NO LIFE, NO PRIDE
chapter1 DER WEG NACH DEM HIMMEL(天国への道)
「……どうして止めなかったんだ」
 その声に、ロニ・ファティマは思わず足を止めた。非難されることはもちろん、予想していた。『ソフィア』と同じ艦に乗っていて、彼女は死に、彼は生きているのだから。
 ソラリス旗艦にむけて特攻をかけた『ソフィア』、そしてその艦から降りた彼。……
「僕が止めたって、聞くような女じゃなかった。そんなことは知っているはずだ」
 ロニは遠巻きに、カレルに応えた。カレルは肩を落として、ギアの脚部にもたれていた。
 傷だらけであたりに群れる人々は、一様に絶望の表情を浮かべていた。戦闘によって荒れ果てた大地、そして失われた希望の光。
 レネは泣き疲れて魂が抜けたようになっているゼファーを支えて、暗い面持ちで立っている。ラカンは難しい顔でしゃがみこんでいた。ときどき、頬がひきつって歪む。
 カレルは視線だけでロニを殺そうとするかのように、睨みつけてくる。
「だから止めなかったというのか!」
「止めたさ。でも、結局は、僕は彼女の意思を尊重したに過ぎない」
「あの方がいなくなれば、我々は指導者を失う。また、統制のとれない烏合の衆に逆戻りだ。……ここまで来て!」
 カレルはずかずかとロニに歩み寄ると、間近で叫んだ。
「そのことの意味をおまえがわかっていなかったはずはないだろう!! それとも貴様も、シェバトの蛆虫どもを歓迎するというのか!! あの娘を」
 そう叫んで蒼ざめたゼファーを指差した。
「『ソフィア』の代わりにするつもりか? シェバトの王統と『ソフィア』の思想のあいの子か! 大した奇形児だ……!」
「君の言っていることはなにもかも一面に過ぎないな! 『ソフィア』を失った痛手はわかるが、もう少し冷静になったらどうだ? それに、ゼファーを侮辱する権利は君にはないんじゃないか。八つ当たりはやめるんだ」
「貴様のようなやつになにがわかる! 所詮はなりあがりの…」
「黙れ! 愚にもつかないことを叫んで僕を責めて、それでなにが出来るというんだ!? 君がそんなに後ろむきとは知らなかったな。……周りを見ろ! 『ソフィア』を失った人々になにが必要か、考えてみるがいい! 怒鳴り合いじゃないはずだ。しばらく頭を冷やせ!」
 人々は疲れ、倦んでいた。カレルもまた、絶望ということに倦んでいる、そんな顔をしていた。あまりにも哀れだ、とロニは思った。しかしいかにして彼の運命を覆せるだろうか? 『ソフィア』が生き残れば、カレルはまだ絶望しなかっただろう。だが、戦局は不利になる。『ソフィア』を人質として取られれば、人々の士気は下がり反乱は挫折する。
 だが『ソフィア』が気高い使命のために殉死したとなれば。
 ――僕は、結局それを選んだ。彼女の希望を聞いたわけではない、彼女の死が我々には必要だから、いや……死ぬことが必要だったわけじゃない。だがあれは、限られた選択のうちの最良のものだ。カレルが僕を責めるのは当然だ……あまりにも。……
 彼の気持ちは理解できた。ロニ個人は、カレルほどあの救い主として立った女を必要としてはいなかったが、カレルがソフィアに対して投げかけたのと(おそらく)似た気持ちを別の人に抱いたことはある。彼にとって、最も敬愛するべきは彼の父親だった。父が今も生きていて、ただ他人に政治の駒として消費されたならば、その父の尊厳のためになんでもしただろう。
 けれどカレルに同意するわけにはいかなかった。それは人々の前でロニがふるまうべき役ではない。ロニはただ手振りで、脱出艦を示した。特攻して今はなくなった主戦艦からの非難艦だ。カレルを艦に、という意味はすぐにも周りに伝わった。




 激昂するカレルを、艦の一室に閉じこめてから半日が経ち、夜が訪れた。夜半になって艦の周りには人々が集まっていた。皆が皆、ひどい顔をしている。
 傷病者が焚火を囲み、動けるものは銃を持って警備に立つ。そこには身分も人種もなかった。
 この極限状況でようやく、人の間の溝は埋められていた。
 ロニ・ファティマも例外ではなく、銃を手に地平の遠くを眺めていた。
 ソラリスは、撤退以後動きを見せない。レーダーサイトからは完全に姿を消していた。それは、レーダーがいかれてしまったからなのか、それとも彼らが引き上げていったのか、どちらか……わからない。勝手知ったる艦はシェバトに預けてあった。不慣れな臨時艦では出来ることも限られている。
 それにしても、と苦々しくロニは思った。
 ――カレルがあんなに取り乱すとはな。
 計算違いがあるとすればそこだった。『ソフィア』の喪失は手ひどい失望を彼に与えるだろう、とは思っていたのだが、あの男がただ錯乱するだけだとは思ってもみなかったのだ。
『ソフィア』は癒し手としてはこれ以上ない完璧な教母だった。しかし、為政者としてはやはり不十分だった。疵のない指導者は、ひいては反論を許さぬ独裁者といえる。素顔の彼女自身は充分に打算を持った人間だったが、その打算よりも激しい高波が彼女を遠くへ運んでいってしまったのだ。ソラリスが危惧したとおり、『ソフィア』の力は地上で大きくなりすぎていた。……ソフィアを排除しよう、というソラリスとシェバトの決断は、遅いと言ってもいいほどだ。
 後に残された地上のことを思えば、もっとはやくに彼女はいなくなるべきだったのだ。
 一番彼女にとって幸福な人生は、一年前に思想のみを遺して、ラカンと共にニサンを去ることだったかもしれない。けれどその頃は熱意のために盲目で、引き際を知らぬ若さだけが、彼女に、強いてはその周りを囲むロニたちのものだった。
『ソフィア』は人々にとって大事に、そして必要になりすぎてしまった、とロニはキャンプを眺めて思う。
 暇があればみな『ソフィア』のために祈りを捧げている。
 警備に立つ者も、ただ来るとも思えないソラリスの登場を待てばいい、というわけでもなかった。『ソフィア』の後を追おうとするものをなんとしてでも止めなければならない。一人死ぬたびに、闇が深まってゆくのはだれもが承知していた。
「……兄貴」
 いつのまにか、傍にレネが立っていた。
「交替するよ。兄貴も少し休んでくれ」
「……ああ。
 ゼファーはどうした」
「眠ってるよ。人をつけてある。眠る前に三回死のうとした」
「そうか。……絶対に死なせるな。彼女自身のためにも、……すべてのためにもな」
「わかってる。……」
 ロニは立ち上がると、銃を弟に手渡した。わずかばかりに砂埃が舞う。服の汚れをすべて払い落としたくなったが、その気力もなかった。重い武器から開放されて、体がやけに軽い。
「はは…重かったんだな、その銃」
「兄貴、ちゃんと休めよ。自分では平気なつもりでも、あんたは参ってるよ」
「ああ。そうだな」
 去りかけたロニはふと思いつき、足早に弟の元に戻った。兄が座りこんでいたのと同じところに腰を下ろしていたレネは、ゆっくりとロニを見上げた。
「なあレネ、ソフィアは天国へ行くと思うか? ……天国というものがあったとしてだけど」
「さぁね。
 俺は長いこと、聖職者なんてただの嘘つきどもだと思ってた。奴等が言ってるのはずっと昔にだれかが本に書いたことで、それをあたかも自分の言葉のように語るくせに、その言葉の酷さとか矛盾には責任を取らないやつらだと思ってたんだ。あんなやつらに利用されるだけなら、昔の偉い人が書いたものなんて塵屑にも劣るって思うよ。……ニサンに来てからは忘れてたけどね…」
「彼女は案外、僕と同じところに来るような気がする」
「神が裁く、その罪状はなんだよ?」
「そうだな……彼女は夢を与えすぎた。彼女は人間を信じすぎたんだよ、だれもが彼女やカレルみたいに崇高にはなれないって言うのにね……」
「俺も同じところに行くんだろうな」
「おまえ次第だろう」
「俺は兄貴についていく。……親父の遺骸にかけて誓った、俺の魂の誓約だ。破るつもりはない」
 ロニは弟に微笑むと、彼の肩を叩いてから、はるか昔から放置されているような艦にむかって歩き出した。




 ロニは、カレルに会うか会わないかで散々迷い、結局のところ会わずに寝床で横になった。なにを彼に言えばいいかわからない。慰みは白々しく、かといって叱りつける気力もない。心にもない後悔は語っても見ぬかれるだろう。
 臨時艦には狭い簡易ベッドしかないから、他の兵士たちと並んで小さなベットに入った。固くて軋むベッドとは名ばかりの板と毛布だが、横になるとわずかで眠りに落ちれた。そこで、不思議な夢を見た。
 ニサンの聖堂で、カレルは『ソフィア』不在の壇上に立ち、ロニは信徒の座る長椅子にゆったりともたれてその言葉を聞いていた。
 ――此と彼は絶対の対立概念だが、彼は此によって常に変動する。例えば、私がこの壇の上に立っていればここが此であり、おまえのいるそこが彼だ。私がこの壇をはなれておまえの傍に行けばそこが此になり、ここは彼になる。常に此と彼は流動する。これは真理だ。私がいないのにおまえのいるところは決して此とはならない。私がいるここはけっして、私にとって彼にはなり得ないのだ。
 ――しかし、人と人の関係では此と彼は絶対に入れ替わることがない。私が此であればおまえは彼だ。だがおまえを此としおのれを彼とすることはできない。此は彼によって変動しない。これも真理だ。主客と言うふたつのものの見方が永遠に平行線で交わるとことがないように、此と彼は決して交わらない。その線が一時だけ反転することすらない。
 ――ふたつの真理が矛盾している。片方では動き、片方では動かない。これはなにかの答えだ。私は既にしてそれを知っている。私たちは既にしてそれを知っている。だが、問いがわからない。どんな問いの答えなのかわからない。だれが発したのか、どこで発せられたのか。私たちは忘れてしまったのだろうか、ロニ? おまえは、憶えているのか?
 僕は知ってるよ、とロニは言った。そのあとなんと言ったのか夢の記憶はいい加減なものだ。ただ、聖堂の固い椅子の感触で腰が痛くなったことは憶えている。まるで現実のようだった。
 疲れも取れない具合だったが目を覚ますと、それでも六時間も眠ったあとだった。無理に起こされなかったということは、なんの問題もなかったのだろう。
 艦には人が溢れかえっていた。ロニが起き上がった寝床にすぐに人が入りこむ。人ごみを抜けて、彼は外に出た。
 外にはほとんど人がいない。荒れ野の夜は簡単に越せるものではなく、みんな狭くても艦の中に入っていったのだろう。だれが命じたかは知らないが、正しい選択だった。艦の周りには歩哨が立っており、その立ち方もずいぶん規則的になって軍隊らしい様子を取り戻していた。
 レネと交替したあたりには、そのときラカンが立っていた。
「ラカン、替わろう」
「……うん。頼むよ。……もう手が凍えちゃってさ」
「まあ、あの艦の中じゃおいそれと休めないかもしれないけど」
 ラカンはみすぼらしい風体で、くしゃりと笑う。それからすぐに、なんともいえない表情になった。
「…ロニ、おまえが休んですぐに、カレルが落ちついたみたいで部屋から出てきたんだ。俺には立ち直ってるように見えた。俺がそれで立ち直ったぐらいだから。
 でも、あいつ外に出て戻ってこない。みんなに聞いたんだが……だれか女と話をしてたらしい。ぜんぶ会話は聞きとれなかったって言ってたけど、女がカレルに『どこへ行くの』って言って、カレルが『遠いところ』って答えたってさ。……」
「遠いところ?」
「カレルがどこに行ったのかわからないか?」
「いや、わからない。……此処ではないところだろう」
「……エリィがあいつを選べば、こんな悲劇は起こらなかったと思うか、ロニ」
「いいや、そのときはもっととり返しのつかないことになっていただろうよ」
「俺がエリィに正直に愛を告げていればこんな悲劇は起こらなかったと思うか?」
「それはおまえの愛次第だろう。おまえが彼女を愛していなければ、彼女は命を捨てなかったかもしれない。でもラカン、君は彼女を愛してた。彼女も君を。だからこれは避け得なかったんだ」
「愛さないことが正しかったのか?」
「いいや。彼女の愛は魂を失ったがゆえに生きて赤々と燃えてる。残るおまえに必要なのは、その火に燃え尽くされない強さだ」
 ラカンは銃をロニに委ねると、艦に戻っていった。
 その翌日、シェバトからの救援が来て傷病人が収容された。次々と送還される怪我人たちを見送り、最後までロニはキャンプに残った。はやくに戻っても長老会議との諍いが待っているだけだったので。
 最後までカレルは現れなかった。十三本目、最後の輸送便で、ロニはその地を離れた。





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