太陽を目指す鷹
「むくれてるわよ、透くん」
「ほっといてくれよ、」
潤がいなくなると、空気がふっと緩んだ。大村がいるせいだけではない。陽射しの強烈さが薄らいだような気さえした。
透は大村からも逃れるように、屋上の縁へとむかう。そこから見える校庭は、乾いて白い。熱した空気だけは湿度が高く、喉がつまった。透はただひたすら遠くを見つめ、町並みを越えたむこうの海にまで視線を転じた。繰巣の浜だ。
世界はまぶしいほど光に満ちている。
やがて、校庭には潤の姿が見えた。せっかく学校に来たのに、授業も受けずに帰っていくらしい。わざわざ、透に会うためにやってきたのだろうか? 白い砂地に潤の影が映り、そのあとを一人の少女が追った。同じ学年の鳥海とかいう少女だ。なにを話しているのかは知らない。
校門には一台の車が寄せられている。少年と少女は、その車に乗って学園を去った。
「センセー、人間はもっとたくさん死ぬんだろ?」
透が言うと、大村は静かに答えた。
「人間はだれでも一度は死ぬものよ」
「"セッション"で、さ」
「"セッション"でなくてもたくさんの人が、死ぬわ」
「戦争でも起きるのか?」
「今も地球のどこかでは戦争をしているわよ」
「センセーは特別なことはなにひとつない、てことを言いたいのか?」
「さあ。教師だからって、いつも教訓を喋ってるとは思ってほしくないわね。自分で考えなさいよ」
「屁理屈、てことか」
透が落胆して言うと、大村はにやりと笑う。彼女は透の隣まで来て並ぶと、陽射しを避けるために額に手を当て、やはり遠くを見つめた。
「この景色、私が生徒だった頃と変わらないな」
「何十年も前じゃねえだろ」
「そうね。
この景色をよく憶えておきなさい、透くん。明日はどうなるかわからない。あなたはもう大人になったのよ。明日からは、この世界がいつどうなるかわからない。あなただって、どうなるかわからない。もう二度とこの景色を見ることはできないかもしれない」
「センセーはいつも、教訓なんかより預言ばっかり言ってるよ」
「私は嘘はつかないわ」
「それじゃ知ってるんだろ。俺と千条は従兄弟だと千条がのたまった。センセーは、知ってるんだろ?」
「もちろん、知ってるわよ」
「従兄弟ってことは……俺の親が、千条の親の兄弟だってことだよな。どっちが? 母さん? それとも、」
「確かめるのが恐い?」
「いや。母さんはほとんど身寄りがない。いままで親戚なんて会ったこともなかった。うちは母子家庭だし、こんな近くに親戚が住んでいるなら、手を貸してもらおうとするほうが当たり前だろ。姉さんの葬式にだって来なかったわけだし。だから、ありえるなら……親父のほうだ。でも親父なんて結局、俺は顔も見てない。親父の親類なら、俺には他人と同じだ」
「それなら気にしなくていいじゃない。透くんはちょっと朱生くんを意識しすぎなんじゃない? 潤くんがヤキモチ焼くのもわかるわよ」
「今日ばっかりはそのセリフ、空回りしてる」
「あら、おもしろくない?」
「全然」
「でも、朱生くんはあなたの力になってくれるわよ。生徒会長だからといって毛嫌いせずに、仲良くしてみたら?」
「あいつ、俺に喧嘩ばっかり売ってくる」
「それは、透くんだって同じよ。透くんが売るのをやめれば、朱生くんだって売らないわ」
そうとも思えない。千条朱生との確執は、そういう簡単なものには思えないのだ。別に運命の重さだとかでもない。単純に、気が合わないのだ。
「うまく行くかな」
「大丈夫よ。もう少し自分に自信を持ちなさい。あなたは間違ったことをなにひとつしてないわ」
「潤が救世主とか呼ばれてるなんて、ずっと現実味がなかった。俺は潤を知ってたし、あいつが世界を救うようなやつだとはとてもじゃないけど思えなかった。ましてや、世界を滅ぼすなんて。……それでも今日、ようやくわかった。潤は救世主なんだ。潤は世界を救う。世界を救うために世界を滅ぼす。俺はそれを食い止める。――そういう図式だろ。今度こそ、いろいろわかってきた。
三宅がずっと俺に言うんだ。俺がなにもわからないのは俺のせいだって。本当にそれがわかった」
「あなたは間違ってないわ、透くん。大丈夫よ」
透は大村の前だったがかまわず、制服からタバコを取り出す。火をつけると、煙は風に吹き飛ばされていく。大村は咎めなかった。
「そういえば、先生が入ってくるとき、そこに三宅いた?」
「いなかったわよ」
聞いて、透は胸の奥からため息をついた。彼もなにかにつき動かされている。それでまた、どこかに行ってしまったのだろう。千条についていったのかもしれないし、潤についていったのかもしれない。だが、あまり気にしていると滅入る。
透は一本吸い終わるまで佇むと、足元で火を踏み消した。
「俺は行くよ、センセー」
「授業に出なさいよ。あなたは忙しいわけじゃないんだから」
「わかったよ」
透は大村より先んじて屋上を出た。扉のむこうから振り返ると、屋上はやはり白々しく、明るい。空に一羽の鳥が飛んでいるのが見えた。このあたりでは見るはずもない大きな翼の鳥は、もちろん、あの灰色の鷹だった。
くるくると鳥は旋回しつつ、大地の上を見つめている。高く高く空に舞いあがり、すべてを俯瞰する。太陽があまねく地の上に光を注ぐように、鷹は、あまねく地の上を飛ぶだろう。
透は扉を閉じた。そして、階下の教室へむけて一段一段、階段をくだっていった。
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