送別式










 雨が降る中、波乗学園では"セッション"で死んだ生徒たちの送別式が行われていた。六月一日の一時間目をつぶし、生徒たちは霧雨に震えながら校庭に列を作っている。並んでいるのは高等部の生徒たちだけで、皆が青ざめた様子で吐息をつく。新しくおろしたばかりの夏服は、あっという間に水気を吸いこんでいった。

 普段、あまり生徒の前に姿を現さない学園長が、さすがに出てきて壇上に立ち話を続けている。

 透もクラスの列の中に立っていた。名簿順で中程にいる彼は、あまり目立たず、沈黙している。

 同級の生徒が亡くなったこともあり、二年二組の列の中は、囁き声はひとつもなかった。

 雨が降る。

『……誠に残念なことに、我が校で三人の生徒が亡くなりました……』

 学園長の講話の中には、草加仁の名前が欠落していた。あの少年をめぐる問題は複雑で、彼が死んだことを学校に伝えてきた母親も直後に"セッション"で死亡しているために、草加仁の死の実態をだれも確認できないでいた。警察関係者が"セッション"にからむと及び腰になるのはいつものことで、そのために、仁のことは謎に包まれている。唯一の証拠は病院のカルテで、死の前日に彼が病院で受診し、"セッション"の疑いを告げられていたことが記されている。"セッション"患者にままあるように、骨まで腐敗し、溶けてしまったらしく、草加の家には判別不可能な肉体の残骸が散らばっているだけだった。そのどこからどこまでが仁のもので、どこからどこまでが母親のものなのかは、まだわからないのだった。

 そういう理由で、草加の名前は並んでいなかったが、それでも無言のうちに死者の中に加えられてはいた。草加は生徒たちから敬遠される瀬野透の配下だったが、三人の少女に先んじて死んだことが、生徒たちの注目を集めていたのだ。

 死神は突然に降り立つ。だれも予期せぬ時に、たせれも予期せぬ場所に。

 そこで命が途切れるとして、そうしたらその人の想いはどうなるのか? 心に死はあるのだろうか。

 死んだ彼女たちにも、草加仁にも、想いはあったろう。――その想いはどこへ行ったのか?

(由貴子は……?)

 由貴子にも想いはあったはずだ。その死から四年経って彼女のことを思い返したとき、初めて、冷静に彼女の想いなどなにひとつ知らないことに、透は気がついていた。

 母親のかわりに、ずっとそばにいた由貴子は、それでも透にはなにも知らせなかった。そうして、ひとりで死んでしまったのだ。

 この数日の間に、透が"セッション"だかなんだかで命を落としたら、その想いはどこへ行くというのだろう。だれも知らない彼の心の裡は、やはり透の体と同じように死んでしまうのだろうか。

(でも、俺は死なないってだれかが言ってたな。……)

 大村だったか、頼子だったか。二人とも、透を違う名前で呼んでいた――ルシフェル、悪魔というのが関係のないはずの二人の間で符合しているのが腹立たしい。

 昨日、なにかを知りえたようだった彼自身の心は、今日、学校に来ると消え去っていた片倉頼子の存在と同じように、あやふやになっている。

 違う名前で呼ばれることの違和感はなくならなかったが、ルシフェルなどという現実味のない名にもかかわらず、馬鹿馬鹿しい気はしなかった。そこに籠められている意味を察したことまでは忘れていなかったからだ。――

「透?」

 名前を呼ばれて透は頭を上げる。呼んだのは、彼の隣に立っている生徒だ。隣のクラスの十字美濃じゅうじ みのだった。小柄さといくぶんかわいらしい容姿とは裏腹に、凶暴さでは透に引けを取らない少年で、瀬野透の親しい友人の一人、というわけだ。

「顔、真っ青だぜ。あんたらしくもねぇじゃん」

 にやりと笑って、十字はそう言った。

「……俺らしくない?」

 十字は軽口のつもりだったのだろうが、透は相手をぞっとさせるほど低い声で、呟いた。どうふるまうことが彼らしいのか、そんなことは透にはわからなかった。この送別式で青ざめていることが瀬野透らしくない、というならば、いつものように超然と冷たい表情で佇んでいるべきだったのだろうか。

 だが、透は決して送別式にいるから青ざめているのではなかった。どうすればいいと言うのだろうか?

「透?」

「どこか俺らしくないんだ? 言ってみろよ」

「……透?」

 困惑した十字はろくに言葉も返せない。透はむっつりと押し黙ると、ふいと列から抜けた。あたりの生徒が幾人か振り返ったが、彼は見向きもしなかった。

「おい! 透!」

「そのくらいにしておけよ。俺らの話を聞く奴じゃねぇだろう」

 後ろから、透のせいで乱れた列にわりこみ、十字の肩を叩いたのは、背の高い少年だった。

和樹かずき、でも……」

「三宅がさっきから、えらい怖い顔でにらんでるぜ」

 干照ほでり和樹は、親指で後ろのほうに立っている三宅を指さす。生徒の列の中でも、背の高い三宅は目立った。十字は、真剣ににらんでくる三宅をちらりと見ると、一層ぞっとした。

 憎悪よりも、それはもっと深い、恨みなどではなく、もっと深い。

 草加が死んだことはもちろん、十字美濃にも衝撃だった。三宅が草加の家で、彼の母親の死とむきあったことも聞いていた。だからあんなふうに、睨むのだろうか。

「あいつの名前がないって言ったって、これは仮にも草加の送別式なんだぜ。生きてる人間のことは放っとけ」

 干照はそう言って十字の背を叩いた。しかし、十字はどうしてもなにか納得いかなかった。あの瀬野透らしくない、おびえたような表情は、草加の死だけにむけられたものではないような気がしたのだ。そして、三宅の憎悪もまた、草加の死についてのことだけではないような気がしたのだ。……

「十字。おまえ鳥肌たってんじゃん」

 干照が苦笑しながら、半袖の十字の腕をさした。慌てて彼は、両腕を抱えるようにしてさする。

「いいだろ放っとけ! 俺が馬鹿だったんだよ、こんな雨の日に、衣替えだからって半袖で来ちまうなんて」

「あははははは。そりゃあそうだ。おまえって」

 言いかけて、しゃがんで大げさに笑い出した干照は、しばらくして笑いの発作がおさまると続きを言った。

「おまえって案外デリケエトなんだなあ! あはははは、はー、苦し」

「いつか殺してやるから待ってろよ」

「はいはい。あーははは」

「ちょっと」

 と、近くに並んでいた二条経子にじょう けいこという生徒が二人をにらみつつ言った。

「あの子たちに祈ってあげないのはあんたらの勝手だけど、静かにするくらい出来ないの? 他の人の、迷惑よ」

「そんなのは、俺らの勝手だろ、文句つけんじゃねぇよ」

 十字が怒って返すと、二条経子はせせら笑い、

「あら、クズに文句つけたって仕方ないわ。迷惑だから言ってるだけよ」

「クズぅ?」

「二条さん、もうやめなよ」

 経子はたしなめるクラスの女子生徒の声を無視し、きっぱりと言った。

「そうよ、クズよ」

 十字はカチンと来たのだろうが、こんな場合だ、さすがに手はあげられなかった。彼も経子を無視した挙句、だんまりを決めこむ。干照はイライラが募っている様子の二条に、軽く目配せをした。

 しかし、彼女はすさまじい眼光でにらんで来る。さすがの干照も頭に来て仏頂面になった。当の二条経子といえば、先程彼女を止めた友人にごめんね愛子ちゃん、と言っているがとってつけたようだ。

 そうかと思えば隣の女子は小声で、

「十字くんって本当に、見かけはかわいいのにあーゆう顔すると、すっごい怖いよねえ」

「いぇてるー」

 干照と十字のと同じくらいに無神経なその会話に、二条経子はやはりかみついた。

「柵原さん、滑川さん、いい加減にしたら?」

 二人の少女はむっとした表情をするが、さすがに場にふさわしくなかったのは承知しているのだろう。小さく、ごめんと言った。

「おい、二条。
 イラつくのはわかるけど落ち着けよ。だれだって、気が滅入ってるんだ。から元気でも出さなきゃやってられないから、やってるんだろ。だれだって、怖くて仕方ないんだ」

「知ったような口、きかないでよ。四人も死んだのよ。そんなので誤魔化していいことじゃないはずよ」

「おまえこそ知ったようなこと言うんじゃねえよ。おまえに、仁のことがわかるのかよ」

 干照が厳しくそう言うと、二条経子もようやく黙る。普段は敬遠されがちな干照だったが(それでも、彼は瀬野透や十字美濃、三宅拓人よりは話しやすい雰囲気がある)彼の発言でいくらかその場にはほっとした雰囲気が漂った。

 そのあたりが静かになると、今度は後ろのほうから女子生徒の話す声が聞こえてきた。

「ねぇ、成ちゃんは? 今日来てないの?」

「あんたは野次馬ねー、放っといたらいいのに、来ないってことから考えれば……」

「そーよ。成ちゃんかわいそうじゃない」

「やっぱ無理かー、千条くんなんて」

 三人が話しているのは、彼女らがいつも一緒に行動しているもうひとり、成田清美のことだろう。

(そういえば、休みか……)

 あまり気にもならなかったのだが、干照は視界の隅で三宅が奇妙な行動をとっているのに気がついた。三宅は女子三人に近寄ると、真剣な顔で言う。

「成田は行方不明なのか?」

「なに言ってるの?」

 答えたのは羽柴沙織だ。

「昨日からいないんだろ?」

「やめてよ、今の時期にそんなこと言うのは冗談にならないわよ」

「俺は冗談なんか言ってねぇ」

 なお悪い言葉だ。皆が"セッション"を想像した。

 彼ら、死んだ生徒たちのクラスメイトはもっとも感染の危険の高い場所にいるのだ。いつ自分の体が溶け出してもおかしくない、ということに、冷たい雨に打たれながら生徒たちは気がついた。パニックにならなかったのは、三宅以外のだれも、まだ"セッション"によって溶けて死んだ人間を見たことがないからだろう。

 三宅はそのまま踵をかえし、透の歩いていったほうに走りだした。

 干照はむしょうにやりきれず、その方向をにらんでいた。

 ……"セッション"。現代の奇病。いやそれは、既に病ではないのかもしれない。

 冷たい雨が降っている。心も体もいやに冷え冷えとしていた。



*       *       *



「透!」

 瀬野透を追って体育館の裏にまわった三宅は、すぐに彼をみつけることができた。鬱蒼とした木々の中、透はタバコに火をつけ、木に倒れるように寄りかかっている。近づく三宅に気がついて、透は笑った。

「冴えねぇ顔してんなあ。どうした。白黒写真を見て気持ち悪くなったか」

「逃げ出したのはあんただろ。デラフェルの言ったことが、そんなに気になるのか?」

「デラフェル? おまえ知ってるのか?」

 三宅は無言で透を見た。すぐに透は驚いた表情から苦しげな顔になった。

「そっか、おまえもお仲間かよ」

「昨日、成田空港に行ったんだ。永井がいるという話を聞いたから。そこで会った。彼女は何者なんだ? よくわからなかった……天使か、悪魔か? ……人間か? パスポートを持って、普通に出国していった。学校にいたときみたいに黒髪じゃなくて、金髪だったし、目も青かった……」

「潤には会ったのか」

「いや、いなかった。新国際って聞いたんだけど、羽田になったらしい」

「そんなところでなにを?」

「――"セッション"を癒してるんだ」

 透は、どうやって、とはもう尋ねなかった。いまだ、なにが原因で発症しているかそれすらもわかっていない病気だ。ましてやただの高校生である潤ができることが、普通に理解の及ぶことではないだろうことはわかった。

 しとしとと雨が降る。透は濡れてもいない髪をかきあげていまいましく悪態をついた。

「……俺には関係ない」

「皆はそう思ってない。永井はもう救世主と呼ばれてるんだぜ! それからこんな噂を知ってるか? 今度は瀬野透が、大悪魔として覚醒するってさ」

「どこで流れてる噂だよ。聞いたことないよ」

「知らないのはおまえだけだ」

 潤が救世主。それが、今まで数日の間、様々にあったことの結果なのだろうか?

 大村にはじまり、口々にみんなが言い出した変化の結果がそれなのだろうか。

(潤が"セッション"を癒す救世主になる、じゃあ俺はどうなるんだ? 潤が本当に変わったのなら、俺も、変わるのか?)

 もう何日、潤に会っていないのだろう。あまりにも長い間、見かけていない気がした。

(違う、みんながだまそうとしてるだけだ。一週間前は一緒にいた!)

 透は――彼は――地の底に存在した。世界で一番深い、真っ暗な深海に。

 なにもできない時間が永遠に続いていた。ウロボロスの輪のように、断ち切るものもないままに。

 冷たい雨は心をしずめるすべもなく、ただただ無為に降っていた。

 透は紫煙を吐きだし、沈黙を続ける。こうして静けさの中に閉じこめられると、三宅はすぐに根をあげるのだった。なにか考えをまとめたい、と透が思っていても、それを掻き乱すように三宅は喋りだす。ときどき腹が立ってならなかったが、今日はなにかを考えたくなくて、その騒音を受け入れた。

「なぁ、透。俺、思うんだ。
 うちの学校、気味が悪くねぇか……?」

 その言葉で、透の頭を様々な光景がめぐる。落ちた柵。つかみどころのない女教師。夕暮れのなにかの光虹、鍵のかかったはずの、なぜか開く扉。鮮やかな原色が通り抜ける。青。あの日、草加仁の死んだ陽の青い空、赤、大村沙夜の悪魔の唇、まるで血を吸う女吸血鬼のような赤――黒、あの死の色。腐敗して腐り果てたその色。

「――なぜこんなに人が死ぬ? 成田も行方不明だとか言ってた。多分、あいつも"セッション"で死んでる気がする。わかるんだ」

 透は三宅のうつろな言葉に返す。

「……時代だからだろ。神の人殺しなんだ」

「神?」

「神じゃなくてもいい。なにか大きな意志だよ。いや、殺人じゃあないな。これは――」

 その先を、透は口にできなかった。言葉にしようとすると激しい頭痛に襲われるのだ。

 ――神の撰択

 だが三宅には、どうだってよいらしかった。顔をゆがめて頭痛を抑える透に気がつくこともなく、言った。

「……俺はなにをしたらいい、なにをすれば」

「そんなこと、自分で考えろよ。どのみちもう草加は死んだ」

 冷たく突き放す透の言葉に、三宅は首を振る。彼には、どちらに進めばいいのかがわからないのだった。

「透。永井はもう動き出してる。俺たちは? どうするんだ?」

「なにをしろって言うんだよ」

「デラフェルが、言ってた通りだな。あんたはすべてを知ってる。でも憶えてない、忘れてしまう、そして気がつこうとしないって」

「ああ、確かに頼子には言われたとも。それでなにもかもがわかったような気がした! でももうなにがどうだったのかわからない。…… ただの妄想かもしれないじゃねえか、全部」

「そんなはずはない。大村までその妄想に入りこんで来るのはありえねえ。あんたの一番苦手なタイプだろ」

「大村? ……そうだ!!」

 少年は急に身をおこし、叫んだ拍子にタバコが落ちたのにも構わず、わめき続けた。三宅はぎょっとして、彼の奇行を見つめた。

「……手紙だ! 由貴子からの手紙!! 忘れてた……大村が失くしやがった、姉さんの手紙だ」

 透は忌々しそうに言って、掌をにぎりしめた。

「瀬野、三宅。こんなところでなにをしてる?」

 不意に名前を呼ばれて、透も三宅もはたと振り返る。そこには、傘をさした教師が立っていた。

 太秦はまだ若い教師だ。歳は二十五・六のはずだ。好青年で生徒の面倒見もよく、よい教師だと期待されているらしい。二年四組の担任だったが今年赴任してきたばかりで、二ヶ月足らずだというのに、違うクラスの二人の名前を記憶しているとは思わなかった。もっとも、彼らは悪目立ちする生徒であるし、注意すべき生徒として伝わっているのかもしれなかった。

「太秦」

 突然あらわれた太秦教諭を、三宅は思わず呼び捨てて言ってしまった。太秦は少し神経質そうにして、三宅をにらむ。

「戻れ」

 太秦は透の足元でまだくすぶっているタバコを見ると、続けた。

「タバコを出しなさい」

 透は苦笑して、ポケットからくしゃくしゃになった箱を投げる。太秦が受け取ったのも見ずに、透が足を踏み出すと、三宅もそのあとに続いた。

 太秦は校舎へむかう二人を見送り、体育館の角を越えて見えなくなるまでそこに立っていた。彼らの姿が消えてから、だれも聞くものがいないのに、だれかに、さながら彼の心の中に住んでいるだれかに語りかけるように、ぼそりと呟く。

「……あの手紙、だれが持ってる?」

 教師は険しい顔でため息をついた。









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