月はほぼ、満ちていた。就寝前、バルトとビリーは連れ立ってユグドラシルの甲板に出た。見事な月の姿にどちらともなくためいきをつき、段差に腰かける。バルトは持っていた缶の一本をビリーに押しつけた。
ビリーは嫌そうに顔を歪めたが、結局は何も言わず受け取る。バルトはプルタブを外すと、溢れてくる泡をあわててすくった。一口のんで、深く息をつく。
「……バルト、オヤジくさいな」
ビリーも言いながら、プルタブを引いた。
「おまえのオヤジ見てると、ついつい同じようにしちゃうんだよな。うまそう、って感じで」
「僕の親父のせいにするなよ!」
悪態をついて、少年もビールを口に含んだ。よく冷えていて(ガンルーム下の缶売機で、こっそりと手に入れたのだ)苦みがなんとも言えず口の中に広がる。ビリーはバルトと同じにならないよう、軽く、息をついた。
「……乾杯忘れた」
バルトが、そのビリーを見ながら呟いた。
「乾杯? なにに。大体、先に飲んだのはバルトだ」
「ちぇ、忘れてた。だからさ、フェイが無事に帰って来てよかったな、ってことだよ。北の果てまで行った甲斐があったじゃねーか。人格も統合したし、なにがどうなってんのかもよくわかったし、あとはデウスをぶちのめせばいいだけだろ、っていう乾杯」
「わかった。とりあえず、やっとく?」
「やっとくか」
二人は飲みさしの缶ビールで乾杯、とつぶやいた。
「やっぱ一本じゃたりなかったなー、二、三本ずつないとやってられねぇな」
「……バルト、なんか話があるんだろ? わざわざこんなところに来てさ」
バルトはぐいと缶を煽り、ビールを飲み下した。それでほとんどのんでしまったようだ。
「ハァ」
そしてやはりオヤジくさいため息をついて、バルトはビリーを見た。
もう、目が赤くなっている。ビリーは呆れて思った。
――酒を飲まなきゃ言えない内容なのか、まったく。
バルトはあのさぁ、とはじめた。
「オレらってなにしてるんだろぉな」
「なに……って?」
月光は、ちょうどビリーから見える、バルトの右半分の顔を照らしている。彼には陽光が似合うが、その碧い瞳は月の光によくきらめく。
「つまりさ、なんかさ、フェイってすごいよな」
脈絡のない話だったが、ビリーはここまでつきあっているのだからと腹を据えた。最後まで聞けば、なんとかわかる……かもしれない。
「すごいって?」
「こんなつもりじゃなかったのにさ、なんか……俺ら置いてかれてねぇ?」
「置いていかれてるって、フェイに?」
バルトは大きくうなずき、それから完全に酔っ払いの口調で、「ビリー、とっとと呑めよ」と言った。仕方なく、ビリーは缶をあおった。やはりバルトは、お互い素面で話すべきじゃない、と往生際わるく思っているのだろう。しかし、父親の血をついで酒に強いビリーが、一本の缶ビール程度で酔うはずもなかった。
見届けたバルトは居住まいを正して続けた。
「ついこの間まで、同じだと思ってたろ。それがさ、あいつ帰ってきたら……大人の目をしてるんだぜ。な、置いていかれてるよな?」
「君はまだ子供だってことだろ、なにをいまさら」
「なんでそう、他人事みたいに言うんだよ? キミじゃなくてさ、オレらだよ」
――酔っ払いめ。
ビリーはため息をついたものの、こう返した。
「フェイは、自分がやるべきことをこなして、それで大人になったんじゃないのか? 人格の乖離をのりこえる、ていうのは並大抵のことじゃあないだろう。なにもしてないくせに、ぶつぶつ文句を言うなよ」
「だから、オレらなにしてんだろなぁ、って言ったんじゃねぇか。おまえ、俺の話きいてんのか!? 大事な話なんだぜ!」
「……ああ、はいはい」
その返答に、バルトは満足しなかったのは明らかだ。酔いに潤んだ目でじろりとビリーを睨むと、噛みつくような口調で言った。
「なんだよ、わかってねぇのかぁ!? おまえだけは俺と同じ立場だと思って、こうやって話してんだろ」
「同じ立場ってなんだよ」
「やっぱさ、男として守らなきゃならないものってあるじゃねーか。フェイにはそれがさ、ちゃんとできるんだよ。俺は少し自信ねーや……」
「……」
バルトが口を噤むと、ビリーも思わず黙りこんだ。バルトの言葉が、彼の少なからず思っていることと同じだったからだった。
――まだ、少し自信がない。
ビリーもそれを感じていた。気後れしているわけではけしてないのだが、デウスにむかうことに対してなにか……ためらいがあった。フェイやシタンは持っていない類のためらいだろう。
あるいは、妹のこと。彼女を一人きりで守る自信は今はなかった。確実に自分は力をつけ、大人になろうとしているというのに、なぜだろう?
ビリーは髪をかきあげて月を見た。視界の端で、バルトが缶を握り潰す。それから二人で、同時にため息をついた。
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