ある一夜
(from suikoden)

 城外で激しく交わされる戟の音は、暗く沈んだ街の中にも響き渡っていた。広い城壁の内にびっしりと並んだ民家も店も、あかりを消して息を潜め、戦いの行方をうかがっている。
 赤月帝国禁軍は、皇帝バルバロッサがグレッグミンスターに不在のため、通常の半数しか戦力がない。帝都の守護者たる常勝将軍、テオ・マクドールは反乱軍鎮圧のためにクワバ要塞で交戦中だという。残った帝国軍は二太刀いらずのゲオルグ・プライムの元で善戦しているが、圧倒的な戦力差の前に、グレッグミンスターの市民たちは、いずれ城門が破られるのではないかと噂していた。
 そんな中、城下にある帝国士官学校も、壁の内側にただならぬ熱をこもらせていた。外のような戦いや鬨の声が上がっているわけではなかったが、同様の緊張があった。
 ゲオルグ・プライムは、かなり劣勢の状況であるにもかかわらず、城外の戦闘に士官学校の学生たちを駆りださなかった。未熟な学生たちを動員しても効果がないと思ったかもしれないが、後詰めとして数を揃えるのに使うくらいはしてもいいはずだ。はたして、学生たちがなにもせずに済んでいるのは、プライム将軍の意思なのか、あるいは、学校が将軍からの指示を拒絶したからなのか。
 士官学校内部に、反乱軍に呼応するものがいてもおかしくない。教官たちのあいだにみなぎる緊張は、その証拠のように見えた。
 そうすると、戦火に巻きこまれること以上に、学生たちには危機が迫っている。
 とある士官候補生の部屋には、数人の生徒たちが集まっていた。いずれも二年間ある士官学校の課程の上級生であり、その中でも上級士官候補生に選抜された生徒たちだ。赤月帝国は能力さえあれば身分にこだわらないため、出自はさまざまだが、いずれも未来の帝国中央軍の要職を担うことになるはずの生徒たちだった。
 それゆえに、そこに集まった上級士官候補生たちは、かなりの緊張を強いられていた。
 反乱軍が城門を破った場合に、この士官学校を見過ごしていくはずはなかった。自らの戦力にするためにせよ、叩き潰すためにせよ、ただでは済まされない。城門を打ち破られたら、プライム将軍が学校を守るほどの余裕もないだろうから、彼らは、自分たちの身を自分たちで守らねばならないのだ。
 生徒たちには、それぞれの部屋で指示を待つよう教官たちから連絡が行っていた。だが、言われるままに従って、取り返しのつかないことになるのは御免だ、と彼らは考えていた。
「それでどうなんだ、アレン」
 窓の外をうかがいながらひとりの生徒が言うと、それに答えたのは、最後に部屋に入って来た黒髪の少年だった。落ち着かないそぶりで全員を見回す。
「リンドグレーン教官がいないらしい。他の教官たちが探していた」
「ということは、リンドグレーン教官が反乱支持者だって言うことか?」
「そうとも言えないだろう。リンドグレーン教官は発言は過激だけど、バルバロッサ派に見えた」
「それこそどうだ? あの人はルーグナー家そのものを支持しているんだ。正嫡はゲイル殿下だと思っているかもしれないだろう」
 生徒たちは一気にそう言葉を吐きだした。だれもが不安がっていた。戦場で戦う覚悟は、この士官学校で二年も学び、既に出来ている。だが今回、彼らは戦地とは違う騒乱の渦中に投げこまれていた。だれが味方なのか、見極めることも出来ないでいる。戦う相手がわからないでは、手も足も出せない。選択をあやまてば死ぬことさえありうるはずだった。
 士官学校の教官たちの中には、明らかにゲイル・ルーグナーを支持している者もいる。だが、皇軍の使命は皇帝に仕えることだ。正嫡だろうがなんだろうが、現在の皇帝はバルバロッサだった。本来ならば、彼らは全員、バルバロッサに従うべきなのだ。だが皇位というのは利権に絡み、複雑なもので、一筋縄ではいかない。生徒の中にさえ、ゲイルの登極に利害をもつ者がいるかもしれなかった。
 戦争の帰趨も、わからなかった。バルバロッサが行幸で不在の折を狙って都は襲われ、落城寸前だ。いかにグオルグ・プライム将軍でも分の悪い戦いだった。クワバで足止めされているテオ・マクドールが落城までに戻れるかどうかがこの戦いを左右する。
 議論も空回りしていた。金髪の少年が、動作で全員を黙らせると口を開いた。
「確認しておこう。せめて俺たちだけでも」
 彼はナイフを抜くと、柄を握り、全員の中央に差し出した。刃を下にむける。
「たとえ候補生であったとしても、その忠誠を奉げるべき皇帝に奉げ、赤月帝国のために戦うと。俺たちの剣は、皇帝バルバロッサ陛下のためにあると」
 彼がそう言うと、先ほどの黒髪の少年が頷いて、そういった少年に手を重ねる。次々と生徒たちはそれに続いた。
「帝国のために!」
「帝国のために!」
 金髪の少年の掛け声に、彼らは唱和した。それから彼は全員を見渡した。
「いざというときのための武器が必要だ。武器庫は鍵をかけられているかもしれない。様子を見に行くべきだ」
「そこまでのことになると思うのか、グレンシール?」
 ひとりの生徒に聞かれて、背の高い少年は重々しく、頷いた。
「ああ」
 まだ剣は交わされていないが、そこは既に戦場だった。



 それぞれの役割分担をした後、偵察役を買ったグレンシールとアレンは、武器庫の様子をうかがいに寮を出た。学校全体が落ち着かない空気に包まれていて、少年たちはその空気に浮かれている。いくら帝国軍の栄えある士官学校で優秀な成績を収めているといっても、彼らはまだ実際の戦場を知らない。
「……一年、修了が早かったら俺たちは外の戦場にいたんだよな」
 アレンが呟くと、グレンシールは肩を竦めた。
「その方が、まだ面倒じゃないかもしれない」
「馬鹿言うなよ、外はかなり悲惨なことになってるって話なのに」
「外では倒す敵はわかってる。でも、ここじゃあ敵が見えないんだぜ。俺はともかく、おまえみたいな直情型のやつがこの緊張に耐えられるかが心配なんだ」
「ちえ、こんなときでも憎まれ口かよ」
 学生たちのあいだでは、学科の成績がずば抜けているグレンシールがリーダーの役割を果たすことになった。戦術の模擬授業では負けなしという能力もさることながら、彼は両親も一介の商人で、兄弟はいるが軍にも政治にもかかわりがない、というのが一番の理由だった。
「アレンとしては、こんなことするより、ばーっと戦ってばーってカタがつけばそのほうがいいんだろう?」
 グレンシールの言葉は皮肉げだが、アレンは挑発には乗らず、真っ向から受けた。
「あたりまえだ」
「それほど簡単じゃないんだよ」
「それくらいわかる」
「皇帝の禁軍か、テオ・マクドールか。……どちらかが戻らなければ、グレッグミンスターは火の海になる……」
「略奪をさせるか? ここは帝都なんだぞ」
 グレンシールは顔を歪めた。
「それなら、中央軍との戦いも避けるべきだ。ゲイル・ルーグナーは中央軍の将軍たちをとりこまなかった。つまり、勝つには既存するバルバロッサ皇帝の政治基盤のすべてを打ち壊すことでしか、真の勝利はないと考えているんだよ。だからグレッグミンスターは燃やさないといけない。おそらく、南のランストルあたりを、新しい帝都にでもするんじゃないか」
「グレンシール、おまえ、本当にそんなことまで考えているのか?」
 みんなの前ではグレンシールの口数も少なかったが、とうとうと語りだしたことにアレンは目を丸くした。
「ああ」
「……おまえ、中央軍の将軍より、国軍師を目指したほうがいいって前から思ってたんだけど」
「赤月帝国の参謀府はシルバーバーグ家の影響が強すぎて、軍みたいに、商家の三男坊なんかが出世できる場所はないんだよ」
 そう冗談めかしてグレンシールはアレンの提案を却下する。グレンシールもアレンと同様に赤月帝国中央第二軍のテオ・マクドール将軍に憧れていた。アレンが軍師などと言いだしたのは、最大のライバルであり総合点では自分よりどう考えても上のグレンシールが、そっちに転向してくれれば嬉しいという下心あってのことだが、もちろんグレンシールが応じるわけはなかった。それに、グレンシールは紋章や剣技も長けているから、軍師にしてしまうのはもったいないことも、アレンにはわかっていた。
 訓練場の傍にある武器庫が見えて来た。人の姿はない。二人はかがみこみ、グレンシールは持って来た双眼鏡で入り口あたりを見た。
「鍵はかけられたまま、だな」
「……やっぱり、そうか」
「つまり中に武器はあるっていうことだ。とりあえず、首の皮はつながったな」
「教官たちの中で反乱軍に呼応するやつって、どれくらいいると思う、グレンシール?」
 生徒たちに武器を持たせるのが一番厄介な事態だとむこうも思っているはずだ。経験が乏しくても、それなりの能力を持っていないと入学も許可されないのだから。
 なにかがあったとき、武器庫の警護に〈むこう側〉から何人が回るか、それによって生徒たちの損耗も決まって来る。
「そう多くはない、と思う。四、五人ってとこだろう。でも、事を起こすなら他にも支援者を場内から呼ぶだろうな。それに、そのときには外から応援が山ほど来るはずだ。それまでに武器庫を確保しないと。最優先だな」
「しかも、どうするんだよ。丸腰でなんて無理だろう。模擬刀で行くしかないのか? 一気に全員でここを奪回して、訓練場にこもって時間を稼ぐか……」
 アレンはそこまで言ったが、グレンシールは肩を竦めた。
「利用するより始末したいんだったら、俺なら火をつけて蒸し焼きにする」
「ぞっとするようなこと言うなよ」
「あっちの戦力がわからないけど、俺たちは数が少ないんだから、ゲリラ戦であたるしかない。上級生と下級生を混ぜて小隊を組んで、地の利を生かす、ってとこか」
 グレンシールが考えはじめるのを見て、アレンは腰を浮かした。
「そろそろ戻るか?」
「ああ。アレン、帰りに俺の部屋に寄ってくれよ」
 ゆっくりと音を立てないように立ちあがったグレンシールがそう言う。
「俺がおまえの戦術に役立てることなんてあるのか?」
「まさか。渡したいものがあるんだよ」
 にやり、と余計な一言を混ぜてグレンシールが笑う。アレンも笑って応えた。なんだか知らないが、悪巧みが用意してあるんだろう。追い詰められているはずだったが、アレンもグレンシールも高揚していた。自分たちの命を賭けているが、力を試す機会でもあった。孤立していたらこんな余裕はないだろうが、仲間たちが、なによりアレンにはグレンシールが、グレンシールにはアレンがいた。
 負けるつもりなど毛頭なかった。
 グレンシールの部屋に寄ると、彼はトランクの鍵を開け、中から布袋を取りだす。出て来たのは、キラキラと輝くガラス片のようなものだった。
「紋章のかけら、か?」
「そう。この前、親が差し入れてくれたんだ。これだけだと花火程度にしかならないけど、紋章と合わせればけっこう楽しいおもちゃになるはずだ。合図とか、な」
 グレンシールは、袋に入っていたものの中からうっすらと赤色を帯びた炎の紋章のかけらを集めてアレンに渡す。士官学校の敷地は、グレッグミンスター城下にあって手狭もいいところだから、紋章そのものの力を使うと敵味方の被害を増やしかねない。しかしこういうものであれば、うまく使えば撹乱にちょうどいいはずだった。
「わかった、もらう」
「頼むぞ」
「ああ、まかせとけって」
 アレンはグレンシールにむかってウィンクをひとつ投げ、部屋を出て行った。



 あまり頻繁に集まると敵も気にするだろう、と作戦は一枚の紙に書かれて回覧されることになった。写しを取らないこと、詳細まで頭に叩きこむことが明記されているが、難しい要求ではないはずだった。
 まずは武器庫を押さえ、剣を持った上で校内各所に散らばる。生徒たちの総数は知られているのだから、全体を見せないことが肝要だった。その上で順次士官学校の敷地を離脱し、ゲオルグ・プライムの幕下に逃げこむ。そのあとの指示は将軍に委ねるべきものだ。
 作戦の開始は、城門が破られた後、最初に学校の門が開いたとき、とされた。おそらく反乱軍を招き入れるため、呼応するだれかが門の鍵を開けるだろうと思ったからだ。寮の奥にある塔の上からは校門を監視できるから、城門が破られたのちは、そこに下級生ふたりに入ってもらうことにしてある。
 とまれ、自分たちの命は自分たちで守る、というだけのことだ。皇軍に反旗を翻す兵士たちを倒そうなどとは考えてないし、ただみんなが生きて逃げられれば、それでいい。
 もちろん、そんな危機に陥らないのが一番有難いことだ。ゲオルグ・プライムが持ちこたえるか、その前に皇帝の禁軍かテオ・マクドールの第二軍が到着するかすれば、なにもしないで済む。ただ、外の状況は一士官候補生にはわからないし、備えることだけはしておくべきだった。
 アレンは窓から外を眺めて、空の鈍い明るさに不安になる。不夜城グレッグミンスターはいつもならば城内が明るいはずだったが、今夜ばかりは第六軍か反乱軍か、野営の兵士たちが焚く篝火で、壁の外が明るいのだった。
 グレッグミンスターで育ったアレンですら、はじめて見る光景だった。
 今日は持った。だが明日も壁が持つか、それはまたわからないのだ。
(俺は生き残れる自信がある。グレンシールも大丈夫だろう。上級士官候補生は大丈夫かもしれない。でも、下級生たちは? 俺たちは彼らを守れるか? 全員生きて、プライム将軍の陣地まで行けるか? ……それにはさすがに、大丈夫、とは言えないよな)
 戦術の授業で教官に言われたことを思いだす。常勝将軍テオ・マクドールの勝利のときでさえ、一平の兵士も損なわないということはありえないのだと。だがいま、アレンたちは戦争をするわけではない。ただ逃げればいいのだ。
(忘れないようにしないとな。俺なんか興奮して敵に突っこみそうだって、みんな思ってるに違いないんだからな)
 脳裏に思い浮かぶのは、勇ましく敵を蹴散らす自分の姿ばかりだが、もちろん、そんなことはしていられないはずだ。アレンはため息をつく。
(我ながら、危ないよなあ。実際はじまって、落ち着いていられるか自信はない)
 静まらない夜は、こうして過ぎつつあった。



 次の日、城壁の周囲は猛烈な騒ぎに包まれていた。劣勢に追いこまれたゲオルグ・プライムの軍を蹴散らし、とうとう反乱軍が城壁に到達したのだった。岩壁を打つ音が響き、グレンシールも窓を開けた。隣の部屋のアレンも、身を乗り出している。
「いよいよか?」
「もう少し持って欲しいな」
 グレンシールは、アレンの言葉にそう冷静返答した。そもそも、ゲオルグ・プライムは攻撃を得意とする指揮官であって、防衛戦にはむいていない。バルバロッサの禁軍、クワンダ・ロスマンの四軍、あるいはあらゆる軍神に味方されたテオ・マクドールでもなければ、今回の防衛戦は無理だったろう。城門が陥落するのは時間の問題なのだ。
(俺たちが逃げこむ先すらない、なんてことはないだろうな……?)
 プライム将軍もそこまで無能ではないだろうが、グレンシールは、生徒ながら仲間の命を預かる者として、その可能性も考えはじめていた。とはいえ、そうなれば市民を見捨てて逃げだすわけにも行かず、戦わなければならないだろう。最終的には全滅しかなくなるだろうが。
(それもそれで受け入れるしかないが、まだそんなことはだれにも言えないな)
 いつかは帝国の美談として語られるようになるんだろうが、グレンシールはもっと俗界の栄光も欲しかった。
 夕闇が近づいている。日暮れでゲイル・ルーグナーが諦めれば、またグレッグミンスターは一日命を永らえる。しかし、攻めることの難しさにあちらの指揮官も辟易しているだろう。グレンシールが攻め方の大将であれば、兵が疲れていてもここで止めない。城内に入ってしまえば、兵士たちも略奪が出来るから士気が上がる。出来れば一気に攻め落としたいと思っているはずだ。
(危ないな……)
「アレン、用意しておけよ」
 グレンシールが言うと、アレンはにやりと笑う。
「いつでも大丈夫だ」
「城門が破られるなら、今夜だ。城門が開いてからすぐは、うちの敵も動かないはずだ。あんまり早いと、俺たちに逃げられるからな」
「了解した、グレンシール将軍」
 窓を閉めると、グレンシールは隣の部屋の壁を叩いた。決めてあった合図のうちのひとつだ。いつでも出られる準備を、という報せで、アレンも反対側の壁にむかって合図をしているだろう。
 部屋にランプを点す必要が出る時刻、食事の用意が出来たという半鐘が鳴らされた。グレッグミンスターが包囲されて以来、食事は各部屋で採ることとされており、久しぶりに聞く鐘の音だった。寮の中がざわつく。グレンシールは左手の紋章を確かめ、短剣を身に帯びるとドアを開けた。アレンはもう先に廊下に立っている。生徒たちはぱらぱらと部屋を出るが、無言だった。なにか起こることは予想できるが、下手には動けない。みな目配せをしながら、階下へとむかう。
 食堂に入ると、居並ぶ教官の姿は少なく、どこかおかしい。
 いつものように順序良く席に着き、スープとパンの簡単な食事をした後、壇上に立ったのはリンドグレーン教官だった。ゲイル派と見られている教官のひとりだ。
「生徒諸君は、こののち訓練場へと移動すること!」
 集められるのはいいこととは言えない。まだ、城壁は破られていないが、今夜中と見てその用意をしているのだろうか。他の教官たちはなにをしているのか、訓練場に行く途中にも見ない。
 食堂から姿を見ないな、と思っていたアレンが戻って来た。グレンシールが小声で「なにかあったのか?」と聞くと、笑う。
「食堂のおばちゃんに聞いて来た。他の教官たちは、出かけてるらしいぜ。城から招集がかかってたみたいだった」
「城から? 本陣じゃなくて?」
「うん。軽食がほしいっていうから作って、渡すときにそう言ってたらしいから。……なあ、これってまずいんじゃないか?」
 アレンに言われなくとも、グレンシールもそう思っていた。一箇所に集められては、せっかく考えていた作戦も水の泡だ。とはいえ、いまの状態で暴れだすわけにもいかない。なにぶん、武器といえば短剣と紋章だけなのだ。
「でもリンドグレーン教官がどっちなのかも、まだわからない」
「おいグレンシール。そんなこと言っているあいだに、」
「静かに」
 訓練場が見えて来た。
 武器庫の扉が大きく開かれているのを見て、グレンシールはいままで思いもしなかった可能性に気がついた。城門が開いたら、ということばかり考えていたが、なにもそれを待つ必要などないのだ。開いていないのであれば、開ければいいだけのことだ。ゲイル派の教官たち数名が駆けつけただけでは開けられまいが、士官学校の生徒たちをかき集めれば、中から門を開くくらいの脅しになるだろう。
 グレンシールは忙しく頭を巡らせた。まずは武器を持ってからだ。
「グレンシール?」
「まだそのまま。……たぶん、生徒の中にもゲイル派がいる。厄介だぞ、このままだと俺たちももろともに反逆者だ」
「それって、どういう……」
「城門は破るよりも開けるほうがどう考えても簡単だってことだよ」
「あ、」
 グレンシールの言葉に、アレンもどういうことか理解したらしい。
「まずはおとなしく武器をもらうしかない。それまでは言うとおりにしておこう。それと、だれか人質を取ると思う。……俺になると思うけど」
「グレンシール?」
「俺は大丈夫だから。頼むぞ、アレン。冷静にあたれよ。決して門を開けさせるな」
「でもそんなことしたら、おまえ……」
「なんとかするさ。自分の命くらい、どうにかする」
 相手は礼儀正しい奴らとは言えないだけに、自信があるわけではなかったが、そう言い切るしかなかった。もはや、グレッグミンスターの攻防は自分たちにかかって来ているのだと感じ、グレンシールはさすがに身体を竦ませた。下手なことは出来ないが、黙っているわけにも行かない。今日まで努力して来た二年間の自分を、頼みにするしかない。グレンシールは深く息をつき、緊張して高ぶった鼓動を鎮めようとした。
「必ず、助けるから」
 傍で親友が重い口調で言った。やや肩肘を張りすぎているんじゃないかと思いはしたが、その一言でグレンシールは肩の力が抜けた。アレンがいる、と思うと、少しだけ頬にも笑みが浮かぶ。
「そう、だな。……ちょっと頼りないけど」
「おまえ、いっつも一言多いって」
「俺だけが助けられるんじゃ悔しいだろ。俺も、おまえを助けてやるから」
「ああ、待ってるよ」
 人からは見えないように、そっと手を握り合い、確かめる。再会したときにはどちらかの手が冷たくなっているなんて嫌だと、強く思った。



 グレンシールが予想したとおりに事は運び、全員に武器が渡った後、訓練場の中に整列した生徒たちを相手に、リンドグレーン教官はゲイル・ルーグナーがこの帝国の正嫡である、と演説を始めた。
 ゲイル・ルーグナーが、帝国臣民のあいだにおいて必ずしも疎まれていなかったのは本当だ。帝位の簒奪があったのは、バルバロッサとゲイルの親の世代ではあるが、その正統を持ちだすのであれば確かに、ゲイル・ルーグナーこそが皇帝にふさわしい。だが、その前にゲイルは敗者の息子であり、バルバロッサは勝者の息子なのだ。ゲイル・ルーグナーは一将軍としてバルバロッサに仕え、その功績は決して低くはない。そういう彼に対して、同情する世論がないわけではなかった。リンドグレーンはかつてゲイル・ルーグナーの父に仕え、ゲイルの不遇に胸を痛めた人間だった。……もっとも、そういった細かな事情まで生徒たちが知るのは、ずっと後のことになる。
「……そして城門を開くのに諸君らの力が必要である。剣を取れ士官候補生たちよ、その若き力を正義のために振るうのだ!」
 教官は高圧的な宣言をしたが、生徒たちは簡単には応じられるはずもない。ここで賛同しようものなら、のちのちこの騒乱が収まったとき、反逆になびいたと言われて、そこで未来が断たれる。
 アレンはただ、グレンシールが動くのを待つしかなかった。こういう場面では、彼に任せるほかない。そのかわり、絶対に助けるからと、あらためて自分の胸に誓った。
 グレンシールは剣を手に、生徒たちのあいだを抜けて前列に立った。
「お言葉ですがリンドグレーン教官、帝国軍士官は皇帝に仕え皇都グレッグミンスターの守護を担うものと我われは教えられて来ました。我われに、皇帝に反旗を翻す者たちを城内に連れこめとおっしゃるのですか。教官のおっしゃっていることは、士官学校の校訓に背くものではないのですか!」
 鋭い声に、リンドグレーン教官の顔が苦悩に歪む。
「背くとはなにごとか。正当なる皇位の継承者に力を貸すことこそ誉れと思え!」
「納得できません」
 グレンシールは怯むことなく言葉を返す。その背中を見ながら、アレンは剣を握りしめた。グレンシールは自分を人質にするつもりだが、その前に斬られでもしたらと思うと気が気じゃない。アレンは生徒たちの中ほどにいて、グレンシールをすぐに助けてやれそうになかった。
(くそっ……! どうせなら、こういうことは俺の見えないところでやれよ。どれだけ我慢するのに気力が必要だと思うんだっ!)
「生徒諸君、君らも偽りの支配に騙されているのだ。すぐにそれは証明される! だが逆らう者は容赦せん。我われはなんとしてでも、ゲイル陛下を帝都へお迎えするのだ!」
 リンドグレーン教官はそう言うと、剣を抜いた。生徒たちがどよめき、アレンも思わず身体を前方に傾ける。グレンシールにむく切っ先を見て、動き出しそうになるのを、隣から下級生時代からの友人が引きとどめた。
「落ち着け、アレン」
「クレイ、でも……っ」
「落ち着け。グレンシールにも、そう言われているだろう?」
「クソッ」
 グレンシールは微動だにしなかった。アレンからは背中しか見えないが、あの色の薄いきつい目で、教官を睨んでいるんだろう。
「士官候補生の諸君、君らはこれから、私とともに西の城門へとむかう」
「逆賊に加担は出来ない!」
 グレンシールの声とともに、リンドグレーン教官はぎりりと唇をかみ締め、剣を手にグレンシールの前に立つ。それから彼の腕を引いて再び壇上に戻った。剣を突きつけたまま教官は、グレンシールに、椅子に座るよう促した。
 グレンシールの目論見どおりだ。
「生徒諸君、もう一度言う。これから君たちは私とともに西の城門へむかう。逆らえば、グレンシール上級生はただでは済まない。いいかね」
「卑怯者」
 グレンシールがなおも言うのに、教官は思わず気を高ぶらせ、グレンシールの頭を剣の柄で殴打した。
「ぐっ、」
「グレンシール!」
 思わずアレンが声を上げると、彼に眼を止めた教官が睨んで来た。
「アレン上級生、君はグレンシール上級生とは仲がよかったな。士官候補生たちの指揮は君に任せよう。友人の命が大事であれば、馬鹿な真似はしないことだ。なに、これは君にとっても実践での指揮経験を積む貴重な機会だ」
 グレンシールをちらりと見れば、額から血を流している。痛そうだが、思ったより動じてはいない。
(あれくらいの怪我は、計算のうちってことかよ。……こっちの身にもなれ、馬鹿野郎)
 目配せをされて、アレンも芝居を続けるしかなかった。
「グレンシールに、手出しをしないでください」
「城門が開けば、彼を解放しよう」
「城門が開けば、いいんだな」
 教官が頷くのを見て、アレンはもう一度剣を握る。
(この手で、グレンシールを助けてやる。なんとしても、助けだす)
 アレンを見るグレンシールの視線には信頼がこもり、アレンに勇気を与えた。アレンは不承不承の演技を続け、リンドグレーン教官に率いられた士官学校の生徒たちはとうとう学校の敷地を出、西の城門へとむかって歩き始めた。
 学校の寮にいても、グレッグミンスターの街の静けさを感じていたが、こうして街を歩くとそれは一層強くなる。まだ夜の更けない時間であれば、店は明かりを点して大きく扉を開き、客を呼びこんでいる。アレンの実家も、そんな店のひとつだ。喧騒はさわがしいほどで、子どもたちさえまだ道を走り回っているはずだ。
 けれど、いま、すべての窓と扉は閉ざされ、人びとは沈黙している。その街路にあって、自分たちの行進の音はよく響き渡っているだろう。どうにかして城門が開くのを遮らなければならないが、士官学校に置いて来たグレンシールが気にかかる。
(でもそこは、あいつを信じなくちゃいけないよな)
 教官の一党はそれなりに人数がいるとはいえ、生徒たちが一丸となって当たれば倒せない人数ではない。
 外の敵とは呼応しているのだろうから、門が開いたら多勢に無勢ということになる。生徒たちに勝ち目はなくなり、グレンシールも助けに行けなくなる。だから、どうしても開門を防がないとならない。
 西の城門は狭く、もともと騎馬と徒歩でしか入ることの出来ない門だ。そのため、軍隊が攻めこむのには適した門ではなく、そこに配備されている兵士も多くはない。首都警備隊もいまは城壁を守るのに駆り出されているのだろう。城内の兵士たちの数は、少なかった。
 リンドグレーンは、守備隊長にむかって一枚の許可証を差し出し、開門を要求した。
「内務省次官補佐ドレグスラー殿からの許可証である。西の城門を開放されたい」
「日が暮れてからは、いかなる理由があろうとも開門はまかりならぬ、とプライム将軍のお達しがある。いかに内務省からの許可証があっても、開門は出来ない」
 許可証、などを差し出しつつも、不穏当な理由から開門を求めていることはあきらかだ。リンドグレーンの背後に並ぶ士官候補生たちは兵士たちに対する脅迫に十分だったろう。その場に緊張が走り、アレンもまわりに視線をめぐらして、その瞬間に備えた。
「そうか、致し方ない」
 リンドグレーン教官はそう言うと、許可証をうちやり抜剣する。
「士官候補生たち、かくなる上は武力で持ってこの城門を確保する! 我に続け!」
 次の瞬間、守備隊長が風の紋章魔法に切られて後ろへとなぎ払われる。リンドグレーンが剣で注意をひきつけておいて、仲間の魔道士が放ったのだ。詰め所から慌てて飛びだしてくる兵士たちも、次々と追いこまれている。生徒たちも騒然となり、アレンの傍を駆け抜け、教官に加担しようとする者さえいた。
 アレンはすかさず、その生徒の腕を取って引き止め、そのままこぶしで殴りつけた。
「馬鹿な真似をするな。いまこの瞬間のおまえの行動が、栄えある赤月帝国士官学校の名誉のすべてを台無しにするところなんだぞ! 帝国士官学校の士官候補生のあるべき姿は、正統なる皇帝に仕え帝都グレッグミンスターを守護することにある! 俺たちはそのためにここにいるんだ! 士官候補生諸君、剣を取れ! 城門を決して開けさせるなっ!」
「おのれアレン、邪魔をする気か! グレンシールがどうなってもいいのか。なんという篤い友情だ!」
 リンドグレーンは、突然牙をむいたアレンに怒声を上げる。だが、ひるむわけにはいかなかった。グレンシールのことは心配だが、彼のことを信じていた。
「城門が開いたら反乱軍がなだれこむぞ! なんとしても阻止しろ!」
「大丈夫なのか、アレン」
 グレンシールを思ってのことだろう。ためらう同輩たちに、アレンは毅然と顔を上げた。
「俺はグレンシールを信じてる。グレンシールだって、俺たちを信じてくれているはずだ!」
 檄を飛ばすアレンの言葉に、生徒たちも強く頷いた。
 その場は一瞬で混戦となった。さすがに教官たちは、実戦経験のない士官候補生や、本戦に駆りだされなかった警備隊の兵士たちとは実力が違う。人数では勝っているはずなのに、なかなか撃破できない。
 どうにかして踏みとどまらなくてはならなかった。プライム将軍が気がついてくれれば援軍も来るが、来てもらえる保証はない。どうにかして報せでも出せないだろうかと考えながら戦っていると、アレンははたとグレンシールにもらった紋章のかけらことを思い出した。
 あたりを見回し、目当ての友人を見つけるとその隣に体をねじこむ。
「おい、クレイ。おまえ、紋章あるか?」
「なんだよ。この中じゃ使うのは無理だろ」
「このかけらを上に吹き飛ばしてほしいんだ」
 クレイが宿しているのは風の紋章だった。かけらを吹きあげてもらい、それにアレンが火をつければいい。花火が上がれば、さすがに本陣も、なにかが起こっていると気がついてくれるだろう。
「おまえにしちゃあ準備がいいな」
 クレイの言葉に、アレンは苦い顔をした。
「グレンシールが用意してたんだよ」
「さすがだ」
 クレイは笑ったが、すぐに顔を引き締めた。タイミングを合わせないと、せっかくのかけらも無駄になる。
「行くぞ、アレン」
「ああ!」
 クレイはアレンから受け取ったかけらをてのひらに乗せると、紋章を発動させる。
「この身に宿る紋章よ……!」
 風が吹いた瞬間、アレンも左手に神経を集中させる。そして舞いあがったかけらを見定めると、紋章の力を発動させた。アレンたちの頭上で、紋章の欠片は花火のように赤い光を放ち、あたりを真っ赤に照らしだす。
 合図には十分だったろう。
 けれど、アレンらしからぬ小細工に気を取られていたのがいけなかった。ぎゃあっ、という悲鳴が聞こえ、そちらを見る。と、城門の仕掛けに張りついていた警備兵が、リンドグレーンに斬られて崩れるのが見えた。あっと思ったときにはもう遅い。教官は仕掛けに手をかけ、全身で木の棒を下へと押し下げた。がらがらと鎖が巻きあがる音が響き、ゆらり、と城門の木戸が揺れる。
「しまっ、」
 アレンは剣を握りなおしたが、門のむこうからは兵士たちのどよめきが聞こえて来ている。次第に上がってゆく木戸に真っ青になりながらも、喉を振り絞って下がれ、と生徒たちに叫んだ。守備隊の盾をもらい、かろうじて陣形を整え、剣を構えるが、もはや絶望的だった。けれどグレッグミンスターを守るために、少しでもゲイル兵を足止めしなくてはいけない。
 アレンは大きく息をつくと、剣を振りあげる。
「援軍が来るまでなんとしてでもここで食い止めるんだ! 城内を許すな!」
 将軍はいずれ来てくれるだろうが、どれくらいかかるか見当もつかない。グレンシールはどうしているだろう、と思いながら、アレンは唇をかみ締めた。



 一方のグレンシールは、士官学校に教官側の見張りと共に残されていた。椅子に縛られ、殴打されたときの傷から流れた血が右目に入って鬱陶しい。
 見張りは神経質そうに、訓練場の外を見るため歩き回っていた。よほど気になるのだろう。小心者はこういう任務にむかないだろ、と思って笑うくらいの余裕はあった。
 門に連れて行かれた他のみんなが気になる。グレンシールは一計を案じ、見張りが外を見ているあいだに、ゆっくりとうなだれた。額からの血が膝にたれかかる。しばらくそうしたまま、呼吸を静かに整えた。
「お、おいっ、大丈夫かっ」
 見張りはふりむいた途端、意識をなくしたようなグレンシールの姿に慌てふためいて飛びついてきた。死なせてはまずい、と思っているようだ。乱暴の肩をゆすられるのにいらだちながらも、グレンシールは芝居を続ける。ぐらりと頭を揺るがせてやると、見張りは縄をときはじめた。
 ぐったりとそのまま倒れこみ、相手の様子を見る。一対一でぶつかって勝てない相手ではなさそうだが、武器がないから分が悪い。それにしても、見張りが一人とはよほど手が足りないのだろう。
 傷口に布を押し当てて止血しようとしてくれているらしい。邪魔になった剣を外したときが好機だった。
 床に置かれた剣を握り、勢いよく振り上げる。不意を突かれた見張りを殴打し、のしかかって鞘から抜いた刃を突きつけた。
「悪いがこういうのは常套手段だろ」
「グレンシール、貴様……!」
 相手は彼らを学生だとなめてかかっている。そこに今回の勝機があった。さっき青臭い演説を口にしたのも、優等生だが臨機応変に対応できないと思わせるためだ。
 グレンシールは見張りを逆に縛り上げて、額からの血を改めてぬぐった。さすがに、このまま血を流しながら走ったら、本当に気を失う。急ぎながらも手当をすると、士官学校を飛び出した。
 連れていかれた生徒たちを追ったところで、グレンシールの力ひとつでどうなるとも思えない。城外の軍に伝えることのほうが大事だ。アレンたちのことは心配だが、それがグレンシールに出来る最善の選択肢だった。
 第六軍の幕営がどこかは知らないが、城外に出ている以上はグレッグミンスターの大門近くに陣取るのが普通だろう。人通りが絶えた中央広場を抜け、グレンシールはひたすら走る。と、西の空に赤い花火が咲いた。パン、と高らかに音が鳴り響き、火の粉の散る残像が暗い空に残った。
(アレン……!)
 グレンシールが渡しておいた紋章のかけらを使ったのだろう。いくらなんでも、あれを見れば帝国軍もなにかが起こっていると気がつくはずだ。グレンシールは唇をかみしめ、踵を返す。こうなったら一刻も早く、西の城門へ加勢に行ってやりたい。
(生きていろよ!)



 グレンシールが西の城門に辿りついたとき、あたりは混乱の極みにあった。狭い城門を巡って、ろくな装備もない士官学校の制服を着た生徒たちが血まみれになって戦っている。
 すでに城門は開いていたが、狭いのが幸いしてなんとか応戦できている。それでも、盾を構えながら少しずつ後退しつつあった。さっきの花火で、中央軍が加勢に来ることを反乱軍も察し、あちらも必至だ。グレンシールは抜剣すると、「待たせたな!」と大声を上げた。
「、グレンシール……!」
 最前線で押し合いながらもこちらを振りむいたアレンがにやりと笑う。グレンシールが来た程度でどうにかなるわけでもないのに、みんなに士気が戻るのがわかった。グレンシールは突入直前にいかずちの紋章を発動させ、敵前列を薙ぎ払うと、アレンの横に飛びこむ。
「遅いじゃねえか」
 アレンの言葉にグレンシールも剣を振り上げながら叫び返す。
「なんだよ、俺がいないと怖いのか?」
「初陣は一緒にしとかないと、あとで俺とおまえに差がついちゃったらまずいだろ?」
 中央軍の援軍がやってきて反乱軍を蹴散らすまで、さほどはかからなかった。松明のあたりにギラギラと輝く正規軍の甲冑を着た兵士たちが、反乱軍との戦いを繰り広げるのを見ながら、多くの生徒たちが息をついた。
「この中で指揮を執った者はいるか?」
 中央軍の参謀らしき軍人がやってきて、そう言った。わずかな警備兵以外は若い子供たちばかりが並んでいるのを見てだれが指揮をしたのか判断しかねているのだろう。グレンシールは一歩前に出て、それから動こうとしないアレンの腕を引いた。
「おまえも来いよ」
「作戦を立てたのはおまえだろ」
「馬鹿、ここで指揮を執ってたのはおまえだろうが」
「そうだった」
 こそこそと会話をしてから、幕僚の前に立つ。
「帝国士官学校上級士官候補生、アレンです」
「おなじく、グレンシールです」
「事情を説明してもらおうか。ここでなにがあり、このような事態になった? 士官候補生にはこの戦いにおいて待機が命じられていたはずだが」
 士官学校での事情を簡単に説明したところで、一応わかってはくれたらしい。警備兵との話の確認が取れると、城にむかっていた他の教官たちが呼ばれ、彼らとともにグレンシールとアレンは本陣へと連れてゆかれることになった。
 あいにく、リンドグレーンは逃亡したようだ。
 城外に広がる平原には無数の篝火が燃え、まるで知らない風景だった。静かではあるが、眠ってはいない。それはグレッグミンスターの真夜中が煌々と照らし出されている不夜城であるのとは違っていた。押し殺した戦いの気配に満ちている。
 本陣ではけたたましいほどの大騒ぎになっていた。内応があったとはいえ、曲がりなりにも城門が一度開いたのだ。戦力からして不利な立場にある帝国軍が、眠っていられる場合ではないのだろう。
 とはいえ、援軍が来なければ、生徒たちが西の城門を守ったのも焼け石に水だ。
(ずいぶん気負ってはいたが、俺たちがやったことは大勢を変えるような戦いじゃなくて、ほころびになるかもしれない可能性のひとつを潰しただけのこと、ってわけだよな)
 幸いにして士官学校の生徒たちで命を落とした者はいなかったものの、大怪我をした者はいる。それでもこれは、赤月帝国の歴史に残るに違いないこの戦いの中で、名前もつかないようなひとつの事件に過ぎない。
 グレンシールは息をつき、隣を歩くアレンを呼んだ。
「……どう思う、アレン」
「暗いな」
「ああ」
「さっきのをしのいだくらいで城壁が持つとは限らないよな。ともかく、第六軍だけじゃもう防げないんだ」
「今晩の件が明日になって街に広がれば、他にも内応者が出たっておかしくない」
 二人はとうとう二太刀いらずのゲオルグ・プライムの前に引き出され、幕僚が報告するのに同席させられた。ゲオルグ・プライムは赤月帝国の人間ではなく、テオ・マクドールが招いた男で、まだ二十代の若さで将軍を務めている。間近で見るのは、アレンにも、グレンシールにとっても初めてのことだった。若いがそう見えぬほど重たい空気をまとい、なおかつ隙がない。
 報告が済むと、ゲオルグ・プライムは大きく息をつき、「いまの報告に間違いはないか?」と険しい目をむけて来る。二人は頷き、「はい」と答えた。
「ならいい。ご苦労だったな。士官学校に不穏な動きがあることはわかっていたので君らには士官学校にとどまっていてもらったのだが、危ういところをよい働きをしてもらった。あとは我々に任せ、君らは怪我の手当てをして休みたまえ」
 その言葉を聞いてほっと息をついてもいいはずだった。士官学校の最大の危機は回避されたし、そこで自分たちが果たした役割は、中央軍を目指すグレンシールとアレンとって満足できるものでもあった。だがグレッグミンスターの危機はまだ去ってもいないのだ。
 そう思っていると、アレンが一歩前に足を進め、顔を上げてゲオルグ・プライムを見た。
「プライム閣下。士官学校への懸念が晴れたのであれば、ぜひ、士官候補生を中央軍に合流させることをご考慮ください。まだ戦いは終わっていません」
 そう言うと、将軍は苦い顔をした。
「……アレン、だったな。君は中央軍が勝てないと思うか?」
「いまのままでは厳しいと感じます」
「君は、グレンシール」
 グレンシールがアレンの発言と同時にゲオルグ・プライムを見ていたからか、そう尋ねられて、グレンシールも口を開いた。
「西の城門と士官学校の一件は、城門が閉じていても反乱軍と内応者になんらかの通信手段があることを示しています。この状況下では、中央第六軍の戦力のみでは現状を維持し続けるのは無理だと判断します」
「士官候補生たちが役に立つと思うか?」
「学校にこもっているよりは!」
 アレンがさらに一歩踏み出すのを見て、将軍は笑った。
「君らは士官学校では主席と次席だそうだな。なるほど、心配はもっともだ。だが明日にはテオ・マクドール率いる第二軍が帰還する予定だ。一両日中に戦いにけりがつくだろう」
 そう言われてしまえばグレンシールたちの出る幕はない。
「士官候補生たちには心配をかけたようだな」
「いえ、出すぎた意見を申しました」
 口さがない、と咎められるようなことはなかった。それにプライム将軍のその言葉で、心底気が抜けた。天幕を抜けると、教官たちの前だというのにアレンは「はああ」と大きくため息をつき、グレンシールの肩に縋ってくる。
「おい、アレン」
「つっかれたああああ。ほんと死ぬかと思った」
「おまえ、うまくやってたじゃないか」
「簡単に言うなよ。戦いがはじまったとき、これでもうおまえは殺されちまうかもって思ったんだぜ」
「そんなに俺はへまじゃない」
「そんなの、わかんないだろ」
「こっちだって心配した」
「来てくれるなんて思ってなかったな」
「最初は行くつもりはなかったぜ」
「そういうやつだよな、おまえ」
 グレンシールなら、ただがむしゃらに手助けに来るのではなく、援軍を呼ぼうとするということまで理解してのアレンのセリフなのも、わかっていた。グレンシールは相棒に笑いかけ、その肩を叩く。
「けど、花火があったから。そのあたりまで計算してあれを渡したんだから、俺に感謝しろよ」
「するする、本当にしてる。あのときおまえが来て、みんな本当に嬉しかったと思う」
 グレンシールのほうも、緊張が解けたおかげでようやく頭の傷が痛みはじめていた。
 グレッグミンスターの空はまだ戦の火に焦がされてほの赤い。アレンと肩を並べながら空を見上げ、今日は忘れられない日になったな、とグレンシールは胸の中でつぶやいた。

《終》 《back : TEXT LINUP》
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