気枯れた者










「救世主登場」を謳った『FACT』誌が発売されるやいなや、羽田空港にはこれまでとは較べものにならない数の人間が押し寄せるようになった。"セッション"患者、救世主を記事にしようと目論んだ報道関係者はもちろんのこと、一目、噂の美少年救世主を見たいという野次馬は後を絶たなかった。

 今まで、"セッション"について口に出すのも怖れていた人々が、突然、それをひるがえして物見高く、潤が本物かどうかを見定めに来るのだった。

 初めて会った日に、『FACT』誌の垣小野編集長は、潤が本物ならば"セッション"など怖れるに足らないと、潤の奇蹟を見た人間が一様に包まれる興奮の中で言った。そういうものなのだろうか。それでも、ここに来る人間はごく一部だろう。大半は、潤の奇蹟を完全には信じていないはずだ。

 それに、垣小野をはじめ、潤も"セッション"の脅威が取り除かれるのではないことを承知していた。物理的にここにやってこられない人間やまだ潤のことを知らない人間だけでなく、潤に会いに来たその日に、垣小野の部下だった服部靖幸も"セッション"で死んでいたことからもよくわかる。

 垣小野自身もどうなるか知れないし、後から潤の姿を求めてきた報道関係者も、また犠牲者を出すに違いない。

 名取の意見で、誌面が公開された次の日には、今までのようにだれからも見られるような場所ではなく、空港管理会社が会議室に使っている部屋を借り受けていた。そこならば、野次馬はあまり入ってこない。……健常な野次馬は、さすがに"セッション"患者をかいくぐって潤のところに来る勇気はないはずだ。

 潤にとって、それはありがたかった。人々の好奇の視線に晒されることが最も怖ろしかった。救いを求めてくるならいい、奇蹟を信じるならいい(その奇蹟に対して潤すらも半信半疑だったが、それを奇蹟と呼ぶべきなのかどうかはともかく"セッション"が自分の手の中で癒されるのは確かだ)。だが、野次馬たちはただなにかおもしろいことはないかとここにまで足を運ぶのだ。その視線に、耐えられなかった。その視線によって、潤の奇蹟は一瞬にして茶番と化す。名取の警告以上にそれは覚悟が必要だった。

 空港は意外と協力的だった。潤の存在が知られれば知られるほど、空港には"セッション"患者が殺到することになるわけで、本来なら嫌がるはずだ。だが、彼らも数日間のうちにすっかり、潤の起こす奇蹟に魅せられ、安堵していた。

 彼がいれば"セッション"も怖くないと、そう思うのだろう。

 奇蹟に対する人々の反応は様々だ。なにかの奇術だという人間もいるし、潤を本物だという者もいる。

 潤自身には、自分がなんなのか、実は確信がなかった。こうして"セッション"を癒すことが世界を救うことなのかと言われたら、なにか違和感が付きまとい、救世主と呼ばれることは好まなかった。だれが言い出したのかは知らない。潤を救世主だと記事にした垣小野に確かめたが、潤に直に会う前から、インターネットで救世主だと聞いていたと言うのだ。おそらく、潤が癒しただれかが、そう呼び出したのだろう。これだけ言葉が一人歩きしてしまうと、確かめるのもいまさらだった。

 患者が途切れて、会議室の外にある休憩所に腰かけていると、少しはなれて煙草を吸っていた名取がなにかを思いついたように傍に寄って来た。

「昨日の夕方に発行されたスポーツ新聞に興味深い記事が載っていましたよ」

「……なに?」

 意味ありげな表情だ。周りに人がいないのを確かめてから口を開いたようだった。

 ボランティアの多くは、会議室で様々なことに動き回っている。癒された患者のその後の手配といったものは、彼らに任せていた。潤や名取たち聖使徒はあくまでも"セッション"を癒すことだけに専念している。ボランティアたちは、さすがに滅多に潤に話しかけなかった。こういうときも、できるだけ潤の神経を休めるようにと距離をおくのがいつもだ。

 潤は人嫌いな方だったし、それはありがたかった。

 名取は、傍らの灰皿に吸っていた煙草を落として消すと、潤を見つめてこう言った。

「救世主に敵対する悪魔がいるらしいんです」

 救世主が自分のことだと気がつく前に、その悪魔とは透のことに違いない、と潤は確信していた。名取のなにか言いたげな態度もわかるというものだ。

「なんのことなんだよ、悪魔って?」

「さすがに実名は出ていませんでしたが、救世主の幼馴染で同じ高校に通っているらしい」

「透のことか」

「さあ、新聞の記事を読んだだけですから」

「名取ははじめから、透のことをどうとか言ってたよな?」

「瀬野透は悪魔だ」

 名取の言葉に、潤はぎくりとした。その様子は、ここ数日、潤の傍にいていくつもの問題を手際よく裁いて来た間には見かけなかったものだ。だが初めてではない。学校のチャペルで会ったときのいくらか不遜な、そして確信に満ちた様子と同じだった。――すなわち、天使的とでもいうものだ。

「……そう言っている人間がいるっていうことです」

「透がそんなものであるわけがないだろう」

「噂ですからね」

 潤は内心で、あの大村を苦々しく思い出していた。彼女の口からはじまった噂が、生徒たちの間に伝わり、そして更に広がったのだろう。だが、むしろ気になるのは大村ではないのだろうか。なぜ彼女は、透を悪魔だなどと言ったのだろうか?

 冗談にしても、教師がそんなことを言い出すのはおかしい。たとえ相手が、問題児の瀬野透だとしたってだ。

「彼が悪魔だと言われるにもいろいろな意味があるでしょう。新聞は、"セッション"もその悪魔が原因にしたいようでしたが」

「……ばかばかしい」

「新聞が、彼を悪魔だと言う根拠ですが――瀬野くんの誕生日は6月6日だっていうことがひとつ」

「映画の見すぎだ」

 名取も苦笑する。

「だから、今度の誕生日に瀬野くんは悪魔として覚醒するんだそうですよ」

「まだ覚醒してないなら、"セッション"が透のせいなわけはないじゃないか」

「そうですね。正しい指摘です。それと、新聞は、彼の両親は双子なんだと言っています」

「……双子?」

 潤は、透の母親のことを思い出した。真一子という名で、潤の母よりはよほど年上のはずだったが若々しく、きれいな人だ。父親のほうは、透が生まれる前に死んでいるのでもちろん見たことはない。写真も、見た記憶はなかった。

「私も、詳しいことは知りませんが。本当の双子とは限らないと思います。私は、彼らがアストロツインなのではないかと思っています」

「アストロツイン?」

「ええ。占星術上で、まったく同じ星位置の下に生まれた人間のことです。相性は最高なんですよ。まあ、アストロツインというのは生まれた時間は秒単位にいたるまで、生まれた場所も同じということが要求されますが」

「天使が相性占いなんかするなよ」

「占いも馬鹿にしたものじゃないですよ。高度な理論体系から成立していますから。
 瀬野くんが悪魔かどうかはさておき、確かに、あまり近寄らないことをおすすめしますよ」

「なんでだよ」

「彼は穢れなのです」

「悪魔って言ってるのと同じじゃないか」

「いいえ、違いますよ。言ったとおり、彼は双子の両親から生まれました。両親の相性は最高ですが、そのために瀬野くん自身にひずみが生じているのです。アストロツインとは本来は出会うべきでない自分自身でもあるからです。近親相姦よりもそれはより濃密な意義を持ちます。その出会いがどんなものかは知りませんが、劇的なものに違いありませんよ。
 そういうわけで、その二人から生まれた瀬野くん自身の気は反気、アンチ・エナジーです。気は多いところから少ないところへと流れていきますから、通常の気を持たない瀬野くんは、周りの気を吸いこむ穢れなのです。穢れとは、気が枯れる、『気枯れ』ている状態のことなのです。彼はその気枯れているのが常なのです。
 少なくとも、その限りにおいて彼は確かにわれわれに敵対します。それは彼が望んでいるからとか、望んでいないから、ということではありません。ただ彼自身が、どうしようもない不可抗力の内に不運を引き寄せるのです。今までもそういうことがっあったのではないですか? 瀬野くんの周りには、死が、不吉なことが、悪運が、渦巻いていたはずです」

 死と聞いて、潤は透の姉の由貴子のことを思い出した。あの突然の死は、透だけではなく潤の心にも大きな影を投げかけている。美しくて優しかった由貴子のどこに、自死する闇があったのかわからない。

 そう思って今までをふりかえれば、心当たりになることは山ほどあった。そのひとつひとつが、透を悪魔にする根拠のようではがゆい。

 沢山の人間が、瀬野透を怖れて来た。潤はそれを感じたことがなかったが、身近だった三宅や十字たちも瀬野透を怖れているかどうかという点では他の生徒たちと同じだろう。それはその悪運に対する恐怖なのだろうか。

 その一方、中学の頃はともかく、今では透たちに喧嘩を売ってくる他学の生徒は皆無だった。彼は見た目は小柄で容貌も華奢に見えるほうだ。決して強くは見えないのだが、このあたりで透を怖れない学生はいないだろう。瀬野透の持つ力に対する信仰のようなものは確かにあって、それは実和子がこのあいだ言っていたことと重なった。

 波乗学園では、むしろ"セッション"を癒す潤よりも透のほうに注意がむかっている。そのことに対してなにか思うところがあるわけではなかった。潤自身はその二項対立を疑問に思う。潤と透は世間が言うように敵対しているわけではないはずだ。その考えはあまりにも短絡的で、考えるといささか腹が立った。意図して潤と透をひきはなそうとしている力があるように思えて仕方ない。

 それなのに、気枯れという名取の説明には潤も納得がいった。透は自ら望んで回りに不幸を撒き散らしているのではない。けれど、確かに彼のまわりにはさまざまな影がつきまとっている。気枯れという不可抗力というのなら、それはわからないでもなかった。

(だからと言って、近寄らないほうがいいだなんて)

 透の周りには死と不運がまとわりついているから? では"セッション"で死んだという透のクラスの少女たちは、透のせいで死んだというのだろうか。

(……"セッション"が透のせいだというのか)

 ぞっとしない。"セッション"そのものの原因は透ではないかもしれない。だが、彼女らが"セッション"に罹ったのは透のせいかもしれないのだ。

(まさか……)

 名取は、潤の様子をうかがいながらなおも告げた。

「ともかく、悪魔だとかどうとかはさておいて――考えておくべきでしょうね。あなたと"セッション"。"セッション"と瀬野くん。そして瀬野くんと、潤さま、あなたのことと。
 我々がたちむかわなければならないのは"セッション"という病です。"セッション"は人を殺し世界の気を病ませるべく、ありとあらゆるところを目指して疾駆します。"セッション"は肉体の病ではなく、魂の病です。そうでなければ、我々が戦う意味がありません。なぜこの病があるのか。なぜ人は死ぬのか。なぜあなたに助けを求めたごくわずかな人だけが病を逃れえるのか。考えるべきことは山ほどあります。時間もあまりありません。
 あなたによい答えがあるよう、我々は手助けをすることしかできませんから」

 そう言った名取は、どこか寂しそうに笑うのだった。









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