砂漠の玉座
 強い風が吹いている。風に巻きあげられた砂が降り注ぎ、風とともに叩きつけて来る。星灯りの他にあたりを照らすものはなく、遠い地平線の彼方で蒼闇の大地が紺青の空と重なり合い、視界を転じればそれはぐるりと一周して円環の大地を形づくっている。身体に巻きつけた外套に砂がひっきりなしに当たってうるさい。月よりも蒼い目をしばたたかせて、彼は立ち尽くしていた。あまりいい趣味とは言えないが、砂漠にひとりで漕ぎ出すのが好きだった。人間はみな人間と人間のつながりの中で生き、それがわずらわしかろうと構うことはなく、構築された網の中にとらわれてしまう。ロニ・ファティマもまたそういうふうに生きていた。人よりもうまく人間と人間の間を渡り歩き、人間社会の網というものを彼ほどうまく利用している者はいないくらいだろう。それだからかもしれない。時に、その網の中から飛び出して、孤独だけを味わってみたくなる。砂だけに囲まれた夜の砂漠に命の気配はなく、人間はもとより文明の兆しすら見えない。そこでは天空に震える星と風だけが存在している。求めても届かず、呼びかけても答えない星と風だけが、そこにある。言語は必要なく(砂漠の隊商を束ねるロニは十三の言語を操れる)無言で立ち尽くすことだけが世界になすことのできるものだった。世界を変えようと躍起になって人間社会では走り回っているが、こうして孤独な夜の砂漠に立てば、それがどんなに思い上がったことかわかるというものだ。彼はこの世界のなにも揺るがすことは出来ない。砂の一握ですら、自由にすることは出来ないのだ。そこですべてから隔絶され、頭の中から浮世のすべてを排除して、ただ自分を見ている。自己の内面を見凝めるなどという高尚なことを言うつもりはなかった。ただ己を見ている。彼の他には沈黙を司る星々が輝き、離散する風だけがあるその世界で。彼は彼だけのことを考え、何者からも求められず、何者をも求めない。時に砂漠の隠者という人々が存在するが、それのなんと贅沢なことだろう。ただ砂の中で、昇っては沈む太陽と月を眺めながら、己だけを思えばよいのだ。強い風に永遠に揺れ続ける砂の文様だけを目で追えばいいのだ。帳簿も手紙も見る必要はない。言葉など要らない。歌を歌うのであれば旋律だけで構わない。言語などという人間の文明はその煩雑さに比べてなんと滋味の乏しいものであることか!
 それでも彼は、人の世界に戻れば十三の言語を操り、人々に働きかけ、その心を揺り動かし、煽動さえして、進もうとするのだろう。常日頃なしていることはなんと浅ましい行為だろうかと砂漠の只中にいると思う。むしろ彼は自分が驕ることがないようにここへと来るのかもしれない。己のしていることは世界にとって茶番に過ぎない。おまえは英雄と呼ばれ王と呼ばれるかもしれないが、それは人間の狭苦しい世界でのことだけなのだと、それを決して忘れたりしないようにするためにここへと来るのだ。彼をたしなめる者も、いさめる者も存在しない孤独の中でだけ、ロニはそれを理解する。ここでもむろん彼は王だ。なぜなら彼の他にこの世界にだれ一人存在しないのだから、彼が王でなくてなんであろう。そして彼は、彼に仕える者が一人として存在しない砂漠の只中の玉座でのみ彼が王であることを理解する。
 絶対の孤独だけを理解する者こそが、真の王であるからだ。





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