星が降りそうな、澄んだ闇の夜だった。
ロニがニサンで借り受けている家は町外れの丘の麓にあり、ただでさえ静かなニサンの中にあって、風のざわめき以外にはなにも聞こえなかった。カレルが軽いまどろみから目を醒ますと、部屋の窓からはその闇を見ることができた。部屋の中に灯していたはずの蝋燭はとうに尽き、星明りだけが彼と、傍に眠るロニを照らしていた。
かすかに床を軋ませながらカレルは窓辺に寄り、身支度を整えると誘われるように夜気を求めて家を出た。
もちろん彼はこのあたりの地理はすべて頭に入っていたし、月のない夜ではあったが、星明りだけでも丘に登るのになんの妨げもなかった。
寒いというほどは冷えていない夜気は、とても心地よかった。
丘の上にまで昇り、カレルは空を見上げた。本当に降ってきそうな無数の星が、またたきながら地上に光を投げている。数えることもできないそのきらめきを、ただ見つめた。なんて遠いその光。
眠りについて目が醒めても、なにも変わらない静かな夜がそこにあった。闇のすべてが柔らかで、それはいのちを慈しむ暗闇だ。その中で悪い夢を見ずに眠れるのはなんて久しぶりなのだろう。目が醒めたときに、もしかすると世界が変わってしまっているのではないかなどという怖れを抱きながら眠るのではない、ただ本当に安らかな眠り。
なにかの寂しさを感じるほど、優しい夜だった。
(これはなにかの間違いじゃないのか、夢を見てるんじゃないのか、……こんな穏やかな夜なんて)
それでも、この夜が夢などでないことは、彼も知っていた。麓の家からカレルのあとを追ってくる一人の足音が聞こえるからだ。草を掻きわけ、カレルとは違ってさすがに少しばかり苦労しているらしい。しばらくしてから、ロニの姿が闇の中に現れて、カレルの名を呼んだ。
「カレル」
「窓から見えたのか?」
「うん、君がひとりで立ってるのが。
――なにを考えてた?」
尋ねられて、カレルはすぐに答えることはできなかった。なにを思っていたのか、本当のところ自分にすらわかりはしない。なぜこんな優しい夜を寂しいと思うのか、なぜこんな夜を優しいと思うのだろうか?
カレルは手を伸ばし、ロニの肩をたたいた。
「腰を下ろさないか、今日は月が出てないから星がよく見える」
「君にそんな風流な趣味があるとはね」
「星は非常に数学的な運動をしているよ。説明してほしいというなら、朝まで話せるが」
ロニは楽しそうに笑って、カレルが座った隣に同じように腰を下ろした。そうして見上げると、夜空はいっそう広く感じる。静かに重ねられた手がなければ、相手の存在が隣にあるということすら見失ってしまいそうな広さだ。
しかし、相手の存在を見失うよりも先に自分自身を夜闇の中で失ってしまったかのように、カレルもロニも話さなかった。なにか言葉を、と思わないわけでもなかったが、話す必要はどこにもなかった。夜闇の中で確かに自分を見失っていたが、それは闇そのものと溶けあう心地よさの中でのことだ。
この夜闇のやすらぎを壊すことはないのだし、てのひらのぬくもりは失われることもなかった。むしろいつまでも夜が明けなければいいと、そう思うくらいだった。
「……カレル」
呼び声は闇に溶け、ロニを見たカレルは彼の姿をただ闇の中にだけ見た。金の髪は星のしずくのようではあったが闇に溶けこみ、ただ稀有なその碧い瞳だけが現し世に残されたものだ。カレル自身など、その闇の色をした髪も瞳もすべて夜の中に溶けこんでいるはずだった。だからカレルだけがその碧い瞳をたどり、静かに唇を合わせた。
「星よりも強い光だな、おまえの目は」
「はじめて君に容姿を褒められた」
その瞳はただこの闇の中で孤高を保っている。夜空の星は天使が投げた石が無数の穴を天に開けた光だという伝説があったけれど、それならば、カレルが目の前にしているこの瞳はいったいどの天使の施したものなのだろう。
「君はなにもかも闇の中で見えない」
だからかどうかは知らないが、ロニは繋いでいない手をカレルに伸ばし、頬の線をなぞった。その手つきは決して確かではなく、もしかすると闇の中をただめっぽうに泳がせているだけなのかもしれない。その指がようやくカレルの唇を探り当て、その指の位置だけを頼りに、ロニは唇を寄せる。
「……ロニ」
「それでも君を見つけられる」
「…………ロニ、」
「僕らの間には無限の距離があるような感じがするよ。この闇のせいか? それでも君は見つかる。どうしてなんだろうね」
碧い目が閉じられ、カレルは一瞬、闇の中に彼を見失ったような錯覚を受けた。再び開かれた眼は、なんのかわりもなく、深い光をたたえている。
カレルは片腕でロニの肩をたぐりよせると、口付けを交わした。夢を見ているようなこの夜は、けれど決して夢ではなかった。彼と視線を交わすたびに、この夜のことを思い出すに違いない。
この安らかな夜闇はそのたびにカレルのもとを訪れるに違いなかった。太陽の下であろうと月の下であろうと。そしていずれはその碧い瞳を見ずとも。けして明けない夜の闇だ。この静かで優しい、夜の闇。
カレルは抱き寄せられて嘆息した。もう言葉は必要なかった。なにもかもが夜の闇の中にあってすべてを満たし、足りないものはなにひとつなかった。
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バレバレに情事後。なにげに、自分の書いた「これは恋。」の続きのつもりですが、もうひとつあの人のあれの続きでもありかな、なんて、ていうかこれ個人宛メッセージで申し訳ない……(笑) やっぱしロニカレラブ過ぎる……!!!
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