聞いているのですか、と言われてロニ・ファティマは視線を動かした。シェバト王城の議事堂にはちょうど陽が射しこみ、日和は暖かくて空は青い。うっかりすると眠りこんでしまいそうな気持ち良さだった。退屈な会議だけに、また。
うろんなロニの碧い目を受けて、ゼファーはため息をつく。
「聞いてないのですか?」
聞いていないのは明瞭だった。飄々とした容子の青年は、首を傾げ、あらぬ空の一点を見つめている。
彼もため息をついて応えた。衆議の席についている人々を見渡して。
「あなたがたの言っていることを聞いていても」碧い瞳はその表情とうらはらに鋭い。「埒があかない。せめて、議題がなにか決まってからにしてもらいたいな。……僕もやたらと暇なわけじゃあないんでね」
どよめきは生じたが、はっきりとした反論はだれからも出なかった。とりとめもなく混乱するばかりの議論を自覚してはいるのだろう。
――指摘されるまでもないというわけか。本題なんか作りたくもなくて、でも我々は地上のために話し合い続けているという態度を保ちたくて、混乱した議論をわざと続けているわけだ。
ロニは席を立った。がたんという椅子が床にぶつかる音が、部屋を鎮める。
それならば、だれもが退屈な会議を止めるのにそろそろ潮時だろう。
衆議を見渡し、全ての目線が自分に集中するのを感じる。そこに居る人々はみな、それぞれの命や生活がかかっていることは確かで、ゆえにこの会議をけしてないがしろにしているわけではない。煙に巻くのも議論のひとつなのだ。
自分が見栄えのいい容姿をしていることを、ロニはいつも最大限に利用して来た。まだブレイダブリクで、規模の小さな活動していたときもそうだったし、今もまた。老獪なシェバトの住人たちの間でなりあがりの若者と見られないための努力は、常に重ねる必要がある。たとえそれが、実際の彼自身とは違っていようとも。
服装は華美でないが、目立つものを着る。軍服になってしまわないように、ということに気を使っていた。彼が武人らしい身形をすることは、シェバトを警戒させる。彼は帯剣を許されていたから、服装は商人らしいもので充分役に立った。
政治は一種のパフォーマンスだ。この会議が意味のない議題で踊るのも同じ。
打算と功利だけで生きようとする、狡猾な商人……即ち冷酷な政治家の役は、ロニの得意な役柄のひとつだ。
威圧する間をおいて、彼は口を開いた。
「ここまで昂ぶった人々の気持ちを、どこへ持っていくかが問題ではないのか? 今、人々はソラリスに対して自由を求めている。なにに後押しされているかと言えば、ニサンのソフィアの精神論に支えられているわけだ。
人々はいささか、そこで現実との齟齬を生み出しているが気づいていない。魂の自由を謳うソフィアの思想と実際にソラリスの支配から離脱することを重ねてしまっている。だがそれは間違いだ。脱ソラリスは決して魂の解放ではないし、我々はその瞬間に新たな人類に生まれ変われるわけでもない。この場合、抽象と具象はともには生じないのだ。あなたがたが用意しなくてはならないのはその理解の溝をうまくうずめる手段では? ニサンにそれは出来ない。現実に対処する力は、ニサンはシェバトに劣る。所詮、ソフィアの言質は、言葉でしかないからね。
僕はあなた方が少し奇妙な次元で話し合っているように見える。現実問題としてニサンやシェバトの覇権争いはあちらが気づかぬほどの水面下に抑えておくべきだ。双方潰しあいではいずれ我々全体が潰れる。……僕はシェバトに手を引けとは言わない。それでは我々の軍は成り立たないからね。しかし、もう少し方便の使い方は上手にしてもらいたいな」
それだけ言ってしまうと、ロニは踵を返して議事堂を出た。
背後でまたぞろ、人々の声が聞こえるが引き止めに来る者はだれもいない。それをいいことに、彼は王宮の出口へ足をむける。そのまま艦に戻ってしまうつもりだった。
天空に吹く風を感じながら、ロニは回廊を進んだ。そこから見えるのは、上には蒼穹、下には白亜の王都。……
綺麗で完璧な街、シェバト。
ここにいると調子が狂うような気がした。気圧や高度から来る身体の変調ではなく、あまりにも整然とした町並みのせいだ。はじめに置かれた石の一つからして、計算し尽くされて作られた街。無計画で複雑に展開していくブレイダブリクとは似ても似つかない。
もとは、ソラリスという国の植民地として造られたシェバトは、構造と機能はその原型に酷似しているという。もっとも、本家であるエテメナンキのほうが遥かに、『完璧』だというが。
(これ以上整然とした街なんぞ、想像もつかないな……)
そこはありていに言えば、人が住むのに適した場所ではない。ここにあるのは設計された点と線の結びついた構築であって、エントロピーの増減などはない。人間の命の有りようとは反している。
ブレイダブリクは、岩にしがみついた苔や、地衣のようなものだ。強い風や砂つぶてに耐えうるために、必死になって岩にかじりついておかないと、どこかへ飛ばされていってしまう。
ところがこの街は、そのむこうで焼煉瓦で積み上げられた家のようなものだ。街の拡大も施設の拡充もすべて予定されたことだと言いたげに、美しく収まっていく。実際、全ての施設・設備が効率を鑑みて街中に配置されていた。神域の都市工学に近い。それがいいかどうかはロニは知らない。いずれにせよここは、ブレイダブリクとは違う領土にあるのだ。
市街を抜け、高速のセントラルリフトに乗って一分ほどすると、シェバトの最下層に辿り着く。港湾には大きな艦がいくつも接岸されていた。それぞれが艦の前面に国の徽章を大きくあしらい、派手さを競っていた。ロニが立ち上がって来た会議のために、世界中から人が集まって来ていたのだ。
それだけ費用をかけて、あの会議、というわけだ。戦況は悪化する一方にもかかわらず、シェバトの暮らしは実際の地上とはかけ離れている。この街で市街戦でもあれば変わるのだろうが、それは到底のぞめない。そんなことがあった日には、地上はとっくに滅びているだろうから。
彼はまっすぐ自艦にむかった。艦長の思いもかけず早い帰還に、艦のクルーたちは目を丸くしている。本来ならば、会議の後にもなにかと集まりがあるのだ。社交に重きを置いているロニがそういった類に多くの時間を割くことを、彼らは知っていた。こんな昼下がりに、戻って来るのはおかしかった。
甲板に出ていたレネ・ファティマは、兄の姿を見て言った。
「兄貴! もう会議は終わったのか?」
ロニは肩を竦めると、正装の上衣の首もとを緩めた。
「いや、まだだけど」
「まだだけど、って……」
「言うことだけは言って来た。こんなところに長居する必要はもうない。あと、どれぐらいで出航できる?」
「悪いけど補給に今日一杯かかるぜ」
レネは、面食らいつつも応える。ロニの気まぐれには慣れて来たつもりだったが(もちろん、真の意味で気まぐれではないのだが)さすがに今日ばかりは驚く。
「そうか。……
下手に残っていると会議に連れ戻されそうなんだよな。もう、退屈なのはごめんだよ」
子供のようなことを言う兄に、レネはため息をついた。
「とりあえず兄貴、中で会議の話を聞かせてくれよ」
「話すこともあんまりないけどね。そうするか」
二人が艦内に入ろうとすると、ドックに相応しからぬ人物がこの艦にむけて走って来るのが見えた。
「会議はおひらきになっちまったんじゃねぇの」
責めるような口調でレネが言った。碧い目に走り寄るゼファーを映して、確かにとロニは思った。
「ロニ・ファティマ! 待ってください、少し私と話を」
ロニを追って走りどおしだったのだろう。ゼファーの白い額には汗が浮かんでいた。
「艦の中で聞きましょう。むさ苦しいところではありますが、我慢してただけますか、ゼファー王女」
「ええ、お邪魔させて頂きます」
ゼファーは毅然とした容子で微笑むと、さしのべられたロニの手に自らの掌を重ねた。
「会議は終わったんですか?」
暇そうなクルーにお茶を出させる指示をしたあと、レネは先ほどロニに聞いたのと同じことをゼファーに尋ねた。ロニは苦虫を噛み潰したような表情をする。
「ええ、まぁ……あなたに」案の定、少女はじろりとロニを見て言う。愛らしい容姿の割には、相変わらず鋭く、冷たかった。「席を立たれては話も続きませんから」
「いなくても会議は出来るでしょう。僕は最後にしか発言をしてない」
「……無意味な論議であったことは私も認めます。それでも、ここ最近の王統府の会議よりはまだましでしたわ。……今日の会議は、皆さまおのれの外聞と体裁を守っていらっしゃいましたから」
「まし、ね。僕も期待して出たわけじゃございませんが」
「わかっていらっしゃったのでしたら、あの振る舞いはあまりにも大人げがありませんわ。普通ならば、抑えるべきところです」
目の前の少女に大人げないと言われては、こちらも立つ瀬がない。
――僧兵隊長の融通の利かなさが、僕にもうつったということかな。
ロニは苦笑いして、椅子にもたれた。少女はそんな男の容子には構わず、続けた。
「それに、あのご意見はあまりに核心を突き過ぎています」
ゼファーの顔はあまりにも悲愴だった。まだ子供だな、と思う。
「あの意見、て?」
レネも彼女の顔が気になったのだろう、兄をうかがった。ロニは、眉を上げて軽そうに言った。
「ああ、最後に言いたいだけ言って来たんだよ。内輪もめはコソコソやってくれって」
「それ、マジで言ったのかよ?」
「言い方は儀典調に回りくどく、もっともらしくしたさ」
「ふん、お得意だもんな、それが出来なきゃ兄貴に会議なんか任せてられないよ」
「傷つく言い方するな、おまえ」
「本当だろ」
レネは呆れたように、呟いた。ロニのふるまいに慣れている彼は、滅多なことでは呆れたりなんだりしない質だ。だが、レネはレネなりに、今回の会議について、それなりの成果を期待していたのだろう。だから、成果を出せなかったロニに対して呆れているのだ。
もちろん、ロニにもロニなりの期待はあった。話を合わせたわけではないが、レネが期待していたものと大同小異といったところだろう。
だが、あの会議ではそれどころではなかったのだ。レネが望むところまで、強引にでも推し進めるべきだと言うのはわかっていたが、それは現時点でいくらか危険だった。
以前に較べ、ロニがニサンよりもシェバトよりであることに疑問を抱く人間が増えて来ている。一年前に彼らが、突然、ソフィアの指示によって僧兵隊に組みこまれたとき、ロニはそれを「ソフィアとニサンにうまく取り入った証だ」と説明して、シェバトの面々を納得させた。実際は、ソフィアによって巻きこまれたというほうが正しい。ロニ自身、納得できることではなかったが、なりゆきとしては当然だろう。
避けえない展開の駒を、彼女が先手をとって進めた、というだけだ。
ロニはゼファーにむきなおると、言った。
「それで、一体なんの用でここまで? まさか、文句を言うためだけではないでしょう?」
「このまま出航されるつもりでしょう。お帰りになるときに渡そうと思っていたものがございます」
ゼファーは袖の中から一枚のディスクを取り出した。
「……アニマの器が、あると思われる場所です」
ロニとレネは押し黙って少女が置いたものを見つめた。
アニマの器は、ソラリスとの力関係を覆す可能性を秘めた太古の力だ。シェバトでもニサンでも、それを手に入れることがいまの第一目標だった。ロニ・ファティマは、唯一「アニマの器」を宿しているギア・バーラーに乗っている(とはいえ、それも彼自身が覚醒させたものではない)。そのために、他のアニマの器の探索は彼にゆだねられている形ではあるが、ニサンとシェバトの力関係による圧力が、発見の妨げとなっている。
見つけたい、でも見つけてほしくない。その葛藤は、ロニのような立場からだとありありと見ることが出来た。
ロニは身を乗り出し、少女を見た。
「ついに、見つかったのか」
「そうです。ほぼ間違いないと思われます。ですが、この器の同調者がだれなのか、まだ判明していません。あなたのバーラーで解析すれば、なにかがわかるやも知れません」
「……これは、こっそり渡さないとならないものですか?」
ロニはディスクを手にすると、まるでそのままで中を見透かせるとでも言うように、じろじろと眺める。確かに、その碧い瞳なら出来そうな気もした。
「あなたへの猜疑が高まっています……議会では、すぐに情報を渡すべきではないという結論をだしました」
「では、これを持っているということは内密にいたしましょう。
議会に対しての問題は、今日のスピーチで盛りかえし出来るんじゃないかと思っておりますがね」
「どうでしょう。あまり楽観視なさらないことです。事態がそこまで簡単だとは、私の目から見ても思えません。
あなたはあまりにも、ニサンの僧兵長と仲がよろしくていらっしゃいます。それが、我々がためらう原因のひとつです。政治とは関わりのない、単なる友誼であることはわかっております、それでも……議会の人間は、人を信じるようには出来ていないのです」
「そう。……じゃあ少し考えた方がいいな」
ロニは考え深げに腕を組んだ。その兄を、レネは感慨深そうに見つめていた。
ゼファーはたたみかけるように口を開く。
「あの方と親しくするのは、普通なら避けるべきことですわ。どう考えてもまともな行動ではないと思います」
それが、少女の本心なのだろう。常々思っていたに違いない。カレルレンとロニに関することについては、彼女も議会と同意見だというわけだ。それは、議会に対してのパフォーマンスのための忠告というわけではないだろう。それだけだったら、今のような剣幕で語りはすまい。――つまり、別の意味で彼女は二人の友情を危険視しているのだ。ニサンの人間とシェバトに属しているべき人間の間の友情だからということではない。
そこに含まれている敵愾心は、ロニ自身へ対してむけられていた。彼女はまだ、ロニ・ファティマという人間を信用し切れていないのだ。あるいは、カレルレン自身も。彼らはソフィアを裏切りはすまいか? ……その不安が、少女の言葉には宿っている。
それを知って、ロニは顔に穏やかな笑みを浮かべた。
「殿下は、カレルレンとはお会いになったことがおありですか? 見た、というだけではなく話したりなんだりする機会のことを言っているのですが」
「そうですね。……三度ほど」
「そうですか。まあ、あまりお気になさらないことです。わたくしどもも、シェバトに対する敬意は払うつもりでおりますので」
「そうしていただければ有難く思います。ソフィア様によろしくお伝えください」
ゼファーはそう言うと、ニサンの十字を切って頭を下げた。
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