一台のサンドバイクが砂埃を巻き上げながら一直線に、真昼の砂漠を駆け抜けてゆく。ブレイダブリクの市街地からしばらくの間、そうして白い煙を遠慮なくたてながら、砂漠の風のように、走ってゆく。
子供が投げたボールのように砂地を跳ねながら、蒼天にエンジンの唸りを轟かせて過ぎ、ただひたすらに進みつづける。砂上に刻まれていく軌道は、自らまきあげる砂によって、過ぎ行く傍から風化する。行く手にはなにがあるわけでもない。ただ、砂の海。
暑い太陽は一年中変わりもなくぎらついている。吹き上げる砂も、どれだけ吹き飛ばしてもなくなりはしなかった。
無限に続く、砂岩の漠。
サンドバイクには二人の人影があった。二人とも、太陽の熱をさえぎるために大きな襤褸をまとい、容貌は見てとれない。けれど、二人分の重量をのせた大型のサンドバイクを荒っぽく操るさまを見れば、操舵者は少なくとも若い男性だろう。後ろに乗るほうも、前の青年に較べて遜色のない体格をしているようだった。
小一時間ほど走ったところで、バイクは涼を求めて岩陰に止まった。既に、ブレイダブリクははるかに遠い。一昔前、遠くから眺めたブレイダブリクは町中にあふれる緑で黒く見えたものだ。強い太陽の光のもとでは、緑は真黒く色を集める。白く光を放つ砂の海と空とを背景にして、その色は命の色として目を引いた。
今は、町は復興しつつあるとはいえ戦火で燃えた緑はほとんど目立たない。なにもかも焼けてしまったのだ。それでもふたこぶの山は、かすかな陰影で空と大地から見分けることができた。
後ろに乗った青年は、バイクから降りると腰にさげた水筒を取り出し、口に含んだ。乾ききった口腔に澄んだ味が広がる。ブレイダブリクの地下水をくんできたものだった。街の地下水路の匂いそのものが、小さな筒の中にこめられていて、その水は口だけでなく空気をも潤すようだった。
懐かしい味がする。
バルトは口をぬぐうと、バイクにまたがったままのフェイに水筒を渡した。
「ありがと」
答えながらフェイは水筒を手にして、やはり一口含んだ。
「あっという間だな」
ブレイダブリクを見遣りながら言うバルトに、フェイは笑う。
「バルトは、後ろに乗ってるからあっという間とか言えるんだ」
「そうか? ちょーっと行っただけで、もうこんなに遠いじゃねえか」
「ギアがあればこんな距離はものの五分もかからなかっただろ」
「それは、昔の話。いまはこれが人間のもてるだけの速度なんだぜ」
確かにそうだった。
一時間をかけて干からびながら、走り続けてまだブレイダブリクが見える。
それを遠いと思うか短いと思うかはその人の主観だろう。バルトにとってそれは遠く、フェイにとってそれは短かった。
「だけど、本当に平気だったのか?」
楽しげなバルトに、フェイはいくらか気懸かりそうに尋ねた。
「平気、平気。それに、シグも怒る原因を作ってやらないとストレスたまっちまうだろ」
「そうかなあ、……それはかなり都合がいい解釈だと」
「そんなことないって。絶対、俺が抜け出すのを今か今かと待ってるはずだ」
「シグルドも、ほんと、苦労が耐えないよな」
「俺がなにかやらないと、シグはボケ老人になっちまうよ」
一直線にブレイダブリクを逃れ、ここまで来た。そろそろ政府では、バルトが逃げ出したことに気がついているだろう。
新しい年を控えて、町も城もおおわらわだった。
新年になれば、アヴェ共和国大統領選挙の告示が行われる。年の暮れ明けだから忙しいわけではなく、選挙のために忙しいのだった。バルトはといえば、ここまできてしまえば自分がすることなどなにもなく、暇を持て余していた。
明日の正午になったら、城へ行き、大統領選への出馬を表明すればよかった。
すべてはまた、それからの話だ。今年一杯は、そのことにあれこれ思い悩むのはやめよう、とバルトは思っていた。
今回の選挙はバルトが他の候補を圧倒して大統領になるだろう。けれど、その次はわからない。大統領選と同時に開かれることになる議会もまた、どうなるかはわからない。最善を尽くすことだけが、バルトにできることだった。
新年早々に選挙に踏み切ることは、反対意見も多かった。戦後の混乱が収まるまでは、臨時政府でのりきるべきだという人間のほうが多かった。……それでもバルトは、選ばれた大統領となることに固執した。ここでうやむやに独裁体制を行ってしまえば、復興は早くなるに違いない。だが、万が一バルトの身になにかがあったとき、替わりに立った人間が本物の独裁者にならないとは、限らないのだ。
「もう少し遠くまで行くか?」
フェイに尋ねられて、バルトはうなずいた。少なくとも、夕方を迎える前にブレイダブリクが見えなくなるくらいまでは走っておきたかった。
二人の目的は明日の朝日だ。今はまだ過越の日の真昼だったが、あと二時間もすれば太陽は沈む。今のうちに移動して夜の寒さを避けるつもりだった。サンドバイクには野営のためのあれこれが積まれていて、昨日の午後、少し昔を思い出しながら、懐かしく準備した。
バルトが熱砂のシャチと呼ばれ、公式にはもう死んだバルトロメイ・ファティマの名を隠しながらこの砂漠で盗賊稼業をしていたのは、今からたかだか一年前のことに過ぎない。毎日、この荷物を担いで灼熱の砂の海を進んだ。ユグドラシルで、あるいはギアで、あるいはサンドバギーで。
その頃、フェイもまた、記憶を失くした少年としてラハンにある小さな小さな村で生きていた。あれは本当に、ついこの間のことなのだ。
二人はまたバイクに跨り、黄褐色の大地を駆け抜けた。やがてブレイダブリクは、遠方に灰色の点となり、そして視界から姿を消した。
それからしばらくで、野営するのにちょうどいい場所を見つけた。窪地になっており、昼間の熱が逃げにくい地形をしているのでそこを夜営地に決める。携帯食の夕飯を済ませると、おこした火の傍でシュラフに包まり、寒さを避けるために隣り合って眠った。
サンドバイクに乗っているときと同じように、別段なにかを話すわけではなかった。ぽつりぽつりと思いついたことを口にするけれど、少しばかり過去を振り返るのが恐くて二人ともなにか語る気にはなれなかったのだ。
熱砂の中を走り続けた疲れのせいか、意外と早くに眠りに落ちた。
バルトが目を醒ましたのは、揺れた頭がごつんと音を立ててフェイの頭にぶつかった時だった。
「いてッ……」
「つ……」
衝撃でフェイも目を醒ましたらしい。うめき声が聞こえたのでバルトはすまない気持ちになる。自分の頭が揺れてフェイにぶつかったという自覚があったので、あくびをかみ殺して口を開いた。
「わりぃ」
「石頭」
「どっちの頭がだよ」
焚き火はさすがにもう消えているが、あたりは冷え切ってはおらず燃え残りのくすぶりと、空に消えていく煙のせいでほんのりとぬくもりが残っている。
夜の砂漠にはそれ以外の明かりはなく、地平線も見定めることは出来ない。どちらが日の出の方角で、どちらがブレイダブリクのほうなのか、わからなくなる。
「バルト、いま何時?」
「ちょっと待って」
バルトは懐にしまってあった時計を取り出し、闇の中でふった。すると、中にしこまれている燐が発光し、時計を薄黄色い灯りで浮かび上がらせる。針は5時半を指している。日の出まで、一時間だった。
「5時半」
「じゃあそろそろ起きてもいいな」
そう言って、フェイはシュラフから立ち上がる。傍にいた人間がいなくなるだけで体感する温度がすぐに下がる。出たくはなかったが、フェイの促すような視線を受けてバルトも立ち上がった。
「眠れた?」
「フェイこそ」
「俺は、どこでも眠れるから」
「器用だなあ。俺はけっこう、ダメ」
「あんなうるさい、ユグドラシルの機関室でも寝れてたのに?」
「それは、慣れ」
苦笑しながら身支度を整える。シュラフや野営道具をまるめこみ、またバイクに積んだ。
フェイはすぐにバイクにまたがると、エンジンをかける。排気の重低音がまだ寝ぼけているバルトの肺腑を揺らし、ようやく目が覚めたような気になる。ほかに音のひとつもないこの世界にバイクの音だけが響き渡っていた。遮蔽するものもなく、いったいどこまで届くのだろう。昼間より冷えた空気の中では、より鋭敏に音は砂原を渡っていくだろう。どこまで? ブレイダブリクまで? ――あるいは、陽の昇る場所だろうか?
「バルト、乗れよ」
「うん」
フェイの声にうなずき、バルトもサンドバイクにまたがる。フェイは車体の均衡を確認すると、グリップを握り締め暗い砂漠へと駆け出した。
小高い砂丘を駆け上り、サンドバイクは止まった。足元には彼らの軌道だけが打ち寄せてくる。地平線はすでに赤づいていた。太陽が昇るには、まだ少し時間がかかるだろうけれど。
砂漠はまだまっくろな波を凝固させたままだ。
風もまた吹かない。砂丘のように空気も固まってしまったようだった。どこまでも静かだ。あまりにも音がないせいで、風すらも吹かないに違いなかった。
世界には、自分たち二人しかいないようだった。
バルトはバイクを降りると数歩進み、砂丘の一番高いと思われるところにたって伸びをした。砂丘からぐるりと一周見回しても、生き物の徴さえ見えない。どこかから伝わってくる音もない。太陽も月も空にはなく、西の空に、天がひび割れたような星がいくつか残っているだけだった。
フェイもバイクから降り、足元のおぼつかない砂の上にバイクが倒れないよう、重みをかける。
タイヤを飲みこむように、砂は動いた。
「新しい年か……」
バルトがつぶやくと、フェイの声が続く。
「この一年、いろいろ……あったな。
一年前は、俺とバルトは友達じゃなかったんだもんな。……」
「ああ、そうだったよな」
空はだんだんと明るくなり、地平線に見える赤は燃え上がらんばかりだ。世界が燃えてしまうのではないかと思うほど、砂漠の日の出は雄大で、そして暴力的でもある。そこから、新しい一年が始まるのだ。
古い年はとっくの昔に沈んでしまっている。苦しくて、辛くて、そして悲しみに満ちていた一年だった。だれもがなにかを失っていた。手に残ったもののほうが少ないくらい、だれもが失った。バルトにしろ、フェイにしろそれは同じで、この一年を忘れることはないだろう。
来ようとしている新しい年がどんな一年かはわからない。それでも、失ったものを埋めるだけのなにかを手に入れなければならなかった。それは、生きている人間の義務だ。一年、また次の一年と、ずっと生き続けていくためにしなければならないことなのだ。
砂漠の果てに、太陽の光が見えた。ちらりと地平線が揺らいだかと思うと、目を強烈な光が撃つ。赤かった空は一気に白い光に満たされ、黒く固まった砂の海は、見る間に白く照らされてゆく。一枚のヴェールをはいだように、世界の色が一瞬で変わった。バルトの顔も、フェイの顔もその新しい太陽に照らされて、明るく輝いた。
体感する気温もがらりと変わる。光を浴びただけで、もう寒さを感じなかった。
「あけましておめでとう、バルト」
「うん、おめでとう。フェイ。
これからも、よろしく」
「ああ」
そういって二人は、手を握り合った。
出てくるまでは遅いなあとじらされた太陽だったが、地平線から飛び出たあとは、階段を上るように天頂へとむかってあがってゆく。砂漠はもう一面の真昼だ。やがて、耐え切れないほどの暑さがやって来るだろう。
新しい年だ。
太陽がしばらく上がるまで、二人はたたずんだ。言葉は少なかった。――やがて、フェイが口を開く。
「さ、満足したろ」
「もう帰るのか、」
フェイは笑い、うなずいた。
「遊ぶのは、昨日まで。おまえそう言ってたぜ」
「うん、わかってるよ……
とうとうはじまったんだな、新しい年」
そして二人は、また襤褸に身を包み、サンドバイクにまたがると、ブレイダブリクへむけて砂の海を疾駆した。太陽は一台の影を、白く照らされた砂の上へと落としている。刻々と姿を変えながら、影は砂漠を走り続ける。どこまで行けば、ブレイダブリクからこの影を見ることができるだろうか、バルトは砂漠を見つめながら、まだ見えぬブレイダブリクのことを、考えた。
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バイク二人乗りって萌えですよねー、ということで。(0803010)
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