第一章 4th. アルンハイムとイグニシウス
《arnheim und ignisius》

 アレンは人目を気にしながら望楼を降り、レナルトがいるらしい件の堂の真上に来た。ランプはもちろん、塔の中に置き去りのままだ。明かりといえば外に焚かれている炎程度で、ほとんどなにも見えない。
 真上からでも堂の内部を見ることはできないのだが、人々の熱気や存在感がより肉薄して感じられた。
 耳を澄まし、なにをしているか探ろうとしたが、見当もつかない。見ないことには、なにもわかりそうになかった。
 アレンはしばらくためらった。
 見てみたい、という欲求は強かったが、得体の知れない恐怖はまだ胸の内に大きくのさばっている。見つかってなにが起こるかは、あまり考えたくなかった。親友がそこにいるというのに、怯えて動けなかった。
(夢を見ているのかな、あの塔の上で眠ってしまったのかもしれない)
 悪い夢だ。陰鬱な城と、黒魔術に感化されて見ているのだろう。
 アレンは、更に降りていった。
 階段を降りきったところで、体を神経質に震わした。汗が首筋から背中へと流れ落ちたのだ。その不意打ちにすら、驚いてしまう。夜気に慣れて寒さを感じないのはまだわかるのだが、だからといって暑いはずはなかった。それなのに、体中の毛穴から脂汗が噴きだしていた。
 レナルトの声はなおも聞こえる。恐怖にかじかんだ頭ではなにを言っているのか理解できなかった。
 堂の中にある広間の扉に身を寄せる。その木の扉のむこうにレナルトがいるのだったが、とてもじゃないが開ける勇気はなかった。
 なぜこんなに怯えているのか、アレンはわからなかった。


 ……今宵 月は満ち足りて、我らを照らしたもう
 ……我らが領土は満ち足りて、馥郁のにおいが野に満つる
 ……我が魂は満ち足りて、生命いのちの木の実を実らせる
 ……木の実の内には炎の魂が、愛された者よ、イグニシウス!


 やはりなにかの芝居なのかもしれなかった。レナルトの声が詩を読んで、人々がそれに呼応して声を上げている。
(このまま……立ち去ろう、それがいい……!)
 そう思い、アレンは身を翻そうとした。しかし、右手を掴む手があってそれを阻まれた。
「ひっ」
 冷たくぴたりと張りついた手に思わず悲鳴を上げる。だがなおも自分の存在を悟られまいと、アレンはすぐに声を呑みこんだ。
 そこにいたのは白い顔をした少女だった。どんなに色白の人間でも、こうまで真白い膚をした人間をアレンは見たことがなかった。目はルビーに似た赤い色をしていて、アルビノのようだ。色素がないために透けるような膚をしているというよりも、厚くおしろいを塗った膚といったほうが様子は近い。顔立ちは愛らしいのだが、白い不気味さのほうが目立つのだ。
 少女は戸惑いもなく言った。
「なにをしておるのじゃ? 来るがよい、皆々様がそなたを待っておる」
 放せ、と言う前に爬虫類のようなひんやりとくっついた女の手に総毛立つ。振りはらうこともできず、喉が張りついてしまったように声も出ない。
 女は手を伸ばし、扉を押し開いた。熱気が徐々にアレンを包む。人の熱気、そして無数の屹立する蝋燭の焔によるものだった。妙な香りは、先ほど炎にくべたヘリオトロープのにおいだ。部屋のどこかで焚かれているのだろう。
 見れば、男も女もそこにいる。若い者も老いた者もいる。見知った顔はその中に見分けられなかった。
 劇団ならば、それだけの広い人種がいるのも頷けるけれど、かといってそうとも言い切れなかった。人々には統一感がなく、ただ町の中から無作為に選ばれた観衆のようだった。
 彼らは皆、壁に沿って立ったり座ったり思い思いにしており、部屋の真ん中に立っているのはただ一人、制服姿のレナルトだけだった。
 腰の高さよりもやや高い、黒い石の台がレナルトすぐ後ろにしつらえられている。人間が寝転べるほどの大きさで、もともとこの堂にあったものではなかった。稽古に使っている舞台装置なのだろうか。しかしその重量感は簡単に動かせるものには見えない。
 女はアレンをレナルトの傍まで導いた。そして、どうすればよいか惑っている彼の手を離すと、群衆の中へと消える。
 レナルトは、芝居がかった仕種で身をかがめた。
「ようこそ、アルンハイムの領土へ」
「レナルト……?」
「今宵我らはまた集うた、それもそなたの願いゆえ」
 レナルトは儀式のように、アレンの言葉には答えずに告げる。古めかしくて、おかしな言葉遣いだ。アレンはくすり、と笑った。レナルトがこんな冗談を仕掛けるなんて、おかし過ぎたからだ。
「なにをゆってるんだよ、レナルト」
「願っただろう、おまえは。私に祈りを捧げただろう、おまえは! さあ、来なさい。儀式は最後まで終わらせなければいけない」
 アレンは笑った。まったくレナルトらしくない冗談だ。どこからあの人々を集めたのだろう。
 レナルトは台を挟んでアレンとむかいあった。
 床の上には部屋いっぱいに円陣が描かれている。形に見憶えがあった。先ほどアレンが儀式に用いた魔法陣と、まったく同じ形をしていた。
 台の上には大きな真っ白い紙が広げられていた。
「我が名はアルンハイム」
 レナルトは言った。すると、なにもないのに紙の上には黒い字が走った。
「アルンハイム……?」
「そう。さあ君も誓いたまえ、我らがあるじ、地獄の王に」
 レナルトが言葉を放つたびに、文字は増えてゆく。見えないペン先から生まれる見事なゴシック・バタルドのアルファベットだった。書かれているのはラテン語のようで、わかる単語もあったが、薄暗い明かりの下で判別するのは難しい。だからアレンは、どんな仕組みなのかもわからない手品の文字を読もうとするのを途中で諦めてしまった。
「ああ、誓います」
 アレンはレナルトの言葉に応えて頷いた。彼はここでの出来事を夢だと思い始めていた。あるいは芝居の筋立てに。平素のレナルトの振る舞いとは、あまりにも違ったからだ。ゆえにアレンはその芝居の筋立てには逆らわなかった。
「いいだろう、では我らがあるじのしもべとなるおまえに新しい名を与えよう、イグニシウス」
「イグニシウス……」
 アレンはその言葉を復唱した。意味はわからなかった――炎をあらわす名を与えられる意味を知らなかった。
 それがなんの儀式なのか、なにが始まろうとしているのかアレンはもはや知らなかった。
 ここへ降りて来る前、アレンは祭司だったが、いまやその役割は変わっていた。アレンを導くレナルトこそが祭司だった。生贄にとって意味があるかないか、意味を知っているかどうかは儀式にとって関わりのないことだ。儀式の意義は祭司さえ知っていればよいのだ。
 即ち、レナルト一人が。
 レナルトは身を乗りだし、アレンの左手をとった。制服の袖口から、白い包帯があらわになる。それを感じたアレンははっとしたが、包帯を隠そうと身を引くことはできなかった。緩やかな友の掌の拘束が、アレンの体を縛っていたのだ。
 少年はアレンの包帯をゆっくりとといていき、血のにじんだガーゼを唇で取り去った。そして、放られたガーゼが地につくやいなや、むしゃぶりつくようにその傷口を舐めた。
 ほのかな痛みが傷口に走った。ざらつき、生ぬるい舌の感触が、アレンの体を熱くさせた。冷たい石の台にもう片方の腕をつっぱって身を支える。それは、奇妙な倒錯だった。
「レナルト……はぁっ」
 鈍い傷口の疼痛に顔をしかめる。そのさまを見て薄く笑ったレナルトは、舌を出して手の筋に添うように這わせた。左腕に加えられるかすかな愛撫しかなかったのに、アレンはいつの間にか淫らな感覚を覚えていた。
 その思いに戸惑った刹那、レナルトの舌が止まったかと思うと彼は手首の傷口に歯を立てる。
「いっ!」
 刃物で切り裂かれた傷に、レナルトがかぶりついたのだ。レナルトの唇と白い歯を赤く染めて、自分の血が流れだすのがわかった。
 そのときには、レナルトの手には既に銀の器が用意されていた。流れだした赤い血はその器にたまってゆく。紙や台の上へは一滴も落ちなかった。
 それは、先刻アレンが試した儀式の再上演だった。読み解いた《L.G.A》に書かれていた儀式の手順がアレンの行った簡単な形とは違う様相でくりかえされている。
 アレンは高揚した瞳で手首から流れる血を見た。暗い潮のように注がれてゆく赤い血は、自分のものとも思われない。微細な装飾が刻まれた銀の杯はいくつもの蝋燭の明かりにかがよい、血の色をひきたたせた。レナルトの目はまた、その滴を静かな目で見凝めているのだった。
 アレンはそのとき、もう一度、友の名を呼んだ。
「レナルト」
 応えるようにレナルトはアレンの目を見凝めた。満月ほどに色の薄いその瞳孔がアレンを見据えると、えもいわれぬ悪寒が身を包むのだった。いつの間にか傷口からは血が止まり、じくじくしたと痛みだけが残った。
「私の名前はアルンハイムだ、イグニシウス。さあ、ここにおまえの血をもって記名するといい。それで私とおまえの契約は成り立つ!」
 どこから取り出したのか、レナルト手には一本の羽根があり、彼はその先を銀の器に浸してアレンの血を吸いこませた。それを、アレンの右手に握らせる。
 アレンはおぼつかない感覚で、紙の右下に自分の名前を記そうと身をかがめた。
「イグニシウス」
 レナルトが耳元でその名前を呟いた。吐息が耳にかかり、体中を掻き回されたような気がした。そしてアレンは、イグニシウスと記名した。紅い文字で記された名は、呪われた紙面の上で一瞬踊る。実際は、蝋燭のどれかの炎が揺らいでそう見えただけなのだろうが。
 それを見て、レナルトは満足そうに笑う。
「さあ契約は成された。私はおまえの願いを叶えよう。おまえが払う対価が、私のためになる。だから私はおまえの願いを叶えよう」
 アレンはこくりと頷いた。
「アルンハイム……」
「そう、それが私の名前だ」
「俺の願いを?」
「知っているとも、おまえはその願いを書いて火にくべただろう?」
 レナルトはそう言ってのけると、台の上の杯を握り、反対の手にはアレンが記名したばかりの紙片を掴む。
 少年は足を竦ませ、レナルトを見た。名状しがたい二つの感情が体の中を荒れ狂う。ひとつは恐怖、そしてもうひとつは歓喜だ。恐怖の出所はわかる、この理解しがたい雰囲気と、願いをレナルトに知られているということだ。だが歓喜は? どこから身を震わすほどの歓喜が湧いて来るのかアレンにはわからなかった。この震えが恐怖だけに由来するものならいいのに、とアレンは思った。
「レナルト、本当に知っているのか!」
「ああ、知っているよ。おまえの気持ち、レナルトを見凝める想い、なにかの折にまっすぐに見凝められたときには耐え切れずに目を反らしたこともあっただろう? 愛されたいか、悪魔に魂を売ってまでレナルトに!」
「やめろ!」
 レナルトの手には稲妻が走った。一瞬ののちに、彼が手にしていた杯と紙は掻き消えていた。
「証文は確かに受け取った。おまえの血潮と共に、私はこれを地獄で保管しておくよ。さあ、今度はおまえが私に支払いをする番だ」
「なにが……どうなってるんだよ」
「恐れているのか?」
 そう言うとレナルトは大股でアレンの傍に寄った。肩をつかんで台に彼を押しつける。そのまま、唇を奪った。
「……俺、夢を見てる」
「毎夜、夢に見たんだろう。この顔にくちづけされる夢を」
「ああ、見たよ。だからこれも夢だ……レナルト、俺は……」
「なにを告白しようと言うんだ? もっと汚らわしいことも夢に見たか?」
「そうだ、もっと……もっと」
 名も知らぬ群衆が息を飲んで見ているのはわかっていたが、これは夢だった。存在感も気配も心なしか薄いように思われ、気にならない。アレンはレナルトに抱きつき、レナルトの腕もそれに応える。
 しかし、重ねられた唇をはずすと、レナルトはアレンを台の上へと押しあげた。
「レナルト?」
「さあ対価を払いたまえ」
 レナルトは身を引き剥がすと、アレンを横たわらせた。はと思う間もなく、目を覆われる。次の瞬間は気配もなかったのにたくさんの手がアレンに触れた。
「いやだ……!」
 だが体は身じろぎもしない。あまりにもたくさんの手が彼を押さえつけていたからだった。無数の手が彼の上を這いずり回るが、だれの腕なのかレナルトがどうしているのかまるでわからない。無言劇が彼の体の上で催されているかのようだ。舞台のありとあらゆるところにコロスがいて、「今宵我らはまた集うた!」と声なく唱和していた。
 役者たちはそれぞれの役割を心得ている。その手は意思を持ち、アレンのタイを解きボタンを外しにかかった。
「レナルト!」
 露わになっていく肌がわかる。剥き出しになった肩に、胸に、腹に手が触れる。無言劇は既に始まり、祝祭の劇が途切れることは彼らのあるじへの冒涜だ。まだあらわれぬ主役のために、役者たちは少年の肌の上を駆けずり回り、その舞台を高潮へと持ちあげていく。
 抗うことも許されないアレンは、一人、声を上げて舞台を台無しにしようとしていたが、その声が喝采ではなくて悲鳴だと言い切ることがだれにできるだろうか。主役の登場は何度もコロスや役者たちによって示され、やがてその存在は彼の下腹に熱いほのおのあけぼのとなって現れた。そして、まさしく太陽が少しずつ昇っていくように屹立していく。
 だがだれもこうしてあらわれた舞台の主には触れようとしない。それに軽く安堵を覚えていたアレンだが、もちろんそれは、第二幕のためだったのだ。
 逃れようのなくなったアレンから、舞台にかかる緞帳がはずされた。目隠しがなくなり、ようやく光を取り戻した彼は、相変わらず無数の蝋燭にゆれる部屋を見た。そして、この演技を披露した役者たちの存在を。
 見知らぬ顔ばかりだ。男も女も、老いも若きもいる。一番幼い子供は七つくらいなのか、金色の髪を乱しながら台の上をうかがうのもやっとの様子の少女だったが、それでもその手はアレンの体の上で役割を担っている。
「やめろよ、レナルト」
 だがレナルトの姿は、既に見えない。アレンはかぶりを振って、もうだれでもいいからと助けを求めた。
「はなせぇ……!」
 それからが第二幕だった。少年の花芯に指が触れ、舌が触れた。アレンは絶望の声を上げる。ためらいもなくだれかの口に含まれた体の一部から熱が広がり圧倒される。まだ自慰しか知らない少年には強すぎる刺激だった。きつく吸いあげられるたびに、体すべてが一点に集められて、解放されるとばらばらにほどけてしまう気がした。
 しどけなく開かれた両足は更に広げられて、アレンの知らぬ間に後庭さえ蹂躙された。
 体中で烈しいファッショが起きてそのすべてをアレンは理解することもできなかった。普通なら異物を感じてもおかしくないその奥を、少しずつ拓かされていることとその意味に気がつけなかった。
 やがてアレンは下肢を押さえつけられ、そのすべてを空に晒していた。弓形に反った彼の花芯が、確かに少年の欲望を伝えていた。
 乱れた視界の中でアレンははたと、足元に立って自分を見凝めているひとつの視線に気づく。
「レナルト。……」
 だれにも聞こえないほど小さな声で呼んだ。
「見るなよ……っ!」
「悪魔は幸運を一体だれに感謝すればいいと思う? 神にか? それとも我らの地獄のあるじにか? ともあれイグニシウス、おまえを手に入れられることは私の幸運だ」
 レナルトは娯しそうに笑っていた。そう言いながら彼自身もタイを解き、上着を脱ぎ捨てた。高潮して汗ばんだ少年の体を睥睨しながら、腰のベルトに手をかける。その意味を悟って、アレンは暴れた。
「やめろ! なに考えてるんだよ……俺は、男だぞ! レナルト!」
「私の名前はアルンハイムだ、イグニシウス」
「やだ、やめろ!」
 いくら叫んでも、押さえつける腕をいくら振りほどこうとしても、体はびくとも動かなかった。腰を高く掲げられ、少年の秘部はすべてをあらわにしていた。両足を掴むいくつもの手が、アレンの足を拡げた。
「いやだああ……っ!」
 体を強ばらせ、背を反らせることはむしろ菊の花に似たすぼまりをレナルトの前に晒すだけだった。既に幾人もの奉仕者たちの手でほぐされたそこは、赤く血を聚めて濡れていた。
 アレンの体にのしかかったレナルトは、その指でアレンの後庭をまさぐった。腸壁をかかれるたびに、アレンは痛みの声と熱い吐息をかみ殺す。
「イグニシウス。私はおまえを手に入れよう。おまえは私に約束された炎の魂だ。愛しているよ」
 指を引き抜きながら言われた言葉に、アレンはもはや制御しきれないものが体内にこみあげて来るのがわかった。この異常な愛撫を、少年は受け入れ始めている。
 それでも、徐々にアレンの中へとうずまってゆく熱いものからは腰を逃がそうと身を起こした。その反抗は、もちろんまわりの人々によって封じこめられ、やがてアレンはレナルトの体をすべて受け入れた。痛みはさほどひどくなかったものの、腰を楽にしようとほんの少し身震いしただけで常とはあまりにも違う動きにくさがあり、確かにレナルトと繋がっているのだ、ということを思い知らされた。
 その事実に衝撃を受けてアレンは息を荒げた。
 その反応を喜ぶように、レナルトは腰を動かした。それにつれて、体の内がひきつり、擦過が思いもしない火を噴く。
 悲鳴を上げるアレンの喉をレナルトの舌が這う。後ろをうがたれる一方で強く花芯を掴まれて少年の体には赤い色が拡がった。
 そうして埒を放ったアレンを、レナルトはいとおしそうに見凝めた。白く汚れた彼自身をアレンから抜くと、高らかに居並ぶ人に宣言した。
「さあ、これでこのアルンハイムの刻印は終いだ!」
 アレンは霞む目でそのレナルトの裸身を見あげていた。
(レナルト……!)
 夢にしたらひどい夢だった。その上、なにもかもが終わったわけではなかった。
「イグニシウス、私を娯しませておくれ」
 アレンの頬に唇を寄せてレナルトは言った。いぶかしげにアレンは顔を上げる。
 すぐにそういうことかと合点するまでもなく、矢継ぎ早にむりやり体を開かれて思い知った。今度は体の苦痛と心の痛みで叫びあげた。散々にゆすぶられて快感など味わう間もなく、相手の動きが止まったと思えば少年の空洞をまた別の男が捕らえる。幾度も幾度もそれをくりかえされ、なにも考えられなくなった。下肢だけでなく口までも犯され、悲鳴も封じられた。
 次第になにもわからなくなっていく、痛みは限界を超えてしまっている。
 犯された下肢も、口も、だるくてならない。体中が粘ついて、汚れていないところなどどこにもなかった。それでも少年の花芯はなおも高まり、痛みと興奮でアヌスが痙攣しているのがわかった。
 どこかがおかしくなったのだろう、快感など感じてもいないはずなのに、体中が昂ぶっているのだ。うめき声が苦痛のものだけだとは、もうアレン自身にも言えなかった。堪えようとしても堪えようとしても、吐息に似た喘ぎが口を割った。
 狂乱に浮かされたアレンの目がはた、と人垣の間に見えた、金色の光に視線を奪われた。彼を陵辱し愉しむ人々のむこうに、焔を写して輝くレナルトの髪が、見えたのだ。その萌黄の瞳は、アレンを囲む人々と同じように愉快そうに眇められて、少年を見おろしていた。
(レナルト……)
 そう思ってからアレンは首をふった。
(レナルトじゃない……? あいつは悪魔だ、レナルトは悪魔になってしまったんだ!)
 一体これがなんなのか、アレンはようやく悟った。魔法陣の上で行われるきりのない行為。交接し絶頂を迎えることで高まる熱気。若い少年がくながいに上げる苦痛の叫び。疼痛に打ち震える細い体。それは生贄の儀式だった。
(俺はもう悪魔の生贄なんだ、ああ、ああ、あぁっ……!)
 アレンは体を強く突きあげられて身震いした。官能が下腹から体を突き抜けて脳髄までをしびれさせる。既に、射精は絶頂に追いつかなくなっていた。熟れた果実はもはや吐きだすものもないというのに、濡れて蠢いている。
 それはもちろん、本来の肉体の快楽とは違っていた。場を包む香りが、少年の精神を翳らせて夢うつつのうちに背徳へとひきずりこむのだ。稚く素直なその体は、拒む術を知らなかった。ただ、引かれるままにどこまでも、落ちていくだけだった。
 レナルトは満足そうに少年の胸に手をさしのべた。汗に濡れた少年の膚は、彼の髪と同じように蝋燭の焔を写してきらきらと輝いている。飾り立てられたその姿はとても美しく、見る者を陶酔させる。
「すばらしい、この若さとしなやかさとは。このすべらかで柔らかな膚、闇の中で闇よりも輝く黒い瞳、私にふさわしい生贄だ!
 イグニシウス。私はおまえにくちづけするよ」
 その言葉どおり、レナルトはアレンにくちづけた。


 昏い幻を見ていた。大きくて冷たい腕がアレンの体を強く抱擁する夢だ。骨が軋みをあげるほど強く、強く苛まれてあえぎに似た悲鳴を出す。
 冷たい風が頬を撫でて、アレンは目を覚ました。身じろぎをしたせいか、体が傾いでいまのいままで腰かけていた椅子から転がり落ちた。
「いっ……たあ……」
 立ちあがるためにその椅子に手をかけると、心地のよい天鵞絨の感触がした。典礼用の椅子だ。自分がいる場所が〈シャロットの塔〉だと気がついて、アレンはあたりを見回した。
 塔の窓からは、曙光が夜闇に食らいついているさまが見えた。暁闇を赤い光が縫って、朝を連れて来ようとしている。壁の切抜きがその光を反射して絵の半分を見えなくさせていたが、描かれたシャロットの姫君の、憂鬱な面持ちは見ることができた。
 窓が開いていたせいで、塔の中はひどく冷えていた。体が硬くこわばり、立ちあがるのもやっとだった。それでもなんとか窓辺まで寄り、窓を閉める。
 あれは夢か、とアレンは思った。
 あれは夢で、なにもかも彼自身の妄想だと、思った。
(だってレナルトがあんなことをするわけがない)
 体中が痛むのは、こんなところで眠ってしまったせいと、いま椅子から転がり落ちたせいに違いない。
 なんて悪夢を見たんだろう。あれは自分の中に棲む妄執だった。けがらわしい想いで、レナルトを汚したのだ。自分の内面の醜さに、どう言えばいいのかわからなかった。
 ……それでも、真実であるよりはずっとましだ。
 アレンは袖口をまくり、昨晩、自分が傷をつけた左手首を見た。包帯は解けてどこかへ行ってしまっている。それにも、どきりとしたが、寝ているあいだにむしってしまったのだと思うことにした。傷口が広がっているように見えるのも、包帯を取ってかきむしったせいなのだと思おうとした。
 それから彼は、震える指でブレザーのボタンを外し、ワイシャツのボタンを外して自分の膚を見た。
 自身ではつけようにもつけることのできない位置に、無数の鬱血した痕が、残されていた。
 それを見てアレンは、こぼれだす涙を止めることができなかった。
 否定しつつわかっていた。
 あれは本当のことだった。
 あれは。
 昨晩の苛みはすべてが真実だった。体の痛みが、体の奥底の痛みがそれを教える。髪からは濃く、ヘリオトロープの匂いがした。
(神様……!)
 アレンは果てのない嗚咽を漏らし続けた。

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