コックピットを開けると、日没で急速に冷えてゆく外気がどっと入りこんで来る。ロニは深く息を吸いこみ、立ちあがった。吸いこんだ空気は冷ややかだが生臭い。全身に掻いた汗が冷やされていき、寒気すら感じる。
眼前に広がる砂漠を、死が覆っていた。異形の悪魔たちのみならず、沈黙したギアや、その他たくさんの人間たちの亡骸だ。もううんざりだ、と嘆きたい気分だったが、生き残った人間たちの視線は姿を現わしたロニにむかっている。寄る辺なき地上で人びとが拠り所にしているのはいまやロニだけだった。彼は跪き、西にむかってニサンの聖体の形の十字を切る。そして呟いた。
「陽の沈む場所へ、」
人びとが自分に続くのがわかった。そうして祈りが砂漠を満たし、風が死んだ者たちの魂を地平線の下へと押し流してゆく。これで今日の戦いは終わりだ。しかし戦いそのものの終わりは見えない。悪魔たちを殺し続けるこの戦いは、砂漠に穴を掘るようなものだ。どこから生まれてどこに消えるのかさえわからない悪魔たちは、ロニたちに終わりのない悪夢を見せていた。彼らは生命そのものに怨嗟を抱いているのだろう。ロニたち地上の人間だけではなく、ソラリスの人間たちだけでもなく、すべての、命を持つありとあらゆるものを憎んでいる。その悪魔たちを殺戮者だからと憎むことは、矛盾するようだが自らも命を憎むことになってしまう。みなの心にソフィアが遺したニサンの教えがあるとはいえ、このままではいずれ生き残った者たちもやがてはその憎しみに冒され、壊れてゆく。
それが、ラカンの抱いた森羅万象への憎しみだ。憎しみは伝播し、ディアボロス以上に人びとを苦しめる。ソフィアがかつて指し示した希望の光はいまは見えず、そんなあやふやなものより、人びとはロニのような力そのものを求めていた。
(だが、自分の魂を壊されたからといって他人の魂も壊す、というのは子供じみてやいないか、ラカン?)
そう思いながら、ロニは立ちあがった。
このままでは滅びるだけだ。諸悪の根源はいまやラカンの存在、その悲しみ、そして憎しみだ。どうにかしてラカンの息の根を止めるしかない。日々の戦いに明け暮れながら、ロニはどうにかしてその方策を探っていた。いかにラカンの怒りが正しいものだとしても、だからといって自分の命をさしだすつもりはない。もとよりロニは生き汚い人間だった。生き延びるためであれば、どんな汚辱でも受け入れられる、そういう人間だ。それこそが彼に与えられた誇りなのだ。英雄と人びとに呼ばれているからこそ、ロニはすべてを引き受けることができる。友人殺しだろうと、なんだろうと、ためらうつもりはなかった。
祈りのあと、威風堂々たる有様で落日を見るロニの姿を人びとは瞼に焼きつける。この地獄で優雅な高潔さなど無意味だ。真の誇りとはなにかを彼らは目の当たりにする。ソラリスとの烈しい戦いの中にはたくさんの英雄がいたが、いまやロニ・ファティマとその弟だけが、最後の英雄として、つまり真の英雄として残されていた。
ここしばらく、眠りは泥に沈むように深く、一度も夢を見ない。弟に肩を揺すられて目を覚ましたロニは、顔をしかめて上半身を起こした。
「なにかあったのか?」
「密使だよ」
「密使? どこからの」
戦闘で痛めつけられた神経はいささかも休まっていない。不機嫌そうにロニが起きると、弟は肩を竦める。彼はロニよりもよほど出来た人間だ。冷静で、自分の感情を押し殺すが、冷淡ではない。口にする言葉は強く、そして正しい。ともすれば利害とか人の裏を読むことにばかり気を取られてしまうロニを諌めるのはレネの役目だった。
「ソラリスからだ」
「本当か? だれから?」
「ガゼル法院、とか言っていたよ。ソラリスの最高決定機関だよな、それ?」
「本物かな?」
「さあ、話してみないことには」
「わかった、行こう。来てくれるか」
「ああ」
長い金髪を無造作に編んで、ロニは上着を羽織った。頭の中ではいつもどおりの計算がはじまる。相手がわからないではどういうなりをしていくべきか迷うが、見苦しくはない程度、だがここが悲惨な戦地だということを忘れないように身なりをととのえ、部屋を出た。
ディアボロスたちがソラリスをも襲っている、という情報はロニも得ている。密使というからには手を結びたいということなのだろうか。
ソラリスの人間が地上に干渉することは珍しい。もともとソラリスの植民都市であったシェバトは、見かけだけにしてもソラリスと対等だったが、ソラリスは地上の人間たちとは交渉する必要すら感じていなかっただろう。かつて交わしていた戦争はソラリスと地上とのものだったが、ソラリスが真に警戒していたのは、ニサンと戦っている隙にシェバトが襲いかかって来ないか、ということだった。ロニはもちろん、ソフィアですらソラリス上層部との交渉はない。
それがいまさらだ。シェバトはディアボロスたちの攻勢を受けかなりの被害を出しているというし、王や王太子の話を耳にしなくなったところを考えると、王族たちももはや死亡している可能性があった。だから地上にしか話の持っていく先がない、ということだろうか。
ファティマ兄弟が
艦橋の傍にある小部屋に入ると、部屋付きの兵士は会釈をして出て行く。ソラリス人は色素の薄い銀髪の男で、
方解石のように殆ど色のない、捉えどころのない瞳をしていた。男はロニを見て立ちあがり、手を差し伸べて来る。
「はじめまして。ルツ・デリウスだ。あなたがロニ・ファティマ殿か?」
男の無表情さは、どこかしらロニの胸にひっかかりをつくった。おそらく軍人なのだろう、長身でたくましい。所作に隙がないのは、ソラリス人ゆえなのか、それとも彼の性質なのか。ロニは手を握り返すことはしなかった。愛想笑いも浮かべない。
レネはロニの態度にいささか困惑したようだった。こういう相手は油断させて取りこむのが、いままでのロニのやり方だ。だが、ロニはソイレント以後、かつてのように愛想よくあちこちに媚びるような態度を取らなくなった。宗旨替えをしたわけではない。以前も、必要がなければそんなことはしなかった。
そもそもロニの性質は抜け目がないというところにあり、その上にまとう衣がどんなものかを自分で選ぶことができる男だったというだけだ。
商人だったロニ・ファティマは、必要とあればなんでもした。だが、彼はもうそうして生きることを許されなくなっていた。相手が憎むべきソラリスの人間だから冷たく当たるのではない。――ロニは地上にあって唯一無二の英雄になろうとしている。この頑なさは、そのせいだった。
「その通りだ。ソラリスのガゼル法院があなたを派遣したと聞いたが、真実か?」
「多少、言葉が違うようだ」
ルツ・デリウスは気にした様子もなく伸ばした手を引き、冷然と続けた。
「私はガゼル法院が一人である。
人類はいま未曾有の危機に直面している。これは地上とか天上といった人種や国家間の諍いとは次元を別にしたこの惑星の危機だ。我われはそう判断し、奴らディアボロスどもを駆逐すべく協力の要請に来たものである。話は聞いていただけるかな?」
男はどこまでも尊大だった。この惑星の支配者が神聖ソラリス帝国であり、その統治者が彼らガゼル法院だ。彼らを束ねる天帝カインがいるとは言うが、おそらく法院こそがソラリスそのものなのだろう。尊大なのは当然なのかもしれない。
だがその物言いこそ、地上の民と彼らの違いだ。シェバトの奴らもこういうものの言い方をした。
ロニが彼らのような尊大さを身につけることは、いくら時間がかかってもないだろう。彼らと地上の砂漠に生きて来たロニでは魂の形が異なる。
艦の中にいても、ロニ自身の魂の拠り所は常にあの熱く乾いた、死の砂漠だった。ロニは世界が人間のままならないものだと知っている。どれほど進んでいようとも、科学力などでは太刀打ち出来ず、刃むかおうとすれば飲みこまれる。
「話だけなら構わない。彼はレネ・ファティマ、私の副官だ。同席させてもらう」
弟をそう短く紹介し、ロニは椅子に腰を降ろした。
ルツはソラリスの状況を端的に説明した。そもそも人民の数が少ないソラリスは、既に被害も甚大であり、神聖帝国の墜落も時間の問題だという。ルツが属するガゼル法院はソラリスの最高機関であるが、十二人いるべきメンバーのうち八人がディアボロスによって虐殺されていた。先のソイレントまでで死亡したのが三人だ。……つまり最後に残されたルツ・デリウスはいまやガゼル法院そのものなのだった。
「奴は我われを憎んでいるのだ」
無表情のまま、ルツはそう言った。
「我われ十二人のアニムスが母の子だとすると、奴もまた我われにとって兄弟に他ならない。だがそれゆえに奴は我われを憎んでいるのだ。近親者への憎しみは余計に強くなるものであるし、彼は母に愛された子供だが我われはそうではない。それゆえに我われは母に反発もし、母も我われに容赦しなかった。母と結びついた奴の怒りなど我われに言わせれば幼児のそれに過ぎぬ。そうだろう、奴の怒りや嘆きと言われるものは、ただ母が目の前から連れ去られたというだけのことなのだからな。だが奴はこの世界で唯一の接触者だ。我われにすればそれは妬ましいことでもある」
男の言葉は比喩に過ぎないはずだが、比喩にならぬものを感じられた。それはソイレント以降、ロニたちの近くで鳴り響いていた不協和音と同じものだ。ラカンの言葉やディアボロスとかいう異形のものたちのむこうに透けて見えるもの。だがロニはそれを理解しようとは思わなかった。彼らの物語には関わるまい。なぜならロニは、この地上に生きる者だからだ。
「それで。あなたがたが憎まれているというのがいまさらどうだと言うんだ? 彼は昔から憎んでいたよ、あなたがたすべてを」
「そうだろうとも。生まれたときから互いを憎みあって来たのだから。だがなぜこんなことを言っていると思うのだ? 難しいことではない。あなたもまた奴に憎まれている。ロニ・ファティマ殿。あなたは対存在を見殺しにし、母を殺した張本人ではないか」
ロニは思わず眉をしかめた。
「なんのことだ」
「あなたにわかる言い方にするなら、あなたは奴の恋人だったソフィアが自らを犠牲にするのを止めず、奴が信頼を寄せていた
M・ジェン・キーファを殺したのだ。それで憎まれていないはずがない」
「だから、ここに来たと言うのか?」
ロニは言いながら、男が口にした二人の女のことを思い出した。特攻すると決めたソフィアを、彼が止めなかったのは確かだ。彼女が旗艦から他の人びとを退去させているときに、ロニはあの結末を予想していた。しかしロニは手も足も出せない状態だったのだし、他の人びともそうだったはずだ。
ソイレントの最後の日、ソラリス軍の目的はソフィアの捕縛だった。シェバトからの援軍はソラリスの都合のいいように動き、ソフィアに、彼女さえソラリスに従えばみなの命が助かるとさえ伝えて来た。ソラリス軍の動きを見て、ロニは艦橋を離れて数機と共にギアに乗り出撃した。
ソフィアが総員に退去指示を出したのはそのすぐあとのことだ。
――なにをするつもりなんだ?
問いかけたロニの通信に対して、ソフィアは既に決意をたたえた顔で言い切った。
――捕らわれるのであれば、私一人でいいはずよ。私は、あの人を助けたい。
ロニは止めなかった。ソラリスもシェバトも、ソフィアを地上からうまく取り除いて利用するつもりだった。しかしロニだけは、ソフィアがニサン教母『ソフィア』でいる限り、生きるよりも死んだほうが都合がいいとさえ思っていた。だから止めなかった。行け、とは言わない。でも、感づいていても止めなかった。
ソフィアの死と引き換えにシェバトに捕らわれたのはM・ジェン・キーファという名のソラリスの議員だった。戦争末期にソラリスで影響力を増していた彼女は、ガゼル法院によって排除され、シェバトで囚われの身となっていた。理由は定かではないが、ソフィアと同様、シェバトもソラリスも彼女を生かすことを望んだ。それは彼らにとって政治的な意味があってのことだろう。邪魔な女を交換して互いの利益とする、それ以外にも、シェバトとソラリスにはまだ密約があるのだ。
だが、とソフィアを崇拝していた者たちはみな考えていた。ソフィアを殺した国の女をなぜ生かしておくのだ。ソフィアが死んだのであれば、あの女も死ぬべきだ。
M・ジェン・キーファを始末しなければならない、とロニも考えていた。囚われの身でありながら、キーファ議員は平然と過ごしていたし、その態度は奇妙だった。自分がシェバトやソラリスにとって始末できない存在であることを確信し、ただ自由になるときを待っているだけにさえ見えた。シェバトとソラリスの密約を反故にさせるためにも、彼女は死ぬ必要があったが、その機会はなかなかなかった。
ソフィアを失ったラカンはキーファ議員に惹きつけられていたようだ。彼はソフィアを愛していたのではなく、無類の神性を誇る女に傅きたい嗜好があるだけなのかとも思ってしまったが、二人のやりとりを垣間見るにそういうものとは思えなかった。キーファの言葉に洗脳されていくラカンに、ロニやレネがなにを言っても無駄だった。
ラカンが失踪した日、ロニはシェバトの許可を得ず彼女を尋問し、そして死なせた。
あれ以降姿を消していたラカンが、キーファ議員の死を知っているとは思えない。だが、ルツ・デリウスの言いようではラカンはそれを知っていて、さらに、ルツはそのことも知っている、というわけだ。
(つまりラカンと交渉がある、というわけか)
共闘する提言が言葉通りのものとは思えなかった。指揮系統の崩壊したシェバトではなく、まがりなりにも軍隊の形式を留めているファティマに来たというのは理解できる。ただ危機に対するのではなく、ラカンの標的そのものであるから互いに手を組もうというのも。
だが地上の人間たちの牙城として最後に残されているのがロニとレネだ。特にキーファ議員の殺害以降、ロニの力は増している。それを邪魔に思ってディアボロスもろとも片づけられることもないとは言えない。
もっとも、ソラリスがそこまで地上の動向に気を配っていると予測するなど、考えすぎかもしれないのだが。
ルツ・デリウスは平静なロニの反応に焦れた様子もない。それもどこか、不自然な気がした。尊大な彼らはロニが泰然としていると却って自らが動揺する。しかし男はロニの様子を当然のものと受け止めていた。まるで、ロニ・ファティマという男のことをよく知っているようだ。
間諜からもたらされた情報を元にロニのことを分析しているのかもしれないが、どこかにひっかかりを覚える。
「彼女たちは奴にとって呪いのような存在だ。彼女たちを殺した者を、許すことは出来ない。奴が望もうと望まぬと関わりなく、な。それを思えば憐れでもある。我らもまた呪いから自由な身ではないが、奴ほどではない。解放はまた奴のためにもなろう」
「口ぶりからするとあなたがたは『グラーフ』をよく知るようだ。彼の憎悪とやらをなだめてやるつもりなのか?」
ロニは、敢えてラカンとは呼ばず、グラーフと言った。ディアボロスの頭領にはその名のほうが相応しかったし、ロニにはラカンの憎しみがどうとかいうことはもはやどうでもよかった。ラカンの憎悪を取り除くことで事態の収拾が図れるか、と言えば、もう無理な話だ。ソフィアの肉体は爆発の中で蒸発してしまったし、魂は陽の沈むところへと流され、二度と〈ソフィア〉という存在にはならない。
(いや、ラカンは彼女のことをエリィと呼んでいたな……)
子どもの頃、彼女が教母ではなくただの少女として存在していたときの名前で呼んでいた。ラカンにとってソフィアの指導力や政治的な価値など意味がなかったのだろう。だとすればなおのこと、ただの感情でソフィアを死に追いやった世界を憎んでいるというのならば、ロニには受け入れ難い。
「それは出来ない。呪いを解くことができるのは魔女だけだが、その魔女はいないのだからな」
ルツはそう言った。
「だからこそ、奴を殺すことは奴のためになる」
「私の気を引きたいのであれば、言い方を変えたほうがいい」
ロニはちらりと背後の弟を見た。レネは表情を作らずに佇んでいるが、考えていることがわからないでもなかった。
「グラーフを倒すために、あなたがたと手を結ぶ必要があるとは限らない」
「ファティマ商会の戦力だけでそれが出来ると?」
「そうとは言っていない。ただグラーフを倒すためだけであれば、あなたがたと手を結ぶときにはメリットをデメリットが相殺する。取引が成り立たない」
と、ようやくルツの表情が揺らいだ。
「ロニ・ファティマは腹の底から商人だ……と聞かされてはいたが、なるほど」
ロニもまた、男の口調に眉をひそめた。そんなことを言う間諜があるだろうか。ラカンとルツが交渉していたとすればそんな言い方もあったかもしれない。だがロニはふと、まったく別の男のことを思い出していた。ソフィアが死んで、姿を消した男は二人いた。一人はラカン、そしてもう一人が僧兵隊長カレルレンだった。
カレルレンはソイレントから失踪し、だれもが生きていないのではないかと考えていた。
(まさか)
カレルレンが生きていて、いまはソラリスに身を寄せているとしたら。
それなら納得がいく。ルツがシェバトの残党ではなくファティマに協力を求めに来た理由は、生き残った人間たちの勢力図をカレルレンが把握しているからだ。そして彼は、ロニがなにかを成し遂げると判断したのだろう。
そうだとしたらソラリスと手を組んでも、ラカンともども殺されることはなさそうだが、余計にロニは彼らと組むわけにはいかなかった。カレルレンの目的がなんであれ、彼は地上とか天上とかいう人間のあり方には興味がないのだろう。しかしロニにとってそうではない。彼が勝ち取るべき自由は大地と人間の絆を回復することだ。この地上で血にまみれて戦うほかに手に入れる方法はない。妥協は堕落だ。ロニはおのれほど強い人間など滅多にいないことは知りつつ、その試練をすべての人間に求めるつもりだった。その強さこそが人間の人間たるべき価値であり、荒漠とした砂漠を前にして人間として存在することが許される条件だ。その強さがなければ人間とすら呼べない。
ロニは立ちあがった。
「あなたがたの提案を呑むことは出来ない。所詮、天上に生きる人間と地上に生きる人間は違うのだ。あなたがたにとってこれは大いなる厄災であり、滅びの危機かもしれないが、我われ地上の人間にとっては試練であり、この大地で生き延びるための条件でしかない。グラーフを倒すという目的は同じだが、意味が違うのだ。……帰ってそう伝えられよ」
「ロニ殿」
「ソラリスが天上にあり続ける限り、私は大地からそこに刃むかおう」
そう告げると、ルツは目を伏せた。
「なるほどあなたは自由なのだな。いやはてに勝つのはあなたかもしれぬ」
いやはてに、という言葉に含められた意味を、ロニはどことなく理解できるような気がした。たとえラカンを倒してディアボロスどもを退けたところで、勝利などと言える状態ではあるまい。ソラリスもシェバトも崩壊しかけているが、それは地上の人間たちとて同じだ。ロニが生きているうちに、ロニが思うところまで辿りつけるとは思えない。
しかし大いなる種はいずれ実を結ぶ。人の身であるロニにはいやさきを務めることは出来てもいやはてまで見届けることは出来ない。だが大地と時間が連綿と続く限り、最後に地上に立つ人間が勝つのだ。ロニのすべきことは種を蒔くこと、そしてその樹が枯れぬように手を打っておくことだ。
この男はその時間の流れを見ている。ソフィアが死んで聖女から女神となり、その名を残すように、ロニは英雄となり王国を建ててその名を残す。それはみないやはてに待つ勝利のためだ。最後に残るのは大地に立つ人間しかありえない。ロニはそれを確信している。技術や知恵などなにほどのものでもない。ただ畏れと誇りだけが勝つ。
権力を望んで彼はここにいるのではなかった。それは手段に過ぎず、荒野の羊飼いがそれをなす条件だとしたら、ロニはすぐさまここにいることをやめるだろう。だが王と王国だけが千年ののちまでその樹を養う。
「ご武運を祈る」
ロニはそれだけ言って、部屋を出た。レネは後には続かない。おそらくルツを外へと連れ出してくれるのだろう。それは必要な気配りだったが、停止して静まり返った艦船の中でたったひとり立ち尽くすロニは、言い知れない孤独を覚えていた。
彼ら兄弟は割れた碧玉の半分として支えあい補って生きて来た。ロニが英雄と言われてはいるが、それは事象をひとつの名で呼ぼうとするからで、彼と弟とはわかちがたい。弟だけは、最後まで自分についてくるとロニは疑わなかったし、だからこそ孤独そのものはロニとは無縁だった。
だがどうだ、ラカンやカレルレンのことを思うにつれロニもまた同様の孤独に取り囲まれているように思える。弟の魂はどんなことがあってもロニから離れることはないだろうが、その彼が時代の波の中でロニからもぎ取られることはありうるのだ。
千年後の勝利のためにロニもレネも自らのすべてを犠牲に捧げる。そうしてしか彼らの望むものは実をつけない。それがわかっているから、ロニはあらかじめよく知るしかない。彼は王となるが孤独だろう。ファティマ兄弟の絆は消えないが、レネですら彼を置いていくことになるだろう。だがそれをも呑みこまねばならない。
そうしてロニ・ファティマひとりが、この世の王となるのだ。
[
back ]
(C)2010 シドウユヤ http://xxc.main.jp/xeno/