こぼれ落ちる言葉は絶望そのものだ。神の意志と希望を語った唇とおなじ唇がカレルの絶望をつむいでいく。
――私だってただの女だもの。その性を貫く為なら、今の立場なんか捨ててもいいって思ってる。
『ソフィア』はためらうことなく、けれどそれを聞いているのがラカンたった一人だと信じて口を開いているのだろう。それだけがたったひとつ、カレルの救いだった。『ソフィア』は群衆の前でただの人だと明言したわけではなくて、あくまでもラカンだけに言っていたから……まだましだ。
本当は聞きたかったのだろう、絶望を。
その言葉を聞きたいと願って、この場にとどまったのはカレル自身の意志であるはずだ。『ソフィア』とラカンの様子をうかがいたい、というのは言い訳にすぎない。
「もしかしたら」あるいは「いつかきっと」というあさましい希望を抱き続けるのに苦痛になって、それならばだれかを憎めた方がましだから、という……余計にあさましい思いを抱いて絶望を望んだのだ。それは彼自身が希求したものだった。苦しみを見下すくらいの憎しみがほしかったのだ。
――憎しみ? 俺はおまえを憎むのか、ラカン、おまえを? おまえはなにか、俺にしただろうか。なにか、俺がおまえを憎むようなことを、したろうか……
カレルは鋼鉄の扉に、疲労しきった体をもたれさせて頭をふった。
体は泥のように疲れていても、あさましい想いは敏感にその絶望をかぎとって、カレルの足を自室で休むためには動かさなかった。『ソフィア』を看ると言ったロニはいくばくも経たず部屋を出ていき、室内には『ソフィア』とラカンが残されている。そして『ソフィア』は絶望を口にする。
――ねぇラカン、私の話を聞いて。
『ソフィア』の声は続く。
目がくらむのはもう幾晩も寝ていないせいか、絶望のせいなのか、そんなこともわからない。わかりたくない。
最後に安らかに床についたのがいつだか思い出せなかった。鍋の底に放りこまれたような逃げ場のないこのソイレントに来てどれぐらい戦いつづけているのか、日に日に軍は弱まっていっている。
なのに『ソフィア』はここがあたかも別天地かのように、ラカンに恋を告げた。ここは地獄なのにまるでそれを忘れたように。地獄に恋だの愛だの、なんて似つかわしくないものなのだろう。戦地で求められるのは博愛と自己犠牲と忠誠だ。恋愛はエゴイズムに満ちている。
――人には、偶像なんて必要じゃないのよ。そんなに人は弱くないのよ。あなたはみんなを愛してる。でも、信用してはいないのね。……。大丈夫なのに……みんなは私なんかがいなくっても、真っ直ぐに未来を目指していけるのよ。お願い、みんなをもっと信じてあげて。あなたは認めるべきだわ。私になんの力もないことを…。
――エリィ。
ラカンの呼ぶ彼女の名前が、カレルの胸に谺した。ラカンのその声の響きはあまりにも繊細なものを宿していた。もどかしいばかりで、カレルは強く拳をにぎる。
こんなことを考えてしまうのはこの戦いの窮状のせいであればいいのに。ここから抜け出せれば消えてなくなるような思いなら。
「――カレル」
そのとき、彼の名前が呼ばれた。決して大きな声ではなかったが、人影のない廊下では響く。
名を呼ばれて、過剰なほどカレルの肩が揺れた。ゆっくりと垂れた頭をあげ、彼はロニ・ファティマを見つめた。
「休め、と言ったじゃないか」
通路の先に仁王立ちになったロニがいた。腕を組み、相当いらだたしげな表情で、カレルを問い詰める。彼は応えることができなかった。
「なにをしてる?」ロニは近寄ろうともしない。カレルは硬直し、目を反らした。「部屋に戻ってないと思ったら、」
「……おまえ、わざとだろう」
「中の二人のこと?」
「白々しい!」
カレルは大股でロニにつめよった。にらみ据えるが、殴ることはできなかった。ラカンですら憎めないのにどうして彼を憎めるというのだろう。
急な動きにゆらり、とかしいだ肩をロニが抱きとめる。ロニは呆れたように、
「限界のくせに」
「そんなことはどうでもいい!」
カレルは体をもぎはなそうとしたが、しっかりと腕をつかまれて身動きは取れなかった。それに、もう一人で立ち続ける体力も意思の強さもないのだ。だから抵抗は形ばかりのものだった。
「休まないで考えがまとまるものか」
「……なぜソフィア様のお傍をはなれたんだ? なにかあったらどうするんだ!」
ロニを責めても仕方ないのに、彼があの部屋を離れなければあんなことを聞かないですんだはずだと思いながら彼を罵倒した。すがりついて腕に力をこめる。それに気づいたのかロニは、言葉とは裏腹に優しく言った。
「僕はおまえの様子を見にいったんだ。おまえが今ごろおとなしくベッドで眠っていれば、僕だってあの部屋に戻れるとも。まったくいい趣味だな、立ち聞きなんて?」
「……ロニ。
この戦いがすべて終わったとしても、彼女が『ソフィア』をやめることなんてできると思うか?」
「さあ……状況によるだろう。ねぇカレル。人々がソフィアを求めても、それ以上にラカンと彼女が求め合っていれば彼女は『ソフィア』をやめるだろう。そのときは民衆もそれを認めるはずだ。そうでないのに『ソフィア』をやめたりするほど、彼女は馬鹿じゃあない。そのとき起こる問題に気づかないほど、彼女は恋に己を失ったりはしてない。
けれどね、君が愛してるのは『ソフィア』だ。そんな女はこの世のどこにも存在していない女なんだよ。僕たちの心の中に生きている偶像だ。だから君には彼女を求める権利はない。ラカンは違う。たとえソフィアの前で彼が自分の想いを否定したとしても、それはこの状況に遠慮しているだけだ。彼は自分が『ソフィア』でなくてエリィという名の女を愛してることを知ってる。彼女への愛を認めることは、『ソフィア』を聖なる高処からひきずりおろすことだから、それを今はまだ遠慮してるんだ。
彼女が本当に求めているものを与えられるのは彼だけだ。わかるだろう。彼女は『ソフィア』を愛してもらったって嬉しくなんかないんだよ」
「……わかってる」
ロニの肩に顔をうずめて、カレルはそうつぶやいた。けれどロニは聞き取れず、「なに?」と聞き返す。
「おまえはいつも正論だな、ロニ」
「そうかな」
「ああ。ここにいると……楽になれるんだ」
ロニの指はカレルの白い頬をたどる。疲れからやつれて前よりも鋭くなった輪郭に気づく。
――本当に、カレルが僕のそばで、本当に安らげればいいのに。
彼は苦しみすぎる。自分がこうしてカレルを慰めることができるのは嬉しかった。けれど、彼の悩みを取り去ることはできないし、解決してやることもロニにはできなかった。
どうして人はひとつに交じり合うことができないのだろう。どんなに愛してもその人を内側から癒してあげることはできないのだ。
――こうしてすりよって来たカレルを、抱きしめてあげるだけで我慢しなくちゃならないなんて。ねぇカレル?
「カレル」
見ると、カレルは立ったままで目をつぶり、いつの間にか寝ていた。ここでなら、眠れるのか。ロニは苦笑いすると、そっとカレルをかかえ上げて、彼の部屋まで運んでいった。
寝台に下ろしてもカレルは一向に目を覚まさない。この分なら、疲れが取れるまでゆっくりと眠ってくれるだろう。
安らかな寝息をたてる唇にキスをして、ロニは部屋を出た。
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2000年の秋に出したロニカレ本に書き下ろしました。あのシーン、私の中でゲーム中のロニカレの基本シーンです。このシーンがすべてです。ええ。はい。なんか内容とかそういうのは恥ずかしくてもうしんじまいですけどまあいいよ本当にもうロニカレですからこれは!!! とほ……(040101)
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