失われた焦点
三人の少女の死を聞いた透は、一限目から教室を抜け、高校校舎の屋上に行った。立入禁止だったはずだが、不思議と鍵はまたも開いていた。
今日はまだ、潤に会っていなかった。ここに彼がいるのではないか、と思って来たのだが、そこにはだれの影もない。潤がいない、ということでことさらに募る不安が少年をとりまいていた。
耐えがたい不安。いらだち。
「――瀬野くん」
名前を呼ばれてはとふりかえると、強い風に吹かれて片倉頼子がいた。彼女には、今までにない強い好奇心が生まれては凋んでいくのだった。今まで他人に興味を持たなかった透には、信じられないことだった。
顔のせいだろうか?
けれど頼子の方が由貴子より強烈だ。頼子の方が輪郭がはっきりしている。頼子の方が、
生きているという感じがあった。
「頼子」
「どうしたの?」
「どうしたって……」
「顔色が悪いわね。真っ白だわ。なにかあったの?」
「ちょっと、ね……」
「あなたのクラスの人、また三人なくなったのね」
「ああ。俺が昨日、会った奴だ。
頼子、あんた俺のこと悪魔だと思う?」
「悪魔? どうして?」
「俺に関わる人間は不幸になるのかもしれない。昔からそういう節はあったんだよ。俺が悪いことを言うと、必ず実現する」
「なぁに? 透くん。昨日、死んじゃった子たちが"セッション"で死んでしまえばいい、と思ったの?」
透ははっとした。頼子の何気ない言葉に頭をなぐられたようなショックがあった。
「おい、あいつら"セッション"で死んじまったのか!? 三人が三人とも!? "セッション"!? 草加みたいに?」
「透くん、わかんなかったの? まだまだね」
「"セッション"……?」
少年は呻きをあげた。空気が重くのしかかってくる。深い海の底に繋がれたようだ。
透はだんまりをして、しゃがみこむ。奇怪な思いが彼を襲っていた。どんどん深みにはまっていく思いを振り捨てようと、自己催眠にかかっているのだ、と考えた。
大村や三宅の言うこと、由貴子の幻影、ただの不安、クラスの4人の人間が死んでしまうという
偶然――
それが、透を被害者妄想に誘っていた。どこまでが真実でどこまでが幻かごまかされてしまうのだった。
屋上は風が強い。海から流れてくる風は、なまあたたかかった。
「透くん?」
優しく微笑みかける頼子は、やはり由貴子と同じ顔をしていた。
「あんたさ……」
透はぞっとするような顔で頼子を見た。彼の顔にはひどい翳りがあった。
「死ぬってどういうことだと思う?」
「透くんは死にたいの?」
「よくわからない。
ただ、由貴子が死んで、草加が死んで――で、あの三人が死んで、なんだかわからなくなった」
透は、死んだ三人の少女のことを知らない。彼は他人に興味がなかったし、持つ気もしていなかった。別世界の人間であり、赤の他人であるべきだった。
だというのに、人間の"死"はどうしてか考えさせられる。今までなんにも関心を持たなかった人間に考えさせられるのだ。
それは多少、腹立たしい。
(どうしてなのだろう)
人間には端的に言えば、二つの出来事しかないという。ひとつは生まれること。そしてもうひとつは死ぬことなのだ。
人は生まれて、死ぬ。生きとし生ける者はすべて。
死ぬために生まれ、生まれたから死ぬ。それは万物の真理なのだ。
しかし透は思う。ならば今の彼自身はなんなのか?
生きている透自身は。昨日までの、草加や、あの三人の少女らは。
過ぎ去ったものばかりが、滅びたものばかりが美しく見える。
大切な由貴子。大好きな由貴子。
(本当に、いい人間ばかりが死んでいく)
大切な人が死に、不必要な人間が生き残る。おそらく、透も生き残った側のその一人なのだった。
世の中の全てがくだらなくなっていく。
「死にやすい時代になったのよね」
頼子がつぶやいた。
「死にやすい時代よね。"セッション"といい、AIDSといい……きっとこれから、もっと死にやすくなっていくんじゃないかしら?」
「戦争でもはじまるのか?」
「戦争? そうね、どうかしら。イスラエルやフランスなんかが"セッション"の被害甚大らしいわね。フランスなんか、副大統領と外務大臣が"セッション"にやられてしまったのでしょう。戦争くらい、簡単におこるかも。
深海首相も奥さんが"セッション"に罹ったんでしょう? あの奥さんも深海首相の補佐みたいなこと、していたもの。きっと"セッション"について調べていたね……」
「"セッション"って、なんなんだろう。大村に、俺は"セッション"に罹らない、と言われた。頼子は? あんたは罹らないのか?」
「さあ」
「死にやすい時代って言ったな」
「ただ、たくさん変な病気があるって意味よ。罠にさえかからなければ、私たちに問題はないわよ」
透はしばらく黙った。頼子は一人で喋っていた。
「"セッション"ね……"セッション"とAIDS、どっちが怖いと思う?」
応えない少年に彼女は笑う。
「不安そうな顔してるわねえ。どうしたの?
死ぬのがこわい? "セッション"がこわい? あっははは。おかしいわね。
透くん、期待外れよ。あたし、もうちょっと骨のある人間なのかと思ったわよ」
「なんだよ……」
頼子は立ったまま、にやりと笑う。
「そんなんじゃどうにもならないわよ。三宅くんのほうがよっぽど頼りになるわ」
「なんだよ」
「透くんってまわりを認めない人ね。その歳にしては頭が固すぎる」
「なにを……!
なにを認めないっていうんだ!? 潤が神で、俺が悪魔だってことをか!?
なにを! 認めろっていうんだ? 頼子、あんたも大村たちと一緒かよ!!」
頼子は笑う。その表情に、透は血の気が引いた。唇の端をあげて笑う彼女は、どこか違う。どこかが同じ。
「頼子?」
「安心しなさいよ。平気だわ。心配することなんてなにもないの」
不適に笑う頼子の胸のリボンが、風にあおられて揺れた。紺色の陰影が彼女の制服の上で動いている。
* * *
透と潤は出会わないまま、幾日かが過ぎようとしていた。
大村沙夜に職員室へ呼び出された透は、放課後の生徒たちでごった返す中を大村の席へと進んだ。今までなら険のある表情で、職員室にいれば浮く存在だったが、今日は自然と溶けこんでいる。片倉頼子と並んで歩く瀬野透は、がらりと雰囲気を変えて学園になじんでいた。
しかし、席に大村はいない。職員室のむこうから、出席簿やチョーク箱を抱えた彼女が、ミニスカートからこぼれるふともももあらわに大股で歩いてきた。
「あ、透くん。いらっしゃーい」
バーのホステスを感じさせる口調で大村は言う。
「なんの用だよ」
「ひょっとして透くん、ちょっと待った?」
「別に」
「ごめんね。HRが長引いて。
……透くんってかわいいわね、ほんと。ついいじめたくなっちゃう」
「迷惑だよ。そういえば先生、1-5の担任なんだっけか」
「そうよ。よく知ってるじゃない。手伝ってちょうだい。うちのクラスの馬鹿が、窓から机を投げて壊したのよ。で、空き教室から机を運んでほしいの」
「そんなの、壊した生徒にやらせろよ」
「
九柄くんは今、パンツ一枚でグラウンドを100周しているところ」
「あ、そう。……」
透は大村に連れられて校舎の二階に行き、一番奥の空き教室に入った。使わない机と椅子が無造作に重ねられている。
「適当に一個、持って」
「……この教室って、空きだったっけ」
透は埃のつもった教室でぼそりと言った。
「二年の教室は隣までよ。まだ、クラス配置を憶えていないの?」
(そうだ……そういえばそうなんだ)
透は頭の中のなにか、どこかおかしいところをみつけだしていた。
「先生、悪い。急用思い出した」
「あ、透くん!」
大村が止めるのも聞かず、透は教室を飛び出した。走りながらいくつもの教室を過ぎてゆく。2−5、2−4、2−3、2−2、2−1……そして階段にたどりつくと、外を目指した。
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