君の闇に触れさせて - 4
 シェバトの部屋は、どこも似たような構造だ。カレルレンたちニサンの僧兵に提供されている客室も、空にむかって大きく窓が開かれている。実際はそんなことはないが、簡単に窓から遥か下方の地上へと落ちて行きそうだった。なににも邪魔されることなく、王宮の窓は眼下の町並みと、そして広過ぎる空が見えるばかりだ。大地は遠過ぎて肉眼ではその輪郭しかわからない。なんて大地とかけ離れた国なのか。
 カレルレンについて来た僧兵たちは顔馴染みの者ばかりだが、今日は視線が厳しい。改めてロニ・ファティマが味方とは限らない事実を思い出したのだろう。素知らぬ顔で通り過ぎて行くファティマ家の兄弟に声をかけることはなかった。
 彼らの間を通り抜け、窓のある部屋にはさすがにカレルレンだけがいる。
 ロニが弟とともに部屋に入ると、腕を組んで空を見上げるカレルレンは、振り返ってにやりと笑った。
「……やってくれたな、ロニ・ファティマ。いつの間に調べた?」
「君は叩くとほこりが出過ぎるよ」
「貴様の手管には慣れていたつもりだったがな、まさかクセルを持ち出すとは思わなかった」
「そんなに、思い出したくない過去か」
 カレルレンはきつい瞳でロニをねめつけた。
「シェバトのやつらと同じように、おまえも人の揚げ足を取るのだけは随分うまい」
「僕がシェバトの前で見せてるのがすべてパフォーマンスだということは、君だって承知してるだろう」
「どうかな、それにしては今回のことは振る舞いが過ぎるように思えたが。私の前歴を暴くなら他にも色々と情報がある筈だ。敢えてクセルを選んだにはどうしてか考えると、どうかな? いずれにせよ、おまえを信じ過ぎるのは危険だからな。
 それにおまえは、シェバトを前にしたら我々との交流について同じように弁明しているのだろう。ニサンの僧兵となったのは、ソフィアとカレルレンをうまく丸めこんだ証だと。二つの言葉、どちらが嘘でどちらが本当かなど、見極める術はあるのか? ……どちらかが真実であって、みなながら嘘でないとだれに言い切れる?」
 カレルレンはロニから目をそらすと、事務的な口調に返った。
「ソフィア様と連絡を取った。これから我々がニサンに帰還し、補給後即、出立するようにと。明後日早朝頃になるだろう。そちらは平気だな?」
「ああ。構わない」
「それじゃあ直ぐに準備を。私はこれから大君に挨拶に行くが」
「別々に行ったほうが良さそうだな。先に行くよ」
「了解した」
 ロニが部屋を出ようとすると、カレルレンの声が耳を打つ。
「空が見えるのに、空など見えない地獄の奥底にいるみたいだ」
 この空の彼方に、ソラリスがある。ソラリスの政治はロニたちに杳として知れない。彼らは地上に生きる彼らのこの小さな諍いを見て笑っているだろうか。
 ソフィアはいよいよ戦地に出る。一度出れば、後はためらう理由もなくなる。ソフィア自身が、望んで出るようになるだろう。ニサンは力を手に入れる。戦いは更に激しさを増すだろう。もちろん終わりは見えない。
 それでもいつか、いつかあの国にいる人間どもに目にものを見せてやると、そう思うのだ。





 出発の準備を終え、僧兵たちが乗りこむのを待っている艦橋で、暇を潰すように計器チェックをしている弟に、ロニは言った。
「言っておくことはないのか?」
「なにもないって、出る前に言っただろ」
「やり過ぎだと思ってるんじゃないのか、内心では」
「兄貴が考えてることならわかってる。カレルレンにはもっと怒られたかったんだろう。でも俺は兄貴が考えていることがわかるから。責められないよ」
「いつか僕、彼を殺せると思う?」
 レネは計器から顔を上げ、兄の顔を確かめた。なにを考えているのか、さすがにその言葉は図りかねる。けれど、ロニは表情もいつものように飄々としていた。だれにも本心を明かさぬその優しげな顔は、なにかを隠している顔だ。造作がいいのはこういうときに役に立つのだろうが、わからなくて困るところでもある。それで少し迷って、言う。
「裏切るのは簡単に出来るんだろ」
 ロニはうなずいた。
「言葉が悪いね、どうも」
「悪かったな、つまり今日みたいに不意打ちのように痛いところをついたり、恥をかかせたりね。まあ、そんな生易しいこと以上に色々出来るんだろうけど」
「僕を極悪人みたいに言うなよ」
「言ってないよ、兄貴は心優しいよ。……自分と利害が対立しなければね」
「あのな。まあそうだな、それは正しいし。僕とカレルは根本的な価値観が違ってる。あいつはあれでいて理想主義者だからね。まあ、そうでなきゃ僧兵隊長なんかやってられないだろう。昔は裏の社会の人間だったとはいえ、今は立派な僧兵だ。宗教的倫理と、現実的な倫理は絶対に同じじゃない。
 世俗権力じゃなくて宗教に支配される世界なんて、僕には真っ平だよ。宗教はソフィアが与えてくれるように、勇気とはなる。でも、勇気は勇気に過ぎない」
「いつかは彼が邪魔になる?」
「戦うことはありうるだろう」
「ソラリスを倒した後の話じゃないのか」
「うん、そうだ。いつそのときが来るかは知らないけど、どう思う」
「兄貴があいつを、殺せるかって?」
「……僕には出来ないと思う。殺せば全てが終わりになる。終わるのが愛か憎しみか知らないけどね。僕はどんなことがあっても、カレルを殺すことだけは出来ないと思う。お終いに、出来ないと思う」
「今は、カレルレンは敵じゃない」
 ロニは肩を竦めた。
「そうだよな」
 出航の時間はそれからしばらく延びることになった。というのも、ロニたちと僧兵が直ぐにでも出立すると耳にしたゼファー王女が、今回の計画に参加すると言い出したためだった。一刻も争う出発だったのだが、さすがにゼファーをたった一人でファティマの戦艦に預けるのは王が止めたのだろう。最終的に、北の島へむかうファティマ商会の艦にはいつになく大勢が乗りこむことになった。教母ソフィアはもちろんのこと、ニサンの僧兵隊長以下の一隊、そしてゼファー王女に従って王室騎士団の数人も同乗していた。陰謀渦巻く地上の縮図のままだ。
 ニサンを出発しても、艦内の雰囲気は険悪なままだ。ファティマ商会の人間はニサンとぎこちなく、ニサンとシェバトはカレルレンと例の第七旅団長のせいで一触即発だ。事情を聞いているソフィアもとりなすつもりはないらしく、緊張は保たれている。
 それでもまだ、切り札を握っているのはロニだった。ゼファーは目論見どおり、艦に乗った。ソフィアもしかり。後は、北の島へ着くだけだった。





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