艦の速度が、かなりの高速から急に落ちた。ベッドの上に半身を起こして本をめくっていたカレルは、体が傾ぐのに目を上げて、艦内の物音に耳をすます。戦時警報がなり、彼は枕元のインタフォンを押した。
「何が起こったんだ!」
『カレル?』
返って来たのは、艦橋からのレネ・ファティマの声だった。
『ソラリス籍の艦が見えたんだ』
「おい、私も」
『足をくじいてんだから、おとなしくしてろよな! 兄貴とラカンと出る』
「……ギアなら関係ないだろう!」
『だめだ! もう出るからな!』
もう一度文句を言おうとしたが、すでに艦橋からの応答はなかった。乱暴に本を閉じ、カレルはむっつりと腕を組んだ。
彼は数日前の戦闘のおりに、左足をくじいていた。案外ひどくひねってしまったらしく、腫れはずいぶん引いてきたのだが、まだ歩くのにも痛みが走る。
それで、艦は砂漠に出ているというに、自室で休んでいることを強要されていた。
戦いに出ても足手まといだ、ということはわかるが、当然のようにのけものにされてしまうのがおもしろくない。艦に持ちこんでいた本はあらかた読み尽くした後だったし、することもない。
しばらく、まんじりと宙の一転をにらんでいたカレルは、やがて、痺れを切らしたように起き上がった。
――様子を見るだけなら、構うまい。
ひねった左に体重をかけないようにして立ち上がるが、やはり痛い。しかしそれに負けてまたベッドに戻るのも癪だった。
よろよろと扉まで進み、廊下に出ると、彼は壁を伝ってギアドックの方へむかおうとした。腹立たしいほど、時間がかかる。思っていたよりもこの艦は広いのだ。
ようやくドックの入り口が見えてきた。そのむこうでは、かなりの人間が走り回っている気配がしている。
もしかすると、もう出ていった者たちが戻って来ているのかもしれなかった。カレルがそう考えたとき、戸が開いて、ロニとラカンが姿を現した。
カレルが情けない様子で壁に張りついているのを見て、二人は目を丸くした。
「……カレル。あきれたな」
まず、口を開いたのはロニだった。
「足は、カレル?」
ラカンは心配そうな顔で尋いてくる。彼は大丈夫だ、と呟くと、
「どうだったんだ」
「怪我人は休んでいないと」
「平気だ。それより状況は、」
ロニはため息をひとつついて、ずかずかとカレルの傍に寄った。それから彼の左腕を取って、ぐいと強くひっぱる。
急に引かれて体のバランスを崩しかけたカレルは、思わず左足に体重をかけた。
強い痛みが左足首に走る。声は上げなかったものの、顔を思い切り歪めてしまい、それを見たロニが嘲う。
「それ、見ろ」
「何をするんだ」
「満足に歩けない人間が、こんなところにいるものじゃあない」
ロニはそう言い放つと、腕をつかんでいた手を放してカレルの腰にまわした。彼が身動きも取れず戸惑っていると、ロニはかけ声とともに肩に担ぎあげてしまう。
「……ロニッ、歩ける、離せ!」
「暴れるな、重いんだから!」
カレルの罵声に怒鳴り返し、ロニは続ける。
「ラカン、解散しよう。一時間後にブリッジで!」
「了解。カレルを頼むよ」
ラカンは二人を見送りながら、そう言っただけだった。しかし、すさまじい剣幕でカレルににらまれ、力なく笑う。
「はは…ゆっくり休めよ」
ロニはカレルの部屋の戸を開けると、無造作に彼をベッドの上に放り出した。
「痛っ」
壁に背中をぶつけて、カレルはうめいた。むっとした表情をすると、彼を見下ろすように立ったロニは、肩を竦めて言った。
「無茶だ、怪我人なのに」
「なら、大事に扱え!」
「自分で粗末にしているやつに、言われたくないな。戦闘で、一人を捕虜にした。もし奴が逃げ出して、のろのろ歩いているきみに襲いかかったら抵抗できないだろう?」
「平気だ」
「左半身に体重をかけられもしない拳闘家に、何ができるんだ? 戦時なんだ、自重してくれないか」
ロニの口調は、しごく穏やかで正しい。カレルは口を噤み、視線を落した。
――赤い。
彼の着ている白い寝間着に、いつのまにか赤いあとがついていた。にじんで染みたその赤は、まるで乱舞する蝶の姿を描いたようだ。
「ロニ、おまえ、血……!」
ロニもようやく、カレルの寝間着についた血に気付いた。
「ああ、すまないな、気がつかなかった。僕のじゃない。返り血だよ」
「いや……」
ロニを見上げ、カレルは尋いた。金髪が血と砂にまみれているのが目につく。自分が戦いに出ているときは特に気にもしないのに、今日はやけに、目立つ。
「怪我はないのか」
「心配してくれるのか。大丈夫、平気だよ」
微笑むロニに、カレルは弱気になった。戦いに行けないのが不服なのではない。何もできずに、待たねばならないことがたまらないのだ。
「汚い格好をしてるから」
寝間着の汚れをさも嫌そうに、彼はロニから目をそらした。ロニは何も言わない。
こういう間合いが、カレルは苦手だった。
心配だった、といえばロニは微笑うだろうか。でも、そういう言葉をカレルはかけられず、いつも待つばかりだった。
なにかを言いたいとは思うのだけれど、でも何を言えばいいのか、どんな態度を取ればいいのか、わからないのだ。
結局、すぐに口火を切ったのはロニだった。
「シャワーを借りていいか?」
「え?」
「シャワーだよ。汚れを落したい」
「そんなもの、自分のところで入ればいいだろう?」
迷惑そうな顔をしたが、ロニはにやりと笑った。
「僕は一時間後にブリッジに行くと約束したんだ。何があったかを聞きたいなら、僕が自分の部屋でシャワーを浴びたりする時間がないことぐらい、わかるだろう。それに……君に見てもらいたいものがあるんだ」
「……服の着替えは?」
「一番上を脱げば、大して汚れてないんだ」
ロニはなにを言っても譲りそうにない。カレルは吐息をついて、負けを認めた。
「確信犯め。わかった、使え」
すると、ロニはありがとうと言って服から一枚のカードを取り出した。
「これ、見ててくれないか。奴らが落したんだ」
それは、ソラリス製のホロ・ヴィジョンだった。電源を入れると、画像が飛び出し、早口のソラリス語が聞こえてくる。
「……僕はソラリスの言葉は片言だ。君はけっこう勉強してるんだろう。内容を確認してくれないか」
「、ああ」
ロニが手早く水を浴びている間に、一通り、カレルはそれを聞いた。――長びく戦争――M・ジェン・キーファ国家議員による戦争の実態暴露――泥沼化した戦線――軍の犠牲は発表よりも――被害を少なくするためには法院を解体すべし――議会が支持。
愕然とした表情で、カレルは、出てきたロニを見た。彼はその目に応えて、うなずいた。
「やつらは内部分裂を起こしてる……間違ってないよな?」
「ああ、間違いない。とんでもない収穫だな、ロニ」
「捕虜の一人にこれが事実か、問いただそうと思うんだ」
「妥当だな」
「相手は小型巡視艇で、乗員は六名だった。一人は深手を追って逃亡した……でも、艇は破壊されていたから、生きて砂漠は抜けられないだろうね」
ロニはベッドに腰をかける。それから不意に、カレルの寝間着を指差した。
「脱げよ」
「はぁ?」
カレルは何を言ってるんだ、と返した。だがロニは身を乗り出して、むんずと寝間着をつかんだ。
「血糊の着いた寝間着なんかで寝るつもりなのかい? 着替えはどこだよ、出してやるから」
「……おまえ」ロニの企みがなにだか、カレルは合点して、頑なに断ろうとした。「いい」
「この模様が気に入ったなんて言う気じゃないよね」
人のよい笑みを浮かべているロニだが、その微笑に応じてはいけない。カレルは思わず、狭いベッドの上であとじさった。相手は頬笑んだまま、じりじりと彼を追いつめる。
そして、つぶやいた。
「変なこと、考えてる?」
むっとしたカレルが、返さずにいると、ロニはまた確信的な笑みをこぼす。ひょい、と顔を近づけると、耳元でこう囁いた。
「沈黙は肯定」
「やめ……」
カレルレンはきつく目を閉じ、顔を背けた。けれど、予想に反してキスが降りたのは額だった。
「僕は時間がないって言ったろ」
ロニは立ち上がると、寝間着はどこ、とまた聞いた。カレルが棚の段数を言うと、そこから探し出して、放る。
「じゃあ、大人しく養生してなよ」
言いたいだけ言って、彼は出ていった。
少し和らいだはずの足首の痛みが強くなってきたのは、ロニが出ていった後だ。触ってもいないのにずきずきと疼きだしていた。
――さっき、あいつに腕を引っ張られたときだな……!
不用意に左足で体を支えたせいとしか思えなかった。
カレルは着替えて汚れた寝間着を、怒りに任せて壁に投げつけたが、だからといってどうにかなるものでもなかった。またしばらく、ベッドの上で過ごさなくてはならないかと思うと、腹立たしくてならなかった。
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