来上がり、建設中は危ないから、という理由でまったく入れてもらえなかった家に、はじめて入れてもらえた。その日までは、遠くからジェサイアが汗にまみれて大工たちに怒鳴っているのを見ているだけで、それが自分の家だ、という実感は湧かなかった。
ラケルに手をつないでもらって、家に入った。もう夕方だった。木材と工材のにおいに満ちていたけれど、新しい家の中は、灯されたあかりでとても明るかった。
「どうだ? 俺が造ったんだぜ、ビリー」
ひとしきり案内すると、ジェサイアは言った。
「最後にとっておきのところがあるんだ」
そう言って手を引いていったのは夫婦の寝室の奥だった。本棚の前に立つと、ビリーが首を傾げるのでジェサイアは笑った。
「見てろよ」
ジェサイアが棚に手を伸ばし、なにやら本をいじくっている。父がなにをしているのかさっぱりビリーはわからなくて、なにをしているの、と言った。
その瞬間だ。目の前に、扉が現れた。
本棚は左手にスライドし、その奥にあった扉が出てきたのだ。ビリーはあんぐりと父を見た。
「さ、開けてみろ」
言われるままに、ドアに手をかけた。
押し開けると、……中に部屋があった。木作りの机とベッドと、まだなにも入っていない書棚があった。
「ここ、なんの部屋?」
半ばわかっていて期待しながら、ビリーは聞いた。
「おまえの部屋だよ。ビリー」
ジェサイアは言いながら、ビリーの髪の毛をかきまぜた。
本当の用途はなにかあったときの隠れ部屋になるはずだったのだけれど、両親は合理的なものの考え方をしていて、普段はビリーの部屋にすることにしたのだ。
ビリーの喜びようはひとかたではなかった。大して広くもない部屋の間をとびまわり、やたらとはしゃいでさすがのジェサイアも辟易したらしい。
「おいビリー。この部屋は秘密の部屋なんだぜ。俺と、おまえと、ラケルしか知らねぇ秘密なんだ。だから、ここで騒ぐとだれかにここの秘密がばれるかもわからんだろ」
僕ら三人しかいない島でなにを言っているのだろう親父は……と思わないでもなかったが、ビリーははあいと返事をして静かにはしゃいだ。
そのうちに日が暮れた。
まだ台所は整っていなかったので庭で簡単に調理をして夕食を済ませた。
(新しくて僕の部屋のあるおうち)
……それが、この孤児院だった。
ジェサイアがいなくなりラケルが殺されて、ビリーはこの家を棄てようか、とも考えた。木の床にこびりついた母親の血をさすりながら、どこかもっと、プリムとふたりで暮らしやすいどこかを見つけたほうがいいのではないか、そう思った。ジェサイアへの恨みばかりが募っていた頃だ。それでも親父が帰ってくるかもしれない、という一縷の望みをいだいてとどまっていたのだけれど、ほどなく諦めざるを得なかった。
ストーンについて教会へむかったときは、もう家に帰るつもりはなかった。だからきれいにかたづけて、プリムの手を引いて島を離れた。
教会で働くようになって、やがて親を亡くした子供たちのために孤児院を持ちたいと思った。それでちょうどいいのは結局、あの島あの家で、そして帰って来たのだ……あの時も、家は荒れ果てていた。
でも今は、不在の間にウェルスらが徘徊したせいで悪臭がつき、壁は抜け、柱もかしいでいる。もう住めたものではなかった。
それで、はすむかいにもうひとつ、家を立てている最中だった。孤児院を再開するつもりで、前の家はたくさんの子供たちを養うには手狭だったので部屋を広く取り、ジェサイアもプリムも暮らせるようにしようと思っていた。
新しい家の図面を引くときは、この家に心を引きずられながらも胸が躍った。新しい家、作りたい家。――作りたいのは建物ではなく、彼の思い描く家族のほうだ。かつて孤児院にいた子供たちは、戦争の間、ニサンに預けていたのだが、それでも全員が無事、というわけにはいかなかった。心の傷を癒しながら、今はまだニサンにいる。このまま引きとってもいい、という旨を伝えられたが、ビリーはできれば、この島に戻ってきてほしかった。
ビリーが作りたい新しい家は、建物ではなくて家族で、……それにはあの子たちにいてほしかった。
ジェサイアは、はじめ新しい家には彼の部屋がない、と思いこんでいたようなのだが、青写真を見て満面の笑みを浮かべた。
「なんだよ、俺の部屋があるじゃねえか」
「大して広くないけどね。まあしょうがないよ。どこもお金がない時代だし」
「いやいや、立派なもんだぜ。おい、親父の力が必要なときはいつでも言えよ。なんでもしてやるからな」
そう言われたのだけれど、この家を建てるのはジェサイアの力を借りずにやりたかった。
それでいろんな人たちに頼んで、いれかわりたちかわり、皆が時間を割いてこの島にやって来てくれて、家は順調に建っていっている。
ジェサイアも、気になるようでたびたび島にやってきた。ビリーは頑として、彼を家に入れなかった。
一番最初に、家ができたら入れてあげよう、と思っている。そして彼の部屋を見せてあげようと。
前の家は、子供たちが戻ってくる前には処分しなければならないだろう。なにしろ梁も柱もめちゃくちゃになっていて、いまにも倒壊しそうなのだ。新しい家ができて、ジェサイアに部屋を見せて、それからこのボロ家のことを決めるつもりだった。ジェサイアの建てた家だ。彼のいない間につぶしてしまう気にはなれなかった。
色々な記憶がここに詰まっている。ジェサイアにしてみれば、ひとしお、だろう。彼がここにいたのはそう長いことではなかったけれど、それでも思い出が詰まっているはずだ。彼もこの家を建てるときに、心を躍らせて図面を引き、ラケルとビリーのことを思っていたのだろうから。
願わくば、新しい家はずっと建ち続けていられますように。ビリーはそう、祈った。ジェサイアが築こうとした家族はもうない。いまあるのは、違った形の家族で、そのために新しい家が必要だった。
新しい家に、一番に入るのはジェサイアだ。
なんと言って部屋に連れて行こうかと考えながら、ビリーは孤児院を出た。
夕暮れを迎えて、この日の工事はもう終わっている。何人かが菜園の跡地あたりで焚き火を燃やし、夕飯の準備をしていた。夜は、建ちかけの家の中で眠っている。それくらいには建ってきたのだ。あと一ヶ月もすれば、ジェサイアを迎えにいけると思う。
一日でも早く、その日が来てほしかった。
[
back ]
便内ぱおさまにさしあげていたジェビリ。これもすごく気に入ってた。ゼノって父と子の話だと思うんだけど、最後に父親が生き残ってくれているのってジェシーくらいなんだよね……だから、ジェビリってすごく好き! えー、プリムのこと書けなかったのが心残りかな。もう少し長く書き加えたいような……(040728)
(C)2004 シドウユヤ http://xxc.main.jp