酔い覚め
 夜更け過ぎまで起き上がって、なんだかんだ商隊の仕事や収集した情報とにらみ合っていたロニ・ファティマは、けたたましい戸を叩く音に顔をあげた。彼がニサンで借りている部屋は街から外れた丘の麓にあり、深夜とはいえ近所迷惑にはならない。……家人であるロニが起きているのは見越しているのだろう。ロニはため息をついて、腰をあげた。こんな時間に、こうやって不躾に訪れてくるのは数人しかいない。
 戸を開けると、その数人のうちの筆頭がそこに立っていた。ロニはどうしたんだ、とカレルに問うた。僧兵隊長は冷たい顔をしてそこに立っていた。期待はしていなかったが、真夜中に不意にロニに会いたくなってやって来てしまったとか、そういうわけではないらしい。
「いいから、入れてくれ」
「なんだよ、こんな時間に」
 それでも彼を中に入れながら、文句を言うと、カレルは態度を和らげないまま口を開いた。
「レネはいないのか」
「うん、グリンデのところに行ってる」
「そうか、丁度いい」
「……どうしたんだよ」
「ピネハス枢機卿が死んだ」
「あの男が、」
 ピネハス枢機卿は、ニサン長老会に名を連ねる男で、取り立てて目立つような男ではなかった。歳は正確には知らないが、五十近いだろう。数年前に枢機卿に就いたばかりのはずだ。枢機卿となってニサン長老会に所属すると、その立場は永世のものとなるから、長老会の中では若い方だ。
 病気とは思えない。ということは、事件か事故だ。
「時間を稼ぐ」
「時間を稼ぐって、」
「私の目の前で死んだんだ」
「まさか、君」
「殺したわけじゃない、勝手に死んだんだ」
「なんの時間を稼ぐんだよ?」
「枢機卿がなぜ死んだのかの理由を考えるためだ。ありのままに話すわけにはいかないからな」
 なにがあったのだろうと思ったが、おそらく、本来の理由はロニにも話せないことかもしれなかった。聞くべきか、と迷っていると、カレルが首に腕を回して来た。
「変だよ、君」
「いいから」
 カレルからキスをして来るのなんて珍しい。強引に唇を奪われて、少し頭がくらくらした。
 様子がおかしかった。本当に、まるで人殺しをしてきたような顔をしているのだ。
 だが、なにも初めて人死にを見たわけでもなかろう。今まで何十人と殺してきた男だ。戦場ならまだしも、そうでなく、必要もないのに他人を殺したことだってあるような男だ。
 たかが枢機卿の一人、死んだからといって(しかもカレルが殺したわけでもないのに)こんな不安定になるなんておかしい。どんな事情があったのか知らないけれど。
 壁に押しつけられて、本当にどうかしてると思う。
 死にそうな顔で迫られても、嬉しくない。……それでも、どうやら今はそういう救いが必要らしい。
「……二階、行こうよ」
 そう言うと、カレルはとてもいやそうな顔をする。ここでしたいって言うんだろうか? 普段はなにがあっても寝室に、行くくせに。
 ――それとも、離れたくないだけかもね。
 ロニも腕を回して、カレルの肩を抱きこんだ。そして唇を重ねた。





「……落ち着いた?」
 ひとしきりの行為が済むと、カレルはいつもの容子に戻った。だから聞いてもいいのかと思い、ごそごそと広いとはいえない寝台の上で位置を変え、横に並んで問いかけた。
「ああ」
「理由は思いついたわけ」
「それは、まだだ」
「なにがあったんだよ?」
 そう尋ねると、カレルはため息をついた。
「それとも、僕に聞かせるのはまずいのか?」
「いや。構わない。どうせ大した話じゃないが、他言は無用で頼む」
「もちろん、いいけど」
「ピネハス枢機卿とは、実は以前から知り合いでな」
「以前って?」
「ニサンの僧兵隊長になる前だ。正確に言うと、ソフィアに出会う前。……私は孤児だったから、幼い頃はニサン正教の孤児院で育ったんだ。結局は、窮屈で飛び出したけどな。ピネハスは、私のいたその孤児院の司祭だったんだ」
「それは……ずいぶん古い知り合いだね。そんなことなら、生きてるうちに君の子供の頃の話でも聞いてみればよかった」
「よせ、私が孤児院にいたことはなかったことになってるんだ。私はそもそも、その孤児院の修道女がひとりで産んでしまった子供なんだ」
「……それってすごく、まずいね」
「ああ、いまやニサンの僧兵隊長が、破戒した修道女の子供なのだなどと、ばれたら醜聞だからな。もう二十年以上も前の話だが、ピネハスみたいに記憶にある奴もいる。
 ソフィアが教母に立ったあと、司祭たちを集めて会議をしようとしたら奴が現れたのさ。奴もはじめは憶えていなかったらしい」
 淡々と物語るその話が、どうして最後にはピネハスを死なせ、そしてカレルにあんな顔をさせたのか想像もつかない。そんなに珍しい話にも聞こえなかったのだ。ともかくロニは、ただカレルの言葉を聞いていた。
「私を見たとき、あの男はエルアザル、と呟いた。私の母の名前なんだ。……どうやら、私は母にそっくりらしい」
 カレルは自嘲気味に笑う。
「まあ、それが災いしてピネハスに気づかれたというわけだ。会議の後、呼び出されたよ。私もまさか、あの頃の私を憶えている奴がいるとは思わなかった。あいつはなんだか嬉しそうに、いろいろと話し出した。エルアザルの話……私の話……実際、あの孤児院で学んだことは人を信じるな、ということだったがな。エルアザルは生まれたばかりの私を置いて教会の塔から飛び降りたし、孤児院は、そういう生まれの私をかわいがったりはけしてしなかった。あいにくいい思い出はない。
 ピネハスのことは……辛うじて憶えていた。いつも遠巻きに私を見ていたよ。正直、改めて見て老けたなとしか思わなかったけどな。あっちはずいぶん思い出があったようだった。
 いい加減あの男の口調にも脅迫の色が出て来て、思い切って聞いてやった。なにが望みなんだとね。……ちょうどそのとき、枢機卿の椅子がひとつ空いていた。クセル派の男だったから、どこかで恨みを買っていたらしく、失脚していた。その後釜に座らせろと言ってきたのだ。そのときピネハスはサンクンの修道院長だった。立場的に、なってもおかしくはない」
「それで、呑んだわけだ、その条件を」
「私が修道女の私生児だとわかれば、立脚されたばかりのソフィアには手痛いどころじゃない。
 ……ここまでは、ソフィアも知っている話だ。
 まあ、それからなんだかんだと、頻繁にあの男とは顔を合わせていた。私が思い切って見限らないという自信もなかったんだろう」
「ふうん……それはちっとも知らなかった」
「大したことじゃないからな。政治にも戦争にも全く影響はない。ピネハスは、あいにくながら度胸はない男だったし、頭が切れるわけでもない。本当に、大したことじゃなかった」
 それからカレルは、またさっきのような顔を見せた。けれどもう、ずいぶん気は楽になって来ているか、頭を振る。
「……母は、私が生まれて間もなくに死んだ。自殺だと聞いたが、本当にそうなのか謎は多いらしかった。鐘台まで私を連れて行ったのに、そこに私だけ置いて自分は飛び降りたんだからな。しかも、もう破門になっている修道院の塔で。不自然といえば不自然だ。だが、修道院もあまり問題を大きくしたくなかったんだろう」
 その話を聞いて、ロニははたと、そういえば以前にカレルがニサンの聖堂のあの高い塔で震えていたことがあったのを思い出す。そのせいだったのだろうか。あまりにも子供過ぎて、そのときのことは記憶にはないだろうに。きっと、何度もその話を聞かされて育ったに違いない。
「母は憶えていない。父などもちろん知らない。まあ、特別なこととも思わないが」
 こんな時代だ。確かに珍しくはない身の上だろう。母が修道女だったのは醜聞だが、もうずいぶん昔に死んだ女だ。
「ずっと気づかなかったんだ。私は確かに、母に似ているんだろうな。……今日ようやく、気がついた。ピネハスは私の父親だった」
「……え、」
「エルアザルに執着しすぎると思ってはいた。そして、私の顔にも、な」
 その言葉と今日の態度からして、……そういうことだったのだろう。あの男がカレルに触ったかと思うと不快で仕方なかった。しかも、カレルはピネハスが父親であることに気づいてしまったのだ。
「私は首の後ろに、痣があるんだが」
「今はニサンの刺青しているところ?」
「ああ。痣の上に刺青をいれたんだ。自分では見えてなかったんだが、まあ、鏡でどんな形の痣があるかは見たことがあったから、」
「それで今日、ピネハスにもあるのを、見つけたんだ?」
「……ああ、そうだ。同じ形の痣だった。問い詰めたら、あっさりと認めたよ」
「どうしてピネハスは死んだんだよ」
 それだけ聞いたら、カレルにピネハスを殺してしまう理由など山のようにありそうだった。
「私が気づくのを待っていたんだと。……そして自分で銃を咥えて、撃ち放した」
 ということは、今頃その部屋は脳漿と血にまみれているということだろう。銃声がしたなら、夜更けとはいえ気づいている人間も多いはずだ。
「部屋を出て行くところ、見られてるのか」
「ああ。……今頃、テンポウあたりが探し回っているに違いないな」
「僕のところなんか、真っ先に探しに来るに決まってるじゃないか」
「だろうな。だから、早く理由を考えたいんだが」
「こんなことしてる暇、なかったんじゃないの」
「考えがまとまらなかったんだ。くそっ、あの男……ふざけるにもほどがある……!」
 どこか腑に落ちない。生まれる前からカレルのことを見捨てた父親が、いまさらになってそれがわかって自殺するなんて。気づくのを待って、自殺したなんてどこかおかしい。
「……カレル、」
「おまえも考えろ」
「君の母親の下手人は、ピネハスか」
「……明言はしなかった。だが、おそらくそうだろうな」
 それはさすがのカレルでもおかしくなるというものだ。ロニはカレルを引き寄せ、またその首筋にキスを落とす。さっきの熱は、とっくに失われていた。
「もういい、ロニ。慰めは十分だ」
「でも、僕は慰めるつもりがあまりなかったから」
「いいんだ、それより今はどうにか考えないと」
「神経症だったとでも、言ったらどうだい。先の見えない戦争に倦んで、自殺したとでも言えばいい」
「……無難だな」
「君がどうして逃げ出したのかの理由はつけられないけど、それは……どんな話でも無理だと思うよ」
「気が動転したとでも言おう」
「だれも信じないな、それは」
「実際動転してた」
「それは知ってるけど、君はピネハス枢機卿が死んだくらいじゃ動じない筈だもの」
「まあ、そう話す他ないだろうな」
 カレルは寝台を起き上がると、身支度を始める。ロニは空いてしまった隣を見つめて、寂しさを感じる。行かなくてはならないことは承知しているが、たぶん、明日になってしまえば、カレルは平然とした振る舞いをするに違いない。
 もっと、甘えてくれたらいいのになと思ってしまう。どれだけ傷ついているか知れないというのに。
 また次のときに、この話を持ち出して慰めようとすれば、怒るだろう。
「……入れ違いにテンポウが来たら、なんと言おうか」
「余計なことは言わなくていいからな」
「ああ、寝室に行こうと言ったら嫌がったとか」
「本当に、余計だな」
 冷たく言っていつもの厳格な僧兵隊長に戻ったカレルは、ロニを一瞥して部屋を出て行った。ロニは服も纏わず、窓辺に行って窓を開ける。そして、出て行くカレルを見送った。顔を上げれば、市街のほうからこちらに走ってくる人影が見える。……テンポウだろう。
「カレル、もうお迎えが来たよ」
「長居、しすぎたな。……おまえ、服を着ろ」
「別にいいじゃないか」
「着ないなら奥に入れ」
「見送るよ」
「……見てろよ」
「気をつけて、カレル。愛してるよ」
 そのあたりの台詞はいい加減、テンポウにも聞こえただろう。カレルは足を止め、ぎろりとロニをにらむ。テンポウもロニをじろりと見上げてにらんだ。正直に言って、テンポウはあまり得意な相手ではない。こんな会話や、上半身だけとはいえ全裸のロニを見て色々うがった推測をしているのだろう。夜闇の中でも赤くなっているのがわかる。
「ピ、ピネハッス枢機卿が!!」
「ああ、わかっている。私の話を聞きに来たんだろう。いまから行く」
「う、あ、ああ」
 最後にカレルは、もう一度ロニをにらんでいった。
 ロニもそんな姿がかわいく思えて、もう一度愛しているよと言おうと思ったのだが、さすがにやめておいた。これ以上神経を逆撫でしたら、殴られるだけじゃすまないだろう。
 ピネハスが死んで、カレルはきっと安堵しているに違いなかった。脅迫者も、憎んだ父親も、みなながら死んでしまったのだから。ロニをすがってきたのは、むしろそこに安堵する自分への罪悪感だったのかもしれない。
 ――まあでも、構わないけどね、僕は。
 そんなときに自分に縋り付いてくるようになったのだ、彼も。かつてはロニがしつこく食い下がらなければ、縋らなかったあの男が。
 こんなときに不謹慎なのだろうが、それでも嬉しいと思わずにはいられなかった。





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なんちゅうピロートークするんだよ、君たち。そしてすみません、やはり昔の話と微妙に矛盾が。ごめんなさい。
カレル受がかきたーい、というわけで、書いてみたピネハス×カレルでした。もう捏造も無茶やりすぎだ。最初は、カレル視点でピネハスとであったときの話にするつもりでいたのですが、それは確実にロニカレではないのでやめました。私はロニカレ書きーですもの! でもそのおかげで、びっくりするくらい軽い話になってしまいました。ピネハスさんの立場っていったい……せっかくきんしんそーかんした息子の前で自殺とか言う、ものすごい衝撃的なことしたのに。カレル視点のほうがよかった気がします……すごいピネハスさんかわいそうだ……
おもいあまってエロシーンまでかけそうな気がしましたが(俺も学園ヘヴンでエロの修行は積んだぜ)やっぱりロニカレにはうまくないよ。
ピネハス枢機卿の名前は、別にハピネスの順番を変えたわけではなく、聖書のエルアザルの息子の名前から取りました。エルアザルは公式ででているらしいよ。わたし、知らないけど。エルアザルが修道女だったとか、殺されたとか、父親がピネハスとか、そんなのは全部嘘です。あ、あとテンポウも書いてみました……あはは……(040803)

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