孤島の巡り
(from CODEGEASS MUSICAL)

 波の音が忍び寄る。ひそやかに這い寄り、耳を潮騒でひたひたと濡らす。寄せては返す波の響きは、鼓動のように途切れることなく島を包んでいる。ここはこの世から隔離されたアジール。ここにいる限り罪は暴かれない。けれどここに永遠に留まることも許されない。いつかはここを出て、そして、だれもが罪とむきあわなければならない。早くここから出ていきたいと思う半面、この世界が永遠に終わらなければいい、スザクはそう思っている。
 屋敷の中にルルーシュの姿が見えず、スザクは彼を探しに出ていた。ブリタニア本国の領土であるこの島は、歩いて一時間もすれば一周できてしまう小さなものだ。皇家の所有物であり、ごくごく小さな館がひとつ、建てられているだけだった。聞いたところによれば、皇帝シャルルの格別の寵愛を受けたルルーシュの母・マリアンヌは、入内に先立ちしばらくのあいだこの島で暮らしたという。騎士として名高く、また美貌でも知られていたマリアンヌの入内は、帝国に寄生して生きる人々にことさら危機感を与えた。この島で暗殺者から守られ、やがて彼女は皇宮に赴いたという。……ルルーシュたちが生まれる前の話だ。
 そういうことも、いまのルルーシュは憶えていない。ルルーシュはすべての記憶を奪われ、与えられたのは「ルルーシュ・ランペルージ」という名前だった。もともとルルーシュが日本で使っていた名前だが、その偽りの名前を彼は一度も自分の名前だと思ったことはなかっただろう。ただ身分を隠し、生きるために必要だった名前であって、ルルーシュの本質には触れていない。
 記憶を消され、まったく別のものに上書きされることで、ルルーシュがゼロとして起つに至った理由はすべて奪われていた。偽りの名前が示すのは彼がブリタニア皇子だったという事実だ。そして、妹のナナリーの存在も。
 まっさらになった記憶の上に偽りを流しこまれて、彼はすべての真実を知らない。自分に守るべきものがあったことも、自分が多くの人々を傷つけたことも。その中で自分が親友として彼の記憶に残されているのは皮肉だ。スザクはルルーシュの「親友」として看守の役を果たし、そして、彼に与えられた記憶を定着させる役割を負っていた。
 ルルーシュはすべてを忘れている。
 彼が犯した罪も、人に犯させた罪も、なにもかもをだ。スザクもここまでにいくつもの罪を犯してきた。だからこそ思うのは、罪の記憶が消えればどんなに楽だろうかという夢想が実現したところで、結局なんの救いにもならないということだ。彼が忘れたとしても罪はある。罪はあり続ける。人間は罪を犯したのであればその罪とともに生き続けなければいけない。前へと進み続けなければいけない。血反吐をはきながら、のたうちまわり、絶叫しながら、前へ。
 たとえこの島でだけは時が止まっているのだとしても。
 ……もう時間は動き出している。この島で時間が止まっていると思うのは錯覚にすぎない。
 ただ隔絶された世界でわけがわからなくなるのは事実だ。進む時はスザクを憎しみに駆り立て、しかし永遠にくりかえす波の音はスザクを過去と愛しさに溺れさせようとする。
 ルルーシュとは親友だった。
 だから皇帝シャルルはスザクをここに置いたのか。それとも守るべき人を失った騎士であるからか。祖国を捨てた日本人だからか。そのすべてか。この地でスザクは看守の役目を与えられている。けれど本当に、そうなのだろうか。本当に、スザクは虜囚ではないのだろうか。
 ここには、スザクとルルーシュ、そしてルルーシュの「弟」だけが住んでいる。その三人のうちのだれが本当に囚われていて、だれが監視者なのかは、自分たちにもわからないのだった。
 浜辺に出ると、黒い影が見えた。ルルーシュだろうかと目を凝らしたが、どう見ても様子がおかしい。砂地に刻まれた足跡の先に、細い少年の身体が力なく横たわっている。
「……ルルーシュ!」
 名前を呼べど反応はなく、スザクは駆け寄って彼の顔を覗きこんだ。熱があるのか額に汗が浮いている。触れた首筋は熱く、苦しそうに歪められた柳眉にスザクは眼を奪われた。
 この島に来てからのルルーシュは、よく卒倒した。鍛えられたほうではなかったが健康だったはずで、これは精神から来るものなのだろう。本当に記憶がなくなるものであれば、ルルーシュはこんな風に苦しんだりしない。目を閉じているあいだ、ルルーシュは封印された自分自身とむきあっているのだろう。いくつもの罪を犯した事実と。苦しむルルーシュを見てスザクはこの上もなく救われる。
「ルルーシュ」
 罪を犯したことのない人の前で、スザクは常に屈服せざるを得ない、そういう矮小な存在だった。それはスザクが罪びとだからだったし、その罪を償っていないからだった。
 けれどルルーシュはスザクと同じように罪を犯し、そして、それはいくら償おうとしても償えないような巨大な罪で、だからこんなに苦しんでいてもルルーシュはスザクと同じように罪びとだ。
 記憶を失ったところで、大切なものをすべて奪われたところで、ルルーシュは繊細な美貌の下で苦しみ続ける。そして親友であるスザクは、それに安堵する。
「君がゼロでよかった。君が罪を犯していてよかった。君が親友でよかった。君が、君が俺と同じでよかったよ、ルルーシュ」
 スザクは本当にそう思っている。
 細い身体を抱きあげ、屋敷へと歩いていると、揺られて正気を取り戻したのかルルーシュが眼を開ける。黒い瞳は夢を見ているようだ。いまのいままで彼はどんな夢を見ていたのだろう。そして、この島にいることこそが本当は夢だ。夢から逃れ、覚めても夢。
「スザ、ク」
 ゆっくりと身体を下ろすと、やや危うい足取りでルルーシュは立った。けれど華奢な身体はいまにも倒れそうにふらついている。
「俺は……」
「君は倒れていたんだよ、ルルーシュ」
「ルルーシュ、」
「ああ、ルルーシュ、君の名前だ」
 支えるようにしてスザクはルルーシュを促し、歩きだす。今度は二人分の足跡が砂浜に残る。
「夢を、見ていた」
「夢?」
「ああ、スザク、君の夢だった。……いや違う、あれは……君じゃ……君……」
「それは夢だろう、ルルーシュ」
「君の銃が……いや、君の手が、俺の首を」
 ルルーシュの意志は皇帝のかけたギアスに抗い続けている。ユーフェミアが虐殺を行った当時の記録をさらうと、彼女が抗っていた痕跡が残されていたように。けれどユーフェミアは抗い切れなかった。ルルーシュは抗い続けている。こんなに心もとない風情なのに、彼の記憶は安定せず、いつまでも現実と悪夢のあいだをさまよっていた。
 いつかルルーシュは、本当の自分を取り戻すだろう。それはスザクにとって、希望ではなく、予感だった。ルルーシュはきれいに繕われた現実ではなく、悪夢をきっと、掴み取る。
「そんなのは気のせいだよ、ルルーシュ。僕らは友達だ。そんなこと、あるはずがない」
 ただいまだけはスザクも夢を見ている。
 たぶんルルーシュは、この島で時折スザクがすることすら覚えていないのだろう。それは記憶を消されているから残らないことなのか、ルルーシュの理性が精神の均衡を保つために拒否しているのか、どちらかはわからない。夢の中には漏れ出しているから、本当はわかっているに違いないが。
 この閉ざされた島で、ルルーシュへの友愛と憎しみを抑えきれないスザクがしていることを、止める人間はだれもいない。ロロは気がついているようだが、なにも言わなかった。……ともすると彼はスザクがしていることを皇帝に報告しているのかもしれないが、だれもスザクを咎めない。当の、ルルーシュでさえ。
 スザクはルルーシュを陵辱しながら、撃ち殺すかわりに犯し、あるいは友人としての思慕を捻じ曲がった欲望にすげかえてルルーシュを抱きながら、爆発しそうになる懊悩を誤魔化している。感情のダムを決壊させないために、ルルーシュを組み敷いて声が嗄れるまで無理を強いていた。忘れることが許されないとしても、ギアスなどによる忘却がなんの救いをもたらさないとしても、それでもこの島にいるあいだだけは、スザクからも記憶を奪ってほしかった。そうでなければ耐えられない。ルルーシュに欲情だけを叩きつけていくら逃げようとしても、苦しみは募る。それでもなにもしないよりはましで、スザクはルルーシュを抱く。そんなことをしてもなんの意味もないのに。
 そうして犯しながら憎しみのあまりルルーシュの首を絞めても。
 殺してはいけないことがわかっているから、息の根を止めることは出来ない。ロロに、首につく扼痕を見られるわけにもいかない、だからスザクは指にかかる力を歯を食いしばって抑えながら、それでものけぞるルルーシュの白い喉に指を絡めずにいられない。
 これが愛か憎しみかわからない。
 けれどユーフェミアの、肉がはぜた胸の傷を思い出せば世界すら滅ぼしたくなる。
 だれかを殺したことのある人間が、愛しい人を殺しただれかを憎むのは矛盾だろうか。そうだとしても、スザクは感情を制御できない。
 ルルーシュ、どうして君だった。ルルーシュ、君でよかった。そのふたつのあいだでスザクはのた打ち回る。
 ぐちゃぐちゃな感情に絡めとられるスザクを、波音に包まれてルルーシュは静かに見ていた。
「スザク、僕たちは親友だ、そうだよな」
 この島で起こる出来事はすべて夢だ。ルルーシュがわずかに笑う。
「君がここにいてよかった。……でもどうして、君がここにいるんだろうな」
「君が心配だからだよ、ルルーシュ」
「スザク、」
 ルルーシュはなにかを言おうとして口を開く。でも言葉は続かなかった。それとも波の音にかき消されてしまったのだろうか。
「ルルーシュ、君ならどうしただろうね」
「え、」
「いや、なんでもないよ」
「スザク、俺には君を抱きあげるのは無理だよ」
「ああ、そうだろうね」
 もう夕闇が世界を覆う。次の朝にはルルーシュは記憶を取り戻すかもしれない、もう二度とこうして二人で入日の下で波の音を聞くことはないかもしれない。それでも、スザクはこの時間が永遠に続いてもいいと思っている。たとえ憎しみが消えないとしても。
 そうだとしても、ここでの出来事はだれにも罰せられない、幻だから。だから、いま、ここでだけは。

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