君の闇に触れさせて - 2
 予定よりも早いロニ・ファティマの帰還の報を受け、ニサンでは慌しく受け入れの準備が行われていた。普段はさておき、今度ばかりは街中が緊張している。シェバトでの大がかりな会議は滅多にあるわけではなく、その決定はニサンにとって命取りとなりかねないことさえある。今回はそれほどのことがあるとは思えなかったが、ソフィアでさえも、ロニ・ファティマの持ち帰る情報を座って待つことは出来なかった。
 ゼファーより受け取っていたディスクは、到着までに解析が済んでいた。イグニス大陸の北、孤島に位置しているポイントに「アニマの器」の反応があった。辺鄙な場所だ。シェバト側も情報を渡すべきではないと言いつつ、そんなところまで送りこまれるのはロニたち以外にない筈だった。
 遅かれ早かれ、行くことになるに違いなかった。
 まだ場所まではニサンに教えるわけには行かないだろう。ニサンの信徒の中にも、ロニとは別の形でシェバトの人間が食いこんでいる。ニサン正教内の間諜や内通者については、ロニはすべてを把握しているわけではなかった。
 それでも、せっかく手に入れた情報をただ黙っていたのでは価値がないというものだ。
 ロニはレネとともに、早速ニサンの大聖堂まで足を運んだ。聖堂にはすでに人々が集まっていた。教母ソフィアを中心に、すぐ傍らには僧兵隊長カレルレン、修道女頭ジークリンデが立ち、少し遠巻きに何名ものニサン長老会の枢機卿、あるいはシェバトよりニサンに派遣されている王室騎士団の旅団長らがいる。
 既に、会議の公式な情報はシェバトから得ている筈だ。もちろん、ロニのあの発言も承知なのだろう。聖堂の雰囲気はいつものように居心地いいというわけではなかった。ロニは人には読めない表情でにこやかに帰還を告げた。レネはロニとは対照にいかめしい顔つきで寡黙に人々を見つめる。そのアンバランスさが、この兄弟をして人々に威圧をかけるのだった。
「ただいま戻りました」
 もちろん、ロニもレネもこのニサンが本拠地ではない。だが、仮にも僧兵の称号だけは与えられているので、いつもより慇懃に腰を落として挨拶した。
「ご苦労様でした。……早速報告を」
 ソフィアも無駄口はたたかなかった。ロニは手早く、内容もない会議のことを話し、そしていくらか枢機卿たちと言葉を交わす。
 そして最後に、なんでもないことのように例の情報のことを切り出した。
「そいうえば、おもしろい話を聞きました」
「おもしろい話?」
「ええ。どうやら、シェバトでは位置の確認が出来たようです。……アニマの器の」
 とたんに、場はざわめいた。
「場所がわかったの?」
 ソフィアの問いかけに、ロニは頭を振った。
「残念ながら、中途半端な情報しかまだ入手していないもので。ただ、手に入れたそのアニマの器の同調パターンを私のギア・バーラーで解析したところ、だれのものかは予測がついています。
 ……あれは多分、ソフィア、あなたのです」
 ソフィアは厳しい顔で、ロニを見つめ返す。ロニの意図を理解しているのかどうか、簡単には読めなかった。だが、彼女もロニの言葉を鵜呑みにはしないだろう。少なくとも裏の意図があることには考えが及ぶ筈だ。
 情報源も明かさないロニの言葉は、本当ならばかなりの歩合で信用度はない筈だった。だが、場の沈黙は全員がロニの言葉をかなりの確率で信じていることを示している。シェバトが警戒するほどニサンに近づいているロニのことだ。シェバトが警戒するということは、ニサンでは信用が上がっていることになる。
 もちろん、だれもが駆け引きというものを忘れてはいないだろう。だが、アニマの器はあまりにも効果が大きい。駆け引きと知りつつ、ロニに振り回されざるをえないのだ。
 それが本当だった場合は大きな大きな、力になる。
「シェバトから、場所の通達があり次第、ソフィアを伴ってアニマの器の元に行くことになるでしょう」
 ロニが言うと、カレルレンが渋い顔で口を開いた。
「ソフィア様を戦地に連れ出すことになるな」
「……そのための僧兵隊だろう」
「危険は出来るだけ避けたい」
「しかし、アニマの器に関してはそうも言ってられないだろう」
 カレルレンは渋い顔だ。戦争の初期は視察や慰安という形であれ、実際の指揮という形であれ、前線に出ることが少なくなかったソフィアだが、今は長いこと、遠ざかっている。
 それはソフィアがすべきことが山のようにあったからだった。人々の精神を支える大きな要として、ソフィアは今やこの戦いに欠かせない存在となっている。戦いとは局地的な戦場のことではなく、この戦いの流れのすべてのことだ。ソフィアが戦場から遠ざかったのは、彼女がこの戦いの中でたった一人の替えのきかない存在としての教母となるためのための時間だったし、そのためにカレルレンやロニが戦場では血にまみれていた。
 ロニからすれば、いま出なければソフィアが前線に出る機会は二度となくなるという気がしていた。そして、彼女を引きずり出せばニサンは沈黙を決めこんでいられない。……シェバトもしかりだ。
 危うい均衡をこのアニマの器は粉々に砕くことになる。
 カレルレンの目は迷いを隠しきれていない。彼が、シェバトとニサンの危うい蜜月関係を終わらせることに迷う筈はなく、それは純粋にソフィアを案じてのことなのだろう。
 だが、カレルレンがなんと言おうとロニはソフィアを引きずり出すつもりだった。
 危険はあるだろう。だが、それで死ぬのならそれまでの女だということだ。……恐らく、彼女は死なないだろう。死なれては困るし、もしかするととっさにロニも身を呈して彼女を守るかもしれなかった。ロニの替えは、まだきく。だが、ソフィアは難しい。
 そうして来たのはニサンであり、カレルレンであり、そしてロニでもある。
 それほどの人間だということをロニは知っていたからこそ、こうして揺り動かすときの影響力のなんと大きいことか。ロニが投げ入れた石は大きな波紋を描き、ニサンとシェバトのすべて、そしていずれはソラリスをも揺する筈だ。
 ロニがそれだけのものなのではない。投げ入れたソフィアという石の大きさは言い難いのだ。
 カレルレンはちらりとロニを見て来る。あまりにも彼が動じていないのを見て、不審に思っているのだろう。この場では口にせずとも、あとから必ずなにか言われる。だがその手の意見の不一致など、いつものことだ。
「正確な情報があるまでは動けませんね」
 ソフィアが言う。ロニは集まった人々に視線を投げた。このうちの何人が、シェバトに報告しに行くのか。アニマの器に関しては、実際、ニサンもシェバトもわがままや利権のことを言っていられるような状態ではない。直ぐにでも動きがあるだろう。





 次の日にはもう、ロニの艦にはご不快な容子の王女からの通信が入っていた。
「……本当でございますか」
「嘘をついたって、得することはないだろう」
 新しいアニマの器がソフィアのものだという情報は、さすがに電光石火で伝わったようだ。あの場にはシェバト王室騎士団の人間もいたのだから当たり前かもしれない。しかし、アニマの器が発見されているということ自体、非公開の情報である筈だから伝わりは鈍いかもしれないと思っていのだが、そうでもないらしい。
 現在の王室騎士団第七旅団長はここに派遣されて一ヶ月にもならない男で、ロニはあまり馴染みがない。シェバトでの面識はあるものの、それだけの人間だ。
 前任者がニサン側とかなり息を通じた人間であっただけに、新任者に対する配慮は必要以上に気を配らなければならなかった。シェバトは前任者を鑑みて今度はそうならない人間を派遣して来ている。
 さらにもう少しは気を配っておくべきだろう。
「よく言うよな、兄貴も」
 通信を終えると、そう言う声が聞こえて、レネが後ろで笑っていた。
「なんだよ」
「嘘をついたって、得はないだってさ。得があるから嘘をついてるくせに」
「笑いごとじゃないだろ。……ニサンが生きるか死ぬかの瀬戸際だ」
「カレルレンが、じゃなくてか?」
「彼がこのまま死んだら、ますますニサンは笑えない」
「まあね……」
 ソフィアを引きずり出すことによって、崩されるニサンとシェバトの力関係の真ん中にロニはいる。シェバトから派遣される形でニサンと共闘関係を結んでいる彼の勢力は、今のようにどっちつかずでいるわけには行かないだろう。
 彼が、ニサンに傾いていることは火を見るよりも明らかだ。だが、それでは困る。シェバトにも、ニサンにさえ、だまされていてもらわなければ困るのだ。
「思うところがあるなら、今のうちに言っておけよ」
 そう言うと、レネは肩をすくめた。
「兄貴のやり方に、異存はないよ」
「それは有難い」
 さらに二日後、シェバトから正式な通信が入った。アニマの器のある場所の情報と、カレルレンとロニに対するシェバト王統府会議への召還だった。





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