スパイス(ピロウトーク)
 しこたま酔ったジェサイアに押し倒され、犯られる、と思ってヒュウガは身をこわばらせた。だれかと間違えているのか、なんなのかわからなかったが、ともかく唐突だった。
 家に帰るなりジェサイアは、ヒュウガのいる部屋に入って来て、問答無用で酒臭いキスをしてアルコールみたいな唾液を飲ませたのだ。ヒュウガの髪をいじりながら、ねちっこくキスを続けた。
「……驚いた顔してるな」
 しばらくしてようやく満足したのか、ジェサイアは言った。どうやら思ったより正気らしい。つまり、相手を間違えたわけではない、ということだ。
 第一層につれて来られたヒュウガの面倒を見てくれたこの青年は、決して上品な人間ではなかったが、まさかこんな羽目になるとは思っていなかった。こういうことを目的に匿ってくれたわけではなさそうなのはさすがにわかっていたし、単純明快な男だと思っていただけに驚いていた。
「あなたにこういう趣味があるとは予想もしてなくて」
「ユーゲント入学祝いだよ。ユーゲント式の〈友情〉さ」
 ジェサイアはそう笑うと、またヒュウガの唇を奪った。
「ユーゲントに入学?」
 ヒュウガは目を見開いた。ジェサイアの行動よりも、その言葉のほうが衝撃が大きかった。
「俺に感謝しろよ、ヒュウガ」
「ユーゲントって、今あなたがいる、士官学校のことですよね?」
「ああ」
「そんなこと、お願いしてません! 第三層に戻りたい、って言ったんです!」
「おまえのところはユニットごと廃棄されちまったんだ。帰れるところ、ないんだよ」
「第三層ならどこだっていい」
「行くなら新設のユニットだ。重労働消耗品扱いのところだぜ。おまえじゃ一週間もたねえよ。
 ちょうど、もうひとり実験体あがりのやつが、エリート様のご推薦でユーゲントに入るって聞いてな。おまえもねじこんでやったんだよ。苦労したんだぜ。三級市民やラムズが軍属になるのは珍しいことじゃない、でもユーゲントに入るのはあまりないからな」
 得意そうに言うジェサイアの前で、ヒュウガは少し泣いていた。ウイルスで全滅した出身ユニットのことはわかっているし、第三層に戻ったからといって前と同じ生活が待っているとも思わない。
 貧しくて辛くても、第三層には暖かな家族がいた。もう皆この世にはいないけれど。
(それが、ユーゲントに入れられるなんてあんまりだ、)
「泣くなよ」
「しかも、これがお祝い?」
 服は胸までたくし上げられ、足でジェサイアの体を拒んで入るが、かかる体重はどんどん重くなってくる。
「……お祝いってのは、口実だな」
「じゃあ、酔っ払ってるんですか?」
「ほどほどに」
「病気になりますよ」
「病気?」
「三級市民、抱いたことあります?」
「ないな、男も女も」
「三級市民だけの病原体がある可能性はあります。知ってるでしょ? ぼくらは発症しなくても、あなたにはアンチボディがなくて発病するかもしれない」
「脅すな。嫌なのか?」
「いいわけ、ない」
「まぁまかせろって」
 言うと、ジェサイアは淀んでいた手と唇の愛撫を再開した。ヒュウガも、そうは行っても特段あらがいはしなかった。なんというか、結局のところ、それは珍しい行為ではなかったのだ。ただ、ジェサイアにそういう趣味があるとは思っていなかっただけで。
 ジェサイアは楽しげに、口を開く。
「その病気、死ぬのか?」
「運が悪ければ死ぬんでしょうね」
「死因は不明だな」
「わかっても隠してくれるんじゃないですか。士官学校のエリートなんでしょう」
「エリート、ね。まあ間違ってはないだろうが。今回のことでそれはつくづく実感したぜ。こううまく行くとは思わなかったからな……」
 ジェサイアは人より特別だ、とヒュウガは感じていた。ヒュウガは、彼が暮らしていたユニットをみまった殺人ウイルスの作成者ではないかと疑われて第一層に連れてこられたのだが、彼はそのヒュウガの罪を晴らし、身元を引き受けた。そんなことをして陰口を叩かれないのは彼がそれだけの地位にある(あるいはそれだけの地位につくみこみがある)、ということだろう。ジェサイアは未だユーゲントの所属だが、抜きん出た指揮能力を買われている、らしい(ジェサイアの友人が言っていた話だ)。
「さすがの俺も駄目だとばっかり思ってたんだよ。どうやっておまえを死なさねぇでことを進めるか、そんなことばっかり考えてた。それがさ、三件廻ってもう許可が出るなんて、奇跡だよ。今時、一級市民同士の出産許可ですら最低八件は廻らなくちゃならない御時勢だって言うのに、二件目に行ったところでえらく念の入った説教を受けただけでさ、三件目には全部書類が揃ってるんだぜ。……
 ま、カーラン・ラムサス様がもうひとりをねじこんでなきゃここまですんなりは行かなかったとは思うが」
「カーラン・ラムサス?」
「ああ、二級市民なんだがな、どうもわけありで。ソイレントにまで出入りしているエリートだよ。確かに偉く出来るやつだ。頭もいいし、腕も確かだな。白兵戦で、なにかの拍子に負けるかもしれないと思うことはある」
 そのときヒュウガは、ふうん、このジェサイアが評価するようなそんな人もいるのか…と思っただけで、それがまさか自分と年端も変わらない少年であることや、ユーゲントでとても親密になることなど、考えつきもしなかった。ジェサイアと同年輩か、先輩くらいだと思っていたのだ。
「それよりその病気さ」
 ジェサイアはまた話題を引き戻した。ずいぶん気に入ったらしい。ヒュウガはくすりと笑った。
「なんです?」
「いや、俺の知り合いで罹ってるらしいやつに心当たりがあってな」
「だれ、ぼくの知っている人?」
「そう、会ったこと何度かあるよな。イザーク・スタインさ。あいつの頭がイカレてるのは多分、その病気のせいだ」
 スタインはジェサイアとはどちらかというと仲のいい男だったので、彼のことは憶えていた。だが、こんなふうに言うということは、仲良さそうにしていても腹の中ではお互いどう思っているかは定かじゃないらしい。
 律儀な固い顔をした男で、人は良さそうだが時折鋭いまなざしを見せた。
「おもしろい話を聞かせてやるよ。あいつは極右って言うよりどちらかというと単なる三級市民嫌いなんだが、その理由はな、噂だけど、ガキの頃に使用人だった三級市民にイタズラされてたらしいんだ。だから、あれだけ三級市民が嫌いなんだと」
 笑いを殺しつつ途切れ途切れにそう言うと、ジェサイアは大笑いし始めた。ヒュウガにはあまり理解できなかったが、どうやらアバルにはたまらない馬鹿話らしい。上品な話じゃないのだけはよくわかった。
「はあ、おかしい。ラケルに言っとかなくちゃな、あいつとすると病気が伝染る、ってさ」
「ユーゲント式の友情って、もちろん彼とも?」
「おっと、そういえばそうだった。ていうことは、おまえとやってももう大差ねぇか」
 それを聞くと、なんだかいい気がしなかった。ジェサイアは三級市民とやったとまたどこかでネタにするのかもしれない。
(下品な人だというのは存分にわかってるつもりだけど)
 むすっとしているとジェサイアの扱いは少し手荒になった。
「なんだ。おまえ、はじめてじゃないな?」
「三級市民だから」
「なんだよ、それ」
「三級市民産児制限法。うちの家族、制定前にがんばったから子沢山だったんですけどその煽りくらって、子供作っていい許可が下りたのって一番上の兄さんだけだったんです。当然あぶれた男はてっとりばやくね。あ、別に家族にってわけじゃなくて」
 途中からジェサイアの顔が怪訝になったので慌ててつけたした。
「興ざめなこと、言うなよ。自分が犯罪者みたいに思えてきた」
「ごめんなさい。でも、だからびっくりしただけですよ」
「ちえ、病気の話はおもしろかったんだけどこの話はリアリティがありすぎてだめだな」
 ジェサイアはすっかりやる気をそがれたようだった。ゆっくり身をはがすと、髪をくしゃりとかき混ぜてつぶやいた。
「お互い碌なところに生きてねえな」
「ほんとう、」
「……な、病気の話もマジなんじゃないだろうな?」
「噂、ですから」
 ジェサイアはもっといやな顔になった。
「そのうち、憶えとけよ。足腰立たなくしてやる」
「いつでもどうぞ、今よりひどい病気に罹ってもいいなら」
 余裕そうに言うヒュウガに、相手は苦笑した。
「おまえ、うまいな。ユーゲントでもまともにやっていけそうじゃねぇか」
 それは褒め言葉じゃないですよね、と思ったけれども、ヒュウガは肩を竦めるだけにしておいた。





[ back ]

(C)2005 シドウユヤ http://xxc.main.jp