「ここのところ、夢を見るんですよ。妙な夢です」
朝のコーヒーを飲みながら、シグルドは涼しい顔で言う。
その顔を見ながら、ジェサイアはなにも言わずにいた。褐色の顔は表情を変えないが、シグルドがそう口にするのだ。普通の夢ではないだろう。
シグルドは、ジェサイアとは違ってソラリス人ではない。彼は地上人、そしてその類まれな資質のために拉致され、ソラリスのために生かすべく洗脳されていた。だから、地上での記憶はない。ユーゲントに来るまでは完璧なコントロールを受けていて、記憶がないことを不振に思わないようにされていた。
今はまだましとはいえ、それでも記憶はない。
地上での暮らしも、大事だったものも、家族も。
(……そういえば、洗脳解除の初期段階は夢だってきいた気がするな……)
「どんな夢なんだ」
しばらくしてから、彼はそう尋ねる。
シグルドは視線を泳がせて、夢を追うようにしながら口を開いた。
「月明かりの……どこか……建物にいるんです。よくわからないんですが、私はそこが『王宮』だと知っている。理屈じゃない。……夢ですから。そしてだれかを探している。ああこの部屋だと思って、その部屋の扉を叩こうとすると、服をひっぱる人がいて……ふりむくと、一人の男の子が立っているんです。金髪で、月明かりに深い碧い瞳がきらめいている。
……そんな夢です」
ジェサイアも、消されたシグルドの記憶を知っているわけではない。それが本当なのかどうかわからないが、過去の記憶を再構成していることは間違いないだろう。シグルドは気づいていないようだけれど。
ソラリスに月は昇らない。
どこにも月光は差さない。
ジェサイアはそれを言うべきか迷い、けれど、それをシグルドが過去の記憶だと自覚もしていないうちに言うべきではないと判断した。
「疲れてるんじゃねーのか、おまえ」
「そうかもしれない……」
「毎晩、人もよくビリーの相手なんかしてるからだ。あいつは少しわがままなところがある、なんでも言うことを聞いてもらえると思いこんでやがるみたいだ。あんまり甘やかせるな」
「一番甘やかしてるのは、先輩ですよ。それに、ビリーの相手をしていた方が、あなたの相手よりましです」
「はは、違いない。シグルド、今日は軍にはゆっくりでてけ。昨日はカールもヒュウガも、起き上がれないくらい飲んだから」
「また、そんなことしてたんですか」
「おまえも呼んだほうがよかったか?」
「冗談でしょう。一時間も付き合えませんって」
それからも、シグルドは夢を見続けていた。何度も何度もシグルドは、夢の中で回廊を歩き続けている。だれかを探して。そして、あの少年に出会う。
それは過去の記憶そのものなのかもしれない。
ジェサイアは、だれにも告げずにシグルドを見守り続けていた。
ある朝、男の子の名前がわかった、と彼はジェサイアに告げた。
「バルトロメイ……それがあの子の名前です。でも、夢だから。なにを私は、こんなに夢を気にしているんだと思います?」
――シグルドがアヴェ王国の人間であることは、下界の略取データを漁ってわかっていた。そして王宮、そしてバルトロメイ。アヴェ王国の今の王子の名がバルトロメイであるのは知っている。
つまりシグルドは、アヴェ王家に縁のある人間なのだ。
数年前のアヴェ王国についてのデータを探れば、シグルドがだれなのかということすらわかるかもしれなかった。
けれど、これだけ物事が詳しく知れてくるとことがことだ。シグルドが特殊な扱いを受けているとはいえ、過去を思い出したとなれば軍も黙っているとは思えない。
「シグルド、その夢の話、他にだれかにしているか?」
「いえ、……変な夢を見る、とはヒュウガやカールにも言いましたが、詳しい内容までは」
「絶対に言うんじゃねぇ。俺だけは聞いてやる、だがそれ以上は……絶対に言っちゃだめだ。ヒュウガにも、カールにも、ビリーやラケルにもだぞ」
シグルドも、その夢が記憶かもしれないと思っていたのだろう。ジェサイアの言葉に、うなずいた。問題はずっと大きいと、気づいたようだった。
それからも、シグルドは夢を見続けていた。
ある朝、ビリーの相手をしたまま眠ってしまったシグルドをジェサイアが起こしに行くと、ぬいぐるみを抱えて寝こけるビリーのかたわらで、半身を起こした彼は、うつろな目でジェサイアを見た。
「……先輩……私は……」
「おまえ……泣いてるのか」
ビリーよりシグルドのほうがよほど子供に見えた。ソラリスに連れてこられたとき、シグルドはまだ十五かそこらだったはずだ。……子供だったはずだ。ソラリスであんな目にあわなければ、もっと違う人間だったかもしれない。
ジェサイアはともかく、カールやヒュウガも特殊な立場の人間で、歳よりも老獪でなければ生き残れなかった少年たちだ。その中で生きていくことのできるほど優秀な人間なのは確かだが、それで捨てなければならなかったものは山のようにある。
シグルドにとってそれは記憶だった。
ジェサイアは、ビリーを起こさぬようシグルドを連れ出した。そして尋いた。
「今日の夢は、どんな夢だったんだ?」
「人を探していると、言いましたよね。歩き続けた後、あの扉を開こうとして、いつもバルトロメイが服を引っ張る。でも今日は、バルトロメイがいなかった。私は扉を開いたんです。そこには、一人の男がいて……話をしました。俺は約束をしたんだ、バルトロメイを、あの子を守ると。だれの手からも守ると……なのに俺は、こんなところにいてバルトロメイが今どうしているかすら知らない……!」
「それで、泣いたのか」
シグルドはうつむいて声を殺した。
「どうしようもないんです、どうしようも……先輩、俺は……」
ジェサイアはシグルド・ハーコートという男について調べていた。王宮に列する騎士の中に、その名前はあった。アヴェ北方の部族出身で、異例の抜擢により年若くして騎士に序せられた少年だそうだ。王子バルトロメイ付の騎士で、いまは行方不明だ。
カーラン・ラムサスがジェサイアの執務室を訪れたのは、それからしばらくしてだった。法院がシグルド・ハーコートの洗脳を解く、と決定したという報告だった。
「おまえの尽力の賜物だな」
そう祝ってやると、カールは珍しくは願した。
「シグルドは優れた人間です。彼なら洗脳するまでもないと、説得できました。わだかまりが解けてこそ、彼は真の力を発揮してくれるに違いないと思うんです」
「……シグルドが、思い出しかけてるのは知ってるんだろう?」
「ええ、先輩も?」
「ああ。
さて、……どうなるかな」
シグルドは思い出す。バルトロメイというその少年を。
カールは彼の思いの強さを知らない。バルトロメイを思い出し、泣いたシグルドを知らない。そのシグルドが、記憶を取り戻しておとなしくこの国にとどまるとは到底思えなかった。
その夜、シグルドは今までとは違う顔で帰ってきた。
決定はその日のうちに実行に移されたのだろう。見ただけでわかった。その瞳にあるのは、ソラリスの人間にはない瞳の輝きだ。
シグルドは己のなんたるかを知り、その瞳は闘志に溢れていた……ソラリス世界への。ジェサイアやカールを含めたソラリスすべてへの。
「よう、シグルド。頭をすっきりしてもらったそうじゃねぇか」
「……ええ」
「思い出したのか。『バルトロメイ』」
「はい、思い出しました……全部」
「だれなんだ、そいつは」
シグルドは口を噤んだ。すでに、シグルドにとってソラリス世界のすべてが仇だった。彼をアヴェから連れ去り、洗脳してすべてを忘れさせ、その社会のための歯車に変えたソラリス。
だがジェサイアの顔を見て、シグルドは少しだけ笑った。
「先輩、実のところは知ってるんじゃないんですか」
「調べられることは調べた、けど確信じゃないな。……おまえ、行くんだろ」
「還らなくてはならなんです」
「いますぐには無理だ」
「わかっています。でも早く……一刻でも早く……! 還りたい…」
軍では数年前から、アヴェ王国を手に入れる謀略が進んでいる。それを知っていて、このソラリスでおとなしくしている気にはなれないだろう。焦る気持ちはわかる。
「連絡船に密航するしか手はないだろうな。おまえはまだ地上に降りるまで階級がいってない。今すぐ動くとなったら、おまえの洗脳を解いたカールまで罰を受けることぐらいは、わかるんだろう。まぁ気長に、チャンスを待つしかない……早く入れ。ビリーがまた駄々をこねてやがる」
シグルドは、戸を開くジェサイアの背にむかって言った。
「還らないといけないんです……あの人が私に、若を守れとそうおっしゃったから」
「あの人?」
「ええ、エドバルト陛下……アヴェ国王陛下です」
バルトロメイのいなかった夢で出会った男がそうなのだろう。
シグルドの目は、かつてなく熱かった。本当に、心から守るものを悟ったのだ、彼は。
「私は、還らなくちゃいけない……」
「皆を、うまくだますんだな」
「はい……」
ジェサイアは、あとに続く気配を確かめてから、ビリーを呼んだ。
「ビリー、シグルドが帰ってきたぞ」
ビリーが歓声を上げて駆け寄ってくる。シグルドはビリーに、いつものように笑いかけていた。だがここは、シグルドの本当の帰る場所ではない。ここは偽りの世界なのだ。
本当に帰る場所は、遠く遠くにある。
夢よりも遠く、夢に出てきたあの月より、それはさらに遠い場所にあるのだ。
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たぶん、二つめくらいに書いたゼノ小説。まだシグバルを書く気でいたはずなのに、本命エドバルト←シグルドがにじんでる(笑)
いろいろあって、自分的にはとても思い出深い作品です。この作品は、(いまやどちらへ行かれてしまったかわからないのですが)じゅぴたーさんに捧げたい。だれよりもジェシーを愛していた彼女に。最近ゼノの昔のやつを躍起になってリメイクしているのは、もうすぐゼノサイトが5周年を迎えるからなのでした。昔の文章たえられなくてものすごい勢いでゼロから書き直しているんですが!!(040729)
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