アバルの息子
『アニマの器』を探しに行く、という話をしたとき、ジェサイアは大仰に顔をしかめた。
「『アニマの器』、なァ」
 そう言ってついたため息は、ビリーがむっとするぐらいに酒くさい。ジェサイアは更にグラスに口をつける。
「人の話を聞くときぐらい、酒を置いたらどう!?」
 夜遅く、ガンルームには他に人影はない。照明もほとんどが落されているから、うなりをあげて稼動するエンジンの音さえなければ、戦艦の中とは信じられない。
 ビリーは腕を組むと、父親を睨みすえた。
 ジェシーはいきり立つ息子をわざと怒らせるように、またグラスを傾ける。
「『アニマの器』、とかいうのがなにか大切なことなのか?」
「うん。とても大事だよ。だから、見つけに行く。シェバトの方から、さっき連絡があって、それがあるらしきところがわかったんだ。ゼボイム文明の遺跡のひとつだよ」
「『アニマの器』なぁ」
「なんでそんなに嫌な顔をするんだよ?」
 ジェシーはま新しいグラスを引き寄せると、ブランデーボトルを手にとってなみなみと注いだ。自分の脇においてから、そのグラスの前にある椅子に、座れと手で仕種した。
 仕方なく、ビリーはそこに座る。
「おまえは同調率が高いって事はわかってるな。……飲めよ、それ」
「こんなに飲めない」
「飲んどけ」
 ビリーにグラスを握らせると、ジェシーは自分もグラスをあおる。ビリーがアルコールを飲み下すのを見届けて、言葉を続けた。
「探しに行くその『アニマの器』はおまえのかもしれねぇ」
「それが、なんだよ。いいことだと僕は思うけど。それはまたひとつ、僕らのための力になる」
「これ、うまいだろ」
「……まぁ」
 ビリーは半分ほどになったグラスを置く。
「『アニマの器』のこと、まだ、なんかいうことあるんだろ?」
「『アニマの器』に同調したってよ、それでどうなるかってぇのは誰にもわからんぞ」
「でも、なにもしないよりマシだ」
「それで山ほど人が死んでもか? それでみんなが人じゃいられなくなってもか?」
「……それは」
 よかれと思って散布したリミッターを解除するナノアセンブラが、別の機構を持っていて、反応した人々の身体を人外のものに変えていた。今、この瞬間にも彼らの細胞は変化させられていく。
 ビリーがかつて、ウェルスと呼んで殺していったものと同じ異形の姿に。
 孤児院の子供たちも、当然だがそれから逃れられなかった。生き残った子もいるが、命を失ったもの、形を失ったもの、……さまざまだ。
「どうなるかはわからねぇ、ってのはそういうことを言うんだぜ。おまえはその責任を取れるのか?」
「その責任を取るためにも、僕には力が必要だよ」ビリーは、父親を見据えて言った。「もう、皆で決めたんだ」
 そこに迷いはなく、ジェシーはため息をつく。
「正直言うと、自分の息子には同調なんかしてもらいたかねぇんだ」
「同調するって、どういうことさ? 親父は知ってるのかよ」
「俺は知らないな。だが、ヒュウガが言ってたぜ。それで世界が変わったって。あいつは、俺が知ってた頃とはまったくの別人だ。……」
「でも、バルトは変わってない」
「あれは、あいつの『アニマの器』じゃない。すでに覚醒していた『アニマの器』に同調したにすぎないんだ。その違いはわかるか?」
 ビリーは杯を重ねる父親につられるように、アルコールを飲んだ。
「わかんない」
「ったく、おまえらはなにが一番大切か、ってことを見逃すな、いつもよ。
 やっぱりちょっと早かったな」
「なにが?」
「ソラリスを出てくるのがだよ。おまえはあの国のことってどれぐらい憶えてるんだ?」
 問われて、ビリーはソラリスを思い出そうとした。小さな頃過ごしたエテメンアンキの家のことは、割と憶えていると思う。そのあと暮らした地上の家とは、ずいぶん様相が違ったから記憶に残ったのだろう。
 つるつるとした白い壁が好きで、ビリーはよくそこに落書きをした。ジェシーやラケルに見つかる前に必死になって綺麗にするのはシグルドの仕事だった。
 同じ年頃の子供と遊んだ憶えはない。いまにして思えば、有望な将校候補の間にできた早すぎる子供、というのであまり遊び相手はいなかったのかもしれない。
「……すこしは憶えてるよ。確か、六つか七つぐらいまでいただろ」
「そんな子供の世界じゃ、あの国のことはなんにも見えねぇよ。大人だってわからねぇんだから。あーあ、息子がかわいくてたまんねぇからって、ちょっと甘やかしすぎたよなぁ、俺も。ユーゲントに入って叩き上げられてたらちったぁマシだったかもしれねぇよ、ほんと」
「別に僕がのらりくらりと過ごしてきたわけじゃないじゃないか!! なんで、そんなことをオヤジに言われなきゃならないんだよ」
「おまえは嫌なところを知らないんだよ。確かにな、苦労をかけてすまなかったと思ってるよ。だが、実際おまえの身になにが起こった? 教会での暮らしは苦しかったか? そうじゃないだろう。おまえはなにも知らなかったんだから。
 疑うことを知らないんだ。疑うことを知らないっていうのは、考えることを知らないって意味だ」
「いま僕らがしてるのは、『アニマの器』の話じゃないか! 話が違う」
「これからそれになるんだから、大人しく聞いてろよ」
 ジェシーはグラスを、空になるまで煽った。また注ぎなおすのかと思いきや、そうはせずにカウンターの上にそれを置く。ビリーはそれを、目で追った。
「俺はユーゲントじゃエリートだった。ゲブラー総司令官のポストがあいて、俺は次の候補に選ばれた。選考されてく過程で、ソイレントシステムだのなんだのっていうやつの正体も、うっすらとわかりかけてきた。
『アニマの器』ってのを知ったのはその頃だ。軍の中でも重要機密事項。でもなにが『アニマの器』なのかだれもしっちゃいねぇ。ただ、それに関わってるのはソイレントだ。そして同調率が高い人間とかいうのを、あのカレルレンは集めていやがった。おまえがそうだとわかって、俺は慌ててあそこから飛び出した。
 そうじゃなきゃ、あの国で抵抗運動したって構わなかったんだがな。俺の息子を得体の知れねぇ実験で廃人にされるのだけはゴメンだった。実際、あの国に居続けて、どうなったかなんてだれにもわからねぇ。ソイレントに召還されることもなく、無事に暮らしてたかも知れないな。ただこれだけは確かだ。あそこにいたら、いまのおまえは絶対にいなかった。それがいいか悪いかはわからんがな。
 まあ……見つけに行くことを、みんなで決めたことだとか言うんなら仕方ねぇ。おまえが決心したっていうならな。ただ、いま言ったことだけはちゃんと憶えてろ」
「……うん…」
 ビリーは父親の長い話を、あやふやな気分で聞いていた。アルコールが回ったのだと自分でもわかる。ジェサイアは、わざと酒を飲ませたのかもしれない。息子に大告白をするのに、照れくさくて?
「あれはつまりは……この世ならぬモノだからな」
 次の日、ビリーはバルトのギアの前に立った。エル・アンドヴァリ。『アニマの器』と同調したギア・バーラーだ。
 珍しくそんなところにいたビリーに、フェイとバルトが声をかけて来た。
「こんなところにどうしたんだよ」
「――バルト、聞きたいことがあるんだけど」
「藪から棒に、なんだよ」
「『アニマの器』って、どんなもの?」
 バルトはしどろもどろになんとか説明しようとしたが、うまくはいかなかった。彼のかなり苦手な部類の哲学命題に入りかけて、三人は埒があかないとため息をついた。
「うまく説明つかねぇよ。俺だって、『アニマの器』とかいうのをこの目で見たわけじゃないし、なんとなく普通のギアとは違うのはわかるけど」
「ビリー、なんでそんなこと?」
 フェイに問われて、ビリーは昨日のジェシーとの会話を聞かせた。
「親父にたぶらかされたわけじゃないけど、本当に探しに行っていいのかな、って思ったんだ。少なくとも、もう少し考えたほうがいいかなって」
「どうして、シタン先生に聞かないんだよ?」
 フェイは至極当然の問いを発した。
 バルトに一番に聞きに来たのは、なんとなく、だったのだが。
「怖いのかもね」ビリーは自分をあざ笑う。「本当に同調した人から話を聞くのが。昨日、最後に親父が言った、『この世ならぬもの』っていう言葉が気にかかってるのかもしれない」
「『この世ならぬもの』か。気にするなよビリー」
 フェイは暗い考えをふりはらうように言った。それにバルトも合わせ、
「そうそう。どうなるかとか、なにが起こるかとか、全然わかんないんだし。でも、最悪のことなんかはおこらないと思うぜ。シタン先生はああやってぴんぴんしてるんだしよ」
 二人から言われて、ビリーはうなずいた。
 気にするべきか気にしないべきか、彼はずっと考え続け、日は過ぎた。器を探索する予定の日が来たが、シタンから話を聞くこともなく、ビリーは、フェイらとともに艦を出た。
 ――遺跡の奥底に、それはあった。
 神々しい光をまとい、中空に浮ぶそれが『アニマの器』だと、一堂は理解した。はじめて見るそれは、だれも思っていない形をしていた。
 考えていた、どんなものとも似ていなかった。いや……どんなものか想像することも出来ていなかったのかもしれない。
 なのに、それは『アニマの器』だと、だれもがわかったのだ。
 ――これが『アニマの器』か。
 ビリーは声もなく、その前に立ち尽くしていた。
 ジェサイアとの会話を思い出しながら、ビリーは考える。
 ――これのために、親父はソラリスを出たのか。もしも、ソラリスにいたままなら母さんは死ななかったかもしれない。……僕は死んだかもしれない。
 彼は食い入るように、その異形の物体を見た。いままで見たなにとも違う、その存在を見つめた。
 ――あなたを待っていたの、待ち続けていたわ。
 声が聞こえたのはそのときだ。確かに自分に語りかけている、とビリーは感じた。『アニマの器』に刻まれている、瞳に似た文様がまさしく目のようにじっとりとビリーを見つめ、捕らえていた。
「僕を……待っていた?」
 それは、二度とは応えなかった。しかし明確な言葉にはならないだけで、ビリーの心に入りこんでいくのがわかった。
 体の中に、光が染みこんでくるよう。
 そのとき『アニマの器』は光と消えた。一瞬、啓示するかのようにレンマーツォのイメージが見えて、かききえる。
「消えた……?」
 そう呟いたのは、だれだったか。しかしビリーは確信を抱いていた。
 ――僕は同調した。あれは僕の、『アニマの器』。
 シタンを見ると、彼はうなずき返してくる。
 ビリーのギアを見ようと、部屋を出ていくときにシタンがビリーに並んだ。
「あれは女神の心のかけらだ、と私は聞きました。しかし、己の感覚で計るには、あまりにも大きすぎます。ビリーくん、信じる必要があるのは自分が見たものと、自分が感じたもの、それだけです。その背後にあるものなんて私たちに必要ありません」
「つまり、あれがなんであるか思う必要はないと」
「ええ。理解したところでなんになりますか。理解しようとしまいと、我々はあれが命を吹きこんだギア・バーラーに乗り、戦う。それだけなんですから」
「僕は、」
 ビリーは戸惑って、言い淀んだ。シタンにずっと尋ねることをしなかったのは、シタンは正しく『アニマの器』のことを理解していると思いこんでいたからだった。
「先生は、同調して世界が変わった、と言ったそうじゃないですか」
「正しくは、私が変わったんです。世界が変わるわけではありません。世界はありのままにあるんです」
 ビリーは、ソラリスを飛び出た父親のことを思った。彼のことだから、危険だと知ったその夜には飛び出したに違いない。必死の形相で、命を狙われながら。
 そうした父の想いと、死んだ母の命のために、ビリーは『アニマの器』とはなにか知りたかった。でも答えは消えてしまった。だれも、知らない。
「僕は、」
 ビリーは言って、空の遺跡をふりかえった。
 そこに求めているものはない。
 答えはすでに彼自身の中にあった。そしてその姿は、ビリーに中に流れこむと同時に光を放つことはなくなり、どこに行ったのかもわからないのだった。





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これもまああの、蛇足を説明すると、「最後の花火」があった上で読むと、親父の苦労がよくわかるはずです。楽しんでるから苦労じゃないのかな…… あ、このサイトではビリーの設定は20歳で……て。いい大人は子どもに酒を飲ませてはいけません。(080310)
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