天命










「成田清美が"セッション"で死んでるのが見つかったってよ」

 三宅はそれだけ言うと、透の席から離れた。

 6月6日。今月に入って降り続いていた雨は、この日ようやく晴れ間を見せていた。空は白と灰色の雲を浮かばせながら、青い色を晒している。

 三宅は朝から授業をサボタージュしていたが、三限が終わる時間になってやって来たかと思うと、その凶報だけを残していった。

 三宅の情報とともに教室がざわついた。さすがの生徒たちも、三宅であっても"セッション"の冗談を口にすることはないとわかっていた。女子生徒が泣き声をあげる。

 透は固まったまま、身じろぎもしなかった。

 草加仁、藤井和美、時友礼、大橋千恵子、そして、成田清美。

 死ぬからにはわけがなくてはいけなかった。……"セッション"だから、というのはその説明にならない。それならば、なぜ彼らが"セッション"に罹ったのか、そのわけが必要だ。

 そして"セッション"という病が生まれたわけも、必要だった。

 "セッション"を引き起こしたのは「早神邸殺人事件」あるいは「白虎事件」とかいう名前で呼ばれている事件だろう、と世間は目している。それ自体は、病原体をふりまくようなカタストロフィックな事件ではない。横浜で早神実令さがみ みれい早神類さがみ るいという親子が変死したという事件だった。変死と言っても"セッション"ではない。焼けた邸宅から見つかった二人の死体は、彼らが火事によって死んだのではなくあらかじめ殺されていたことを示した(早神類のほうは、それでも火がまわったときにはかすかに息があったらしいが)。同居していた早神類の妻と弟は外出してなにも関わっていなかった。

 事件は不可解だったが(たとえば、燃える館をとりまくように炎でできた白い虎を見た、とかいう証言が何件か寄せられていた)、悪く言えばありふれたものだ。

 一番初めに"セッション"に罹って死んだのは検死官だった、といわれている。それから警察関係者と事件を扱ったジャーナリストの間に次々と感染した。だが、明確な感染経路はいまだ判明していない。

 今回死んだ学生たちは、草加は雑誌社でのアルバイトが原因だとしても、それ以外の少女たちに事件にかかわりがあったとも思えない。

 それなのに彼女たちは死んだのだ。体が腐敗し溶けるように死んでいく"セッション"で。

「凜ちゃん、凜ちゃん」

 羽柴沙織が友人に、大泣きをしながらたずねている。

「ねえ、成ちゃんは告白できたのかなあ」

「さぁ……千条くんに聞くしかないでしょう、」

 こたえる屋篠凜も、涙はこらえているが胸苦しさはぬぐえないようだった。沙織はすすりあげながら、叫ぶ。

「だって……だってぇ……成ちゃんがかわいそうじゃん!」

 透はその会話を聞いていて閃くことがあった。立ち上がり、彼女らのところへ行った。

「羽柴」

「え? なあに、せ、瀬野くん」

 やはりすすり上げつつ、少女はこたえる。

「……成田は千条に告白したのか?」

 嗚咽をあげはじめた沙織を見て、凜が代わってこたえた。

「わからない。告白するって言って、あの日――31日の放課後、あたしたちを先に返したんだ。だから……」

「そのまま行方不明ってことか」

 うなずき。透はそれを見ると、笑顔を見せた。

「俺がそれ、確かめて来てやるよ」

 そのまま彼は教室を出る。あとから三宅が無言でついて来た。


 ――ねぇねぇ、成田さんが……

 ――えぇ? マジ? 俺、この学校辞めようかなぁ……

 ――薄気味悪いよね。

 ――嫌だ。死にたくない。

 ――"セッション"、多すぎるわよ……

 ――この学校、呪われてんのよ。

 ――永井くんは、なにやってるの?


 廊下に踏み出しただけで、満ち溢れた言葉に押し返されるようだ。恐怖と不安、そして憤り。生徒たちの皆ながらが抱えているものだった。その中を、瀬野透は一人、静かな顔ですぎていく。永井潤の親友である瀬野透のその態度に、生徒たちの視線が集まるのは必至だった。

 潤は数日、学校へは来ていない。羽田空港で救世主とやらの活動をしているのだった。

 透は今にも口笛でも吹きそうな様子だ。

「透、」

 三宅はすぐに声をかけた。

「痩せ我慢ならやめろよ」

「だれにむかってものを言ってやがる?」

「なにもかもわかってるくせに。永井のことが気にかかってるくせに。――平気な顔をしているのは、怖いからか?」

「なあーんにも、わかんねぇよ。なんのことだ? 俺の後ろにくっついてくんじゃねえ! 頼子のかわりに監視でもしてるつもりかよ。いい加減にしてくれよ」

「おまえが前に進めないのは、すべてがわかっているのに永井のことだけは納得したくないっていう葛藤のせいだ。俺がぶん殴って納得してくれるんならいくらでもぶっ飛ばすんだけどよ」

「おまえが俺を? できるものならやってみろ」


 ――瀬野くんじゃない……

 ――永井のこと言ってる、なにって?


 透はイラついた様子で廊下に居並ぶ生徒たちをにらむと、大声でタンカを切った。

「うるせぇ! 言いてぇことがあるなら堂々と言えよ! 俺は逃げてないぜ!」

 生徒たちはさらにざわついたが、透の前に出てはっきりと苦言を呈するものはいなかった。それに納得したようで、透は傍らにいた女生徒に声をかけた。

「あんた、一組だよな。千条がどこにいるか知らないか?」

 彼女が首を振ると、そうかありがとと呟いて、一応あてがないわけでもないんだ、と彼女に笑いかけた。その笑顔は今のいままで見せていた凶暴な瀬野透のものではなく、変哲もない少年の笑顔だった。

 三宅すらあっけに取られていると、透は言った。

「来るなら来い。置いてくぜ」

「とおる?」

 透は廊下をなおも進み、階段を登った。



*       *       *



 屋上に出ると、昨日までの雨でまだ湿ったコンクリートは黒い水染みを作っている。まぶしいほどの光が降り注ぎ、透は目を眇めた。遮蔽するものがなにもなく、波乗学園の屋上からは青空をこれでもかというくらい見ることができた。

 今日も鍵は壊れっぱなしだ。先客は乱暴に開いた扉に気がついてこちらを振り返っている。

 千条朱生が一人立っているのは校庭に面した柵ぎわで、その数メートル先には、先だって透と潤が落してしまった柵のかわりに、黄色いビニール紐で厳重に補強されている部分があった。風に吹かれてガサガサと音を立て、それが耳障りだった。

「瀬野か、」

「あんたがこんなところにいるなんて珍しいな。品行方正な生徒会長さん」

「僕になにか用。……それなら、君の後ろのオブザーヴァだかお供だかには外してほしいんだけど」

 三宅はいやな顔をしたが、透に促されて引き下がった。

「そこにいるからな」

「好きにしろ」

 改めて二人きりになって、少年たちはお互いの距離を測りながらにらみ合った。千条は背中から柵にもたれかかり、態度悪くこちらをむいている。

「それで、なんの用?」

 千条朱生は不機嫌そうに言った。いつもは人当たりがよく、嫌な顔などは決して見せない少年だった。そういうところが透が彼を忌み嫌う点で、だからこそ今の千条は悪くない。

 透はにやりと笑い、口を開く。

「忠告しておくぜ、そんなによっかかってるとその柵、――落ちるんじゃねえか?」

 千条がむっとした瞬間、彼の後ろにあった柵がかしいだ。

「わあっ!」

 悲鳴を上げて後ろに倒れかけるが、まわりの柵にすがってなんとか体は持ちこたえる。柵は見事にむこう側へと落ちていき、下からは生徒たちの「ぎゃー!」という悲鳴が上がった。地面にぶつかるのではない音が聞こえたから、どうも、今度ばかりは怪我人が出たらしい。

 座りこんでぜいはあと息をついている千条は、きっと透をにらみあげた。

「君は……僕を殺す気か!」

「俺のせいにするなよ」

「君が言わなければ、柵は落ちなかったはずだ。そうだろ?」

「なんのことだか」

「さっさと用を済ませ」

 てのひらと制服についた砂利を払い落とし、千条はまた立ち上がる。透は首をかしげると、

「31日、あんた、成田清美に会ったよな?」

「ああ、会ったよ」

 返答に迷いはなかった。無論、告白したかどうかまでは透には興味がなかった。ただ、確信するために聞いただけだった。

「確かに俺は悪いことを言うとなんでも叶えることができる。逆方向の言霊ってやつだな。だけど"セッション"をまきちらすほどの魔力は持ってない。――おまえだろ、"セッション"の源。おまえが"セッション"の伝染源だ。左手の人差し指を絆創膏で覆ってるのはどうしてか、聞いていいか?」

「……ここにあるのが"セッション"だからだよ」

 千条は笑いもせず、悲しみもせず、ただそう言った。

「黒く変色してる。これが"セッション"かっていうと、それは正確な表現じゃあ、ないけどね。ここにあるものが"セッション"をまきちらしているんであって、"セッション"そのものじゃあない」

「時友たちを感染させたのもおまえだ」

「僕の恣意で感染するわけじゃない」

「へえ、そうか。まあそれがわかればいい」

 透は踵をかえした。彼が知りたかったのは、"セッション"が透と関わりがない、ということだけだ。"セッション"の原因が透の言霊ではない以上、目くじらを立てる必要はなかった。草加の死、少女たちの死。透がこだわっていたのはつまりそこだった。

 千条は焦ることもなく、呼び止めた。

「瀬野、僕の用は終わってない」

「用があってわざわざ来たのは俺だぜ」

「君には一度文句を言いたいと、思ってた。いい機会だ」

「文句?」

「そう。いつまでママゴトをしてるつもりなんだよクソッタレ、っていう文句だよ」

「なんでてめーにまでそんなこと言われなくちゃいけないんだ」

「この黒い爪のことだって、君には他人事じゃない。こうなってたのは君かもしれないんだ。僕のことを学園長の孫だ孫だと揶揄しているらしいが、まさか、自分だってそうだって、知らないわけじゃないだろう?」

「最近わけのわからないことを言うやつが減ってきたんだ。おまえまで頭数にはいんなよ」

「僕は本当のことを言っているんだ。僕らはこれでも従兄弟同士だよ。
 それが君ときたら、天命ってやつから逃げ回ってるだけだ。不甲斐なくて涙が出る。所詮、君なんかは三流の不良だ。いつまでもはいつくばってろ」

「てめえ、言いたいだけ言わせておけば――」

「今の君は何者でもない! 学校を裏から支配してるなんていい気になりやがって。君は瀬野透か? そうですらないくせに! 悪魔って噂だって! そんなものですらない。なにもかも中途半端だ! 少しは、あのニセ救世主を見習えよっ 君に与えられてるものはそんなものじゃないだろう!!」

 朱生は怒鳴りながら透の目前に立った。そして額に指を突き立てる。

「目を開け! ……ここにある第三の目を!」

 そのとき、けたたましい音でもう一度、屋上の扉が開いた。意表をつかれた透と朱生は、同時に振り返る。

「そこまでにしてくれないか、千条くん」

 そう言いながら、立っていたのは永井潤だった。

「僕と透のことに、君は関係ない」









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