ヒュウガは目的があって移動しているわけではなく、あくまでも、居場所を特定されないために移動し続けているようだった。ガスパールが来るまでの時間潰しというところだろう。ユイはあとを追いながら、端末のボタンを押せずにいた。
「ガスパール殿とは、本気でやりあう気なの」
「シェバトから脱出するには艦が必要です。そんな状態で、僕が、こっそりと逃げ出せると思うんですか?」
どの道、ゼファーを暗殺したとしても、艦が必要だ。正体を明かした以上は、なにかの取引をしなければシェバトから逃れられないことになる。出来る限りを殺したとしても、十中八九、ヒュウガ自身の死は免れないだろう。だとすると、そもそもヒュウガはなんらかの脱出経路を持っていると考えるべきだろう。どこかに艦が用意してあるのか、艦を用意することの出来る人員を配置しているのか。他にもソラリスの工作員が入りこんでいると考えるべきだろう。
「どちらかが死ぬわ」
「僕か、ガスパール殿か、ということですか。そうでしょうね。困りますか?」
「ガスパール殿が地上の前線を離れたことで、あなたの目的は達したんじゃないの」
「ああそれは、護民官のほうの目的は」
「伝言も言ったじゃない」
「けどあれで正しかったのか、本当のところがわからないんです」
「おじい様もあなたの伝言のことは知らないわ」
「困りましたね。どうすればわかるんでしょう。シェバトへ来てあの図書室の本はほとんど読んでしまいましたが、それらしい手がかりもありませんでしたし」
「アルタバンの
伝説は知っているんでしょう」
「ええ、それは。五百年前に該当する人物がいるんじゃないかと憶測もしたんですが、あまりはっきりしませんでしたね」
「カレルレンのことではないの?」
「しっくり来ないんです。僕の周囲をめぐる騒動でもわかるとは思うんですが、カレルレンと陛下は――うまくいっているとは言い難い。にもかかわらず、あの国で一番深く理解し合っているのはあの二人ではないのか、そういう気もする。カレルレンも五百年前から生き続けている人間です。たかだかお傍に置いていただいて二年にしかならない僕とでは比べ物にならないのでしょう。ですが、表面的には、今回のように平気でぶつかり合う。……どこまで深読みしていいのか、判断に苦しみます」
「それはわからなくてはいけないことなの?」
なおも言い募るユイに、ヒュウガはにっこりと笑んだ。
「そんなに僕をつまみ出したいんですか」
「当たり前だわ」
「それは、シェバトに平和を取り戻すためですか。それとも、おじい様の身を心配して? それとも、僕の身を?」
「なぜあなたの身を心配しなくちゃいけないの」
「一度拾った人間を、また捨てられるような人だとは思いませんから」
外れてはいなかった。ユイの心の中で感情はもつれていた。ヒュウガへの憐れみもあったし、それでもいまも死にゆこうとしているシェバトの兵士たち、あの事故のときに死んだ仲間のことを思えば、殴りかかりたい気分になる。しかし、これ以上ヒュウガに感情を見せたくなかった。泣いたのを慰められるようになってしまったことが、自分の本心を探る抵抗になっていた。
「私はいつまでここにいればいいの?」
そう言うとヒュウガは傷ついたような顔を見せた。
「それはまだ、決めていません」
眼鏡を押し上げ、ヒュウガはにやりと笑う。
「ガスパール殿の帰還にはまだ、時間があるでしょう」
祖父を待つべきなのか、待つべきではないのか。ボタンを押せば、膠着した時間は終わるはずだった。ユイはボタンを押せぬまま、ヒュウガの隣に居続けていた。
ふたりはダクト内に腰を下ろして休憩を取った。ヒュウガは携帯食を用意していて、ユイにも手渡してくれた。シェバト製の携帯食だ。それを食べながら、ユイはヒュウガを見た。
「マリアを見逃してくれて有難う」
ヒュウガはちらりとユイを見たが、なにも言わずにまた固形食糧にかぶりついた。
「マリアは、ずっとなにも話さなかったわ。部屋にひとりきりで閉じこもって、ギア工学の勉強ばかりしていたの。両親はいなかったし、バルタザール殿もマリアまで手が回らなかった。陛下はそれを見かねて、傍に置いたのよ。なのにマリアは、陛下はなにもしてくれない、そんな風に思っていたのね……」
ゼファーはマリアのために熱心に時間を割いていた。幼い子供が戦争の犠牲になるのが、彼女にはなによりも耐えられないことなのだろう。それなのに、マリアのほうはゼファーに感謝もしていなかった。
それを思うと、ひどく気落ちした。その一方で、マリアからすれば仕方ないのもわかる。彼女はたったひとりの家族だった父親と引き離されて、シェバトに戻ったけれど、なぜソラリスにいるべきでなかったのかは、まだ理解できないはずだ。それとも、父親を助け出せない無力なシェバトのことを嫌っているのかもしれない。
「善と悪は、立つ場所を変えたときに簡単にひっくり返ります。あの子はそれを、知っているんでしょう」
「確かに、ニコラ・バルタザールは脱出できたはずだったのにしなかった。……そういう話はあるわ。あなたは彼を知っているのね?」
「ええ。僕も軍でギアの開発に携わっていますから。これでもギア工学の天才と言われているんですよ。ただニコラ殿に関しては、さっきも言いましたが、特殊なプロジェクトだったので研究所内でも隔離されていました。シェバトの人間だったから……という理由もありますが、その研究内容も問題があったみたいですね。彼の研究内容を知っていますか?」
「いいえ、ギアの開発というのは知っているけれど」
「彼は人工的な『アニマの器』の開発を目指していました。つまり、自ら動き、意志するギアです。人工知能を搭載した試作機は一般の研究エリアでも開発されていましたが、それでは到底、戦闘時に必要な処理能力を搭載しきれない。必要なだけ載せると、巨大化せざるを得ないんです。それに、反応速度もまだ不十分です。人間の意識を電磁化して取りこむ方法は、反応速度に関しては問題ないらしいのですが、大型であるというハードウェアの問題をクリアできない。そこでニコラ殿の研究が始まったのです。ふたつの問題をクリアするギアを。それがあなたもご存知のゼプツェンです。現在、ソラリスでは次号機アハツェンが開発されていますよ。他でもないニコラ殿の手で、ね」
「ふたつの問題を解決する方法って……」
「極秘ですから、僕もよく知りません。把握しているのはカレルレンだけです」
「ニコラ殿は、カレルレンの元に?」
「ええ。研究の基礎はカレルレン自身が作り上げたものです。僕がわかっているのは人間をギアの部品にすること、だけです」
「部品?」
「どう使うのかはわかりませんが。搭乗者ではなく、部品。到底シェバトでは許可されないでしょうね」
その言葉は嫌に不吉だった。ユイがぞっとして身を竦めると、ヒュウガはなおも続けた。そこには、どこか薄気味悪い狂気がはりついている。ゼファーの部屋に通信をかけて来たときの、あの顔だ。ヒュウガの表情はここに来てやたらとくるくると変わる。どれも印象が違いすぎた。
「もっとも、ゼプツェンの解析をしているバルタザール殿はどういうことかわかっているんじゃないですかね」
「あなたは?」
「憶測ですよ。下品な、野次馬根性の。……さあ、動きましょうか」
ユイはしぶしぶ立ち上がった。完全にヒュウガのてのひらで弄ばれている。彼の様々な話を聞いていたが、実際のところ、どれが本当の話かはわからないのだった。どうしてまだ疑い続けなければならないのか、その理由はわかっていた。ヒュウガの態度だ。隠し事はまだあるようだし、話をするたびに態度が変わる。
ヒュウガの話を聞いていると、悪いのはそのカレルレンという男だけなのではないかと思いこまされてしまう気がした。ヒュウガはカレルレンにはめられたのであって、悪くないのだと。
しかし、シェバトに潜入するために、ユイとともに探索艇に乗っていたクルーを燃やしたのは彼なのだ。たったひとりで、完璧な手際でそれを成し遂げたのは確かだ。そしていまも、懐には人類を滅ぼすことの出来るナノマシンを持っている。
感情は、ヒュウガを信じたがっていた。けれど、いままでずっと彼を信じて来たのに、それはすべて偽りだった。ヒュウガはユイを利用し、まんまと裏切った。それなのにどうして、まだ自分が信じたがっているのか、ユイにはわからない。ひどい話を聞かされて同情しているだけではない。そんなものを理由に、許せるはずがない。
あと数時間でガスパールは帰還する。そのために、地上では何千もの兵士たちが死んでいる。この息の詰まるふたりきりの時間は、それだけの死者の屍の上にあるのだ。そう気がついたユイは、思わず端末に手をやった。ヒュウガは鋭くそれを見咎め、振り返った。
「ユイ」
「私が戻らなくて、兵たちは大騒ぎでしょうね」
「心配しなくても大丈夫です。その理由は、マリアが話しているでしょう」
「だからじゃないの」
「正直なところ、どうしていままであなたがそのボタンを押そうとしないのか不思議でした。僕の考えでは、あんな余計なことを話さず、この会話をもっと早くにしているはずでしたから」
「そして私は、始末されていた?」
「それはどうでしょう」
彼は謎めいた笑みで、本心を明かさない。ユイは押してしまうべきか迷った。押せば、ふたりの居場所が知れる。ヒュウガはユイを殺してこの場をすぐに去るだろうが、彼がダクトを利用していることはわかるだろうし、そうすれば探索もしやすくなるはずだ。
(駄目、ともすれば女王のことをすぐにでも狙いに行く……あるいはナノマシンがある……)
けれど、そのどちらかが真の目的だったら、ヒュウガはそれをとっくに成し遂げているはずだ。どちらの脅しも、時間を稼ぐためなのだろうか。ではヒュウガの本当の狙いは一体なんなのだろう。
ユイは迷いながら、ヒュウガを見た。彼は人に寒気を与える笑顔でユイに手を伸ばす。そしてユイの腕を握り締め、もうひとつの手で端末を取り上げた。ヒュウガに腕をつかまれた瞬間に、鼓動が止まったかと思った。次の瞬間、心臓が暴れ、汗が吹き出る。ヒュウガは端末を背後に放り投げた。乾いた音を響かせながら、機械は遠くへ転がってゆく。
ヒュウガは暗い瞳でユイの目を覗きこみ、こう言った。
「さあ、行きましょう」
そのまま、休憩を挟みつつ歩き続けたが、ふたりのあいだに言葉はなかった。
やがて、ガスパールが帰還していてもおかしくない頃にさしかかっていた。地上の前線からシェバトまで、二日はかかる。正確な経過時間はあやふやだったが、もう帰って来てもいいはずだ。睡眠をとりつつ移動しているので、ユイもヒュウガも体力はもっていた。
歩いていると、ふと違和感をおぼえてユイは顔を上げた。ヒュウガも同様になにかを感じたらしく、油断のない顔を見せた。人の気配がする。遠いが、ダクトの中だ。……間違いない。
ヒュウガはユイを見た。
「まあ、そろそろでしょうね。あなたが行方不明になったのを踏まえて、おそらく女王はダクトの探索を止めていた。無駄な犠牲を出しますから。入って来たということは、ガスパール殿が戻って来たということです」
ヒュウガはまるで嬉しそうだった。
人の気配はいくつかの方向から感じられた。包囲するために、何隊かが投入されているのだろう。
「先に行ったのはだれでしょうね。神を見出したのはだれなんでしょう? だれでもいい、その答えがほしい。この伝言は三賢者に宛てたものだったわけですから、ガスパール殿は少なくともなにかを知っているはずです」
「なぜその伝言に拘るの?」
音が響いて来るそのむこうを見つめ続けるヒュウガにむかって、ユイはそう尋ねた。
「……陛下は、僕が求めているものを与えてくださる。だからこの言葉に、意味がないはずがないのです。
意味がないはずがないんです」
彼は言って、音がとよむ方へと歩き出した。
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